第弐拾参話 鳴り響け 世界の呼び声 己が声 空に駆けるは 青き兇星
右にエイ、左にエイ、上にもエイで下にもエイ、前も後ろもエイエイエイ。物量の暴力をこれでもかと味わった零門のHPは強烈な速度で削れていく。消滅する身体。暗転する視界。そして……
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気づけば私はドアの前に立っていた。
本家のお屋敷ほどじゃないけれど、3階建ての立派な家。表札に書かれた苗字は■■。ドアの向こう、家の中から聞こえてくるのはただならない喧噪。女の子の泣き声と大人の男の人の怒気。
「お前はなんてことをしてくれたんだ!」
「だって……だって!」
鈍い音、押し潰されたような悲鳴、荒げた息と大きな泣き声。直接目にしなくても、音だけで中がどんな惨状になっているかは窺い知ることができる。
「■■……■■■■■! ■■■■■■■■■! ■■■■■■! ■■■!」
私は何を叫んでいるんだろう? 必死にドアにしがみついたりなんかして……
その頬を伝うのは、汗か涙かそれとも……
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「ん……うぅ……」
「あ、起きた!」
「アマ…オー……?」
身体の感覚を取り戻し目を開けた私の視界にまず映ったのは、心配そうに覗き込むアマオーの顔だった。どうやら膝枕をしてくれてるみたいだ。
「なんかうなされてたけど大丈夫?」
「大丈夫……レイドボスの方はどうなったの?」
「まだ戦闘中だよ。ルインスさんが零門に蘇生アイテムを使ってくれたの。後30秒くらい動けないらしいからその間は我慢しててね。ルインスさんは私たちを巻き込まないためにずっと遠くの方で戦ってくれてるよ」
「そっか……」
開始早々にやらかしてしまった。半魔の種族特性「出来損ない」はモンスターのヘイトを集める性質を持つ。それもかなり強い補正であり、タンク職の挑発スキルや挑発効果持ちの武具の効果量を上回ってしまうことが多々あるという。私が情報共有を怠ったせいで「タンクがモンスターの攻撃を引き受ける」というパーティープレイの基本中の基本を瓦解させ、全滅の危機を誘ってしまったのだ。
「後で謝らないと……」
「うん、そうだね」
硬直状態が解けた私は勢いよく上体を起こす。そして手を握って開いて……また硬直する。
「な……っ!?」
「その……蘇生した時にはこうなってて……」
「夜渡りの衣装」は襤褸布同然、「偽装外皮」に至っては全損状態。そして肝心の呪わしき呪いの装備群は完全無傷。それはつまり私はあられもない姿をアマオー達に晒してしまったことを意味していた。
「こ、これは!? その! 好きでしてる格好じゃなくて! ゲームを始めた時にはこうなってて! 解除しようにもできなくて……あ~もうっ!」
居た堪れなさに蹲り、襤褸布で必死に身体を覆い隠す。もう手遅れだとわかっていてもそうせざるを得なかった。
「趣味じゃない! 趣味じゃないからぁ……!」
「あーうん、わかってる。柚葉……零門のことは私が一番よく知ってるから。だから落ち着こ! たぶん呪いの装備的なのだよね? 私もよくRPGで引っかかってたからわかるよ」
「うぅ……」
情けないことこの上ない。こんな見た目も嫌だけど、こんな態度を見せてしまうことも嫌だった。悪い夢(走馬灯?)を見たことも合わせて踏んだり蹴ったりとはこのことか……
「今はボス戦最中だから切り替えよ! 急に切り替えるのも難しいのはわかってるけど……前の方でずっとルインスさんが戦ってくれてる。このまま放っておけないよね……?」
「うん……そうだね」
深呼吸でどうにか心を落ち着かせる。アマオーの言うとおり、今はボス戦の最中。こうやって足を引っ張ってしまった以上、今すぐにでも前線に加わってルインスさんをサポートするのが筋というもの。これ以上後悔や恥辱の念で蹲ってもいられない。
「じゃあいってくるね」
「あっ!」
「何?」
「零門……柚葉はその姿を隠したがってるみたいだけどさ……私はその姿もいいと思うよ? どんな姿をしてたって柚葉は柚葉だもん! むしろこういうのも新鮮でいいかなって! ね?」
「……うん、ありがと」
