60 美しく着飾って
「リズ兄、靴ってこれー? ヒール低くない?」
「今回は低くて良いのよ。あと、お姉さまって呼びなさい!!」
「誰か、イヤリング知らない? 片方ないんだけど」
「え!? さっきまで一緒に置いてあったはず……!」
「やっぱりこっちの色の方が良くない?」
「いやいや、地味すぎ。男が好きなのはこっちですって」
部屋の中を右に左に声が飛び交う。
そんな姦しい喧騒の中心で、グレースは悩んでいた。
(結局、サーリー君の事は分からずじまい……)
ブラムとフィグの問診で、サーリーの魔力についての情報はリヴェルから得られなかった。
「──……ス」
(私がリヴェル君に聞く事は止められてるし、サーリー君は姿を現さない。折角リズィーさんが教えてくれたのに、何も出来ないのよね)
リヴェルにかけられた魔法がサーリーのものだったとして、サーリーが何を意図しているのか分からない以上、迂闊に探るのは危険だからと、グレースが直接リヴェルに詮索することはブラムとフィグに止められていた。
「──グレース」
(どうすれば……)
「えい」
「いった……!?」
額に走った軽い痛みに、グレースは思わず声をあげる。
痛みで現実に引き戻され、両手で額を抑えて顔を上げると、眼前のライラと目が合った。
ライラの顔を見て、グレースは現在の自身の状況を思い出し、ハッとする。
「やっとこっちを見た。さっきから何度も呼んでたのよ」
「ご、ごめんなさい。お母様」
「考え事は終わってからになさい。化粧中に眉間に皺なんて寄せちゃ駄目よ」
慌てて謝るグレースの眉間を指さして、ライラは息を吐いた。
「その通りだけど、だからってデコピンすんのもどうかと思うわ」
隣でドレスの仕上げをするリズィーが苦笑しながら、グレースの顔を覗き込む。
「大丈夫?」と、心配するリズィーにグレースは「平気です」と、笑い返した。
「あら、ちゃんと加減はしたわ。いい? グレース。今は目の前の事に集中しなさい。準備を怠っちゃ、勝てる戦も勝てないのよ」
「それは同意」
ライラの言葉に、リズィーは頷く。
「えっと、戦じゃなくて舞踏会じゃ……」
「「いいえ、戦よ」」
普段は何かと舌戦を繰り広げることが多い二人だが、こういう時だけは息が合う。
こうなってしまっては口を出したところで無駄だと、グレースは知っていた。
遠慮がちに開いた口を静かに閉じて、グレースは改めてライラに身を任せる事にした。
普段なら、身支度はグレース一人で済ますか、時折メイリーが手伝ってくれるのだが、今日ばかりはそうもいかない。
今夜は王宮で舞踏会が開かれる。
準備に追われ、サーリーの件で悩んでいる内に、気付けば当日を迎えていた。
(本当に、今夜なのね)
起きて朝食を摂った後、気合の入ったメイリーに頭からつま先、文字通り全身のケアを施されながらライラに舞踏会での振る舞い方を言い聞かせられ、同じくマウロとバートに仕込まれたアーティと共に、王都にあるリズィーの部屋へとやってきた。しかし、怒涛のように流されてきた為に、グレースには未だに今夜が舞踏会という実感が湧いていなかった。
周りを見ると、劇団員達があーだこーだと言い合いながらグレースの身支度を手伝ってくれている。
ちなみにアーティは着いた途端に別室へと連れて行かれたが、きっと今のグレースと同様にされるがままになっているだろう。
(皆に協力して貰っちゃって、なんだか申し訳ないわ……)
舞踏会に出ると言ったものの、まさか劇団の団員達まで準備に付き合わせることになるとは思っていなかった。
周囲を巻き込んでしまっている事への罪悪感を抱きつつ、グレースは部屋の端に視線を送る。
そこには、劇団の花形女優達に囲まれるリィルの姿があった。
オルストン家総出でリズィーの元を訪れることになった為に、一人にするわけにはいかないとリィルも連れてきたのだ。
最初こそ知らない場に緊張し、椅子に座って縮こまっていたリィルだったが、段々と慣れてきたようで徐々に笑顔を見せるようになっていた。
できるならあちらに混ざりたい。そんな思いで見つめていると、リィルと目が合った。
ぱっと笑顔を浮かべて、こちらに向けて小さな手を振るリィルに頬が緩む。
(癒し…………)
「グレース?」
頬を綻ばせながら手を振り返していると、少しばかり冷気を孕んだ声でライラに呼ばれ、グレースは即座に前を向いた。
「少しの辛抱だから頑張って頂戴。はい、目を閉じて」
言われた通りに目を閉じれば、瞼を優しく何かが撫でていく。
くすぐったさと緊張で身を固くしていると「もう開けていいわよ」と、声をかけられた。
