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1:静かな湖畔の森の影から

 とある静かな湖。


 魔物が多く住む森の只中、満々と水をたたえるその湖畔に突如切り株だらけの平地が出現し、その中央にぽつんと、小さな畑と粗末な木柵、そして、小屋程度の大きさの家があらわれる。


 それは、粗末ではあるが堅牢な作りのログハウス。


 いや、ログハウスというより隠居小屋、つまり和風な趣きのある家だ。


 そしてその隠居小屋の正面、壁一面がそれではないかというくらいのやたらと大きな表戸から、今日も今日とて、いつものように一人の男が顔を出す。


 その姿、まんま武士。


 長い髪を荒縄で縛り上げ、裾をたくし上げた肩衣姿に日本刀という、野武士そのものの男だ。


「あああ、良い朝であるよなぁ」


 そう、彼こそこの物語の主人公、伝法寺郷音でんぽうじさとねその人。


 そして、その後ろに従うように、さらに驚くべき生き物が姿を表した。


「おお、熊五郎、今日も元気そうで何より」

「がぅ」


 それは左目のあたりに大きな傷のある熊。


 身の丈3メートルは優に超えているだろう見るからに筋骨隆々のそれは、郷音のもつ鑑定スキルが告げた正式名称によればベアル・ベリアルという凶暴極まりない魔物だということだ。


 ただ、不思議とその巨大な魔物ベアル・ベリアルはおとなしく郷音に付き従っている。


 まるで、飼いならされた犬のように。


 とはいえ、それは決して弱い魔物ではない。


 というか、かなり強い。


 エグいくらいに強い。


 その証拠に、郷音は、このベアル・ベリアル、いや、熊五郎に出会ったその日のうちに四度負けている。いや、殺されかけている。普通ならとっくに死んでいてもおかしくないような完全敗北を喫している。


 その強さの秘訣、それは圧倒的野生。


 高い敏捷性、厚い皮下脂肪、さらには武術の心得があるかの如くに理にかなった身のこなしと、そこから繰り出される鋭い爪と牙による攻撃。


「熊五郎よ、今日も狩りの前に仕合うかな?」

「がぅ!」


 そしてなにより、毎朝日課のごとく郷音と仕合い、血だるまにされてもけろりと回復する、その回復力。


 まさに、化け物。


 そんな、四度に渡って郷音を半殺しにし五度目で惜しくも敗れたこの強敵は、それ以来、郷音の従僕であり騎獣であり。


 そして、友となったのだ。


「ぬおおおおおお!!」

「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 そうこうしている間に、素人であれば、その光景に一瞬で気絶してしまいそうなスペクタクルを繰り広げる一人と一頭。


 とてものこと、合意の上で仕合っているとは思えない、野生の荒々しい殺気と練り上げられた冷涼たる剣気むき出しのその戦いは、お互いの皮を裂き、肉を穿ち、身を抉り、骨を挫き、あたり一面を血の海に染め上げ、穏やかな湖畔の景色を地獄に変えて……。


 突如、終了する。いつものごとく。


 そして寝転ぶ、いや倒れ伏す一人と一頭。


 で、瞬時に回復する常識はずれな一人と一頭。


「ふぅ、今日はこれくらいでよいであろうよ」

「がうがう」


 郷音の言葉に、熊五郎は上機嫌で答える。


 と、同時に、熊五郎はその巨体をスルスルと縮め、小型犬くらいの大きさになると寝転ぶ郷音の腹の上に飛び乗った。


「はっはっは、これでまだ子供であるというのだから、末恐ろしいよな」

「がぁぅ」


 実際、熊五郎の本来の姿はこの小型犬サイズ。


 元来ベアル・ベリアルの子供は戦いの際、魔力によって体を大きくするのである。戦い後の恒例の日向ぼっこの際はこのサイズで黙って郷音にモフられるのであった。ちなみに、成長ともに、この巨大化能力は消える。ただ、かわりに小型化能力が身につくため、きっと、この先も一人と一頭はこういう関係を続けるのであろう。


