63 彼女の怒り(2)
脈絡もなく突然投げかけられた質問に、その場にいた誰もが虚をつかれたような表情と疑問符を浮かべた。
「……はい?」
当のシャルロットも当然ながら理解できていないようで、困惑の表情でグレースを見つめている。
「では、かつて隣国で大きな戦争があったことは?」
首を傾げるシャルロットに構うこと無く、グレースは笑顔のまま更に問いを投げかけた。
向けられた柔和な笑顔に、シャルロットは頭に浮かぶ疑問符を振り払い、慌てたように頷いた。
「それは、勿論ですわ」
「その際、こちらの国からも多くの援助をしたこと。それがきっかけで、隣国との友好関係か強固なものになったこと。それらはご存じ?」
「存じていますけれど……。ですが、あの、先ほどから一体何の話を──」
「では」
引きつった笑みを浮かべながら質問の意図を探ろうとするシャルロットの言葉は、言い終わる前にグレースによって遮られた。
「その援助の中に、パドナ男爵の救荒作物があったことは?」
グレースの顔から笑みが消える。
確かに感じる冷ややかな空気に、シャルロットは息をのんだ。
「パドナ男爵の農場は、隣国との国境近くにあります。戦争があった当時、食糧難に苦しむ隣国の方々にいち早く食料を届けたのは、当時爵位を持たないパドナさんのご先祖です」
真剣な眼差しで語るグレースに、シャルロット達は口を挟めない。
「食料を届けるだけではなく、戦時下でも栽培のしやすい救荒作物の育て方を隣国で広め、少しでも食糧難の助けになればと奮起し続けた。その活躍が隣国の王の知る所となり、当時の王を通じてパドナ男爵は爵位を拝命するに至りました」
本来ならば、もっと高い爵位と領地を与えられる筈だったのだが、先祖はそれを断ったと聞いた。
「しがない農夫には過ぎたもの。人様の食べる物を作る。自分の仕事をしたまでだ」と。
けれど、何も与えなかったのでは隣国に示しがつかないと王に懇願され、男爵位だけを賜ったと聞く。それはとても「らしい」と思ったし、パドナ家の誇りでもあった。
(知ってくれている人がいたんだ)
今や風化されつつある昔話を知る人間は珍しい。
ましてや同世代で、パドナ家の事を知る人間など皆無だった。
「そ、そんな大昔の話、詳しく存じ上げませんわ」
今のシャルロットのような反応が当然だろう。
しかし、グレースはその言葉が信じられないとでも言いたげに小首を傾げた。
「あら? 何も知らずにパドナさんの事を笑っていらしたの?」
シャルロットは、ぐっと言葉に詰まる。
「何も知らずに彼女の家を笑うのは、学が無いよりも恥ずかしく、不躾なことではないかしら」
返す言葉が見つからないのか、黙り込んでしまったシャルロット。
グレースは後ろの二人へと視線を移す。
「そちらの二人はどうかしら? 彼女に同調していたけれど」
シャルロットの後ろで鳴りを潜めていた取り巻き二人は、びくりっと肩を震わせた。
矛先が自分達に向くとは思っていなかったのだろう。目が泳いでいる。
「パドナ男爵家を下に見て嘲笑するという行為が、男爵位を与えた当時の陛下や隣国の王に対して不敬になりかねないということ、もちろん理解していらっしゃるのよね?」
王が認めた一族の人間を馬鹿にし、尚且つ王が与えた爵位を「農民あがりの男爵家」と嘲笑う。王の決定を認めていないとも捉えられかねない。
グレースの言葉で、自分達の発言の危うさを自覚したのだろう。
三人の顔が一気に青ざめていく。
「そ、そんなつもりじゃ……」
「シャルロット様も私達も決して悪気があったわけでは……あの、そうだ! う、ウェルカムドリンク! あちらのアルコールに少しあてられてしまっただけで……ねぇ!」
「えぇ……!そうですわ、あのドリンクのせいです!」
(絶対嘘でしょ)
あろうことか飲み物の所為にし始めた三人に、呆れてものも言えない。
普段から彼女たちの嘲笑と侮蔑を受けてきた身として、今の発言が嘘だと断言できる。
もし本当に酔っていたとしても、普段の発言と差がないのだから言い訳にもならないだろう。
「……ありえない」
ボソリっと呟かれた声に隣を見上げると、アーティが手にしていたグラスを見つめていた。
「?」
開き直る彼女達の態度がありえないという意味だろうか。
疑問に思うこちらの視線に気づいたのか、アーティと目があった。
「あ、えっと……」
「どうぞ、お返しします」
緊張で思わず身構えると、手にしていたグラスを差し出される。