振り返らなかった。どんな顔をしているのかをアマオーに見せたくなかったから。私は前線へと駆け出す。四肢に宿る力、内に秘められた力、強さも速さも何もかもが先ほどまでとは違う。封魔解放のデメリットによって課せられた制限が取り払われ、元あるステータスを十全に力が振るえるようになっていた。
「ライム、来て」
「はいですのよ! アマオー様は素晴らしいご友人ですのよ。零門様もそれを受け止めてあげ……」
「知ってた」
知ってた。知ってた。知ってたよ。苺花ならこんな姿の私だって受け入れてくれるって……
苺花だけじゃない……凛子さんや大家さんだってたぶん受け入れてくれる。
私は周りの人達に恵まれてるから。
でもそうじゃないんだ。嬉しいけどそうじゃないんだ。
他の人にどう見られてるのかなんて問題じゃない。いや、それも気になるけど本質はそこじゃない。
私にとって大事なのは、大切な人の横に立つ私がどんな存在なのかなんだ。だから……
いつだって美容や健康には気を遣ってきた。綺麗な自分でありたいから。
いつだってコーディネートは工夫してきた。可愛い自分でありたいから。
いつだって勉強も運動も上を目指してきた。完璧な自分でありたいから。
いつだって日々の努力を欠かさずに続けた。理想の自分でありたいから。
いつだって許せないものには反目し続けた。誇れる自分でありたいから。
そんなことの積み重ねで作り上げてきたのが今の私。
だって大切な人たちの傍らに立つ私は、いつだって最高の自分でありたいから。
「馬鹿みたい……」
自慢じゃないけど現実の私は結構ルックスは良い。学業の成績も常に上位だし、武道をやめた今でも運動神経もかなりいい方だ。だっていつも努力してきたから。それくらい誇ったっていいはずだ。
日々の努力を積み重ね、恥じない自分をきちんと作り上げてきたという自信があった。
だからこそ、この世界に降り立った私は絶望した。あの姿見に映っていたのは決別したはずの過去の自分。それは素体が中学時代の私だったからというだけの話ではない。その素体にプラスされた数々の要素が、まるで過去の私の意思表明のようにも思えたからだ。「他人なんてどうでもいい。私は私だ」と独り善がりな自分の道を邁進し続けた無鉄砲で無配慮で無知蒙昧な過去の私。それを目の当たりにして3年超かけて作り上げてきた自分をあっさりと崩されたような気がした。
だからこそ、私はそれを全力で否定したかった。忘れてしまいたかった。なのに……
「馬鹿みたい! 馬鹿みたい! 馬ッ鹿みたい!!!」
なんだあの醜態は。やりようはたくさんあったはずだ。保身に走って自分の正体を積極的に明かさなかった。その結果がこれだ!
今の中途半端な自分はあの時の独り善がりな自分にも劣る! 完璧な自分も、理想の自分も、最高の自分も、何もかもが程遠い!
挽回しなきゃいけない。皆のために、そして何より誇れる私になるために……!
「今だけは……今だけは使わせてもらうから……!」
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白銀の剣閃がエイ達を両断する。白銀の盾がエイ達を吹き飛ばす。標的の背後を狙ったエイの鋭い突きは見えない盾に阻まれ、地面スレスレの軌道で奇襲を掛けたエイは突然地面から生えた盾に行く手を阻まれる。
アマオー達とは真反対のエリア端でルインスは数千のエイ達を迎え撃っていた。真反対のエリア端に退避させた二人に攻撃が及ばないよう、複数の挑発スキルをローテさせながら戦線を維持し続ける。先ほどのような判断ミスはもう起こさない。
だがいかんせん火力不足だった。ルインスの役割はタンク。一番に求められるのは最前線に立ち続けパーティーへの攻撃を一手に引き受け続けられるかということ。当然、習得したスキルや魔法もその用途に適したものが中心となる。
高威力の攻撃スキルも持っていないわけではないが、相手は数千の大群。一匹一匹落とすだけではほとんど無意味。
範囲攻撃の類も持っていないわけではないが、あくまでモンスター達のヘイトを稼ぐためのものであり、広範囲のモンスター達を一掃できるほどのものではない。
総じて「戦い続けることは可能」でも「勝つにはジリ貧」という局面に陥ってしまっていた。何せ彼はプレイヤー。いかなる廃人であっても現実の身体を無視してログインし続けることは絶対的に不可能なのだから。
