真島きららの初恋。
私は、同級生の女子たちから「恋愛マスター」と呼ばれているらしいが、決して「恋愛マスター」などではない。
なぜなら、これまでの人生は恋愛とは皆無であるから、異性の恋愛感情など、わかるわけがなく、むしろ、「恋愛素人」という表現が的確だろう。
そんな私に「恋愛マスター」という肩書がついてしまったのは、クラスメートの「恋バナ」の悩みに対して、これまでに読んだ本の中から得た知識を引用して、軽い気持ちでアドバイスしてみたら、私のアドバイスによって、想いが成就してしまったことが発端となり、それが、皆に認知されてしまったからだ。
その事を気に、相談を申し込まれるようになったのであるが、「NO」とは言えない性格も相まって、「なるべく」引き受けるようにした。
自分でもあいまいだと思ってはいるが、「なるべく」という線を引いたのは、救いの手を差し伸べて来る人すべてに応えられるほどの度量を持ち合わせていないと自覚しているからだ。
私には、多くの人を導いた信仰の祖が行ってきたような事などできるはずもないし、背負っているものもちがう。だから、「なるべく」がちょうどいいのである。
もし、人類が僅か17年で精神的に成熟できるのなら、とうの昔に戦争という愚かな行いから脱却しているはずなのだ。
そんな曖昧な感情を持ち合わせている事が人間たる所以だと思っている。
それでも、未成熟を自覚している私が恋愛相談を引き受けられているのは、相談者がどういう答えを求めているのかを理解し、その気持ちをさりげなく後押しする事が基本と考えているからだ。
勿論、一方的な片思いでは、成就する可能性も低く、無責任な後押しは出来ないので、その際は、さりげなく気持ちの切り替えを促し、良い方向へ進められるように努めるのだか、臨床心理士でもない私がそこまで踏み込めるようのなったのは、私の特異体質に頼るところが大きい。
特異体質とは、例えば、霊感の強い人ならば、背後霊や守護霊が見えるように、私には相談者の背後に『色』が見えた。
そして、『色』は、相談者のその時の感情によって変化する特性を持っているのであるが、鏡に映る自分の姿には「色」は見えなかった。
その『力』の出力に不公平さを感じたが、回を重ねてゆくうちに、相談者の背後に浮かぶ『色』の移り変わりを観察しながら言葉を選ぶという「ツール」として使えるまでに向上したことが、「恋愛マスター」という肩書を助長させることになったのかもしれないが、だからといって、驕り高ぶることはしない。
それは、『色』が見える事が「才能」であるなら、その「才能」を「優しさ」に使うことでしか、「才能」は発動しないと考えているからだ。
しかし、この力を連続で使い続けると、著しく体力が奪われることが、唯一のデメリットである。
いつだったか、一日に3人の相談を受けた時は、倒れそうになるほどの精神疲労に見舞われた。それでも、恋愛相談を重ねてゆくにつれ、
「人間を不安にするのは物事ではなく、それについて抱く臆見である。」
という、古代の哲学者の言葉が、感覚的に理解できるようになりつつあった。
その感覚は、高校生という肩書を持つ間で得た一番の収穫ではないかと感じているが、疲労は疲労でしかなく、疲労は回復せねばならない。
私の疲労回復の手段といえば、ベッドに寝っ転がって、好きな映画を観て過ごすのが一番だ。
ストレス解消にはスパイアクション映画が鉄板で、特に、トム・クルーズ「ミッションインポッシブル」はよく観る。
クールでタフでセクシーなヒーローは何度見ても私の心を救い上げてくれるのである。
だからと言って、タフでセクシーな男性が恋愛対象かと言えば、それはまた別とだという自覚はある。
なぜなら、セクシーな男性にはセクシーな女性がお似合いなのは世界が認めている事実であり、冴えない私がヒーローの横にいる事は絶対にありえないと思うからである。
などと、ベッドに寝転がり、あーでもない、こーでもないと思いを巡らせていると、
ポヨポヨッ
携帯がLINEの着信を知らせた。
重力に負けかけている重くなった腕を伸ばし、ベッドサイドのテーブルの上の携帯を取って画面を見ると、平川綾乃からのLINE。
(いまなにしてる?)
