明日を紡ぐ恋
文也さんの消息を探すため、私は短歌を投稿した。
何か手がかりを得られることを祈りつつ。
『片恋の木暮氏去りて唯ひとつ君の愛しし短歌とつながる』
この短歌は運良く新聞に載った。
その一週間後、思いがけず星斗くんから電話があった。
「新聞に載った短歌のことで聞きたいことがあります。」と言う。
「ここにある木暮氏というのは、もしかして木暮文也のことですか?」
「なぜ?その名前を知っているの?」
「僕の父ですから」
コロナ禍で外出はままならないが、どうしても星斗くんと会って話したかったので、ホスピスの許可を得て、近くの喫茶店で会うことになった。
やはり、真近で彼の顔を見ると、また涙がこぼれそうになるが、必死でこらえる。
星斗くんが言うには、やはり文也さんは、十九年前に交通事故死していた。
横断歩道を青信号で渡っていると、居眠り運転の車にはねられたという。
「僕が五歳の時でした。その後、母と母方の祖父母の所で暮らしたんです。僕が高校に入るのを待って、母は再婚し東京へ行きました。」
「そうだったの。でも苗字が違うけど」
「今の名前は、母の再婚相手の苗字です。一応父親ですから」
背の高いところと細身の体型は文也さんによく似ている。
穏やかでやさしい性格も。
顔はお母さんに似ているという。
「母は、僕も一緒に東京に行ったらどうかと言ったけれど、母には昔のことは忘れて、新しい生活を始めてほしかったので、いきませんでした」
おじいさん、おばあさんと暮らして、京都の大学を出て救命士になったという。
文也さんの継いだ会社は、その後 叔父さんが経営したが、三年前に不況のあおりで、会社も閉じたとのこと。
「母が東京へ行く前に、父の遺品だといって、ハガキと手帳を渡してくれたんです。ハガキには全て宛名が書いてあり、裏には短歌が一首。出すつもりだったけれど、出せなかったと思い、僕が十日に一枚出していました。」
星斗くんはモスグリーンの手帳を見せてくれる。文也さんの日記のようなものだと言う。
「この中に、大阪の会社に勤めていた頃に出会った女性のことが、かかれています。読んでみて下さい。」
手帳には、
『宴会の度に僕の隣りに座る女性がいた、にこにことうれしそうに世話をしてくれる。初めは戸惑いもしたけれど、人目も気にせず来てくれることが続くと、段々 可愛いとか、
いじらしいとか思うようになった。でもすぐに実家に帰らないといけないし、結婚相手も決まっている。僕への好意は分かっていたが、彼女には何も出来ないまま、何も言えないまま大阪を離れた。』
別の日のページには
『明日、僕は結婚する。会社を救うため半ば政略結婚のようなものだ。好きとか、ときめくとかの感情は残念ながらない。しかし、こうなるのも何かの縁があってのことだろうから、この縁を大切にして幸福だったといえる人生にしたい。今日でこの手帳に記すのもやめる。明日からは新しい生活が始まるのだから』
あとのページは白紙のままだった。
うれしいのか悲しいのか、両方なのか、胸にジーンと来るものがあった。
とにかく、文也さんは、私の想いを分かっていてくれた。
可愛い、いじらしいとさえ想ってくれていた。
もう、それだけど良い。
「ここに書かれた女性は、やはり美月さんですね?」と星斗くん。
「そう、私です」
「僕は、父がどんな青春時代を過ごしたのか知りたかったんです。母に聞いても詳しく知らないようですし」
私は文也さんと、デスクを並べていた頃のことを話す。
でも、文也さんのことより、今、目の前に居る愛しい星斗くんのことの方が気にかかる。
実の父を五歳で亡くして、淋しかっただろうと思う。
「とても優しい父でした。僕は結構いたずらっ子で、母の枕元にカエルをおいたり、セミの抜け殻を集めていて、それを見せて驚かせたりしたけれど、父は叱ることもなく、うれしそうにしていました。あとは僕をヒザの上にのせて、いろんな話をしてくれたり、CDもよく聴かせてくれました。僕が覚えているのはそれくらいかな」
「星斗くんにとって良いお父さんだったのね。本当に良かった」
「唯、僕は父が大阪での暮らしをもっと続けたかっただろうと思うし、意に反して早く故郷に帰り会社を継ぎ、顔も見たことのなかった母と結婚して、幸せだったのかどうか分からないんです」
「きっとしあわせだったと思うよ。しあわせというのは、人各々で感じ方や考え方が違うから、これと言う答えはないと思うけど、あなたのようなお父さんに似て穏やかで賢くて、ステキな息子さんを授かったのだから」
「そう言ってもらうと、うれしいです」
「それと、お父さんが私とあなたを引き合わせて下さったような気がします」
「そうかも知れませんね」
星斗くんはそう言うと、にっこり微笑みかけた。
