62 彼女の怒り(1)
あぁ、ツイてない。
「まったく、よく来れたものだわ」
赤いドレスに身を包んだ目の前の令嬢は、蔑んだ眼をこちらに向ける。
「私が貴女の立場だったら絶対に来れませんわ。恥知らずも良いとこですもの。ねぇ?」
「えぇ。私なら無理です」
「考えられませんわ」
彼女の言葉に頷きながら同意を返したのは取り巻きの令嬢達。
(始まった……)
受付を済ませて入場し、ウェルカムドリンクを受け取った直後のことだった。
背後から声をかけられて振り向いた先にいたのは、一番会いたくない人々。
愛想笑いを浮かべて軽い挨拶を交わすと、逃げる間もなく嘲りを込めた言葉をいつも通りに投げかけられた。
「恥知らずだなんて......舞踏会の参加条件は満たしていますし、招待状だってちゃんと届きました」
「確かに条件は貴族の令嬢であることだけれど、農民あがりの男爵家程度が参加していいものじゃない事くらい考えれば分かるわ。それとも、王太子妃の座でも狙っているの? 貴女が?」
「えぇ!? まさか!」
「嘘でしょう?」
反論したものの、まともに聞いてなど貰えない。
大仰に驚き、くすくすっと笑う彼女たちに唇を噛みしめる。
最初は断るつもりだった。
王太子の相手を見つけるための舞踏会だなんて、農耕を生業とする貧乏な男爵家の自分には分不相応だ。
ドレスだって持っていない。そんなものより作業着の方が似合うし、踊るよりも土を耕す方が性に合う。
けれど、招待状を見た両親と祖父母は「行っておいで」と、言ってくれた。
滅多にない機会だからとドレスを用意して、祖母と母が昔使ったという赤い花の髪飾りを貸してくれた。
その気持ちが嬉しくて、着飾った自分の姿に少しだけ心が跳ねて、もしかしたらこんな自分でも良い出会いがあるかもしれない。そう、思っていた。
彼女達に出会うまでは。
(いつもこう……昔から事あるごとに絡んできて、伯爵家と子爵家相手じゃこっちが言い返せないのを良いことに好き勝手言って)
「王太子妃になりたいだなんて考えてません。私は、舞踏会に興味があっただけで……」
「あら! 貴女、ダンス踊れるの? 畑仕事とは勝手が違くってよ?」
「……っ」
自分だってそう思っている。けれど、そのことを彼女たちに馬鹿にされる謂れはない。
言い返せない悔しさと怒りで、右手に持つグラスの水面が揺れる。
震えを抑えるように、もう片方の手でグラスを持つ手を包み込んだ。
(気が済めばどこかに行くはず。もう少し、我慢すれば──)
「けれど、貴女も可哀想よね」
「は……?」
急に向けられたの憐みの言葉の意味が理解できず、思わず声が漏れた。
「だって、ダンスも満足に教えて貰えない環境なのでしょう? 残念な親元に生まれてしまって、可哀想ねって言ったのよ」
向けられた嘲笑に、プツリっと、自分の中で何かが切れる音がした。
爵位の上下も理性も忘れて、あるのは怒りの感情だけ。
耐えていた全ての感情を乗せて、目の前の彼女にグラスの中身を浴びせかけるべく、衝動的に右手に力を込めた。
「それは駄目」
耳に通る声とともに、降りぬこうとしていた右腕に優しく添えられた誰かの手。
いつの間に側にいたのだろうか。
視界に入った長く美しい黒髪と、夜空を思わせるようなドレスに立派な杖。
少しだけ視線を上げた先に居たのは、見知らぬ女性だった。
(……綺麗な人)
突如として現れた女性に怒りを忘れて見惚れていると、手にしていたグラスをそっと奪われた。
「あっ……」
取られたグラスに手を伸ばすと、女性の紅い瞳と目が合った。
優しく微笑まれ、ドキリっと胸が鳴る。
「アーティ」
女性が名を呼ぶと、見知らぬ男性がこちらに歩み寄ってきた。
女性と揃えてあつらえたのであろうスーツを着こなし、その上からでも分かる鍛えられた体躯と端正な顔立ちに、目の前の令嬢達は釘付けだ。
いや、彼女達だけではない。
さっきまで我関せずでこちらを遠巻きに眺めていた令嬢と令息達の視線が、隣の二人に集まっている。
アーティと呼ばれた男性は、女性からグラスを受け取った。
「濡れてないか? 姉さん」
「寸前で止めたから平気よ。有難う。貴女は大丈夫? ドレスに飛んだりしていないかしら」
「へ!? あ、えっと、大丈夫ですっ」
まさか心配されるとは思ってもいなかった。
