「四月」 2
「あー!!シキ忘れ物忘れ物!!ほら、弁当。今日から母さんがた~っぷり愛情をこめて毎日作ったげるから忘れないようにしなさいね」
「あ、そうだった、ありがとう。そんなに愛情入れたらすぐ無くなっちゃいそうだからほどほどでね」
「何言ってんの、親の子に対する愛情が無くなることなんてないわよ」
朝の準備を終えていざ学校へと靴を履いているところでドタバタと走ってきた母さんに呼び止められた。そうだ、今日からは自分で昼食を用意する必要もなかったんだった。母さんの発言を軽く笑って受け流してから弁当を受け取る。
「それじゃ、いってきます」
「はいさ、いってらっしゃい。───そうだ、そういえばあんた自分のクラス名簿見ていなかったはずだけど、あんたが新しく入るクラスに・・・」
「うん?」
ドアに手をかけようとしたところでそんな風に声をかけられて振り向く。
「いや、ま、いっか。これは後のお楽しみってことにしておくから自分の目で確かめなさい。きっとあんたにも嬉しいはずだから。・・・例えそれが今のあんた、でもね」
「え、何?最後のほう良く聞こえなかった」
「何でもないわよ。ほら、いったいった!」
そう言うと母さんはニヤリと笑って俺の背中をバシン!と叩く。そして俺に有無を言わせぬままそのまま外に追い出してしまった。
「な、なんなんだ・・・。気になるな」
閉められた扉を見ながら俺はそう呟くと、消化不良感を感じながらも新しい学校に向けて足を向けたのだった。
「あら、この時間に学生さんと会うなんて。おはよう。ほら、きぃちゃん、ご挨拶は?」
「おはようございます。はは、おりこうさんだね」
包装されて結構経っているであろう道を歩いているとおばあさんに挨拶をされたので返す。同時にビジョン・フリーゼ?だっただろうか。ふわふわした種類の犬が俺の足元にすり寄ってきて、心なしかペコリと頭を下げた気がした。その毛並みを楽しむように撫でると、小さくワンと吠えた。
おばあさんにお礼を言って別れると、再び歩き出す。北海道ならではの広くどこまでも続くような道路を車が過ぎ去っていく。
北海道の南に位置するここは朝の眺めていた景色から察せられるように田舎な町だ。けれど見渡せば田んぼに囲まれているなんて感じのこれぞ田舎!といった感じではなく、対雪対策である三角屋根が目立つ家々とまばらにある空き地や公園、全国展開しているハンバーガー店やゲームショップなどはちゃんと散在してある町だった。それでも大きなビル群や人がごったがえす交差点などは無い当たり、残念ながら都会とはいえないと思う。俺の親戚などにもここを都会だと言っている人はいなかった気がする。というか本当に普通の田舎である。都会度でいうと札幌が北海道では抜群だ。
しかしながらこの町の名前を他の県や地方の人に言ったときに聞き返されるということはあまりなく、結構な知名度がある場所として知られている。その理由の一つとしてはやはり恵まれた湯脈から湧き出る硫黄香る温泉が挙げられ、たびたびテレビや雑誌でも特集が組まれていたり、よく見かける「日本の温泉地トップ10!!」とかでも栄誉ある上位ランキング入りをしていたりと、そういった理由で田舎の割には沢山の人に観光地として知られる土地なのだ、ここは。そんな俺も勿論この町のことは大好きだ。
それにただ温泉だけで有名という訳ではなく、他にもクマを取り上げた印象的なコマーシャルが耳に残る牧場や忍者のテーマパークなんかも近くにあり外国人からも人気の場所である。加えて隣町は夜景や工業地帯として名を馳せており、あちらもあちらで有名な場所なのでそれに関連して覚えられたりもするそうだ。
そんな町で今日から俺が高校二年生として転入する予定となっているのは、名前を蒼陵高校という、築年数に誇りがある昔からの学校だ。
言葉は悪くなってしまうが高校自体の偏差値は前の学校よりも随分と落ちてしまっていた。けれども転入をさせてくれた身としてはそんなことは全く気にしないほど感謝してもしきれない思いでいっぱいだった。
一度蒼陵高校には試験や手続きの関係で来たことはあったのだが、あの時は校舎を観賞するなんてそんな余裕はなく、実質今日初めてちゃんと見るようなものだった。なのでもう高校生ではあったが、恥ずかしながら結構わくわくしていた。恥ずかしがるなと言われてもやっぱり新しく通う校舎なのだ。楽しみにするなと言われる方が無理があるだろう。
学校に到着するまでの道を久々の風景を楽しみながら歩いていく。時折隣を通り過ぎる大きなトラックが風を連れてきて気持ちが良かった。ここの春はひたすらにのどかだ。気持ちがいい。
それでも今日の空は太陽が顔を出してはいても、時々立ち込める雲が邪魔して隠れてしまっていた。
そんな曖昧な天気と共に歩を重ねていると少しずつ蒼陵高校の校舎が見えてきて自然と足が早まっていく。朧げだった輪郭がくっきりとしていく。
「・・・風情があるなぁ」
そうしてはっきりと校舎が見えた時点で自分から漏れた感想はそれだった。一目でわかる「古さ」に対して建前半分のみを出した感想だった。残り半分の本音は恩ある学校に言うのが憚られて飲み込んだ。ただ一つだけ言っていいと言うのであれば、少しだけ、いやほんの少しだけ・・・ボロかった。
とりあえず校舎の感想はそんなところにしてそのまま生徒玄関ではなく職員玄関を目指す。今日から転入となる俺は普段定められている登校時刻から遅めの時間に登校することになっていたので周りに他の生徒の姿は見えない。無論、もし見えていたらそれは遅刻である。
職員玄関の前で一度立ち止まり、腕時計で時間を確認すると学校から指定された時間の十分前だった。これなら遅刻する心配はなさそうだ。
そのまま生徒玄関の扉に映った自分が自然と目に入る。
無造作な感じがする黒髪に、妹に言わせると「悪ガキみたい」らしい逆ハの字の勝気な眉とそれにかからないくらいの前髪、これまた勝気なゆるみのない目。いつも通りの自分だった。そのことに安堵する。緊張で変な顔になったりしてないか少し不安だった。
そのまま服装に目をやる。新しく袖を通した蒼陵高校の落ち着いた紺のブレザーに、軽くチェックの入ったズボン。似合っているかどうかはともかく問題はなさそうだ。
校舎では携帯は禁止らしいので電源を切りブレザーのポケットに入れ、忘れ物がないかエナメルバッグの中を確認する。もし忘れ物があったら母さんには申し訳ないが呼ばざるを得なかったけれど、幸い今日は荷物も少ないので大丈夫だった。
問題がないことを確認し、玄関の扉に向き直る。
大きく息を吸い込んで肩の力を抜く。
「よし!」
気合いの声と共に取っ手に手をかける。
すると突然後ろからバタバタと忙しい音と共に、
「うおおおぉぉぉっ!やべっ、完全に遅刻だぜ!!まずいまずいまずい!!・・・あっ」
という絶叫と諦め?に近い声が迸<ホトバシ>るのが聞こえた。