52 ソレアとフェルダー
「ブラム先生」
名を呼ばれ、ブラムは後ろを振り返る。
そこに居たのは、先程ブラムと共に居た車椅子の老婆と男性だった。
(近くで見ると思いのほか若い……、お孫さんかしら)
遠目で見た時には気が付かなかったが、顔付きから車椅子を押す男性は十代後半から二十代前半くらいだろうか。群青の髪と瞳、落ち着いた雰囲気は随分と彼を大人びて見せている。
「お話し中に申し訳ありません。師もそろそろ限界のようなので、ここで失礼させて頂きます」
礼儀正しく一礼する青年。
師と呼ばれた老婆は、今にも眠ってしまいそうだ。
「慌ただしくてすみません。例の話、考えてみて下さいね」
「お心遣い、感謝します。では――」
青年が車椅子を動かそうとすると、老婆の脚にかけられていたひざ掛けが、グレースの脚元にすべり落ちた。
老婆は落ちた事に気付いていないようで、俯き、眠たげな眼でもごもごと口を動かしている。
グレースはそれを拾うと、老婆と視線を合わせるように車椅子の前にしゃがみ込んだ。
「これ、落としましたよ。ちょっと失礼しますね」
軽く埃を払ってひざ掛けをかけ直すと、老婆の手を取りひざ掛けの上に乗せる。
俯いていた老婆はグレースを視界に捉えるように、少しだけ頭を上げた。
「今日は少し肌寒いですし、落とさないように気を付けてくださいね」
「あぁ、御親切にどうも。娘さんは元気かい? 随分、大きくなっただろうねぇ」
柔らかな笑みを向ける老婆。
覚えのない老婆の問いに、グレースは一瞬戸惑う。
「えっと、ごめんなさい。どなたかと勘違いを……」
「名前は何と言ったかね。アーリベル様と同じくらいの歳だったのは、覚えているんだけど」
「師匠、この方とは初対面です。師匠の思っている人ではありません」
少年は老婆の勘違いを正そうとするも、老婆は「いいや」と、首を横に振った。
「何言ってんだい。この人はリリーじゃないか。そうだろう? リリー」
「おい。違うぞ、ソレア婆さん。こいつの名前はグレースだ」
「いいや、違う。リリーだよ」
グレースにとっては聞き覚えの無い名前だが、きっと老婆の知り合いなのだろう。
フィグが訂正するも、老婆は眉を吊り上げて、頑として聞き入れない。
(この方もしかしたら……。そうだとしたら、確かテレビで否定しては駄目って言ってたわね)
グレースは、前世で見たテレビの記憶を思い出す。
青年の少し困ったような表情と老婆の言動に、グレースの頭にはある症名が浮かんでいた。
それは前世では珍しくはない、年老いた老人なら誰でも発症する可能性があるものだ。
「だーかーら、こいつは……!」
「フィグ、良いのよ。お婆ちゃん、娘は元気ですよ。また今度、機会があれば顔を見せに行きますね」
グレースはフィグに待ったをかけて、老婆に話を合わせるように語りかけた。
「そうかい。それは楽しみだ」
「今日はもうお疲れでしょう? お家に帰ってゆっくり休んでくださいね」
「あぁ、そうさせて貰うよ。ありがとね」
険しい表情が一転して和らいだ老婆に、少年は驚いたようにグレースを見た。
少年の視線に気づき、グレースは立ち上がる。
「すみません、師がご迷惑を……」
その言葉にグレースは口の前で一指し指を立て、首を横に振った。
「私のことはどうかお気になさらず。久しぶりにお婆ちゃんとお会いできて、楽しかったです。お二人とも、お体大事にしてくださいね」
知り合いのフリを続けるグレースの言葉に、青年は困った様にブラムを見る。
本当に良いのだろうかと言いたげな視線に、ブラムは頷き返した。
「大丈夫。何かまた困ったことがあったら、いつでも連絡してください」
「……すみません。それでは、失礼します」
「お気をつけて」
一礼し、車椅子を押しながら去っていく青年。
その背に手を振るグレースの横で、フィグは腕を組み呟いた。
「ソレア婆さん、また呆けが酷くなってないか?」
「今日は調子が良い方ですよ。酷い時は会話がままならない時もあると、フェルダーが言っていましたから」
フィグの問いに答えると、ブラムはグレースへと視線を移した。
「急な事で困惑したでしょう? うまく話を合わせてくれて助かりました」
「私なら大丈夫です。あの方は、先生の患者さんなんですか?」
「はい。ソレアさんというんですが彼女は認知症でして、近くに診れる病院が無い事もあって、うちで診てるんです。時々、彼女の弟子のフェルダーが此処に連れてくるんですよ」
認知症という言葉に、グレースは内心で「やっぱり」と呟いた。
グレースの前世である善子にとって、それは恐怖の対象だった。
もしも、自分がなってしまったらどうしようか。
歳を取るにつれて、友人や知人が認知症を発症していく。
忘れられ、会話が通じず、変わってしまった友人に会う度、寂しさと不安に駆られていた。
「お弟子さんってさっきの方ですよね。 私とあまり変わらない年齢に見えましたけど、もしかしてお一人でソレアさんの面倒を?」
「えぇ。ソレアさんの身内は、養子で弟子であるフェルダーだけなんです。フェルダーには仕事もありますし、ソレアさんの症状がこれ以上酷くなる前に施設へ預けたらどうかと提案はしているんですが……」
「ソレア婆さんに拾って貰った恩があるから嫌だとよ」
ブラムの言葉を引き継いで、フィグが呆れ気味に答える。
