56 リズィーの視線
「どうも先の約束が長引いてしまっているようでして」
オルストン邸を訪れたアーヴェントは、マウロにバートの不在を伝えられた。
「忙しい中、足を運んでいただいているというのに、お待たせしてしまい申し訳ありません。早めに連絡を差し上げるべきでした」
頭を下げるマウロに、アーヴェントは頭を振る。
「伯爵だって忙しいのに、いつも俺の都合に合わせて貰ってばかりですし、気にしないで下さい」
「お心遣い感謝いたします。お茶をお持ちしますのでどうぞお寛ぎを。この部屋の本は好きに目を通して頂いて構いませんので、暇つぶしにお使いください」
「すみません、有難うございます」
一礼して部屋を出て行くマウロを見送り、アーヴェントは室内を見回した。
オルストン邸に通い始めてから何度か訪れているバートの執務室だが、室内をゆっくりと眺めるのは初めてだ。
(やっぱり似てるな)
壁際に設えられた本棚の本の並びや、整えられた机上に感じる既視感。
アーヴェントの脳裏には、王宮の執事長であるジルの執務室が浮かんでいた。
並んでいる本の種類や調度品も別物だが、どこか似た空気感に「やっぱり師弟なんだな」と、得心がいく。
(領地の歴史、作物の図録と成長記録、グラバー領に関する物が多いのは当たり前か。こっちの棚は、転位症関連の書物と……冊子? )
他の分厚い書物とは明らかに佇まいが違う薄めの冊子が、本棚の一段を占めている。
好きにして良いとは言われても、勝手に手を伸ばして良いものか。暫しの葛藤のあと、アーヴェントは好奇心に負け、その中の一冊を丁寧に引き出した。
「ウィルソンの恋」
表紙にはタイトルの様なものが綴られ、男女のシルエットが描かれている。
掻い摘んでページを開いていくと、話のあらましのような文章や人物の絵が多く描かれていた。
どうやらウィルソンという町で紡がれる、いくつかの恋の物語のようだ。
物語のワンシーンを表したような絵が多く、思わず目を奪われる。
「そういえば、母様も持ってたな。なんていうんだっけ、こういうの」
「パンフレットですね」
「おわあっ!?」
背後から聞こえた返事に驚き、アーヴェントは声をあげた。
「マウロさんっ……!」
「驚かせるつもりはなかったのですが、失礼しました」
背後に佇んでいたマウロに悪気はなさそうだ。
飛び上がった心臓を落ち着けるようにゆっくりと呼吸をして、アーヴェントは口を開いた。
「ちょっと驚きました……。あの、これって」
「過去に公演した奥様の劇のパンフレットです。この棚の一段は全てそうですが、まだほんの一部です」
「一部?」
「別の部屋に保存用、布教用が数冊ずつと奥様が出ていない劇の物も保存してあります。あと、ここにはありませんが、奥様や劇団に関する記事の切り抜き等もございますよ」
「そういえば、母も同じような事をしていた気がします」
「でしょうね。旦那様とアーリベル様は、奥様に対する愛が特に重いお二人でしたから」
マウロは想像がつくと言わんばかりに相槌を打ち、テーブルにお茶を用意し始めた。
(遺品整理である程度片付けたとはいえ、母様が集めたやつも探せばまだどこかに――ん?)