「有難うございます」
そういえば元は自分のものだったことを思い出し、躊躇いながらも受け取ると、アーティはグレース達に再び視線を戻した。
「なるほど。お酒の所為だと」
「そうですわ!」
「でも、パドナ家と彼女を侮辱したのは事実です。酒の所為だと気づけたならば、謝罪の言葉を言う理性はあるのでは?」
「それは……」
プライドの高さが邪魔をして、簡単に謝罪などできないのだろう。
苦渋の表情を浮かべるシャルロットと目があったが、すぐに逸らされてしまった。
シャルロットが謝罪しない限り、後ろの二人も頭を下げることができないだろう。
先に謝ってしまえば、シャルロットにあとから不満をぶつけられるであろうことは容易に想像がつく。二人がシャルロットを見る目は、今にも泣きだしそうだ。
(一言謝ることもできないなんて、小さい子供みたい)
悪いことをしたら謝る。
両親、祖父母に当然のように教えられてきたそれが、彼女達はできないのだ。
まるで子供のようだと思った途端、彼女達に抱いていた怒りが急激に冷めていく。
(こんな人達に、なんで今まで怯えてたんだろ)
家の事を悪く言われるのも、馬鹿にされるのも、いい加減うんざりだ。
一度だけ大きく深呼吸をして、一歩踏み出した。
「あの、もういいです」
そう発した途端、周囲の目が一気に自分へと集まる。
こんなに多くの貴族の目に晒されるのは、後にも先にも今だけだろう。
視線に気圧されないように、胸を張り、背筋を伸ばす。
これ以上、子供のような彼女達に付き合ってはいられないし、オルストン家の二人を付き合わせてはいけない。
「謝罪はいりません。その代わり、これ以上私に構わないでください」
真正面からシャルロットを見据える。
「口だけの謝罪よりも、大勢の方々が目撃者となる今この場で今後私に関わらないと誓って頂ければ、それで充分です」
謝罪されたところで今までの罵倒の数々を許す気はないし、今後一切関わらずにいてくれた方が何百倍も嬉しい。
目を合わせようとしないシャルロットからグレースへと向き直り、頭を下げた。
「私の代わりに謝罪を求めてくださったのに、申し訳ありません。オルストン様」
「私は平気なので頭をあげて。でも、本当によろしいのですか?」
「はい」
返事をして頭をあげると、グレースは「そう……」と、呟いて三人に問いかける。
「パドナさんはこうおっしゃっていますが──」
「誓います……!」
「わ、私も! シャルロット様も誓いますよね?」
早くこの場から解放されたい気持ちが勝ったのか、後ろの二人は食い気味に答えるとシャルロットを伺い見た。
「……誓いますわ」
逡巡の後、消え入りそうな声でシャルロットは呟いた。
視線を逸らしたまま、こちらを見ようともしないその姿は、まるで怒られて拗ねた子供のようだ。
ばつの悪そうな表情を浮かべているが、自分が悪いとは微塵も思っていないだろう。
グレースもそんなシャルロットの態度から何かを察したのか、小さく一息ついて踵を返した。
「それでは、今後お三方はパドナさんに関わらないということで。私達はこれで失礼します。パドナさんも共に行きましょう」
「は、はいっ」
促されるままに、グレースとアーティの後を追う。
少し離れて後ろを振り向くと、不機嫌を隠さないシャルロットとそれを宥める取り巻き二人。
そんな三人の様子に周囲の人々も、ひそひそっと声を潜め距離を取っている。
噂話は貴族の好物だ。きっとものの十分としない間に、今の出来事が会場中に知れ渡るだろう。
三人とも他家との繋がり、特に真っ赤なドレスのシャルロットは、あわよくば王太子とお近づきになろうと気合を入れて来たのだろうに。
自分に構ったが為に全てが台無しだ。決して同情なんてしない。いい気味だ。
(それに比べて、同じ伯爵家とは思えない。格が違いすぎるわ)
前を歩く凛とした二人は、通りすがる人々の視線を攫っていく。
(お二人が止めてくださらなかったら、今頃どうなっていたか……)
冷静さを欠いていたとはいえ、あのままドリンクを浴びせかけていたら怒り狂ったシャルロットにより確実に家同士の問題に発展していただろう。
二人はパドナ家と自分を救ってくれた恩人だ。
何より、パドナ家のことを知っていてくれた。それが何よりも嬉しい。
「……やっぱり来て良かった」
二人に気づかれないように小さな声で呟いて、嬉しさで滲む涙を悟られないように前を向いた。




