3:元凶
「さぁて、ここは、どこであろうかな」
戦国末期の武士、伝法寺郷音は、なにもない真っ白な空間を彷徨いながら首を傾げた。
確か、死んだはずであるが……。
そう、郷音はたしかに死んだ。
主家滅亡の足音を最期に、剣の道半ばで死ぬことを憂いながら、無念ながらも立派に討ち死にを遂げたはずだ。
そういえば……。
「今際の際に声を聞いたような……」
と、その声に答えるように、真っ白な天空より声がした。
『わたしの声ですよ、わたしの』
「ぬっ?」
反射的に腰の刀に手をやって、郷音は天を睨む。
『ああ、なんだかすっごく手の込んだコスプレだと思ったら、なりきり系の方ですね』
「誰ぞ、あと、こすぷれとはなんぞ」
郷音はキョロキョロと周りを見渡しながら声の主を探す。
『名前だけじゃなくプロフも確認しとけばよかった』
しかし、声はすれども主は無し。
……神仏か?
……斬れるか?
『ええ、そうですよ、神様ですよ。あと、斬るな』
「なんと、心の声に答えるか……なれば、ほんに神仏であらせられるのでありましょうや」
郷音はそう口走ると、慌ててその場に平伏した。
「いかな神かは存ぜぬとは言え、ご無礼の段、平にご容赦召され奉り給え」
『うわー、なりきりもここまで来るとすごいわね』
「なりきりとは?」
『あ、うん、良いわ、そういうのは自由よね』
天空からの声は少し呆れた様子でそう言うと、事のあらましを説明し始めた。
『えっと、あなたは死にました』
「左様にて存ずる」
『で、まあこれは主神様の気まぐれなのだけど、あなたは別の世界へと転生を果たすことになったんですよ。で、わたしがその担当ということで』
「転生……とは?」
『え?転生ですよ、今流行りの……ああ、そうかなりきりね、うん、まあ黙って聞いてて』
「しからば、承知」
『ああ、もうやりにくいなぁ』
郷音にはなんのことやらさっぱりではあったが、どうやら神は苛立っている様子。
しかし、ここは触らぬ神に祟りなし。郷音は、なんのことやらよくわからないまでも、とりあえず終わりまで黙って話をきくことにした。
『転生はチート、これは常識』
なんの常識で、チートがなんなのかさえさっぱりわからないまま、郷音はうなずく。
『アイテムボックスと鑑定これは基本ね』
またしても、なんのことやらさっぱりなまま、とりあえず、郷音はうなずく。
『あと、あなただけの特典なんだけど、あなたは別の世界に生き返ってなんかしたいことあるんだよね?さっき確認したはずだったんだけど、忘れちゃってさ』
軽い口調で神は聞く。
しかし、郷音にとってみれば、それはまさに福音であった。
「べっ別の世界に生き返って、でござりまするか!」
『い、いや、今その話してたじゃない。そうよ、で、なんかある?』
「な、なれば剣の道を極めたく存ずる!」
『剣の道?へぇ、それはまた本格的に、アレね』
脈アリ。そう見た郷音は勢い込んで続けた。
「そのとおりでございますれば!叶うのでありましょうや!」
『お、おう、食いつきいいわね、えっと、いいわよ』
「ああ、なんということか……ありがたき幸せに存ずる……」
郷音は、神の言葉に大粒の涙をこぼした。
男は泣くものではない。
というのは、いつの時代の誰がいった戯言なのかは知らないが、戦国の男はよく泣くのである。勝って泣き、負けて泣き、後悔で泣き、そして花が咲くのを見て、枯れ葉が舞うのを見て、感極まって泣くのである。
そして今、郷音は、自らの幸運にはらはらと涙をこぼしている。
『な、泣くほどのことじゃないから!』
「いや、拙者には泣くほどのことにございますれば」
『ほ、ほんとやりにくいわね』
神はそう言うと『まあいいわ』と前置いて続けた。
『その世界は、戦う術をもたなければ大人になることすら難しい世界。剣の修行にはもってこいね。ただ、流石に、転生した人間がすぐに死んじゃ困るから、回復速度Sと経験値上昇Sをつけておくわ』
