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聖女の庭   作者: 遠田
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王国コテリオの聖女

 誰もいなくなった祭壇室に、速やかにアゼーナが連れ戻されてくる。すでにアゼーナの意識はない。貴賓室で焚かれている香と、飲み物によって意識はすぐに奪ってある。

 司教が礼拝の祭壇前の段を強く押すと、隠し戸が外れて階段が現れる。

 地下の、フィーニスがなによりも神聖化している、オルサの亡骸があった地下の祭壇場へと繋がる階段である。歴代皇帝の棺を安置するための通路は他にあり、この隠し階段はフィーニスとオルサとここを監視させている司教しか知らないものだ。


「おまえは歩けるだろう。逃げようとは思わないことだ。脅威はとてもつらいものらしいから」


 フィーニスの言葉にフィリウスは大人しく従った──従わざるを得なかった。

 皇帝が娶う姫巫女は毎回フィーニスとオルサのふたりから作られている人形で、その身の内にはウルティカの根が蔓延っているものだ。

 その種は第二皇帝の時代から脈脈と体内に蒔かれている。すでに意思とは別の行動をからだは取っていて、逆らおうとすると痛みが襲ってくるので従わざるを得ないのだ。


「オルサさま、先へお進みください。女はわたくしめが運びます」


「おまえたちのような愚者が、歴代皇帝も眠る霊廟とこの国のもっとも神聖な祭壇場へ生きて足を踏み入れることができるのだから欣喜なさいな。まあ片割れは意識もないけれども」


 フィーニスの言葉に頷くのは司教で、この城に遣わされている誉とふたりに直接対面できることの誉を心の底から感じているらしい。

 陶酔も甚だしいが、純善な心しかないことも知っているのでフィーニスは司教を罰せずに、軽くいなすだけに留めている。

 オルサはそんなに褒められることもしていないのにね、と、司教の言葉に苦笑するばかりである。まあ褒められたものではないだろう、今回は。

 地下の祭壇場まで降りると司教は一度上へと戻った。フィーニスの合図があり次第、正規の門よりこの霊廟へと入ってくる手はずとなっている。

 さて。ぞっとするようなフィーニスの声が霊廟に響く。この場はふたりの死に場所であり、一番力が漲る場所だ。漲りすぎるので、あまり近寄らないようアルブスには言われていたが、今は禍しい力などいくらあっても足りないほどだ。

 この場を譲ってやったのは、オルサも楽しく過ごせる優しい国を作ると約束されたからだ。

 それをこの愚鈍なる皇太子は、あのときと同じように他国の女を迎え、聖女たるオルサの雑じった姫巫女人形を退けようとした。それも罵りまで添えて。それがフィーニスには許せない事柄だった。生かしてなるものか。憎しみはひとまず笑顔の下に隠したが、腹の中でずっと燻っている。男にはにおわなかっただろうか。この怒り、この殺意が。

 オルサも大して止めはしなかった。皇国レグヌムをかすかでも破滅への道筋に当てたことを、オルサも怒っているのだ。そして約束を違えることをオルサは許さない。アグヌスよりもこの国のことをきちんと学んだであろうフィリウスの愚かさにオルサは心の底からあきれてしまって、その男の価値をないものとしている。今はもう、興味のかけらも失われているのだろう。


「男だろう、そう悲しむことはない。はやくおまえを愛する女を真の聖女に仕立て上げる立派な道具に変えてやろうな。王国コテリオの聖女アゼーナが生きている限り、おまえの努力を讃えて手出しはしないでおくよ」


 パチリとフィーニスが指をならすと、その些細な音にすら怯えたのかフィリウスは気を失った。小心すぎやしないか。そうあきれたもののやることは他にもある。

 未だ寝汚く眠るアゼーナのくちに、ウルティカとは違う葉を押し込める。突然のことに目を開いたアゼーナがなにをかを言おうとしたが、葉のせいでなにひとつ言葉にはならなかった。

