65 王妃との邂逅
優雅な音楽が流れる中、背中に多くの視線を感じつつも素知らぬ顔でジルの後へ続く。
リディアとアーヴェントが居る壇上へと延びる階段へ、アーティのエスコートを受けながら一歩足をかけた。
長く生きた前世でも、国の王族などテレビでみる程度。謁見の機会などあるはずもない。
経験したことのない重圧と緊張も、隣にアーティがいてくれるおかげで幾分和らいでいた。
(アーティが居てくれて良かった。私一人だったら耐え切れなかったわ)
緊張でうまく体が動かせず、転んで醜態を晒していたかもしれない。
それだけは避けなければと、細心の注意を払いながらグレースは歩を進める。
最後の一段を上り切り、グレースとアーティはリディアとアーヴェントの前に立った。
間近で見る王妃リディアは、美しい銀髪と青い瞳をもち、写真や新聞で見るような厳格な雰囲気が漂う女性だった。どこかリヴェルと似た面差しに、間違いなく親子なのだと、グレースは実感する。
「グレース・リー・オルストン、ならびにアーティ・リー・オルストン、参上致しました。このような形の挨拶となってしまい、申し訳ありません」
足を怪我したふりをしている以上、カーテシーをすることができない。
周囲を騙していることへの多少の罪悪感を感じつつ、グレースは深々と頭を下げた。
「二人とも頭を上げて。その足では階段を上るのも大変だったでしょう。ジル、椅子の用意を」
リディアの言葉に、グレースとアーティはぎょっとする。
王妃の気遣いとはいえ、王族の対面に並んで座ることなど出来るはずもない。
「お心遣い痛み入ります。足の治りは、あとひと息といったところですので、杖さえあれば充分です。陛下のお気持ち、有り難く頂戴致します」
ジルが動く前に、グレースはやんわりと椅子の使用を断った。
「そう。大事がないのなら良いのですが……」
思いがけず向けられた心配そうな視線に内心では動揺しつつ、グレースは微笑みを絶やさない。
「昨日、ダンスの練習中に軽く足を捻ってしまっただけなのです。お恥ずかしい話ですが」
「恥ずかしくなどありませんよ。私も、昔はよく練習中に躓いたものです。指導はもしやお母様が?」
「はい」
「貴女方のお母様の踊りはとても美しかった。一度あの方が踊りだすと、男女ともに目を奪われたものです」
「陛下からお褒めいただけたと知れば、母も喜ぶと思います」
喜ぶよりも「それで生きてきたのだから当たり前でしょう」と、冷めた答えが返ってきそうだが決して口には出さない。
「そんなお母様の指導を受けた貴女の練習の成果を見られないのは残念ですが、怪我を押してよく参加してくれました」
「恐縮です。母には遠く及びませんが、いつかお見せできる機会がありましたら嬉しく思います」
笑みを浮かべるリディアに、グレースは一礼した。
(……なんだか、思っていた感じと違うわ)
グレースにとって、リディアの印象はあまり良いものではない。
自身の息子を病院に隔離し、見舞うことも手紙を書くこともしない母親。サーリーがリディアのことを悪し様に言うのも少し分かるような気がしていた。
しかし、目の前で優しく気遣ってくる国母がそんな母親と同一人物だとはどうにも思えない。
「ジル」
リディアが一声かけると、銀のトレーにいくつかのシャンパングラスを乗せたジルが現れた。
グラスの中に注がれている透明な液体は、オルストン家が開発したノンアルコールのドリンクだ。
「私とアーヴェントもこちらのドリンクを頂きましたが、驚きました。ねぇ」
リディアが伺うと、アーヴェントは「えぇ」と、頷いた。
「酒と遜色ない味わいで、尚且つ美味い。既に給仕に問い合わせが相次いでいると聞いたが」
「殿下のおっしゃる通り、どこで仕入れたものか教えてほしいとご好評を頂いております。手筈通り、まだ詳細は明かしておりませんが如何いたしますか」
アーヴェントの言葉に同意を返すと、ジルは伺うようにリディアを見た。
今回の舞踏会でオルストン家で作られたドリンクが使われる事になった際、先ずはノンアルコールだという事は伏せて配られる事になった。
最初から「これはアルコールが入っていないドリンクです」と言って配れば「なぜ酒じゃないのか」と、渋い顔をする者も出てくるだろう。