「も、申し訳ござらぬ、説明してくだされ」
『はぁ?もう面倒だな……回復速度Sは疲れがすぐ癒えて傷とかがすぐ治っちゃうっていう神の加護、まあ、ほとんど死ななくなるわね。で、目玉は経験値上昇S、これはもう人智を超えて成長する神の加護よ』
心底面倒くさそうに説明した神に、郷音は少し考えて真剣な面持ちで嘆願した。
「お恐れながら申し上げ奉りまするが、疲れや傷がすぐ癒えるのはとてもありがたきことなれど、成長が早くなるのはちと困りまする」
そう言って頭を深く垂れる郷音。
しかし、その一言に神はいたく驚いたようで。
『はぁなに言ってるの!?経験値上昇Sはこういった異世界モノでは相当ハイレベルなランクのチートなのよ。わかってる??』
「た、たびたび申し訳ござらぬ、説明を……」
『くぅぅ、もうホント面倒。わかったわよ、乗るわよ、あなたの設定に……えっと、その、経験が早くなるその神の恩寵は、身体の力がぐんと早く成長するという神の授ける恩寵の中でもとりわけ良いものであるぞよ……でOK?』
神は面倒くさそうに、早口で告げる。
と、郷音は、ほぅほぅとうなずいて言葉を返した。
「なるほど、しかしながら剣の道とは一朝一夕にはならぬもの。神の恩寵にてこの身のみが育てども、技の冴えは追いつきませぬ。よって、むしろ遅いくらいがちょうど良きものでございまする」
剣に生きた郷音らしい言葉。しかし、どうやら神は不満げな様子だ。そして同時に……。
飽きてきた様子でもある。
『……はぁわかった、わかったわよ。もういい、それで。でも、とは言えその分は何かで補填しなきゃいけないんだけどどうする?』
言われて郷音はしばし考える。
「そうでございますなぁ、なれば、決して傷まぬ服と、決して毀れぬ刃を賜るわけには参りませぬかな」
『そんなんでいいの』
「むしろ、繕い物や刀研ぎは苦手でございます故」
『あ、そ』
神は『もう勝手にすれば』と小さく呟くと、突然目の前に姿を表した。
その姿、まさに絶世の美女ともいえる姿で、白磁の如き肌と木漏れ日を集めたかのような髪。くっきりとした目鼻立ちに金色の瞳。そしてなにより。
その体は、神聖ここに極まれりと言わんばかりの光り輝く後光に包まれていた。
「ああ、女神さまであらせられたか」
『いや、女神って、女神っていいなさいよ……って、まあいいわそれで、うん。そうでござるよ、ニンニン』
「は?」
『あ、うん、何でもない。じゃぁそういうことで、もうあっちに送ってもいいかな?』
女神の問いに、郷音はしばし首をひねる。
そして願った。
「出来得るなら、命危うき修行の地へとお送りくださいませ」
『……まじで言って……るのよね、きっと。ああ、まあ、回復できるからいっか、死なないでしょ。いいわ』
女神はそう言うと、深く息を吸い込んで遠き異国の旋律で祈りを始める。
と、郷音の体を淡く優しい光が包み、その光によって郷音の体に生気が満ちみるみる活性化していった。シワだらけの手にみずみずしい肌が蘇り、体の奥に熱い滾りをかすかに感じる。
「若返っておるのか」
『剣の道を極めたいんでしょ、できるだけ若いほうが良くない?人間ってすぐ死んじゃうから』
「はははは、人間はすぐ死ぬ、か。左様でございまするな、かたじけない」
『まあいいってことよ、じゃぁ、あっちに行ったらできるだけテンプレでお願いね』
「てんぷら?」
『あ、うん、もういいわ、好きにしなさい』
女神はそう言って呆れると、小さくため息をついたものの、すぐに満面の笑みになって高らかに告げた。
『行きなさい!伝法院さとみ!あなたの憧れた剣と魔法の異世界ダックエールへ!!』
その途端、彼の意識は深い闇に包まれる。
そんな中、伝法院さとみではない伝法寺郷音は思っていた。
……ふむ。やはり人違いか、と。
しかし、女神がそれに気づくのは。
ここからだいぶ後のことである。