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前世の私は幸せでした  作者: 米粉
2章
56/68

55 恋の自覚

 



 青く広がる空の下、グレースは額に浮かぶ汗を拭う。

 土に塗れた手袋を両の手から外すと、ぐるりっと周囲を見回した。


「よし、今日はここまでね」


 自身の世話する大切な畑を愛おしそうに眺めながら、一息つく。

 前世のグレースである善子は、自宅の庭で小さな家庭菜園をしていた。そこで採れた野菜を美味しく食べる。それが、一人で暮らしていた善子のささやかな幸せだった。

 退院し、会話の中でライラにその話をしたところ「やりたければ庭の一画を使っても良い」と、許可が出たのだ。

 それ以来、種や苗を集め、土を耕し、あっという間に立派な家庭菜園を作り上げた。


(前世の記憶を参考に育ててるけど、育ちも早いし、実りも立派。やっぱり、うちの領地は作物を育てるのに恵まれているのね)


 特産品であるグラバーアップルだけでなく、領内で摂れた作物は出来が良いものが多い。

 土に含まれる栄養価、水質、気候、全てが作物づくりに適した土地なのだが、他領よりも小さな領である為に大量生産ができず、その為、グラバー領の作物は評価、価値共に高いのだ。


「暫く来れなくて、ごめんなさいね」


 目の前の野菜達に、グレースは優しく語りかける。

 最近は舞踏会の準備で忙しく、マウロとメイリーに任せきりで手ずから世話をする時間も取れなかったのだが、今日は少しだけ時間に余裕が出来た。


「お芋の煮っ転がしも良いけど、肉じゃがも捨てがたいわねぇ。シンプルに野菜炒めも捨てがたいし」


 収穫間近の野菜達を眺めながら、グレースは頬を綻ばせる。


「そうだ! 上手にできたらヴェントさんにもおすそ分け……は、流石に迷惑かしら」


 病院での祭り以来、アーヴェントはオルストン邸を度々訪れるようになっていた。

 多忙な身の上であり、王宮側に気付かれるわけにはいかないので、滞在時間は一時間にも満たない事が多い。それでも、今まで共に過ごせなかった時間を埋めるように、アーヴェントはリヴェルとの時間を過ごしていた。

 他にも、誕生祭についての話しをバートと交わしたりと、邸を訪れている間もアーヴェントはどこか忙しそうで、グレースは気軽に話しかける事に躊躇いを覚えていた。


「……遊びに来ているんじゃないもの、仕方ないわよね」


 どこか寂しいと、思う事はあってはならない。

 小さな胸のもや付きを吐き出すように、グレースは溜息をついた。


「あーら、何が仕方ないのかしら?」


 不意に投げかけられた声に、グレースはすぐさま後ろを振り向く。

 そこには、黒褐色のショートヘアーにモノクル、細身のスーツに身を包んだリズィーが佇んでいた。


「リズィーさ――」

「やーん! 会いたかったわ、グレース!!」


 名前も言い切らない内に、リズィーは勢いよくグレースに抱き付いた。


「わわっ! リズィーさん、服に泥が……!」

「構うもんですか! ずっと会いたかったのよ、こんなに立派なレディーになって……!」


 リズィーはグレースの頭を抱えるように抱きしめ、撫でまわす。

 幼い頃から変わらない愛情表現に、グレースは照れながらも懐かしさを覚えた。


「話には聞いていたけれど、本当に綺麗な黒髪。以前の貴女とはまた違った良さがあっていいわね。最高!!」

「ふふっ、有難うございます」


 力強く頷くリズィーに、グレースは笑みを浮かべながら感謝を述べる。


「リズィーさんが家に来るなんて、何年ぶりかしら。今日はお母様に何か用事で?」

「違う、違う。ライラとは最近よく会ってる。というか、押しかけられてるもの。今日はね、グレースに会いに来たの。いやー、久々に乗ったわ。馬車」


 ライラが最近、バートに扉を繋げて貰い、リズィーの元を訪れているのは知っていた。

 今ここにリズィーが居るのも、扉を繋げてライラに会いに来ているものだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。


「てっきり扉を繋げてきたのかと……。連絡くれればお父様に頼んでおきましたのに」

「夜中にね、グレースに会いたい!て、思い立っちゃったの。深夜に連絡飛ばすのも申し訳ないし、馬車に揺られるのも嫌いじゃないしね」

 

 流石にちょっと身体が痛いけど、と付け加え、リズィーは大きく伸びをした。


「というわけで、連絡無しで来ちゃったんだけど今日は皆忙しい感じ? さっきメイリーが出迎えてくれたけど、来客があって忙しそうだったから、グレースの居場所聞いて一人でこっち来ちゃった」

「すみません、ついさっきお客様がいらっしゃって」

「いいのよ。急に来た私が悪いしね。メイリーにも私よりそっち優先してって言ったし、気にしないで」


 リズィーが来る数分前、アーヴェントが来たとメイリーが知らせに来た。

 確か今日は、バートと話しをする為の来訪だが、滞在時間は限られているのだろう。

 無理にグレースが顔をだして、貴重な時間を奪う訳にはいかない。それに、泥だらけの姿で会いに行くのも失礼だ。

 時間が合えば後で挨拶に行くとメイリーに伝えると、グレースの考えを察したのか「分かりました! いい感じに伝えておきますね!」と、笑顔で親指を立て、走り去っていった。