あー、この文章から続くワードは、おそらく恋愛相談だろう。まぁ綾乃の頼みだから仕方がない。すぐさま返信をする。
(ねころんでたw)
(www 実は相談ある)
やっぱりな。すぐさま返信。
(綾乃のお願いなら、断れないな)
(ありがとう。圭介先輩のことなんだけど)
あー。例の先輩だな。しょうがない奴だ。
(まだ、片思いなの)
(まあねぇw)
ぼる塾か。と突っ込みたくなるが、のってしまったら綾乃のペースだ。ここは平静を装う。
(で、何が知りたいの)
(圭介先輩の、彼女がいる件)
去年、綾乃から、いきなり「先輩をどう思うか見てみて」と頼み込まれたことがあって、
綾乃と先輩の様子を遠巻きに観察しにいった事があった。
その時の先輩には、今までには見たことのない『色』が見えたから、恋愛感情を持つ異性はいないと判断し、「よい人だと思うよ。綾乃は心配しすぎなんだよ。」と、助言した。
あれから一年半。なにも進展させなかったなんて、大胆なくせに小心。ほんとうに不思議な人だ。
(ww 相変わらず)
(笑い事じゃないよぉ。(涙))
(ごめん。いないのは確かだよ)
(ホント(笑))
(確かだよ。いよいよ告白するの? )
「う~ん」
(wwwそんなんじゃ、一生片思い)
私は、綾乃の軽快な返信に合わせていたが、次に送られてきた思いもよらぬ告白に身心がフリーズしてしまった。
(それがね、川島君から告白されて、どうしょうか悩み中)
待って、それはどういう事。鼓動が早くなる。顔がカッと熱くなる。どうしてしまったんだ私。川島という名字の男子は数人いるはずだ。いや、でも、もしかして・・・・・・。
(川島君って、川島健吾君!? )
(どう思う? )
彼は人当たりが柔らかく、英語が得意で、目立たないけれど、いい人というのが、皆の印象だ。もちろん、あの出来事が起こるまでは、私も彼の事をよく知らない一人だった。
あれは、ある日の昼休み、教室でミヒャエルデンデの「モモ」を読んでいると、側を通りかかった川島君が不意に「なに読んでいるの?」と、声をかけてくれた。
私は突然の事に対応しきれず素っ気なく「モモ」と、答えると、川島君は、嫌な顔もせず私の前の席に座って、「僕も読んだよ。一見児童向けだけれど、実は人類の根源的なテーマを扱っているんだよね。」と、彼なりの感想を語りだし、こんな一面があるんだと驚きながらも、とても嬉しい気持ちが身体中に広がり、無意識に本を閉じて、私も、夢中で「モモ」について熱く語ってしまった。
みんなの知らない川島君を知って以来、川島君の印象は変わったが、その時のその気持ちがどういった感情なのか、自分でもわからないでいたし、分かろうともしなかった。
だが、綾乃からのLINEが川島健吾という名前を表記したことで、17年という人生の中で、感じたことのない感情が沸き起こって、それが、恋や愛が何だか分からない私に、「嫉妬」という感情であることを、知らしめることになった。
「私、無知だった。」
自分自身をなじる。でも、なじったところでどうにもならない。
それより、今は、綾乃の意見に私がどう答えるかが大切だ。これまでのように、よい助言に心がけるべきなのか、それとも、この気持ちを素直に発した方がいいのか。
あれっ、そもそも、綾乃と私の関係はなんだったのだろうか。
私の目に映る目標を持たない同級生の女子たちは、孤独を嫌い、徒党を組み、承認欲求を満たす為に労を費やしているように映っていた。
その中に私は溶け込めず、いつも、ふわりと浮いた感じになっていて、教室の隅っこにしか居場所がないと思っていた時、気さくに声をかけてくれたのが綾乃だった。
彼女は裏表がなく、天真爛漫に振舞えていて、私とは真逆な性格にまぶしさを感じていた。そして、綾乃といれば、彼女のようになれるかもとさえ思っていた。
そんな彼女の相談にのっていたのは、私が彼女に甘えたかっただけなのではないか。
「かまってほしかったのは、私だっ。」
そう思えてくると、猛烈に恥ずかしくなった。
私は何を勘違いしていたのだろう。
川島君への想いも、綾乃に対する「嫉妬」という感情も、私の中に眠っていたものが目覚めてしまっただけなのだ。
だからといって、この問題から逃げてはいけない。精一杯最善を尽くさねば、私は今よりさらに駄目になってしまう。
もし、私と綾乃の間に、友情というものがあるとするなら、川島君という存在は、それがどういうものなのか明白にしてくれるはずだ。
いや、そもそも、友情も愛情も分からない私が、そこで悩むのは間違ってる。
私に芽生えた感情を救ってあげられるのは、私しかいないのだ。私が私を救わなくってどうするのだ。
賢者、マリウス・アウレーリウスも自身にそう言い聞かせているではないか。
勇気を奮い立たせろ、私!