私が死ぬことばかり考えていたのを、空の高い所から見ていて、生きる力をとり戻させるために、息子の星斗くんと出会わせてくれたのかもしれないと思うのだ。
文也さんの私に対して真意が分かって、私は一区切りついたと思う。
『そよ風と共に君来て長年の 心の靄を晴らしてくれぬ』
『愛しいと好きとの違い教わりぬ 二十四歳の君に恋して』
私と星斗くんとの関係が、このまま続いてくれればと願うが分からない。
星斗くんが、父ゆずりの短歌の才能を発揮して、うまく詠めるか分からない。
私が、いつまで元気にしていられるか分からない。
しかし、今言えることは、私が文也さんに持っていた
“ 好き “と言う想いを悠に超えて
星斗君には、”愛しい“という感情を抱いていること。
その為か、いい年をして、彼が目の前に居ると、恥ずかしくてまともに顔が見られない。
出来ればもっと早く会いたかった。
もっと若くて綺麗な姿で会いたかった。
自分の年齢が恨めしい。
しかし、それは違うと気付く。もっと早く会っていれば、彼は、まだ子供。
彼が大人になるのを、私は、待っていたのだと。
その為に二十四年、歳を重ねる必要があったのだと。
そして、彼が人生で一番綺麗な時に出会えたのだ。
だから、自分の年齢を嘆くまい、悲しむまいと心に決める。
文也さんの事で喫茶店で星斗君に会ってから、時折、決まった時間に彼が私の部屋の窓の下に来てくれる。
コロナ禍で思うように会えないので、三階の窓の下と車のほぼ通らない真下の歩道とでお互いの無事を確認する。
それが私の生きがいだ。
彼の顔を一目見るだけでもう幸せ。
いろいろあるけれど、また元気に頑張ろうと思える。
貧血が進むと隣の病院に入院して輸血にゆく。
十月終わりには、コロナにも感染したが、星斗くんを励みに乗り越えた。
そして、今日も私はホスピスで小説を書いている。
入院中、星斗くんに
「退院したら、今まで出来なかった新しいこと、多分小説を書くことになると思う」と言ったのがきっかけだ。
全くの自己流だが、星斗くんにもらった命を無駄にせず、書ける間は頑張って書くつもり。
ホスピスの女性スタッフが、「小説家になろう」というサイトに投稿してくれたので、多くの人に読んでもらえる。
本物ではないが、曲がりなりにも小説家になれた。
子供の頃からの夢が、少しは、叶った。
そして、夢というより願いは、この世に居る間にもう一度恋がしたい。
しかし、それは絶対に無理、不可能。
太陽が西から昇ることがあっても恋するなんて有り得ないことだから。このまま淋しくこの世から去るしかないと思っていた。
年齢も五十五才と若くないし、出会いもないし、
日々、認知症も出ている母の介護に追われ、自分もガンを抱えていて、いつどうなるか分からないし。
そんな私に奇跡が起こる。
救急車で運ばれた病院で、ジャニーズ事務所に入っても一歩も引けを取らないくらいの魅力的な美青年に出会い、恋してしまったのだ。
彼に恋をしたお陰で、恋愛を盛り込んだ小説も書けるようになった。
恋するときのやさしい気持ち、切ない気持ちまで取り戻せて。
死ぬことばかり考えていた私が、生きて夢を叶えているなんて、とても信じられない。
人生、最後の最後まで何が起こるか分からない。
ガンの転移があちこちにしこりとなっていて、この世に居る時間は長くないと思う。
『あと半年我は生きたし ひたすらに三月生まれの君祝うため』
『一行の君のメールに歓喜して生きゆく力また湧きおこる』
だからこそ、この世の誰よりも私は、星斗くんを愛していて、この世にいる限り愛し続ける。
こんなこと想うなんて、こんな日が訪れるなんて。
愛せる人に出会えて本当にしあわせ。
このまま少しでも彼が、私を大事に思ってくれればそれで良い。
それだけでもう十分だ。
とにかく、私はもうすぐこの世を去る。
星斗くんを想うにも限りがある。
だから、彼には夢を叶えて、この先、幸福な人生を送ってほしい、身体に気をつけて、健康で長生きしてほしい。
そして、もし叶うなら今度生まれ変わったら、星斗くんの若くて綺麗なお嫁さんにしてほしい。
恋とは、今の私にとって、生きる力、すべての原動力。
それ以外の何ものでもない。
『糸と糸で言葉を繋ぐ戀の字と今指先が綴りゆく恋』
ここ数年、心不全と認知症を抱えた母を、自宅で介護してきた。
いつも母や周りの人たちに頼られるばかりで、頼ることも出来ず、頼る人もなく肩に力を入れて生きてきた。
母を送り、ひとりになって、本来の自分に戻ったとき、
人生最後の最後に、もう一度恋がしたいと願ったとき、私は恋をした。
長い間忘れていた、人を恋するときのやさしい想い、切ない想い、楽しい想い、哀しい想いを、思い出したのだ。
歌を忘れたカナリアが、象牙の船にのって月夜の海に浮かび、本来居るべき場所に着いたとき、美しい歌声を思い出したように・・・。