第四回
あれからたびたび君は僕の家を訪ねてくれたね。もちろん仔猫の様子を見に来たと言って。君は優しい人だから、多分その言葉に嘘はなかったのだろう。
回数を経るごとに仔猫も僕も君が訪ねてきてくれるのを心待ちにするようになっていた。君が部屋にやってくると、どこか暗い感じのする僕の家に一輪の白百合が咲いたような錯覚を抱かされたから。
「そういえば、この子の名前、まだ決めてなかったね」
ある日、いつものように僕の家に来た君は仔猫の頭を撫でながら言った。君はどのような名前をつけるべきか既に決めているような口振りだったね。
「そういえばそうだね。何かいい名前ある?」
でも君は仔猫の頭上で指を頻りに動かすばかりで、何も言わなかった。いや、もしかしたら考えはあるのだけれど、言いづらかったのかもしれない。
僕はそんな君をじっと見つめていた。やがて君は口を開いた。
「ニケ」
「え?」
「ニケっていうのはどうかな?」
君は少し首をかしげながら、心持、僕の顔を見上げるような姿勢で言ったね。
「ニケって、あの『サモトラケのニケ』?」
「うん……」
「でも何でまた?」
「何となく」と言って君は決まりが悪そうに笑ったよね。そして小さな声で呟いたね、
「ダメかな」
「別にダメじゃないけど」
僕が言葉を濁すと君はパッと笑顔を零して、仔猫を抱き上げた。
「良かったねー。今日からあなたの名前はニケよ」
仔猫を仲立ちにして僕たちの距離は急速に縮まっていった。
「明日暇?」
君がそう言ってどこか間が悪そうに僕の顔を覗き込んだのは、ある土曜日のことだった。僕は何となく胸をドキドキさせながら、「暇だよ」
するとすぐに君からカラオケに行こうという提案が出たね。
君がカラオケ?
僕は内心、驚きの念を禁じえなかった。むろん僕に異論のあろう筈はなかったわけだけど、ただ何というのか、君と一緒にカラオケに行く、もっと言えば君がカラオケボックスで歌っている姿というのが想像できなかったんだ。これが映画や水族館、あるいは動物園のような場所に行くのなら、無理なく思い浮かべることが出来たのだけれど……。
でも、そんな思考は瞬く間に頂点を極めたような感じのする興奮、というか歓喜にあっさりと打ち消されたのだった。
そして、昼頃に待ち合わせて一緒に食事をしてからカラオケへ行くことに決まった。僕はその夜、気持ちが昂ってなかなか寝付けなかったんだ。
これが生まれて初めてするデートというものだろうか……?