(イベントの発生場所も把握したし、今日のところは程々の所で撤退して今度こそ信用できるプレイヤーを集めて後日再挑戦が一番無難か。しかし……)
ルインスは他のプレイヤー、特に最前線のトッププレイヤー達をこのクエストに同行させることにあまり乗り気ではなかった。最前線はオルワコのゲーム性を歪めてしまう程に陰謀が渦巻いている。二つの超巨大クラン連合と三つの大規模クラン連合が、一部エリアの独占やイベント上位枠の斡旋等々、自分たちの利権と名誉のために様々な策を弄する魔窟と化している。ルインスから言わせれば、それらの行いはこのゲームを衰退させる癌に他ならない。だが、最前線のプレイヤーは無所属のフリーだとしても少なからずそれらの連合派閥と何らかの関わりを持ってしまっているのだ。
その点で言えば、まだ始めたばかりor復帰したばかりのあの二人は優良だ。まだどの派閥の息もかかっていない完全フリーのプレイヤー達。組織嫌いを拗らせ気味のルインスにとってはそれこそが本来あるべき姿であり、守るべき存在であると捉えていた。
そんなことを考えている間にも、エイ達は襲い来る。通例の通りに盾を構えたその時だった。
「吹き荒べ!」
後方から飛んできた風属性魔法がエイ達を押し戻す。ルインスが振り返ると、そこには半魔のプレイヤーが立っていた。
「零門さん……かな?」
いまいち確信が持てないままルインスはそのプレイヤーに問いかけた。
「はい。蘇生アイテムありがとうございました。わざわざ私なんかのために……」
「どういたしまして。気にしなくていいよ。腐るほど持ってるから。それに俺が使う以上、俺自身には使えない。裏技的なのを使わない限りはね」
あくまでそれほど気にしていないというそぶりを見せるルインス。だが零門は一呼吸置いてルインスに頭を下げた。
「黙っててごめんなさい!」
「……まあ、隠したい気持ちは分かる。俺だってたくさんの秘密を抱えてる。だけど、パーティーのことを少しでも考えてくれるなら、明かす秘密と隠す秘密の線引きはきちんとしておいた方が良い。特に半魔は特殊な補正を持つ種族だからね。パーティー加入時かその前に真っ先に伝えることをお勧めするよ」
「ご忠告ありがとうございます」
ルインスは考えた。半魔の補正である「出来損ない」については把握している。それゆえに起こりうる弊害もだ。その特性上タンクよりもヘイトを集めやすい割に、ちっとも耐久に向かないステ補正を持つ半魔は、連携を乱す原因になるからと野良のパーティーでは敬遠されやすい。だから素性を隠したのだろう……と。
まさか見た目が恥ずかしいから隠していたとは夢にも思っていない。
「まあ言っちゃなんだけど俺は廃人だ。こういったボス戦は効率重視で動いてる。それを踏まえた上で言わせてもらおう」
迫るエイを真っ二つに両断しつつ、ルインスはきっぱりと言い放った。
「君の力が必要だと判断したから蘇生した」
「……!」
メモリア:オーシャンカイト……
それは数ある群生系のボスの中でも極端な部類に相当していた。
周囲を泳ぎ回る総勢9900体の群生個体。90体の強化個体。9体の特殊個体。そしてエリアをぐるりと旋回するように泳ぎ続け戦場を睥睨する超巨大なボス個体。
あくまで討伐対象はボス個体のみだが、ある程度全体の数を減らさないと戦闘状態にならないシステムとなっており、数を減らすための範囲火力の存在が不可欠だったのだ。
「だから頼む。俺に君の力を貸してくれ」
ルインスからの要請。零門は襤褸布と化した夜渡りの衣装に手を当て、それに応えた。
「はい……!」
零門の身体を辛うじて包み込んでいた傷だらけのロングコートが、襤褸布のマフラーへと変じる。それは気持ち動きやすくするためであると同時に、零門自身の決意の表れでもあった。
迫るエイの群れを真っ直ぐに見上げ、零門は真正面から迎え撃つように跳躍した。
直後、雷光と炎が一つの群れを包み込み、眩い先行と共に弾け散った。その地点から少し離れた地点に着地するのは、短剣二振りを構えた青い影。零門は背後の残骸を一瞥する。自身が力になりうることを自身とルインスに証明してみせたのだ。
「全力を尽くさせてもらいます……!」
それは夜空を駆ける青い流れ星。一時限りでしがらみを振り切り、戦場を自由に飛び回るのだ。