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前世の私は幸せでした  作者: 米粉
2章
69/69

68 白い獅子の祈り

 



(あぁ、神様。一体全体、何がどうしてこうなっているのでしょうか)


 テラスから飛び降りて数分、アーヴェントは庭園を通り抜け、時折道なき道を進みながら目的地へと走り続けていた。


(さっきまで普通に話していた筈なのに、何故か急に……お、おおお、おひめさまだっこで……!!)


 走り続けるアーヴェントの腕の中、グレースは祈るように両手を握りしめたまま、自分が置かれている現状を思い出しては動揺と混乱を繰り返していた。

 前世も今も、家族以外の異性にお姫様抱っこをされたことなどない。

 しかも、好意を自覚した相手に抱きかかえられている。そんな現状で、冷静になれるわけなどなかった。


(お姫様抱っこだなんて子供の時にお父様にされて以来だし、まさかアーヴェントさんにされるだなんて。なんで? どうして? こんなことならもっと痩せ──)


 ぐるぐると考え続けていたグレースの思考が急停止する。


(どうして、どうしてもっと早く気付かなかったの。抱き上げられているという事は、体重の全てを相手に預けているという事……!)


 自身の体重が相手の負担になっていることへの恐怖に、一気に血の気が引いていく。


「あ、アーヴェントさん!」


 グレースは意を決して名前を呼び、顔を上げた。


「ん?」


 降ろしてください! と、口にするはずだった言葉が出てこない。

 今まで、こんなにも至近距離でアーヴェントの顔を見たことがあっただろうか。

 前髪で両目が隠れていることも、髪の色を偽ることもない。

 しっかりとこちらを捉える美しい両の瞳に、グレースは息をのんだ。


「──っ」


 一気に顔に熱が上るのを感じて、グレースは咄嗟に顔を逸らした。


「グレース?」

「な、なんでもないですっ」


 顔を見られてはまずいと両の手で顔を覆ったものの、グレースの行動は不審極まりないだろう。


「…………」

「あ、あの本当になんでもないですから」


 手が壁になり見えないものの、あきらかに視線を感じる。

 我ながら苦しい言い訳だとは思うが、アーヴェントの顔を見て赤面したと知られたら羞恥でどうにかなってしまう。

 どうにか流して貰えないものかとグレースが祈っていると「そっか」と、声がした。


「グレースは俺と目も合わせたくないか……。半ば強引に連れてきたようなもんだし、そりゃそうだよな」

「!? ち、ちがっ──」


 全く見当違いな方向に勘違いをするアーヴェントの悲し気な声音に、グレースは思わず顔を覆う手を避けた。

 誤解を否定するべく、顔を上げると再度アーヴェントと目が合う。

 その表情には悲しみの色などひとつもなく、アーヴェントはにやりっと笑った。


「顔、真っ赤だな」


 謀られたのだと気づく頃には後の祭り。

 なぜだか嬉しそうに笑うアーヴェントに少しだけ腹立たしくなり、グレースは照れ隠しのために思わず吠えた。


「だ、誰のせいだと思ってるんですか……!」

「俺のせい?」

「そうです!」

「……そっか。それは悪かった。ごめん」

「そう言いながら笑ってるじゃないですか!」

「いや、だって嬉しくて」

「嬉しいって何が──」


 そこまで口にして、グレースは気づく。

 勢いに任せて、アーヴェントの所為で赤面していたのだと自ら認めてしまったということに。

 これ以上赤くなりようもないくらいに、みるみるうちに羞恥で顔が熱くなっていく。

 そんなグレースの様子にアーヴェントは笑って、そっとグレースを降ろした。


「これ以上はグレースが茹で上がっちまうし、このくらいにしとくか」


 両の頬を両手で押さえ、困惑の表情で狼狽えるグレースにアーヴェントは手を差し出した。


「目的地はすぐそこです。熱冷ましに少し歩きませんか? お嬢さん」


 恭しく差し出された手と、いたずらっ子のような笑みを浮かべるアーヴェント。

 今すぐに羞恥で逃げ出したいところだが、差し出された手を無下にするわけにもいかない。

 数秒の葛藤のあと、グレースは駆け出したい衝動を飲み込んで、アーヴェントの手を取った。


「……王太子殿下の誘いを断れるわけないじゃないですか」

「ははっ、役得ってやつだな」


 グレースの手を引いて、アーヴェントは歩を進める。

 それほど時間は経っていないはずなのに、足の裏に感じる地面の存在が何だか懐かしく、グレースは足元に視線を落とした。


(石畳……王宮の敷地内で間違いないのよね?)


