61 王宮に向かう馬車の中
すっかり日が落ち、夜の暗闇を走る馬車の中。
窓から見える満月と星を眺めながら、グレースは安堵する。
「雲一つない。良いお天気で良かったわね」
「あぁ、寒くならなくて良かった。俺はまだしも、その恰好じゃ冷えただろうし」
普段着よりも首や肩の露出が高い姉のドレス姿を気遣うアーティ。
ストールを一枚羽織ってはいるが、それでもアーティより防御力が低いのは一目瞭然だ。
「そうねぇ。リズィーさんが寒かった場合の外套とかも色々考えてくれてたみたいだけど、お城についたら脱いじゃうし。何にせよ、冷えないに越したことはないわ」
「母様とティアさん達は、お洒落は天気との闘いよ。て、言ってた」
「ふふっ、言ってたわね」
劇団の看板を背負う俳優達は、いついかなる時も自身の姿に気を使い、外出の際には特に気を抜けないようだった。
(どの世界でも、そういうところは同じなのね)
前世と今のファッションに対する共通認識に、グレースは前世を思い出す。
暑さと寒さに抗いながら、夏に長袖、冬にスカート。
若い女性が季節に抗いながらファッションを楽しむ姿をテレビで見ながら、よく関心していたものだった。
「そういえば、久しぶりよね。アーティと二人っきりで出かけるの」
「確かに。いつもは誰かしら一緒だしな」
屋敷でともに過ごすことはあっても、二人だけで出かけることはあまり無い。
いつも共にマウロかメイリーがついてくるからだ。
今回の舞踏会は侍従の付き添いが可能なのだが、グレースとアーティは二人だけで参加することに決めた。
「マウロ、すごい渋い顔してたな」
「そうね。きっと私たちの考えなんてお見通しなのだろうけど、飲み込んでくれてたわね」
「そりゃあ、今後の為にも二人だけで行きます。て、姉さんにはっきり断言されたら何も言えないだろ」
過去に王宮勤めをしていたマウロを知る人物は、今も王宮内に少なからずいるだろう。
その全員が、バートに着いて王宮を出たマウロに良い印象を持つ者ばかりではないことくらい、グレースにも想像がつく。
メイリーがマウロの妹だと知る人物はいないかもしれないが、どこで勘繰られるか分からない。
家族同然の二人を好奇の目に晒したくはないというのが、グレースとアーティの本音だ。
「久しぶりの社交界、珍しがられるのは当然としても、見られるのは私たちだけで十分だもの」
「俺達、珍獣かなんか?」
「そうかもね」
獣のような自分たちを想像して、グレースはくすくすっと笑う。
「姉さん」
無邪気に笑うグレースに、アーティは真面目な顔で呼びかける。
「舞踏会の間、俺から離れるなよ」
社交界に出ることを避け続け、人に関わらないように生きてきた。
そんな姉に対して人一倍心配性な弟の視線を受け止めて、グレースは瞬きひとつして微笑んだ。
「分かってる。頼りにしてるわ」
「それと、母様の言いつけも忘れないこと」
「ちゃんと覚えてるわよ。アーティと杖は手放さないこと。ヴェントさ……アーヴェント殿下に馴れ馴れしくしないこと。それと──」
「会場では、オルストン伯爵令嬢らしく振舞うこと」
「……それが一番不安ね」
グレースは、傍らに置いた杖を握りながら気弱な返事を返す。
異性と踊ることを避けたいと言ったグレースの要望に対し、用意されたのは足が不自由な間使っていた杖だった。舞踏会用に綺麗に塗装され、立派な一点物かのように仕上げられているが、握り心地はあの時のままだ。
今日のグレースは、あの時のように足が不自由なフリで行動しなくてはいけない。
それに加え「伯爵令嬢らしからぬ振る舞いはしないこと」と、強く言い含められているのだが、うっかり前世の善子が顔を出しそうになる。
「脚の演技は、実際に経験してるから大丈夫だと思うけど、ついうっかり素がでそうで怖いわ……。もしそうなったら止めて頂戴ね」
「あぁ。でも、父様達がした根回しについては、俺は大した力になれないと思うけど」
「いいのよ。隣に居てくれるだけで心強いわ」
舞踏会中、少しでも王妃と接点が持てたらと考えていたが、そう簡単なことではない。
できても挨拶、よくて二言三言会話ができる程度だ。
少しでも王妃のことを知るためにはどうしたら良いか。
そう悩むグレースに、ライラとバートが接点を得るための”根回し”をしてくれたのだ。
「それに、私がやらないと意味がないしね。オルストン家の代表として、兎に角ボロがでないようにしないと」
不安げに杖を握りながら「大丈夫かしら……」と、小声で呟くグレース。
そんな姉の姿に、何の心配もいらないだろうと、アーティは確信していた。
「姉さんの演技力は、母様のお墨付きなんだから」
「ん? 何か言った?」
「何も。ほら、そろそろ見えてきた」
王宮の前にちらほらと馬車の姿が見えてくる。
混雑を避けるために遅めに出発したのだが、どうやら丁度よい頃合いだったようだ。
グレースは深く深呼吸をして、ゆっくりと瞼を閉じた。
(オルストン伯爵令嬢として、恥じる行動はしないこと。王妃様がどんな方か、しっかりとこの目で確かめてくること)
グレースがここにいるのは、踊るためではない。
リヴェルとアーヴェントの力に少しでもなる為に、今の自分にできることを。
馬車が止まり、しばらくして聞こえてきたノックの音にアーティが答えると、御者が扉を開いた。
「到着いたしました。お足元、お気をつけください」
「有難う。姉さん、行けるか?」
アーティの声に、グレースは瞼を上げる。
「えぇ。問題ないわ」
先に降りたアーティが差し出した手を取り、グレースは一歩踏み出した。
馬車から降りたグレースを王宮の灯りが照らす。
御者が見惚れて息を呑んだのを横目で確認したアーティは、自慢げな気持ちを抑えつつ、平常心で腕を差し出した。
「エスコート、宜しくね」
「お任せください。姉上」
舞踏会中はグレース同様、貴族令息のアーティ・リー・オルストンでいなければいけない。
グレースほどに演技の才は無いが、ライラ達に詰め込まれた知識通りやれば今日を乗り越えられるだろう。
恭しく答えるとアーティは背筋を伸ばし、グレースを一瞥する。
(俺がボロ出すわけにはいかないもんな)
腕に手を添えたグレースの表情には、先ほどまで浮かんでいた不安の色は微塵も感じられなかった。




