序章
旧クリズノー王国西部、城塞都市兼貿易都市セレスト。
三つある城壁に分けられた中で一番外側。
スラム街のある西地区と北地区の境界にその建物はあった。
その建物は周囲の建物よりも一段高く、鉛筆のような縦長の建物だった。
表の扉には、小さな花々が咲き乱れたレリーフが彫られていた。
そしてレリーフの下には小さくお店の名前も一緒に刻印されていた。
お店の名前は『マイオソティス』、戦場に遺された大切なものを遺族に受け渡すお店であった。
今日も50歳ほどの夫婦がお店の中に入っていった。
小さな手紙を携えて…。
夫婦が木製の扉を開けると、扉についたベルがチリンチリンと鳴った。
「ごめんください。」
「はい、少しお待ちください。」
男性が声をかけると少女の声が上の階から聞こえた。
すぐにトントントンと階段を下りる音がして、廊下の先から15歳くらいの小さな少女が現れた。
「いらっしゃいませ。どうされましたか?」
「酒場からこの手紙を見せれば、伝わると聞いたのですが。」
そう言って男性は手に持っていた小さな手紙を渡す。
「はい、分かりました。部屋に案内いたします。」
少女は手紙を確認して手紙を返すと、玄関のすぐ隣の部屋に夫婦を案内した。
客間はきれいな調度品が適度に備え付けられていた。
左手にある、通りに面している小さな出窓には青色や藍色、紫色の小さな花が咲いた植木鉢がおかれていた。
右手の壁には、一枚の絵画が飾られていた。
どの調度品も質素過ぎず派手過ぎず、均衡のとれた美しさを感じる部屋だった。
夫婦は椅子に座ると、
「この紙に亡くなった方の名前と日付を書いてください。」
と言い残し、少女は一度奥に下がった。
男性が言われたとおりに名前と日付を書いていると、少女がティーポットとティーカップを乗せたお盆を持ってきた。
「これで大丈夫ですか?」
男性は書いた紙を差し出した。
少女は紙を受け取り、中身を確認した。
「はい、大丈夫です。どうぞこちらを。もうすぐこのお店の主が戻ってきますので、少しお待ちください。砂糖とミルクもご自由にお使いください。」
少女は紙をポケットにしまうと、二つのカップにそれぞれ紅茶をいれ、夫婦に出すと一礼して奥に下がっていった。
「本当に大丈夫なのかしら。」
少女が完全に奥に下がったのを確認すると、女性は思わず声が漏れた。
「落ち着け。今回の旅行は気分転換のために来たんだ。息子の遺品があればもちろん俺もうれしいが、一番はお前が元気になってくれることだ。息子たちもお前に元気になってほしいから色々と手を回してくれたんだ。」
男性は手が震えていた女性の手を握り、声をかける。
小刻みに震えていた女性の手は温もりによって、徐々に収まっていった。
手の震えが止まったのを分かると、男性は優しく手を解き部屋の中を歩き回った。
気持ちが少し落ち着いた女性は、ティーカップに手を伸ばした。
「そうね…。気楽に待つことにするわ。」
女性は出された紅茶を一口飲むとほっと息をはいた。
「お、おいしい…。」
今飲んだ紅茶は女性が飲んだ紅茶の中で一番おいしかった。
少し心の余裕ができた女性は改めて部屋を見渡した。
無駄な装飾を嫌った、シンプルだがきれいな調度品が並んでいる中、一つの絵画が目に留まった。
その絵画は川辺で死んだ騎士と川に流される花々だった。
じっくり観察すると流されている花は、出窓に飾られている花と同じ花のような気がした。
女性は確認するために出窓に飾られている花を見た。
かわいらしい青系統の色の小さな花が咲いていた。
よく見ると帝国内で、それも女性の住む村の中でも咲いていた、見慣れた花だった。
名前もしらない花だったが、こうもきれいに咲いていると、なんだか別の花のように見えた。
女性がじっくりと花を見ていると、不意に女性の声が聞こえた。
女性が声のした扉のほうを見ると、20歳くらいの可憐で華奢な女性がいた。
貴族や王族のような、品のある衣服を身にまとい、黒い髪を一つのリボンで束ねていた。
その手には南京錠のついた、玉手箱くらいの漆黒の箱を携えていた。
「小さくてかわいい花ですよね。だからこそ、儚く美しいのでしょうね。この辺りでは、この花にとある物語が残されています。」
女性は静かに対面の椅子に座ると、一つ残っていたカップに紅茶を入れて一口含んだ。
「昔々、帝国はおろか、クリズノー王国ですら存在しなかった時代。
この辺りの村に一組のカップルがいました。
青年は国に忠義を捧げた騎士で、少女は彼が守護する村に住んでいました。
そのカップルはとても仲が良く、相思相愛でした。
ですが時は残酷でした。