 周囲の風景をみる余裕など皆無だったグレースは、現在地が把握できていなかった。

 石畳で作られた道が真っ直ぐに続いてはいるが、周囲は木々に囲まれ、まるで森の中を歩いているような錯覚を覚える。


「そういえば、レスティア家の令嬢をコテンパンにしたって?」

「人聞きの悪いことを言わないでください! あまりにも目に余ったので、少し注意をしただけです」

「サイラスが、とても凛々しかったです。て、目を輝かせて言ってたけど?」

「サイラスさん、近くにいらしたんですか!?」

「どう止めるべきか悩んでたところにグレースが現れたって。俺も格好いいグレース見たかったな」

「……サイラスさんに、忘れてくださいとお伝えください」


 知人に見られていた気恥ずかしさから目を逸らそうと顔を上げると、すぐそこに灯りが見えた。

 視界が開けたかと思うと整備された芝生に石畳の道が続き、四角い形をした白い石碑が整然と並んでいる。


「これは、お墓ですか?」

「あぁ、主に歴代の王族達が眠ってる。城下の霊園にも、国民が手を合わせられるように墓はあるけど、あっちは形だけだからな」


 その言葉に、グレースは足を止める。

 王宮敷地内にある王族が眠る霊園。当然、部外者が立ち入れない神聖な場所であるはずだ。

 振り向くアーヴェントに、グレースはおずおずと尋ねた。


「あの、もしかして関係者以外立ち入り禁止では?」

「俺が許す」


 グレースの不安を察し、笑顔で言い切るアーヴェント。

 言葉を返す間もなく、手を引かれるがままにグレースは霊園へと足を踏み入れた。


(絶対私が入っていい場所じゃ無い……! すみません、お邪魔します、すみませんっ)


 この場で眠る人々に謝罪と挨拶を唱えながら進んでいくと、霊園の奥にある小さな建物の前でアーヴェントは立ち止まった。

 小さな教会のような外観をしているが、中の様子は伺えない。

 アーヴェントはノブに手をかけ、ゆっくりとドアを押し開いた。


「!?」


 外観からは想像しえない光景に、グレースは目を瞬かせた。

 煌々と明るい室内に新緑の木々が生い茂り、広い空間の中央にはひと際大きな巨木が佇んでいる。

 まるで初夏の森のような空間に思わず天を仰ぐと、高いガラス張りの天井の向こうには確かに夜空が広がっていた。


「ここは一体……」

「王都の神殿にある、温室? みたいなもんだな。魔法で扉を繋げたんだ」


 神殿とは神を祀り、祈りを捧げる場所だ。

 各領地にも小規模な神殿や教会があるものの、王都の神殿は広さも従事する神子(しんし)達の数も桁違いだと聞いたことがある。未だに訪れたことはないが、こんなに素晴らしい温室があるのならば一度訪れてみたいと、グレースは目を輝かせた。


「王都の神殿には、こんなに素敵な温室があるんですか?」

「あぁ。公開はしていないし、決められた人間しか入れないけど」

「…………アーヴェントさん。それはつまり、関係者以外立ち入り禁止では?」

「俺が許す」


 本日二度目の笑顔で押し切られ、グレースは言葉を飲み込んだ。

 王太子の許しを無下にするわけにはいかない。

 反論は早々に諦めて、今後訪れることが叶わないであろうこの場所を、グレースは今のうちに堪能することにした。


「凄いですね。外は夜なのに陽が差したように明るくて、木々が生き生きしてる。空調の管理も完璧だし、もしかしたら奥の方に水場もありますか?」

「よく分かったな」

「やっぱり! 微かに水の音がしたので、もしやと思ったんです。それにこの大きな木……凄い、どうやったらこんな空間が作れるのかしら」


 グレースが周囲を見回していると、ガサガサっと葉が揺れる音がした。


「あぁ、やはりアーヴェントだ。今宵の主役がどうしてここにいるやら」


 草の根を掻き分ける音と共に聞こえてきたのは、呆れ混じりの低く野太い男性の声。

 巨木の後ろから現れた人影に、グレースは驚きで息をのんだ。


(ら、ライオン!?)