「この畑は? グレースが世話してるの?」

「えぇ。今日は少し時間が出来たので、久しぶりに様子を見ていたんです。最近は、マウロとメイリーに任せてばかりだったので」

「あら、お邪魔しちゃったかしら?」

「丁度ひと段落着いた所だったので。良ければ、中でお茶でもいかがです? 私が淹れるもので良ければですけど」

「グレースが淹れたお茶が飲めるなんて、帰ったら皆に自慢して回るわ」


 リズィーの言う皆とは、劇団の仲間たちの事だ。

 幼い頃からライラについて劇団に出入りしていた為に、他の団員達にもグレースは可愛がられている。


「皆さん、お元気ですか?」

「元気も元気、元気すぎて嫌んなるくらい元気! どいつもこいつも、グレースの落ち着きを見習ってほしいくらいだけれど、今日は逆かしら?」

「逆?」


 言葉の意味が分からず、グレースは首を傾げる。


「グレースの方が、元気を分けて貰った方が良いかなって。なんだか落ち込んでるでしょ?」

「! そういうわけでは……」

「誤魔化されないわよー? 私の勘は当たるんだから」


 グレースが逸らした視線の先に回り込むようにして、リズィーは顔を覗かせる。


「転移症に罹って益々大人びたと思ったけど、自分の悩みを飲み込むところ、小さい頃から変わらないわね。昔みたいに、リズィーお姉ちゃんに話してみなさいな」

「……っ」


 幼いグレースが呼んでいた呼び名を、リズィーはわざと口にして、優しく微笑んだ。

 昔から、家族にも言えない心の内をリズィーは隣で聞いてくれていた。初めての舞台で大人の批評に晒された時も、ライラに泣きつくことが出来なかったグレースの胸の内を聞いてくれたのもリズィーだった。


「……最近、仲良くなった方がいるんです。その方はとても多忙な方で、お父様に用事があって屋敷に時折いらっしゃるんですが、顔をあわせて会話する時間もとれなくて」

「それが寂しい?」

「寂しいだなんて……」

「寂しさを認めたくないの?」


 まるで見透かしているかのように、リズィーはグレースの心の内を言い当てていく。

 どうして分かるのか、と視線を向けるグレースに、リズィーは「当たりね」と笑った。


「認めたくないだなんて、それはもう認めているも同然なのよ。そんな顔して、隠そうとしたって無理だわ、グレース」

「……そんなに、顔にでてますか?」

「でてるわね」


 両手を頬にあて、グレースは困惑の表情を浮かべる。


「いっそ、こっちから会いに行くのはどう? こっちから出向くのなら、多少の時間は取ってくれるんじゃない?」

「それは無理だと思います。我が家に来るのも、多忙な時間の合間をぬって数十分の時もありますし」

「何しに来てるのそれ?」


 数十分の来訪で何が出来るのか、リズィーの言いたい事は分かるがアーヴェントの事を下手に話す事はできない。

 ちなみにその数十分で、アーヴェントはリヴェルに会い、お茶を一杯だけ飲んで帰って行った。


(あの時は王宮での会議が押して、でも約束してたからって言ってたっけ)


 息を切らしながら現れ、リヴェルと少しの時間を過ごし、お茶を一気に飲み干して帰っていったアーヴェント。あまりの慌ただしい後姿に見送りの後、リヴェルと呆気に取られたように顔を見合わせ、思わず笑いあったほどだ。

 あの時の事を思い出し、グレースは笑みを浮かべた。


「すっかり恋する乙女ね」

「こ!? こ、恋だなんて、そんなっ……! ヴェントさんは大切な――」


 客人、知り合い、友達、リヴェルの兄。

 そのどれもが当てはまる。けれど、今自分が抱く感情に近いものが思い浮かばず、グレースは言葉を詰まらせた。


「会えない事を寂しいと思ったり、思い出して笑顔になったり。他にも思い当たる事があるんじゃない?」


 グレースの脳裏に、アーヴェントと過ごした時間が浮かぶ。


 初めて病院で会った時、一心不乱に食事をする姿がお腹を空かせた子供のようで愛らしかった。

 膝をついて頭を下げられた時は困惑したし、見舞いに貰った赤い花束はドライフラワーにして今でも部屋に飾ってある。

 正体を知って、軽々しく接してはいけない立場の人だと、距離を保たなければと自身を律しても、お祭りで差し出された手を拒めなかった。


 手が離れるのを寂しいと思う気持ちに蓋をしてまで、気付かないようにした心の存在――


(あぁ、私――)


 リズィーは、俯いたまま無言のグレースを伺う様に覗き込み、苦笑する。


「その表情(かお)は、貴女のお父様には到底見せられないわね」


 頬を紅潮させ、恋を自覚した娘の表情など、見た瞬間にバートは卒倒してしまうだろう。

 もしかしたら、姉大好きなアーティも複雑な表情を浮かべるかもしれない。


(ライラは絶対気付いてるんでしょうけど。まったく、面白い家族だわ)


 顔を上げられずにいるグレースの頭を、リズィーは優しく撫でる。


(一体、どんな奴なのかしら。場合によっては、うちの劇団員達も敵にまわす事になるんだけど。それとなーく、グレースから聞き出さないと。しかし、まぁ、恋ねぇ)


「……羨ましっ」


 撫でる手はそのままに、リズィーは空を見上げてグレースには聞こえないように小さな声で呟いた。




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