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第一回

  細川恵様

 突然、お手紙を差し上げてごめんなさい。許して下さい。僕は決して怪しいものではありません。あなたのことを初めて戸山公園のベンチで見掛けた日から、あなたのことが忘れられなくなってしまったのです。その黒く美しくそして肩下まで伸ばされた髪、優しそうな横顔、清純無垢な輝きを放つ瞳……。繰り返しますが、僕は決して怪しいものではありません。あの日からあなたの虜となってしまったのです。ストーカーではありません。

 好きなんです。

 

 これが初めて君に送ろうとした手紙。笑っちゃうだろう。僕はこれを夜に書いたのだけど、翌朝読み返してみたら、恥ずかしくて、とても君に渡せるような代物ではないと気づいた。だから出さなかったんだ。

 これは君と付き合い始める少しだけ前の事だったかな。


 あのときの僕は本当に幸せだった。何も知らず、何も見えず……。


 ところで僕が初めて君の姿を戸山公園に見かけたのは、たしか桜の咲いていた頃だったと思う。四月の中旬くらいだったかな。君はベンチに座って文庫本を読んでいたね。あのときも詩を読んでいたのかな。今みたいに立原道造の詩を……。

「彼の詩はとっても優しいの。切なくて、優しくて、まるで甘いささやきみたいで、読んでいると胸が締めつけられるような気がするの。それは多分、彼が早くして病気で死んでしまったからなのかもしれないけど」

 君は彼の詩について、そうやって僕に語ってくれたね。でも僕にはよく分からなかった。所詮、散文的な僕には……。

 それはそうと、君は覚えているかな、初めて言葉を交わした日の事を。あの日は太陽が眩しい季節だったね。カミュの「異邦人」に出てくるムルソーは自分が殺人を犯した理由を太陽のせいにしているけど、あれだけ暑いと、その気持ちも分からないでもないよね。気が狂いそうになってしまうのだもの。君もそうだろう。


 あの日、君はやっぱり木陰のベンチに腰を下ろして本を読んでいたね。僕は君に近づきたくて、偶然を装って君の隣に座ったんだ。そして弁当を広げた。まあ、弁当と言ってもおにぎり二つだったけど。僕はチラチラと君の横顔を盗み見ながら、おにぎりを頬張っていたのだけど、君は全然気づかなかったね。お昼時だったのに、読書に夢中で。まるで本に恋をしているみたいに思えて、僕は思わず本に対して嫉妬してしまったんだ。あの本と代わりたいとさえ思ったからね。

 何とか君の注意を僕の方に向けたくて、僕は鼻歌を小声で歌い出した。何となく自分から話しかけるのは気恥ずかしかったんだ。

 君は読書していた顔を上げて、うるさそうな目で僕を睨んだね。これではとても一緒に話をするどころか、側にいることすら叶わないと僕は心の中で舌打ちした。自分の浅薄さが身に沁みて感じられたんだ。ものの見事にやったことが裏目に出た気がしたから。


 どうしたら君の注意を良い具合に僕の方へ向けることが出来るのだろう……。


 悩んでいる、ちょうどそのとき、一匹の仔猫が僕たちの所にやってきた。そして甘えるような声で鳴いていたよね。

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