 現れたのは、金の装飾が施された白い法衣に身を包み、二足歩行で歩く真っ白な獅子。

 アーヴェントよりも大きな上背と琥珀色の瞳に捉えられたグレースは、その迫力に思わず身構えた。


「紹介するよ、グレース。彼は、シャナリガロ・ヴォン・ヴァンヘルム」

「やめよ、やめよ。そんな長い名前で紹介するな。どうかシャナとお呼びを。麗しいお嬢さん」


 アーヴェントの紹介に不満を唱えたかと思うと、笑みを浮かべながらシャナは恭しく頭を下げた。

 本来ならば名乗り返すべきだが、グレースは二度目の衝撃に開いた口が塞がらずにいた。


(シャナリガロ・ヴォン・ヴァンヘルム!? いや、そんなまさか……!)


「あ、アーヴェントさん……」

「うん?」

「この方は私が知る、いえ、全国民が知るシャナリガロ・ヴォン・ヴァンヘルム様でお間違いないでしょうか……?」


 動揺で声が震える。

 シャナリガロ・ヴォン・ヴァンヘルム。

 生まれた時から寝物語にこの国の成り立ちを聞き育ち、神を信仰するこの国で、その名を知らない人間はいないだろう。


「あぁ。教皇だな」


 数パーセントの同姓同名の可能性は、さらりっと打ち砕かれた。

 しかし、にわかには信じられない。

 何故ならばグレースが知る教皇は、大柄で人間の男性だ。

 美しい(たてがみ)のような長い白髪が特徴で老若男女ともに絶大な人気があり、その姿を遠目に一目見るだけでご利益があるとまで言われる人物だ。


(確かに立派な鬣だけれども、あれは比喩であるはずだし、でも着ぐるみなんかには見えないし……!)


 困惑するグレースに、シャナは「ほら、見ろ」と、アーヴェントを見た。


「可哀想に。お嬢さんが戸惑っている」


 シャナはそう言うと、くるりっと一回転してみせた。

 瞬間、真っ白な獅子は人間の男性へと姿を変えていた。

 真白な長い髪に大柄な体躯の四、五十代の男性。その姿はグレースがよく知る、シャナリガロ教皇の姿だ。

 驚くグレースに、シャナはにっこりと微笑んでみせた。


「こちらの姿の方が馴染みがあるだろう?」

「は、はい!」

「まったく。急に訪れたアーヴェントが悪いぞ。二足で歩き喋る獅子など、見たら驚くに決まっている」

「グレースならフィグで慣れてるし、大丈夫だと思ったんだよ」

「……グレース? もしや、お嬢さんがグレース・リー・オルストンか?」


 まさか最高位の聖職者の口から自身の名が出るとは思ってもみなかった。

 一瞬思考が停止しかけたグレースだが、何も答えないわけにはいかない。

 色々な疑問を飲み込んで、グレースは問いに答えた。


「は、はい! ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、シャナリガロ教皇様。(わたくし)、グレース・リー・オルストンと申します」


 グレースが名乗り頭を下げると、シャナは満面の笑みを浮かべる。


「そうか、君がグレース! ずっと会いたかったんだ!」


 シャナは両手でグレースの手を取ると、力強く上下に振り始めた。


「!?」

「わはは!! 聞いていた印象と違って驚いたが、なるほど確かに黒髪と紅い瞳の乙女! 愚息達が随分世話になったと聞いている!」

「え、あ、あのっ──」


 なぜ教皇が自分の事を知っているのか?愚息とは?さっきのライオン姿は?