彼らが住む国が隣国に襲われたのです。
騎士の青年は国を、この村を、そして少女を守るために戦場に向かいました。
青年騎士は幾度も傷を負いながらも、戦場を駆け巡り、必死に戦いました。
しかしとうとう、ある戦で青年騎士は致命傷を負ってしまいました。
青年騎士は最後の力を振り絞り、辺りに咲いていた少女との思い出の花を川に流しました。
その花はずっと川を流れ続け、ついに少女の住む村まで流れていきました。
少女は流れ着いた花を見て、青年騎士が戦死してしまったことを悟りました。
少女は彼のために村が一望できる丘に彼のお墓を作り、墓前にそのお花を供えました。
その後も、少女はこの花を見るたびに彼のことを思い出したそうです。」
そこで一度、語っていた女性は話を区切り、紅茶を一口つけた。
「その話は多くの人々に伝わり、長く語り継がれました。人々はその花を「決して私のことを忘れないでほしい」という騎士の思いを名に込めて、勿忘草と名付けました。そして今もこの地方の多くの人々に親しまれています。」
話を終えた女性は紅茶を飲みつつ、壁に掛けられた絵画を眺める。
つられて夫婦もその絵画を見る。
夫婦はこの絵画はその逸話を題材にした絵画だと察した。
「申し遅れました。私はこのお店の主人、アズリーと申します。」
アズリーと名乗った女性は静かに頭を下げる。
「早速ですが、このお店の説明をさせていただきます。このお店は戦場から遺品を回収し、遺族にご返却する仕事をしています。ご子息様は生前にこちらに来店され、事前に依頼されておりました。そして此度、ご子息様が戦死なされた場所から、無事に彼の遺品を回収することができました。こちらの箱の中に、回収できた遺品が入っております。それとこちらが鍵になります。」
アズリーは黒い箱と鍵を机の上に置き、夫婦に差し出した。
夫婦は一瞬お互いを見た後、女性が両方とも受け取った。
「開けてもよろしいですか。」
「ええ、大丈夫ですよ。」
女性は鍵を開けて、中身を一つずつ取り出して確認した。
女性が最初に手にしたのは、見たこともない小さな宝石がはめられた小さな指輪だった。
よく見ると、その宝石は小さく欠けており、輝きが失われていた。
女性が不思議に思っていると、アズリーが口を開いた。
「その指輪は私のほうで調べたら、矢除けの加護がかけられていたようです。ですが負荷に耐え切れず、途中で宝石自体が欠けてしまったようです。」
次に取り出したのは、古びた手作りのお守りだった。
そのお守りを見て女性は目じりに涙を浮かべた。
そのお守りは彼女の息子が入隊するために王都に向かう前日、夜なべして作り出発時に彼に渡したお守りだった。
その日から長い月日が経ち、元々青色だった布は色褪せ、至る所に解れや小さな穴が開いていた。
女性が最後に取り出したのは、一枚の封筒だった。
宛名には彼の両親の名前が書かれていた。
女性はアズリーから差し出されたペーパーナイフを使って、封筒を開けた。
中からは一枚の紙が入っていた。
女性は恐る恐る手紙を読み始めた。
手紙を読み終えた女性はあふれる涙をぬぐった。
それでも涙はとどまることを知らずにあふれてきていた。
そんな女性を男性は静かに抱きしめた。
しばらく経ち、女性はようやく泣き止んだ。
女性は涙でインクが滲んだ手紙を封筒にしまった。
そして黒の箱に入っていたものをすべてしまうと、立ち上がった。
「あなた、帰りましょうか。」
男性は無言で頷くと、彼女に続いて立ち上がった。
夫婦は黒い箱を携えて、玄関まで移動した。
アズリーも見送るために、後ろからついていった。
「今回はありがとうございました。もしこれがなければ、私はずっと抜け殻のようになっていたかもしれません。」
女性は腕に抱えた黒い箱を撫でて言った。
「あなたの助けになれたのならば、光栄です。」
アズリーは丁寧に頭を下げる。
「それと私の村の人々にも伝えても大丈夫ですか?」
「もちろん、かまいません。ただ、私たちもすべての遺品を集めきれているわけではないので、彼らのご期待に沿えないかもしれません。」
「そうですか…。」
アズリーが答えると、女性は少し残念そうに返事をした。
「もし確認したい方がいらっしゃいましたら、酒場を通じて依頼を送ってください。もしありましたら、お送りいたします。」
「分かりました。それでは、お元気で。これからも頑張ってください。」
男性が扉を開く。
「はい、貴方方もお元気でお過ごしください。」
夫婦は帰路についた。
アズリーの目には、その足どりは心なしか軽いように見えた。
次は明日19時に投稿します。