67 弟の心姉知らず
「はぁーーーー……」
扉がしっかりと閉められたのを確認すると、アーヴェントの口からひと際長い溜息が漏れ出した。
テラスの手すりに手をついて、俯くアーヴェントにグレースとアーティは顔を見合わせる。
「大丈夫ですか?」
「サイラスさんを呼んだほうが……」
いきなりの溜息に心配の色を覗かせるアーティとグレース。
その声に答えるように、俯いていた顔がゆっくりと二人の方へと向けられた。
「……大丈夫。二人がここに居てくれて助かった。会場の中だと気が抜けなくてな」
「でも、ホールも近いですし、あまり気を抜かない方がいいのでは……」
「それも大丈夫だ。会話が聞こえないようサイラスが結界を張ってくれてるし、誰も近付かないように扉の前に待機してくれてるからな」
アーヴェントは苦笑すると小さく息をついて、グレースとアーティに向き直った。
「改めて、二人とも。舞踏会への参加と協力に心からの感謝を。本当に有難う」
思いがけない礼と頭を下げるアーヴェントにグレースとアーティは再び顔を見合わせ、慌てたようにアーヴェントに対して首を横に振った。
「お礼なら先ほど陛下に頂きました……!」
「俺からの礼も受け取ってくれ。さっきは言うタイミングを逃しちまった」
頭を上げたアーヴェントの表情は、あまり晴れやかなものではない。
「まさか、あの人があんな顔するとは思わなかったからな」
あの人とは、リディアのことを指しているのだろう。
アーヴェントがリディアのことをよく思っていないこと、リヴェルが襲われた事件に関りがあるんじゃないかと疑っていることもグレースは知っていた。
「二人は、どう思った?」
だからこそ、アーヴェントが困惑しているのも理解できる。
リヴェルからの贈り物をリディアに渡せば、居場所がバレるかもしれない。
その可能性を危惧しながらもアーヴェントが許可を出したのは、グレース達同様、リディアの反応を見極めたかったからなのだろう。
逡巡の後、グレースはアーティと出した結論をアーヴェントに伝えることにした。
「私達の目には、陛下はリヴェル君をちゃんと想っていらっしゃるように見えました。とてもじゃありませんが、子供を害する母親とは思えません」
「悪意を隠すための演技だったら?」
「それは……」
疑いの目で見ているアーヴェントに「表情をみれば分かる」と、言ったところで果たして素直に信じるだろうか。どう伝えるべきかグレースが考えていると、アーティが口を開いた。
「陛下は演技ができるような器用な方なんですか?」
「!?」
アーティに悪気がないのは分かっているが、不敬に取られかねない発言だ。グレースは驚きの視線をアーティに向ける。
真っ直ぐな視線でアーヴェントを見るアーティと、目を見開いてアーティを見つめ返すアーヴェント。
「生まれた時から劇団の人達や母を見てきたから分かります」
グレースがフォローに回るより先に、アーティは続けた。
「陛下は、演技ができるような方ではないですよね」
アーティの言葉に、アーヴェントは口元に手を当て、暫し考え込むような仕草をみせた。
「そう、だな……」
思いがけない言葉に面食らったようだが、不敬を咎める気はなさそうだ。
それどころか何かが腑に落ちたようで、納得したようにアーヴェントは頷いた。
そんなアーヴェントの様子に、グレースは意を決して口を開いた。
「あの、アーヴェントさん。お二人がリヴェル君の幸せを願う気持ちは一緒なはずです。一度、陛下とちゃんと話をしてみてはいかがでしょうか?」
一国の王太子に対して提言するなど、今までのグレースなら考えられなかった。
けれど、アーヴェントならきっと聞いてくれるはずだ。
今までの付き合いを信じて真っ直ぐな視線を向けるグレースに、アーヴェントは表情を曇らせたまま視線を逸らした。
「……まともに取り合って貰えなかったら?」