目を開けて、一息つく。
すると、ライラのサポートをしていたメイリーがこちらを伺う様に覗き込んでいた。
「大丈夫ですか、お嬢様。朝早かったですし、お疲れですよね」
「大丈夫よ。疲れたというか、今日が舞踏会っていう実感が無くて……ちょっと不安というか」
「その不安も今だけよ。リズィーのドレスを着れば否が応でも実感が湧くわ。演者をのせる衣装を作らせたら、この王都で右に出る人間なんて居ないもの」
ライラはそう言って手を止めると、リズィーに視線を送った。
「さ、下地は完了ね。リズィー、そっちは終わったかしら?」
「出来たけど、あんまり褒めないでくれる? ハードル上がっちゃうじゃない」
「あら、ハードルなんて飛び越えるためにあるんだから、軽く飛び越えて頂戴な」
軽口に聞こえるが、決して冗談で言っていないところがライラの怖い所だ。
微笑むライラに満面の笑みで返して「やってやろうじゃないの」と、立ち上がった。
「さぁさぁ、我らが姫君のお召し替えよ。皆、退出できるかしら?」
ライラが周囲を見回しながらパンパンっと手を叩くと、団員達は各々返事をして慌ただしく扉へと向かいだす。
そんな中、劇団の女優であるティアが、リィルの手を引きながらライラの元へやってきた。
「必要なものはそこに揃えておきました! 足りないものがあったら言ってくださいね」
「有難う、ティア。リィルのこと、よろしくね」
「お任せください!」
ティアはそう言って胸を張ると、満面の笑みを浮かべる。
グレースは、リィルと視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「リィル君、付き合わせてしまってごめんね」
「ううん。みんな優しいし、お話楽しいから大丈夫」
「そう。なら良かった」
「おねえさんも、お着替えがんばってね」
「ん、頑張る。もう少しだけ皆と一緒に居てね」
「うん!」
「それじゃ、外で待ってますね!」
こんなに可愛い笑顔で励まされてしまっては、頑張らないわけにはいかない。
二人が出て行くのを見送って、決意新たにグレースが振り向くと、残った三人の視線が一斉に集まる。
「さーて」
「それじゃ」
「やりましょう!」
リズィー、ライラ、メイリーの瞳は眼光鋭く、まるで獲物を捕らえた獣のようだ。
三人の圧に逃げ出したい気持ちが生まれるが、既に退路は断たれている。
グレースは、ごくりっと唾を呑みこんで一歩踏み出した。
「お、お手柔らかにお願いしますっ……!」
***
「しかし、楽しみね。グレースのドレス姿」
「ねー! というか、久しぶりに会ったけどすっかり大人びちゃって」
「本当、成長が早いわ。私達も歳をとるわけよ」
「私まだ若いもーん」
「若さなんて一瞬よ。ティア」
「そうそう。今だけよ、今だけ」
部屋から退出してから暫くの時が経ち、廊下では、劇団員達がグレースの支度を今か今かと待ち焦がれていた。
そんな中でリィルの周囲に集うのは、劇団の看板女優三人組。
ピンク髪が愛らしいティア、落ち着いた雰囲気を纏うフェンリー、ベリーショートがよく似合うクロエ。
リィルの眼には三人の年齢に大きな違いはないように映っていたが、どうやらそうではないらしい。
「あの、皆さん、何歳なんですか?」
「ふふ、駄目よ。女性に気軽に年齢を訪ねちゃ」
「そうそう。知ったところで、反応を間違えたら終わりだからね」
悪気のないリィルの問いに、微笑むフェンリーと同意するクロエ。
「ちなみに、リィル君には私達何歳くらいにみえる?」
「うわー! それ、困らせるやつじゃん」
「そういう質問する女は嫌われるわよ」
「ぐっ、いいじゃん! ちょっとした興味本位よ!」
二人からの非難に反論するティア。
そんな三人のやり取りを眺めながら、少しだけ困った様にリィルは首を傾げた。
「えっと、分かんないです。三人とも、きれいだから……」
「「「っ……!!!!!」」」
リィルの答えに打ち震えるように、三人は声にならない歓声をあげる。かと思うと、三人同時にリィルに抱き付いた。
「やーん! 本当にかわいい、かわいすぎる!」
「天使? 天使なの?」
「こんなに純粋で、将来悪い女に騙されないか不安だわ」
三人に抱き付かれ、困惑した様に顔を赤らめるリィル。
そんな賑やかな女性陣とリィルの様子を、アーティの支度部屋の前に集う男性陣が遠巻きに眺めていた。
「すっげー。うちの看板女優達が骨抜きにされてらぁ」
「ビジュアル、性格、文句なし。これは今の内に劇団に囲うべきでは?」
「ありゃあ、間違いなく花形まっしぐらじゃのう」