最初に戻って丁寧にページを開き直していると、目に留まったのは劇の出演者の名前が書かれたページだった。
主要な登場人物が順番に連なっているのであろう。最後の方に、花売りの少女という役名でグレースの名前が記載されていた。
アーヴェントは祭りの日にジェイとした会話を思い出し、パラパラっとページを捲る。
その中に、主人公と思われる人物に笑顔で花を手渡す少女のシーンが描かれていた。
「アーヴェント様、お茶のご用意が――」
アーヴェントが眺めているページが目に入り、マウロは一瞬言葉に詰まる。
そんなマウロの様子に、振り返ったアーヴェントは何かしでかしてしまっただろうか、と焦りを浮かべた。
「すみません。俺、何か……」
「あぁ、いえ。アーヴェント様はその劇をご存じの上で、パンフレットをお選びに?」
「いや、たまたま手に取っただけです」
「知らずに手に取るとは、なかなかお目が高い」
質問の意図が分からず困惑するアーヴェントの隣に立ち、マウロはパンフレットを受け取った。
「では、こちらがお嬢だとお気づきで?」
「それは、はい。詳しくは知りませんが以前友人に、劇にオルストン家の令嬢が出ていた事があると話を聞いていたので。最初の方に名前もありましたし、この子かなと」
「そうでしたか。では、ひとつだけ御忠告を。この劇の話は、どうかお嬢にはなさいませんよう」
マウロはそう言うとパンフレットを閉じ、本棚へと戻した。
「……それは、どうしてか聞いても?」
「この劇の出来は素晴らしく、ファンからの評価も高い作品です。けれど、一部の人間からの過度な期待と勝手な批評により、幼いお嬢の心は無遠慮に傷つけられました。なので、差し出がましいお願いではありますが、どうかご配慮を」
胸に手を当てて恭しく頭をさげるマウロと、戻されたパンフレットに視線を向ける。
これは、グレースにとって触れてほしくない過去なのだろう。それにこれ以上近づかせまいとするマウロの意志を感じ、アーヴェントは「分かりました」と、答えた。
「差し出がましいだなんてとんでもない。俺もグレースが傷つくような話はしたくないですから、知れて良かった。教えて頂き有難うございます。マウロさん」
返されたお礼の言葉にマウロは少し驚いたものの、顔には出さずにゆっくりと頭を上げた。
「こちらこそ。おっと、お茶が冷めてしまいますね。どうぞ、こちらに」
「あぁ、すみません」
テーブルへ移動しようとしたアーヴェントの視界に、ふっと窓の外が映る。
こちらに背を向けた長い黒髪には見覚えがあるが、傍らの男性は見知らぬ顔だ。
(あれは、グレース? 一緒にいるのは――っ)
男性の手が、グレースに向かって伸ばされる。
グレースの頭を優しく撫でるその姿に、アーヴェントの思考は停止した。
撫でられるのを拒まないグレースと、その後も談笑を続けている二人。
それなりに仲の良い間柄なのだろう。
「随分と珍しい人がいますね」
いつの間にか隣にいたマウロの言葉で、アーヴェントははっと我に返った。
「訪問の予定は無かった筈ですが」
「あの方は?」
顎に手をあてて考え込むマウロに、アーヴェントは尋ねた。
「あちらは劇団で衣装の仕立てを担当している方で、奥様のご友人です」
「劇団の……」
劇団の関係者ならグレースとも旧知の仲なのだろう。親しげなのも頷ける。
(仲が良さそうだけどどういう関係……いや、そんなの聞いてどうする)
分かってはいても、アーヴェントの頭から先程の光景が離れない。
「興味がおありなら、お会いしてみますか?」
「へ!?」
思いがけない提案に、アーヴェントは驚いた顔でマウロを見る。
普段と変わらない執事然とした表情は、冗談を言っているとも思えない。
「ただ待つよりも良い時間潰しになるかと。さ、行きましょう」
「え、あ、ちょっと!?」
颯爽と部屋のドアを開け、アーヴェントを促しつつ前を歩いていくマウロを無視するわけにもいかず、アーヴェントは急いで後を追いかけた。
***
「お嬢」
厨房へと向かう廊下の途中、聞き慣れた声に呼ばれたグレースは前方に視線を向ける。
マウロとその後ろにいたアーヴェントを視界に捉えるや否や、グレースは思わずリズィーの半歩後ろに隠れていた。
(ア、アーヴェントさん!? どうしよう、どんな顔したら...…はっ、待ってその前に私、泥だらけ……!)
恋心を自覚した途端、畑仕事の作業着のままの自分を見られることが無性に恥ずかしい。
汚れた格好を見られまいと姿を隠したグレースの行動にマウロとアーヴェントは「?」を浮かべていた。
「あらー! マウロじゃない!」
しかし、リズィーだけはグレースの行動の意味を理解したようで、グレースに視線を集めないように瞬時に声をあげ、再会を喜ぶように両の腕を広げて自身に注目を集めた。
「相変わらず渋くて良い男ね」
にっこりと笑うリズィーに、マウロは軽く頭を下げる。
「お久しぶりです。リズィーさん。今日は奥様と何かお約束が?」
「今日は、グレースに会いに来たの。それよりも良い所で会ったわ。グレースの服、用意してくれる? 今すぐ」
マウロが客人を連れていることを、リズィーが気が付いていないわけがない。
それにも構わず、強引な我儘を押し通そうとするリズィーに違和感を感じ、マウロはじっと目を細めた。
「リズィーさん、着替えなら私一人でも……」
「私は、マウロがコーディネートしたグレースとお茶がしたいの!」
おずおずと声をあげるグレースの言葉を遮るように、リズィーは声を張り上げる。
そんな二人の様子を観察しながらマウロは「成程」と、呟いた。
グレースの汚れた作業着に気付き、リズィーの意図を理解したのだろう。
マウロは、アーヴェントの方へ向き直った。
「すみませんがヴェントさん、一旦執務室に戻っても構いませんでしょうか?」
「えぇ、構いませんが……」
「あら、じゃあ私が代わりにご案内するわ。行ったり来たり、時間の無駄でしょ」
「!?」
突然のリズィーの申し出に、動揺するアーヴェント。
それに気付いているのかいないのか、マウロはすんなりと了承した。
「そうですか。では、旦那様の執務室へお願いします。行きましょう、お嬢」
「え、えっ……!?」
「よろしくねー」
困惑するグレースを連れて立ち去るマウロの後ろ姿を、リズィーは手を振って見送った。
アーヴェントは一先ず状況を理解しようと、眼の前のリズィーに視線を向ける。
(なんでこんなことに……。スーツは男物だけどヒールは女性物だし、話し方も女性っぽいけど、男の人でいいんだよな?)