「一人で看るには限界があるだろ。て、いくら言っても聞く耳持たない頑固者なんだよ、あいつ」
「フェルダーの気持ちも分かりますし、強制的に引き離す事も出来ませんから。難しい所です」
前世の世界ほど、認知症患者と家族に対するケアや施設がこの世界では充実していない。
そもそもブラムは、転移症が専門の医師だ。それでも、ソレアとフェルダーに医師として寄り添おうとしているのだろう。
困ったように笑うと、ブラムは「ところで」とフィグを見た。
「さっきの風は本当に虫ですか?」
フィグの言い訳にやはり違和感を感じていたようで、ブラムはフィグを問い詰める。
誤魔化すかと思いきや、フィグは焦る素振りも見せず、あっさりと事実を話し始めた。
「あー、違う違う。アーヴェントだよ。さっきまで一緒に居たけど、婆さん達と顔合わせたらまずいからってな。アーヴェントの匂いがフェルダーにバレないように、風で匂いを飛ばしたんだ」
「あぁ、なるほど。そういうことでしたか」
ブラムもフィグの言葉をすんなりと受け入れて、誤魔化していた事を責める様子もない。
「ヴェントさん、あのお二方と何かあったんですか?」
グレースの問いに、ブラムは首を横に降った。
「そういうわけではありませんよ。ソレアさんとフェルダーは王宮勤めなんです。だから、変装姿がバレたらまずいというだけで、大した理由では無いんですよ」
心配そうに尋ねるグレースに、ブラムは苦笑する。
「ソレアさんはもう引退していますが、フェルダーは現在も王宮に勤めていて、二人とも優秀な魔法使いなんです」
「王宮魔法使いのソレア・リンダーソンって言ったら、魔法に詳しい奴なら知らない奴は居ないってくらい凄腕の魔法使いだったんだぞ」
得意気なフィグは直ぐに「今じゃ見る影もないけど……」と、寂しげに付け足した。
(ブラム先生が優秀って言うぐらいだし、王宮で仕えるほどの腕前なら本当に凄い魔法使いなのね)
どこにでもいる柔和な老婆に感じていたが、フィグとブラムの口振りから察するに、普通の枠には嵌らない存在なのだろう。
「ま、婆さんは兎も角、フェルダーは真面目な奴だから、ここでアーヴェントを見つけたら確実に王宮に報告するだろうな」
「そんなに簡単に見破れる変装だとは思わなかったけど……」
現にグレースは、アーヴェントの変装を見破ることは出来なかった。
王宮の人間ならば気付けるのだろうかと疑問が浮かぶ。
「言ったろ? あいつは鼻が良いって」
「そんな、いくら鼻が良いと言っても犬や猫じゃないんだから」
「犬だぞ?」
「へ?」
思わぬ答えに、グレースの口から間の抜けた声がこぼれた。
「前世が犬なんだよ。フェルダーは」
「わんちゃん……?」
「そ。わんちゃん」
驚き、おうむ返しのように問うグレースにフィグは頷く。
その様子にブラムは、くすりっと笑った。
「フィグもそうですが、フェルダーも特例の転移症者なんです。人以外の記憶を持つ転移症者は珍しいですからね」
ブラムの説明にグレースは困惑しつつも「そういうこともあるのか」と納得し、はたと気付いてフィグを見た。
(フィグだって前世は猫又だったわけだし、そういう事もあるのね。いや、猫又なんて前世でも見たことはないんだけれど……あれ? そう考えるとフィグってとても珍しい……?)
前世の日本では架空と言われる存在も、魔法が使えるこちらの世界でならありえない事ではないのだろうと、漠然と受け入れていた。
それ以前にグレースは、他人の前世を深く追及するような真似はあまり行儀が良いものではないと、深く聞くのを避けていたのだ。
フィグという存在の稀有さを改めて感じていると、その視線に気付いたフィグが、グレースをみて小首を傾げた。
「ん? 何?」
「フィグってとても貴重な存在だったんだと思って。猫又なんて前世では物語の中のものだと思っていたし、しかも、猫に転生して転移症で神子で……」
指折り数え、しみじみと実感しているグレースにフィグは目を見開いて、瞬きを繰り返す。
そして、「ぶふっ!」と勢いよく吹き出した。
「ははっ! 今更すぎるぞ、グレース!」
「だ、だって、深く考えたことなかったから……!」
豪快に笑うフィグに、頬を赤らめるグレース。
腹を抱えてひとしきり笑うと、フィグは息を整えて「はー、おもしろ」と、呟いた。
「なんか笑ったら腹減ったな。よし、グレース。ウェスタのとこに行って、何か食いもん貰ってこようぜ」
「フィグ。あなたさっきお昼食べたでしょう?」
「あれは昼。これはおやつだ」
冷めた目でみるブラムに、フィグは胸を張って答える。
一歩も退かないであろうフィグに、今度はグレースが吹き出した。
「ふふっ、私は良いけれど屋台は大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。じゃ、ちょっと行ってくる」
「オルストン嬢に迷惑かけないよう、気を付けてくださいねー!……て、聞いちゃいないな、あれは」
グレースの手を引いて、ウェスタが屋台を出している方向へ、フィグは足取り軽く歩いていった。
果たして忠告は届いているのか、浮かれた後姿にブラムは苦笑して、今度は反対方向を見る。
「あちらも、何事もなければ良いですが……」
心配そうに呟いたブラムが見つめていた先は、フェルダーとソレアが立ち去っていった方向だった。