 どんどん増えていく疑問に、グレースの頭はパンク寸前だ。


「シャナ。それぐらいにしてあげてくれ」

「おっと! つい、喜びが溢れてしまった。許しておくれ」


 ブンブンっと音がしそうなほどに力強い握手をするシャナを止め、それとなく二人の手を放すアーヴェント。

 内心で安堵の声を漏らしながら、グレースは首を横に振った。


「いいえ、私なら大丈夫です。あの、失礼ですが息子さんというのは……」

「ブラムとフィグの事だよ。シャナは二人の育ての親なんだ」


 アーヴェントの言葉にグレースは驚きの表情を浮かべた。


「先生とフィグの! 申し訳ありません、私ったら思い当たらず……」

「ははっ! 構わんよ。お嬢さんのことは二人から聞いていてね。あのやんちゃ坊主達が楽しそうに話すものだから、どんなお嬢さんかとずっと気になっていたんだ」

「やんちゃ坊主達ですか?」


 フィグはともかく、ブラムを表す言葉としては、いささか聞きなれない言葉だ。


「フィグは想像できるけど、やんちゃなブラムは想像できないよな」


 アーヴェントの言葉に同意するように、グレースは数度頷く。

 顔を見合わせる二人にシャナは苦笑し、肩をすくめた。


「幼い頃は手を焼いたのだぞ? 是非とも幼い頃の二人のやんちゃっぷりを語って聞かせたいところだが……」


 リーン、リーンっと、鈴がなる音が温室中に響き渡る。


「時間切れだな。ほれ、アーヴェント」


 シャナは法衣の袂から何かを取り出し、アーヴェントに手渡した。


「これを取りに来たんだろう?」

「察しがいいな」

「もしかしたらと思ってな。まさか舞踏会の最中に来るとは思っていなかったが。さて、名残惜しいがそろそろ行った方が良い。お前はともかく、グレース嬢が見つかると厄介だ」

「あぁ、また来る。行こう、グレース」

「は、はい! お邪魔致しました」


 満面の笑みで手を振るシャナに一礼をして、グレースは足早に扉へと向かうアーヴェントに続いた。




 ***




「教皇。こちらにおいででしたか」


 アーヴェントとグレースを見送ってすぐに、シャナの元を訪れたのは秘書である神子の女性。


「ミリア。どうかしたか?」

「明日の慰問について少々お話をと思って来たのですが……お一人ですか?」


 ミリアと呼ばれた女性は周囲を見回して、怪訝そうな視線をシャナに向けた。


「木々もざわめいていますし、微かに話し声がしたような気がしたのですが」

「ははっ!! 相変わらず鋭いなぁ」


 白と水色のオッドアイに見つめられ、シャナは早々に観念して快活に笑う。

 ミリアでなければ誤魔化せていたかもしれないが、彼女の感覚の鋭さの前では下手な嘘は無意味だ。


「アーヴェントがきていた」

「殿下が? 舞踏会の最中では……まさか、また抜け出していらっしゃったんですか?」

「そうらしい」

「まったく、殿下の為の舞踏会でしょうに」

「そう言うな。今回ばかりは、どうもいつもと違うようだ」


 シャナは呆れたように溜息をつくミリアを窘める。

 どういう意味かと視線を投げかけたミリアだったが、すぐに何かを察したようだ。


「まさか、()()を取りにいらしたんですか?」

「ようやっと渡したい相手が見つかったようだぞ」

「それはそれは……アーリベル様もお喜びになりますね」


 ミリアは柔らかな笑みを浮かべ、天を仰ぎ見た。


「あぁ。リディアも少しは肩の荷が下りるやもしれんな」

「お相手はどんな方でしょうね」

「艶やかな黒髪と深く美しい紅き瞳のお嬢さんだよ。彼女ならば、かの()()も納得するだろう」

「それはどういう……、待ってください。どうして相手方の容姿をご存じで?」

「……………………ん? そんな事言ったかな?」


 長い沈黙の後、固い笑顔を張り付けて、シャナは首を傾げた。

 ミリアの顔から笑みが消える。


「言っておられましたよ、はっきりと」

「はて、そうだったか。そういえば明日の慰問の件だが」

「誤魔化さないでください。そういえばどうして人の姿に──、あ、こら。逃げるんじゃないですよ!」


 ミリアの冷ややかな視線から逃れるように、シャナは大きな体を丸めて温室中を逃げまわる。


(最初見た時は驚いたが、これもまた神々が繋げ続けた縁ゆえか)


 二人が出て行った扉を見つめながら、シャナは祈りを口にする。


「どうか今生こそはと、願わずにはいられんな」




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