「真面目に話をしようとする人を蔑ろにするような方には、私には見えませんでしたけれど──」
以前アーヴェントが冗談めかして言っていた、リディアに煙たがられているかもしれないと言った言葉をグレースは思い出す。後妻であるリディアと先妻の子であるアーヴェントの仲が、良好でない可能性は高い。
(現に、アーヴェントさんは陛下を疑いの目で見てるわけだし、良好とは言い難い……。こうなったら)
「分かりました。陛下が話し合いの席に着いてくださらないのなら、無理やりにでも着いて貰いましょう」
「む、無理やり?」
グレースの言葉が思いがけないものだったのか、アーヴェントは鸚鵡返しに問いかけた。
「お父様にお願いしてジルさんに協力を仰げば、陛下の空いている時間を把握できるはずです。その時間を見計らって声をかけるとか。それでも無理なら、ちょっと強引ですが扉をつなげて我が家にご招待を──」
「姉さん。それは一歩間違うと拉致になりかねないと思う」
真剣な眼差しで具体的な案を上げ連ねていくグレースを、アーティがやんわりと静止する。
「でも、アーティ。しっかりと話が出来る場を設けるには、これが一番良い案だと思うわ」
「逃げ場を奪うという点ではいいと思う。けど、落ち着こう姉さん。相手はこの国の王妃様だ」
「こういうところは母様似だなぁ」と、呟くアーティと「じゃあ、別の案を……」と、再び考え始めるグレース。
「……ぶはっ!」
そんな二人の姿に、アーヴェントは思わず噴き出した。
急に笑い出したアーヴェントに、二人はきょとんっとした表情を向ける。
「アーヴェントさん?」
「ははっ、いや、悪い……っ。二人が真剣に考えてくれてるのに」
「俺達、何かした?」
「何かをしたつもりはないけれど……」
腹を抱えるアーヴェントに、二人は顔を見合わせ首を傾げた。
皆目見当がつかないと言わんばかりの無自覚な二人の様子がこれまた笑いを誘ったようで、アーヴェントはしばらく笑い続けていた。
数分の後、ひとしきり笑って満足したのか、アーヴェントは目元を拭う仕草を見せながら、二人に向き直る。
「あー、笑った……。悪い、二人とも。とりあえず、俺があの人に挑んで駄目だった時は少しだけ手を貸して欲しい。穏便に。な?」
「穏便に」
「お任せください」
頷く二人に、きっとここにオルストン家一同が加われば穏便には済まないだろうなどと思いつつ、アーヴェントは心の中で苦笑した。
「そういえば、ずっと気になってたんだが足は大丈夫なのか?」
アーヴェントは、グレースの杖に視線を向ける。
「知らなかったとはいえ、すまない。そんな状態で参加させたなんて、無理をさせたよな」
申し訳なさそうなアーヴェントの視線に、グレースはぶんぶんっと音が鳴りそうなくらい勢いよく首をふる。
「ち、ちが……! これは違うんです!」
「?」
「参加を決めたのは私の意志ですし、これは怪我でもなんでもなく……その……ふり、なんです」
自身の我儘を通すために演じた嘘で、アーヴェントに謝罪をさせてしまった申し訳なさといたたまれなさにグレースは肩を落とす。
そんなグレースに助け舟を出すべく、代わりにアーティが口を開いた。
「良く知らない異性と踊るのは気まずいと言った姉さんに、母様が提案したんです。足を怪我したふりをしてはどうかと」
「なるほど、それで」
「申し訳ありません。すべては私の我儘が原因です……」
「いや、謝る必要はないし、むしろライラさんは素晴らしい提案をしたと思う」
「俺もそう思います」
「へ?」
他の男と踊るグレースを見たくはないという一心で、アーヴェントとアーティは頷きあう。
そんな二人の姿を不思議に思いながらも、まったく嘘を気にしていないアーヴェントにグレースは「なら良いのですが……」と、呟いた。
「あの、そういえば、そろそろ戻らなくて大丈夫ですか? 皆さん、アーヴェントさんを待っていらっしゃるのでは?」