 噛みなさい。

 フィーニスの声音がうわんと霊廟に響く。

 噛みなさい、噛みなさい、噛みなさい、……、何度かの後にアゼーナはその葉を噛んで、何度も何度も噛んで涙を流した。

 しかしそれは短い時間だけだった。

 甘く苦い葉を噛んでいると、屈辱も怒りも凪いでいく。薄暗い中に灯る火がゆらゆらと揺れ、ぼうっとした頭には王国を守るための手順が刷り込まれていく。


 おまえの国を守るために聖女アゼーナにひとつの術具を渡します、おまえの国を守るために聖女アゼーナにひとつの術具を渡します、おまえの……、国を、守るために、──ひとつの術具を賜ったのです!


「アゼーナ侯爵令嬢」


 名を呼ばれてアゼーナはふと目を明けた。

 数度の瞬きののちに皇国レグヌムまでの護衛をしていた生家ブルテーツォ家の騎士が、目の前に待機していることを確認して、ようやくちらつく意識を戻した。

 皇国レグヌムに嫁ぐ宗教国家レギリオの姫巫女と対談をしているときに第一報が届いたのだ。祖国の王国コテリオで初めての脅威がもたらされた、と。

 そうだ、わたくしはすぐさまコテリオへと戻り聖女としての務めを果たさなければならない。

 ちょうど宗教国家レギリオよりの使者から、脅威に対抗するための術具も渡されている。コテリオに聖女はひとりしかいないため、脅威に打ち勝つには同盟国の力を借りなければどうにもならないのだ。


「わたくしは侯爵令嬢という身分など捨てます。聖女としての務めを果たさねばなりません。わたくしたちの国を守るため、行きましょう。もう国に着くまでは休むことはできないと思います。あなた方も国のために働いてくれますか」


「なんという……アゼーナ侯爵令嬢、いや聖女アゼーナ! 急げば一両日には王国コテリオへと到着いたします」


 国を出たときとはまるで別人のように聖女たる姿に騎士が目を瞠る。

 皇国レグヌムへ訪れる前までアゼーナは聖女と言われつつも、俗物に対する未練だらけで祈りひとつもおざなりであった。

 その姿勢が王国内で問題視されて、宗教国家レギリオと縁の深い同盟国、皇国レグヌムへ国のためにというお為ごかしの名目で、聖女としての務めのために逃げるように向かったのが実情だった。

 それが、これほどまでに聖女としての自覚をと持つなど、誰も彼も思っても見なかったことだ。

 術具を乗せた馬車は馬を変えながらコテリオへと急ぎ、脅威の蔓延る国内へと入ったのは翌日のことだった。

 アゼーナは身を清めることもなく国王との面会を果たす。

 すでに早馬でアゼーナが正しき聖女であったこと、皇国レグヌムより同盟の証として聖女にのみ扱える術具を譲渡したこと、同盟の証として次期皇帝の名を捧げることの連絡は受けていたらしく、アゼーナの到着を刻一刻と待ち望んでいたようで、儀式の手はずはすでに整っていた。

 すぐさま術具は丁重に運ばれ、アゼーナは聖なる水に身を浸したのちに儀式へと進んだ。ひとの形を模した術具は城へと伸びゆくウルティカの眼前へと置かれた。

 脅威は国ひとつを簡単に飲み込むと知られており、あまりの危険さに地区の住民などはすでに避難済みだ。

 アゼーナを聖女として信用していなかったせいでもある。

 遠く離れて見守る騎士の姿を一瞥し、アゼーナは祈りを捧げた。術具はガタガタと震えウルティカの脅威と戦っている。聖女としてアゼーナは精一杯の祈りを捧げ、やがてウルティカが術具に吸い込まれるようにして中へ中へと巻き込まれていく。アゼーナの耳には悲鳴のように響いた。ギシギシと術具は軋み、最後には火がのぼった。聖なる火の輝きにアゼーナはふとどこかで見た光だと思った。


 どこか遠くで見た光だ。


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