飲む前から先入観を持たれては、正当な評価を期待するのは難しい。ならば、情報を与える前に先ずは味を知ってもらおうということになったのだ。
「想定通りね。好評のようですし、ドリンクについて尋ねてくる方には予定通り子細を説明してください。そのうえで酒が良いという方には、低アルコールの物をお渡しして」
「かしこまりました」
ジルが目配せをすると、後方に控えていた給仕がジルからトレーを受け取り、颯爽と階段を降りて行った。
それを皮切りに、会場内の数人の給仕達が一斉に動き始める。
(流石、王宮の給仕さん達。仕事が早いわ)
手際の良さと洗練された動きにグレースが感動していると、アーヴェントが口を開いた。
「先ほど、このドリンクの所為で酔ったと吹聴していた者達がいたようですが、真実を知ればあっという間に酔いも覚めるでしょう」
そう言ってグレースを見たアーヴェントは、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
(……なんだか変な感じ。それに、やっぱりもう知られているのね)
普段接しているアーヴェントとは随分違う口振りに、別人かと錯覚しそうになるが、あの笑みは冗談を言う時や人をからかう時のアーヴェントと同じものだ。
シャルロット達とのやり取りも、既に知られているようで、知られて不味いことではないが、少々恥ずかしい。
「そうですね。その上で、このドリンクを選んでくださった陛下のお心を知って欲しいと、切に願います」
気恥ずかしさが顔に出さないように気を付けながら、グレースはアーヴェントに笑みを返した。
「リディア陛下、アーヴェント殿下。この度は、我が家にお声をかけて頂いたこと、並びに勿体ないお言葉の数々を頂きましたこと、大変嬉しく思います。オルストン家一同、心より感謝申し上げます」
「つきましては、主催者であるリディア陛下にささやかながら贈り物をお持ちいたしました」
グレースに次いでアーティが口を開くと、ジルに「お願いします」と、声をかけた。
数秒の後、あらかじめ渡しておいた包みを乗せたカートを、ジルがリディアの前に運んできた。
上等な絹の風呂敷包みを丁寧に開くと、立派な桐の箱が現れる。
蓋を取り外し、ジルは中身を見せるようにリディアの方へ箱を傾けた。
「これは、グラバーアップルかしら」
「はい。我が領で一番の目利きが選んだ、大きさ、味ともに最上級のグラバーアップルをお持ちしました。どうぞ、お手にとってみてください」
絹の敷き布の上に鎮座するグラバーアップルを優しく手に取り、ジルはリディアに手渡した。
「相変わらず、見事な──」
リディアの目がわずかに見開かれ、ある一点に視線が注がれる。
グラバーアップルの柄に結ばれた、光沢のある鉛色のリボン。
金色の糸で施された葉や蔓を模した美しい模様と共に、何やら文字が刺繍されている。
”王妃様の幸せを願っています”
「これは……」
リディアの瞳が一瞬揺らいだのをグレースは見逃さない。
しかし、気づかないふりをして口を開いた。
「そちらのリボンは、我が領の子供がリディア陛下のことを想って刺繍したものです」
「国母である陛下にぜひお渡ししたいと、寝る間も惜しんで刺繍の練習をしておりました。拙い出来ではありますが、どうかお受け取りくださいませ」
「私を、想って……」
リディアは噛みしめるように呟き、そっとリボンを撫でる。
リボンの送り主が誰かを知っているアーヴェントは、そんなリディアから目を逸らさなかった。
「拙い出来だなんてとんでもない。とても心がこもっている。素晴らしい贈り物を頂きましたね。母上」
「えぇ……」
「陛下、そろそろ次の方々をお呼びする時間ですが」
何かを言いたげだったリディアだが、言葉を飲み込み「分かりました」と、ジルに告げた。
「二人とも、舞踏会への協力、改めて感謝します。どうぞ、素敵な夜を過ごしてください」
「身に余るお言葉、大変光栄でございます。それでは、失礼いたします」
頭を下げ、その場を立ち去るべく向けた背に「それと」と、声が投げかけられた。
グレースとアーティは、再びリディアの方を振りむいた。
「刺繍を施してくれた子供に、私もあなたの幸福を願うと伝えてください」
そう言ったリディアの瞳は、母親が我が子に向けるかのような、あたたかな眼差しだった。