遠目では気付かなかった女性物のヒールにアーヴェントが気を取られていると、リズィーが振り向いた。高い上背と喉仏、リズィーの身体は間違いなく男性だ。
「さて、ヴェントさんだったかしら。初めまして、私はリズィー。どうぞ宜しく」
「こちらこそ初めまして、リズィーさん」
リズィーを多少見上げる形になりながら、アーヴェントは挨拶を返す。
「えっと、手間をかけさせるのも申し訳ありませんし、執務室へは自分一人でも――」
「…………」
「あ、あの……?」
モノクルの奥の瞳を細めて、アーヴェントを凝視したままリズィーは動かない。
かと思いきや、視線はそのままにゆっくりとアーヴェントの周りを歩き始めた。
上から下まで感じる視線に、もしや正体がばれたのかとアーヴェントに緊張が走る。しかし、初対面の人間相手に見破られるような簡単な魔法ではない。
身動きがとれずに困惑していると、リズィーはようやっと立ち止まった。
「悪くないわね」
「……へ?」
「サイズもぴったりだし、お抱えの仕立て屋がいるの? 流行の型ではないけれど、品と落ち着きがある。そのベストも貴方くらいの年齢ならもう少し派手な色合いでも良さそうなものだけれど、そこは伯爵家への訪問に合わせたのかしら。藍色の髪ともよく似合ってるわ」
どうやら見られていたのは服装だったようで、アーヴェントは虚をつかれた。
「えっと、服は執事が用意してくれたものでして……」
「そう。良い目と感性を持った執事さんね」
「有難うございます……」
思いがけずサイラスの事を褒められ、アーヴェントは困惑しながらも礼を返した。
いつもなら街に溶け込むために「庶民のヴェント」に扮するのだが、伯爵家を出入りするのに庶民の姿では流石に不味い。
「扉を使って訪問するにしても、邸の外の人間に見られないとは限らないです。ので、ちゃんと貴族に扮して頂きます!」
と、張り切ったサイラスが用意してくれたのだ。
「そうそう、執務室に行くのよね。行きましょ」
一人で戻れると言ったアーヴェントの言葉は聞こえていなかったらしい。
再度伝える事を諦め、アーヴェントは歩き始めた。
「不躾に眺めちゃってごめんなさいね。職業柄、気になるとつい見ちゃうのよ」
「大丈夫です。マウロさんに聞いたんですが、ライラさんの劇団で衣装を作っていらっしゃるんですよね?」
「そうよー。あなたは何でここにいるの?」
「縁あって伯爵の元で色々勉強させて頂いているんです」
詳しい事は言えないが、嘘は言っていない。
バートから色々と学ぶ事が多いのも事実だ。
しかし、アーヴェントの答えはリズィーの求めていたものでは無かったようで「そうじゃなくて」と、返された。
「?」
リズィーの言葉にアーヴェントは首を傾げる。
「私に用があったんじゃないの?」
「!」
驚くアーヴェントにリズィーは、にっと口角を上げた。
「当たりかしら?」
「……どうして、そう思われたんですか?」
「マウロが、一旦執務室に戻って、て言ってたから。何か用があって執務室から出てきたんでしょ? お客さんを案内してる途中で、マウロがグレースに声を掛けたのはそういう事かなって」
「なるほど。でも、どうして初対面のリズィーさんに用だと?」
「グレースに用なら、マウロがさっさと用件を言うでしょ。それに、すんなりと私に貴方の案内を任せたしね。あとは、執務室からグレースの畑が見えるから」
ぎくりと反応を示すアーヴェントに、リズィーは目を細める。
「大方、私とグレースが仲良さげなのが見えて、気になって出て来たってところでしょう? 安心して頂戴、私にとっては可愛い娘みたいなもんだから」
「そうですか……」
咄嗟に誤魔化すことができなかったのは、リズィーの言葉に安堵を覚えてしまったからだった。
