第八回
「ああいうことは自分で言おうよ」
「だって……」
そう言ったきり、君は俯いてしまったね。だって何、と僕が先を促しても頑なに沈黙を守っていた。
再びさっきと同じような静寂が二人の間に漂い始めた。別に何かを「触知」したわけではなかったけど、言葉が一つも捕まらなかったんだ。みんな、僕なんかの手が届かないほど高い所に逃げてしまっていて……。
「言葉って、すごくエゴイストよね」
突然君が口を開いた。それも僕の感じていた、そのままのことを。
「そう、だね」
「ほら、明智君の捕まえられなかった言葉、あんな高い所にまで昇っちゃってるよ」
君は吹き抜けの天井のずっと上の方を指差した。見ると、「そろそろ」という言葉が浮かんでいた。たしかに僕の捕まえ損ねた言葉だ。
次は一体いつ下りてくるのだろう……?
「明智君にも見えた?」
「うん、見えた」
「なんか、すごいね。二人に同じものが見えるって」
僕は頷いた。君はどこか恍惚とした瞳を浮かべていたね。すごく綺麗だったよ。もちろん、顔そのものも君は綺麗だけど、この場合は目のこと。
二人の周りにはたくさんの言葉がゆっくりと漂っていた。あるいは低く、あるいは高く。でもそのうち、本当に捕まえたい言葉はどれも手の届かないところにあった。
たとえば「嬉しい」とか「好き」とか「幸せ」とか……。
「ねぇ、そろそろ行かない?」
「そろそろ」は僕のところではなく、君のところに下りていた。僕は頷いた。
「ほら、ニケ、そろそろ行くよ」と君は足にじゃれついているニケに話しかけたね。
僕たちは店を出た。頬を撫でる風がとても気持ち良かった。風はついでに僕の心もくすぐっていた。それもまた甘酸っぱくて気持ち良かった。
「アヒルとカモのいるカラオケだよね?」
「うん」
襲われに行くようなものなのに、君はなぜか嬉しそうな顔をしていたね。
「なんでそんなにニコニコしてるの?」
「えっ? あ、何でもない」
君は激しく首を振った。本当はもっと追究したかったのだけど、君がそれを許してくれそうな顔をしていなかったから止めたんだ。
「わたしさ、今日歩きなんだけど、合わせてくれる?」
申し訳なく思っているのか思っていないのか、よく分からない声で君は言ったね。もちろん合わせない理由なんてなかったから、僕は頷いた。それにカラオケは近かった。