振るえる指先に力を込めて、言葉を紡いでゆく。
送信。
(川島君、いい人だよね。私、好きなんだ)
どんな反応をするだろう。もう、返信が来ないかもしれない。しかし、予想を反して驚くほどの速さで返事がきた。
(圭介先輩に告白してみるよ)
なに、どういう事? 川島君を振るって事? 川島君が好きだって言ってくれてるんでしょ。あなた、なんなの?
私はすぐさま返信した。
(じゃぁ、川島君のことはどうするの)
(わからない)
(わからないってどういうこと)
(わからないからわからない)
綾乃に対して初めてイライラした。
(だから、どうするの)
(圭介先輩に告白する。きららは川島君に告白する。そうしよう)
狼狽した。綾乃の放った言葉は弱い私の心を打ちぬた。そして、怒りに似た感情も沸いた。私の優しさはしょせん偽善でしかなかったのだろうか。
落ちつけ私。
胸に手を当てて自分の鼓動を感じる。とても、ドキドキしている。こんな時は深呼吸だ。
おおきく息を吸って、ゆっくり吐く。繰り返しているうちに、私が帰ってくる。
大丈夫だ。
しかし、既に好きな人がいる事が分かっている川島君にこの気持ちを伝える意味はあるのだろうか。
もし綾乃が先輩と付き合う事になったら、川島君は傷つくだろうし、私には川島君の心の隙間を埋める事なんてできない。
その逆なら、私だけが傷つく事になる。
そして、どの選択肢を辿っても、綾乃と私の関係はこれまでのようにはいかなくなるかもしれない。
だとすれば、綾乃の考え方は正解だ。非の打ち所がない。どんなに考えたって恐らく答えは一つだろう。
「私達はここで学んでいる事を通じて、次の世界を選び取るのだ。もし、ここで何も学び取ることが出来なかったなら、つぎの世界も同じことになる」
と、リチャード・バックも言っているではないか。しっかりしろ私。
(わかった。私も決めた。お互いに告白して、結果を報告し合おう)
送信する。どんな答えが返ってくるだろう。綾乃の思考は予想が付きにくい。
しかし、びっくりするくらいすぐに返信が来た。
(わかった。どんな結果になっても恨みっこなしだよ)
「恨みっこなし」か。綾乃らしいな。
裏と表を使い分け、器用にうわべだけの付き合いをする子もいるけれど、綾乃はいつも真っ直ぐだ。だから私は彼女と友達でいる事が出来たのだろう。
だから、ここは綾乃の気持ちに応えなければ。
(もちろん。)
(ありがとう。心強いよ)
(私もだよ)
最後に名探偵コナンの頑張ろうスタンプを送ると、とても変な頑張ろうスタンプが返されてきた。さすが綾乃。ナイスセンス。
携帯を手放して両手を広げ天井を見上げる。大きく息を吐く。卒業まで後三か月。
大学受験を控えながら、川島君にこの想いを伝えることが出来るだろうか。
いや、ぐずぐずしていては駄目だ。
「今日できないでいようなら、明日もダメです。一日だって無駄に過ごしてはいけません」
と、ゲーテも言っているではないか。
未来を憂いていても、未来は誰にもわからない。旅に出れば、新しい出会いがある。
私は未熟なのだから、まだ発展途上だ。それに、誰一人として17歳で留まっている事など出来ないではないか。
決めた。明日、この気持ちを伝えよう。川島君の気持を変える事は、山を動かす事に等しいけれど、今は伝える事が大切なのだ。
私は意を決し、重力に押し付けられていた身体をベッドから引きはがすと、机に向かい、参考書のページを開いた。