アーヴェント自らやって来たとはいえ、会場には王太子と交流したい貴族で溢れている。
きっと扉の向こうでアーヴェントが出てくるのを今か今かと待ち構えていることだろう。
「まぁ、そうなんだが」
アーヴェントは扉の向こうに苦々しい視線を送ると、すぐにグレースへと視線を移し、次いでアーティを見た。
「アーティ、少しだけグレースを借りても良いか?」
「姉さんが良いのなら」
「よし。アーティの許可は得た。グレース、ちょっと付き合って欲しい所があるんだが」
「私は大丈夫ですが……」
突然の申し出に頷きつつも、グレースは横目でホールの方を伺い見る。
(今、ここからアーヴェントさんと出て行ったら不味い気がする)
サイラスが近くにいるとはいえ、向けられる視線は避けられない。
興味、好奇、嫉妬、羨望、その他諸々を含めた視線が扉を開いた瞬間に矢のように突き刺さるだろう。
想像するだけで肌が粟立つ感覚に、グレースは思わず腕を撫でた。
「安心してくれ。そっちには行かないから」
グレースの考えを察したのか、アーヴェントから不安を拭うように声をかけられた。
そっちには行かないとは?と、グレースが疑問を口にするより先に、アーヴェントが動いた。
「ちょっと失礼」
「え……わっ!?」
一言声をかけられた瞬間、隣に回り込んだアーヴェントの手によってグレースの体は軽々と抱き上げられてしまった。
(なっ…………いま、え、なにが!?!? 浮いてる!? いや、まってそのまえに、ち、ちちちかいっ……!! )
急に宙に浮いた自分の体と、間近にあるアーヴェントの顔と体。
その全てに脳の処理が追い付かず、混乱で暴れるどころかアーヴェントの腕の中で両手を握りしめ小さくなるグレースをアーティは伺うように覗き込む。
「姉さん、俺は適当に待ってるから」
「あ、あああーてぃ、わたし、いまっ」
「アーヴェントさんにお姫様抱っこをされています」
「っ!?!?」
分かりやすく丁寧にアーティが答えると、ひゅっとグレースは息をのむ。
「……この反応は、嫌がられてる?」
「違います。多分動揺しすぎて感情がついていけてないだけなんで、しばらくすれば落ち着くかと。今のうちに行った方が良いです」
混乱で感情が定まらないグレースの反応に不安になるアーヴェント。グレースはというと、アーティとアーヴェントの会話も動揺で聞こえていないようだ。
そんなアーヴェントにフォローをいれつつ、アーティは先を促した。
「なら良いけど……」
「アーヴェントさん」
テラスの手すりに足をかけるアーヴェントに、アーティは声をかける。
「信用はしていますが、手荒な真似はしないでくださいね」
穏やかな口調に反して「姉を傷つけたらぶっ殺す」と、言わんばかりの殺気を含んだ視線。
最大級の警告に唾を飲み込みながらも、悟られないようにアーティに応えた。
「絶対に、何もしない。絶っ対に」
口調を強めて断言するアーヴェント。
数秒の後、アーティは殺気を消して「いってらっしゃい」と、手を振った。
「……いってきます」
アーヴェントは安堵すると小さな声で応えて、テラスから飛び降りた。
飛び降りると同時に意識が戻ったであろうグレースの小さくなっていく悲鳴を聞き届け、アーティはふぅっと息をつく。
「父様は怒るだろうけど、母様は許してくれるだろうから良いか」
バレることはないだろうが、こういう事に関する二人の(特にライラの)勘の良さは侮れない。
抱き上げられた時に落とされたグレースの杖を拾いあげ、アーティはテラスの手すりに寄り掛かった。
アーヴェントに抱きかかえられた時、グレースが見せた混乱の様子を思い出し、思わず笑みがこみ上げる。あんな風に感情が乱れるグレースを見るのはいつぶりだろうか。
「がんばれ、姉さん」
二人が消えていった庭園の方向を見守りながら、アーティは姉の恋心にエールを送った。




