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聖女の庭   作者: 遠田
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婚約の継続

 偽っただと。

 うめくような小さな声がフィリウスより漏れる。

 その隣に立つ聖女アゼーナは、思っていた事態へと流れていないことに不安と焦りを感じているようだ。忙しなく視線をあちらこちらに向けて、どうにか状況を把握しようと足掻いている。

 やがて扉がゆっくりと開き、侍女長が男を伴い戻ってきた。男は顔を隠すように灰色の布を垂らしている。それは宗教国家レギリオに所属する人間がつけているもので、神に仕えているという証のものだ。忌児がレギリオに紛れていたことに、フィーニスが不快感を露わにする。

 しっかりと扉が閉まることを確認してから、恭しく男が案内された。話の内容から男がどのような人物であるのかは、この場にいる誰もがわかっていた。


「初めてお目に掛かります、アグヌスと申します」


 後頭部の結び目を取り現れた顔は、幾分か柔和ではあるがフィリウスとよく似ていた。忌児、双生児、フィリウスとともに育まれて産まれた片割れであることは、その場の全員が一度で理解した。


「お会いしたことがあるわ。養護院にも何度かいらっしゃったでしょう」


 オルサがぱちりと両手を合わせた。そのことにアグヌスはやわらかに笑んで、何度かお会いいたしました、と頷く。司教が確かにと頷く。


「聞いておりませんがオルサさま。不審な人物に会われましたらフィーニスにお伝えくださいと何度も、それは何度でもお伝えしていたと思いますが、覚えてはいらっしゃらなかったと」


「不審そうではなかったので言わなかっただけのことよ。お洗濯物を運んでいたときにつまずきそうになったとき支えてくださったり、レギリオから子どもたちのご本を運んでいただいたときの従者のなかにおられただけだもの。司教さまと一緒におられるようなレギリオのものを疑うだなんて誰もしないでしょう」


「あなたの知らない従者がいるとお思いですか。いま一度、オルサさまと不審者の定義の擦り合わせをいたしましょうね、今度、ゆっくり」


 ひゃ、と肩をすくめた愛らしい様子のオルサを横目にフィーニスは表情をがらりと変えて、フィリウスへとからだの向きを変えた。


「まあいい。皇妃、おまえの判断を許そう。……ちょうどようございましたな。皇国を継ぐものがきちんとおられて」


「貴様なにを言って…」


「初代皇帝の願いのひとつに、争うことのないよう子を成すものはひとりだというものがあった。皇国レグヌムの歴史を学んで奇妙だとは思わなかったのか? おまえは本当に愚かだな。家系図に現れる後継は、何代にもわたってたったひとりだったろう。途切れることなくひたすらに二千年、望めば女児の存在は許したが、継ぐべき男児はたったひとりだ。レギリオはその願いを叶えるために尽力してやったが……なるほどアグヌスを隠したのはどちらかな」


 フィーニスとオルサをひとならざるものに変えた二柱を脳裏に浮かべる。フィーニスに気取られぬように手配したのはあの二柱に間違いはないだろう。

 まあ、どちらかではなく両人だろうなと心中でぼやいてから、もう用のないふたりに向き直る。


「宗教国家レギリオの姫巫女シビラとの婚約を破棄して、そのアゼーナ・ブルテーツォ侯爵令嬢と縁を結ぶのだろう? どうぞ。レギリオはふたりを祝福する」


「では聖女アゼーナの帰国準備を通達いたしましょう」


 宰相が扉を開けに行くと、速やかに衛兵と侍女数人が礼をして慇懃にアゼーナを案内する。アゼーナがフィリウスの名を呼んだが、言葉は届かずに地に落ちた。


「聖女アゼーナ、一度貴賓室へお願いいたします」


 有無を言わせぬ声に、アゼーナは大人しく従うことにしたようだ。なにより頼みの綱であるフィリウスの立場が今揺らごうとしていることは、誰の目にも明らかなのだから、言葉ひとつで身の処遇が変わること程度のことは侯爵令嬢として生きてきてわかっているのだろう。

 そしてそのフィリウスはすでにアゼーナのことは眼前になく、憎しみを込めてアグヌスを見ている。同じ顔が表情ひとつでこれほどまでに変わるものかとフィーニスが感心したところで、皇帝が深く息をついた。忌児の存在を元より知らなかったのだ。


「……亡くなったものとばかり」


「申し訳ございません。しかしこのようなことがない限り、アグヌスはレギリオの要人として生涯を終わらせるはずだったのです」


 アグヌスも皇妃の言葉を肯定した。生涯を宗教国家レギリオで終えることは了承済みであったという。

 しかし今、この場所にいる。

 フィリウスはそのことの意味をようやく悟った。


「姫巫女、おまえのお仕えする次期皇帝に挨拶をなさいな。同盟国コテリオの不幸があったので、皇国レグヌムのフィリウス皇太子は脅威に名を捧げそれを治められ、新たな名をアグヌスと改められるそうだ」


 フィーニスの言葉にフィリウスが声を荒げる。

 しかしそれを制したのはフィーニスではなかった。皇帝により命じられた衛兵が、フィリウスを拘束する。拘束具を噛まされたフィリウスは、言葉を発することができなくなる。拘束されたフィリウスに、アグヌスがつけていた顔を隠す布を垂らされた。それとは真逆にシビラの布が取り払われて、ふたりは初めての対面を果たした。


「宗教国家レギリオより参りましたシビラと申します。アグヌスさま、末永い皇国レグヌムの繁栄のため、ともに尽力いたしますことを心より誓い申し上げます」


「存じ上げております、シビラさま。皇妃とともに祈る神聖なお姿をいつも見ておりました。こちらこそ末永く皇国レグヌムのために、お力添えいただきたくお願い申し上げます」


 祭壇室での次期皇帝、皇妃の言葉によってその場は収束した。これからふたりは新たな皇帝皇妃となるべく学んでいく。

 さて。

 フィーニスの言葉に、拘束されているフィリウスは硬直した。自身の処遇の行方が見えないことが不安でならないのだろう。鼻白む思いでフィーニスはそれを見つめて残っている司教に目配せをした。司教はすぐに室外に控えている司祭を呼んだ。皇帝らを祭壇室から連れ出すためだ。


「では皇帝、皇妃、ご機嫌よう。姫巫女は引き渡した。我らはひとつ仕事を納めてレギリオへ戻ります」


「シビラ、皇国レグヌムをよろしくお願いいたします。民びとを大切にね」


 オルサの言葉にシビラが一礼をする。不安げな表情も、皇妃の時おり様子を見に来てくださいますよ、との言葉に払拭された。次に対面するときは、ふたりの婚姻のときや子を成したときだ。それ以外は擬態して違う見目で訪れるが、それは伝えてはいない。今の皇妃も、市井にふたりがたびたび訪れていることは知らない。

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