「ふぇ、フェンリー姉さんが……あんなガキんちょに……!!」
「「「どんまい」」」
賑やかな話し声が続く中、グレースの部屋の扉が開く。
全員が一斉にそちらに視線を送ると、中から出てきたのはリズィーだった。
待ち人の期待が外れ、あちらこちらから溜息が漏れる。
「なんだ、リズ姉かぁ」
「悪かったわねぇ。ほら、邪魔よ。退いた退いた」
そんな団員達の反応など気にも止めず、リズィーは手で払いのける仕草をしながら廊下を進み、アーティの支度部屋の前に集まる男性陣に声をかけた。
「アーティは? まだ準備できてないの?」
「あー、それがなんか長引いてるみたいで……」
「?」
「バート殿が子離れ出来ておらんでのう」
首を傾げるリズィーに、劇団最年長のボルクが柔和な笑みを浮かべながら答える。
その一言で大体の想像がついたリズィーは「なるほど……」と、頭を抱えた。
「まだかかるかしら?」
「そうじゃのう。マウロ殿が頑張ってはいるがのう」
「仕方ない。とりあえず、様子をみて──」
リズィーがドアノブに手を伸ばそうとしたその時、ガチャリっとノブが回る。
ゆっくりと開いた扉の先に居たのは、どこか憔悴した表情を浮かべたマウロだった。
「おっと、失礼」
リズィーが側に居た事に気付き、マウロは一歩立ち止まる。
ぶつからないようにリズィーは一歩後退し「大丈夫だけど」と、続けた。
「随分時間がかかってるみたいね」
「主人の涙と鼻水から坊ちゃんを守るのに少々時間を要しまして。ですが、どうにか完了いたしました」
「ボル爺に聞いて大体察しはついてたけど……本当にお疲れ様」
「有難うございます。顔面を水没させながら坊ちゃんのヘアセットをすると聞かないもので、少々難儀しました」
立派に着飾っていくアーティの姿に感涙して、涙と鼻水まみれになっているバートの姿は想像に容易い。そして、そんなバートからアーティを守ろうと、着付けしながら悪戦苦闘するマウロの姿もまた然りだ。
リズイーは、溜息を隠そうともしないマウロの苦労を労った。
「それで、どう?」
「完璧かと」
リズィーの問いにマウロは目を光らせ、促すように扉を開く。
室内には目頭を押さえるバートと、そんな父親を気にかける正装したアーティがいた。
リズィーが作ったスーツに身を包み、髪をオールバックにまとめ上げた姿はなかなかの美丈夫だ。
「リズィーさん」
リズィーに気付いたアーティが、顔を上げて名前を呼ぶ。
「すみません、遅くなってしまって──」
「ストップ」
近づこうとするアーティにリズィーは制止の声をかけ、困った様に自身の額に手を当てた。
そんなリズィーの様子に何か至らない部分があっただろうかと、アーティは自身の体を見回したのだが、それはすぐに杞憂だと分かる。
「…………天才。これ、私天才じゃない?」
「自画自賛は如何かと思いますが、今回ばかりは否定できませんね」
よろめきながら発した自画自賛のリズィーの問いかけを、真顔で肯定するマウロ。
すると、どれどれっと扉近くに居た男性陣が室内を覗きこみ始めた。
「おおー! 似合ってるじゃん!」
「これは、これは……ご令嬢たちが黙ってませんねぇ」
「アーティもすっかり立派な男子じゃのう」
「あんな感じになれば俺もフェンリー姉さんに……リズィー姉!!」
「作んないわよ」
賑やかな男性陣の様子から察したようで、女性陣が近づいてくる。
「アーティーの準備できたのー?」
「リィル君も見に行きましょう」
「見せて! 見せてー!」
「ストップ!! 駄目よ、あんた達!!」
「えー! なんでよー!?」
「テンション上がって揉みくちゃにするのが目に見えてるからよ!!」
今度は、近づいてくる女性陣に制止をかけて威嚇するリズィー。
そんなリズィーに反論を返す女性陣で、廊下は一気に騒がしくなる。
「こうなると暫く収まりませんね」
「俺はいつ部屋から出れると思う? マウロ」
「もう暫くこのままかと。折角のセットを崩されてしまっては困りますし。旦那様もそろそろ落ち着いて下さい」
「あぁ、ずばない……っ」
鼻をすするバートにハンカチを渡しながら、成り行きを見守るマウロとアーティ。
やいのやいのと廊下に喧騒が響く中、グレースの支度部屋の扉が、静かに開いた。
「わぁ……!」
開いた扉に気付いたリィルが、小さく感嘆の声をあげた。
近づいてくるその姿に、リィルの瞳がキラキラと輝く。
「お待たせしました」
その声を聞き、全員が一斉に声の主へと視線を送る。
美しく着飾った娘を視界に捉えたバートの感涙の嗚咽が響き渡るのは、その数秒後の事だった。