急に話を振られ、動揺を隠せないまま返事をすると「良かった」と、女性は微笑んだ。
「急に間に入ってしまってごめんなさい。私の名は、グレース・リー・オルストン。こっちは弟のアーティ」
途端、急に周囲の人間たちがざわつき始めた。
「オルストン!? 今、確かにそう言ったよな?」
「滅多に社交界に姿を現さないと噂の姉弟じゃないか!」
「確か、陛下の元側付きで──」
「あれがライラ様の……!!」
「私、初めてお目にかかるわ」
聞こえてくる声の主達も動揺を隠せないようで、囁き声がこちらにまで聞こえてくる。
貴族の世界に疎い自分ですら、オルストンの名は聞いたことがある。それどころか農家の中で知らない人物はいないだろう。
王族御用達にして庶民ではなかなか手にすることができない幻のフルーツ「グラバーアップル」を唯一生産できるグラバー領の領主にして生産者。
グラバーアップルが世に出た当時「美しく美味なフルーツが現れた」と、数々の農家がその評判を耳にし、グラバー領に押し寄せた。
当時のグラバー領の領主は訪れた人々に分け隔てなく種と育て方を教えたが、他領で植えた種は実を着けるどころか、芽を出すことさえ叶わず、終ぞ誰も生産に成功したものはいなかった。
その為に、グラバー領とその領主であるオルストン家は、言わば農家の中では生きる伝説なのだ。
「貴女はパドナ男爵のご息女よね? お名前は確か……マインさん」
「!?」
そんな人物がどうして自分の名を知っているのか、皆目見当もつかない。
混乱で開いた口が塞がらず、答えを返せずにいると、困ったようにグレースがこちらを覗き込んでくる。
「えっと、違ったかしら?」
「あ、ああああ合ってます! マインです、パドナ・マイン。よ、よろしくお願いしま──」
視界の端に、さっきまで自分を嘲笑っていた三人の姿が映る。
混乱で口走ってしまったが、どうしてオルストン伯爵家のご令嬢が自分とよろしくしてくれるのか。そんなわけないじゃないか。と、口をついて出た言葉に後悔を覚え、最後まで言い切ることができなかった。
「オルストン様」
会話が途絶えたのを見計らい、ここぞとばかりに三人が声をかけてきた。
「初めまして。私、シャルロット・レスティアと申します。よろしければ、私たち三人とあちらでお話しませんか? 弟さんもご一緒に」
「三人? パドナさんもご一緒ではなくて?」
グレースの問いに、シャルロットは苦笑いを浮かべた。
「それは……やめた方が良いですわ。家柄の違いもあってか、彼女は少々不躾なところがありますし……ねぇ?」
「それはもう! 彼女は学院でも浮いた存在でしたわ」
「それに比べてシャルロット様は伯爵家のご長女。オルストン様とお話も合うかと」
シャルロットの話に相槌を打つ取り巻き二人。
学院で浮いた存在になったのは、貴女達が私を孤立させたからじゃないかと、叫びたい気持ちをぐっと抑える。
「不躾?」
「彼女、男爵家の出身とはいえ、貴族のマナーもなっていませんし、振る舞いはほぼ庶民同然ですわ。学院も途中で辞めてしまいましたし、学もあまり無いといいますか……」
シャルロットの呆れたような物言いに、再度怒りが沸いてくるが言い返すことができない。
全て事実だ。けれど、学院を辞めた理由の大半を占める人物に、どうしてこうも好き勝手に言われなければならないのか。
悔しさを堪えるように俯くと、カツンっとグレースの杖が鳴った。
一歩踏み出すグレースをみて、胸に痛みが走る。
農民上がりの男爵家の令嬢と由緒ある伯爵家の令嬢。
比べるまでもなく、皆が後者の言葉を信じ、彼女を選ぶ光景を今まで幾度となく目にしてきた。
分かり切っていた筈なのに、どうして少しだけ期待をしてしまっていたのか。
(……もういい。早く、この場から立ち去ろう)
グレースがあちらにいけば話の的はグレースへと移るだろう。その隙に帰ろうと、決意を決めた時だった。
「救荒作物ってご存じかしら?」
グレースの問いがシャルロットに投げかけられた。
区切りがつかないままに打ち続けるも、時間だけがどんどん経ち、このままでは8月中の更新もままならなくなりそうなので一先ず区切ってアップします。
色々と立て込み続けておりまして、めちゃくちゃ鈍足更新ですが緩く見守っていてくだされば幸いです。