 うららかな朝の日の中で、平和に時を過ごす一人と一頭。


 と、数分の後、郷音の腹がぐぅとなった。


「ふむ、では熊五郎、飯にするか」

「がぅがぅ!!」


 郷音はそう言ってすっくと立ち上がる。


 あわせて、熊五郎は慣れた様子で腹からひょいと飛び降りる。

 

 そして、スタスタと歩く郷音の後ろを、小さな頭をふりふり、丸い尻をふりふり、尻の先についたポフポフのしっぽをふりふり、てちてちと頼りない足取りでついて行く。


 と、その時、郷音と熊五郎とが同時にピクリと歩みを止めた。


「気づいたか」

「がぅ」


 ピンと張り詰める、一人と一頭の表情。


「念のため、お主は小さいままでおれ」

「がぅ」


 兵は詭道。


 いかに強靭な生物であっても、か弱い小動物のような顔でそこにいれば、それは間違いのない騙し討ちとなる。


「いきり立っておるようであるな」


 そして、それは、今から来るであろう、決して弱くはない殺気を垂れ流す存在に対しての対策であり、一分でも殺す確率を高めるための兵法だ。


 刹那、周囲から音が消える。


「くるぞ」


 その時、郷音の声に呼応するように、郷音が開拓し均した平地の奥、森との境あたりの藪ががさりと動いた。同時に、郷音は、気づかぬふりをして静かに腰のものに手をやり、熊五郎はその身に魔力をため始める。


 と、そこに現れたのは。


「た、助かった」


 女だった。


 白く輝く顔にかかる白銀の髪。


 白い肌を惜しげもなく顕にするセパレートタイプの白銀の鎧。


 その出で立ちに周囲の明るさがより輝くような印象さえ受けるその女は、その荘厳な姿とは裏腹に、頼りない足取りで二、三歩進むと、その場にドォと倒れ伏した。


 年の頃は十七、八。


 美麗な装束とは裏腹に、顔は煤け汚れている。


「た、助けて……」


 駆け寄るでもなく郷音がそれを見ている中で、女はそう漏らして意識を手放した。


「ふむ、どうする熊五郎」


 助けを求めるものに手を差し伸べる。


 それは、きっと、人としては正しいことなのだろう。


 しかし、敵だらけのこの森においては命取りにすらなりかねない行為でもある。


 そもそも、敵が敵意を剥き出しにし、いかにも悪党ヅラしてやってくるとは限らないのだ。それは、郷音が生きてきたかつての世界の常識、生死を問わぬ戦場の習い。


 なので郷音は、熊五郎の野生の勘にかけた。


 その答えは。


「がぅ」


 熊五郎はてちてちと女に駆け寄ると、その顔をぺろりと舐めたのだった。


 それを見て、郷音の表情が一気に緩む。


「はっはっは、助けるか。よし、そうしよう」


 郷音はそう言うと、自分や熊五郎には必要のない薬草を本人が「ズタ袋」と呼ぶ袂のアイテムボックスから一枚だけ取り出すと、それを口に含んで噛み潰し、そして。


 優しく女に口付けた。


 そして、口移しに薬草を押し込む。


「あとは、このおなごの生きる力次第」


 郷音は口を拭いながら軽々と女を肩に担ぐと、そのまま家に向かって歩き始める。


「がぅぅ」


 と、熊五郎が心配そうに袴を引いた。


「はは、心配ない。食らいはせぬよ」


 郷音はそう言うと、嬉しそうに付け加えた。


「いろいろな意味でな」


 郷音の言葉に、熊五郎は首を傾げて「がぅ?」と吠えたが、気を取り直してやはりてちてちと郷音の後ろをついていく。


「ぐぅ」


 ついていきながら、熊五郎は小さくそう漏らす。


 熊五郎がこのとき何を訴えていたのかは、きっと、郷音にしかわからない。わからないが、どうやら。


「がぁう」


 楽しそうでは、あるようだった。

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