見事に言い当てられたアーヴェントは気まずさを感じ、リズィーから視線を逸らす。
その表情を見たリズィーは、笑みを崩さないままアーヴェントの肩に手を置いた。
「でも、そう簡単にグレースを渡す気はないけどね?」
アーヴェントの肩に、徐々に加わる力と笑顔の圧。
一気に高まる緊張にアーヴェントが身を固くすると、リズィーはぱっと手を離した。
「嘘、冗談よ!じょーだん!」
「…………は、ははっ」
(目が笑ってなかった……)
本気交じりのリズィーの視線に恐怖を感じながら、アーヴェントは乾いた笑いを返す事しか出来なかった。
「そういえば王宮の舞踏会、貴方も出るの?」
「…………一応」
「一応って何よ」
「あまり気が乗らないもので」
出ないわけにはいかないとはいえ、本心ではどうにか参加せずに済む方法を探している。
せめて誰とも踊らずに済む方法はないものかと、アーヴェントは常々考えていた。
「グレースも出るのに?」
「え!?」
アーヴェントは思わず声をあげた。
「知らなかったの?」
「初耳です」
「グレースのドレス姿が見れるなんて貴重よー。どう? ちょっとは気分が上がるでしょ」
「あ、えっと……」
「……何? 興味が無いっての?」
「ちがっ…!! ある! あります!!」
リズィーの低くなった声音に、アーヴェントは即座に否定する。
「じゃあ、何よ。その反応は。あんた、グレースに興味があるんじゃないの?」
「それは……俺には、そう思う資格がないというか」
「……まさか、婚約者がいるとか言わないわよね?」
「いません。立派な独り身です」
訝しむリズィーにアーヴェントは背筋を伸ばす。
アーヴェントの脳裏に浮かぶのは前世の記憶。
前世での恋人の存在に、アーヴェントはグレースに対する想いを踏み出せずにいた。
煮え切らない反応にリズィーは眉をしかめていたが、アーヴェントの悩むような表情に肩を竦めた。
「よく分からないけれど貴族の家って難しそうだし、貴方にも色々あるんでしょう。けど、恋愛なんて資格のあるなしでするもんじゃないわ。それに」
うんうんと頷きながら、リズィーはアーヴェントの背を軽く叩く。
かと思うと、アーヴェントの前に回り込み、自身の胸を右手の人差し指で指さした。
「心が好きだと思ったら、もう無理よ」
視線を合わせるように多少屈んだリズィーのモノクルの奥の瞳が、アーヴェントの瞳を真っ直ぐに捉えた。まるで全てを見抜かれてしまいそうな瞳に、アーヴェントは息をのむ。
「なーんてね。はい、到着」
いつのまにか執務室の前まで来ていたようで、リズィーは扉の方へ手を向けた。
「そういえば、舞踏会の服はもう用意してあるの?」
「いえ。色々と忙しくてそれどころでは……」
アーヴェントは、仕立屋との打ち合わせの日取りをサイラスに相談されていたことを思い出す。
忙しさに追われて生返事で返したような気がするが、記憶が定かではない。
「乗り気じゃないとはいえ、自分が着るんだから興味持ちなさいな。んー、あなたならそうね」
「?」
「あれと、あれと、んー、あの辺もいけそうね」
リズィーは胸ポケットから小さなメモ帳と鉛筆を取り出して、何かを綴り始める。
書き終えると一枚破りとり、アーヴェントに差出した。
「これは?」
「あなたに似合いそうな、赤色も映える色と生地。私ならここから選ぶってだけだから、要らなかったら捨てて」
「え、あの」
「それじゃあ私はこれで。縁があったらまた会いましょ」
リズィーはウィンクをひとつして軽く手を振りながら、来た廊下を戻って行った。
「赤色も映えるって……まさかな」
アーヴェントは自身の元の髪色を思い出しながら、藍色に染まった髪を見つめ、小さく呟いた。
夏頃から体調を崩し、すっかり更新が滞っておりました……。
少しずつ再開していきますので、宜しくお願いします。




