50 手を繋いで
賑やかな喧騒の中、ボイドとジェイと別れたグレースとアーヴェントは、ブラムのいる屋台を目指していた。
「そういえば、今朝先触れを飛ばしたんだが届いたか?」
「先触れですか?」
アーヴェントの問いを受けて、グレースは首を傾げる。
先触れが届けば、マウロかメイリーが知らせてくれる筈だがそんな報告は受けていない。
(何も無かったと思うけど、それ以前に今朝は……あっ)
今朝のオルストン家は、それどころじゃなかったという事を思い出す。
きっと先触れは届いていたのだろうが、届いた事に気付かなかったのだろう。
「明後日、オルストン邸に伺おうと思って、その知らせだったんだが……その様子だと見てなさそうだな」
「すみません! 今朝は、その、ちょっとひと騒動ありまして……」
「いや、別に怒ってるわけじゃないからな。何かあったのか?」
言葉を濁すグレースの視線に、アーヴェントは違和感を覚えた。
どこか申し訳なさそうな気遣う視線。
その視線は過去に幾度か向けられたことがある。
「もしかして、リィルが頑張りすぎて熱でも出したか?」
「! どうして……」
今日は元々、リィルことリヴェルも含め、皆でこの祭りに来る予定だった。
「ホーウェンさんの快気祝いも含めて賑やかに行う予定なので、皆さんで是非」と、ブラムに招待を受けたのだ。
しかし、ダンスの練習をするグレース達の元に、慌ただしくやってきたメイリーが告げたのは、リヴェルが熱を出し倒れたということ。
どうやら寝る間も惜しんで隠れて勉強をしていたらしく、無理が祟ったようだった。
リヴェルを置いていくのも忍びないが、折角の誘いに家族全員で参加しないのも失礼だとバートに言われ、グレースと劇団を紹介したライラが顔を出す事になったのだ。
「当たりか」
驚くグレースの表情は正解を物語っている。
アーヴェントは「昔からそうだったからな」と、事もなげに呟いた。
「小さい頃、明日は一緒に遊ぼうとか、お茶をしようとか約束しても、当日になると体調が悪くて無理だなんて事よくあったよ。誰が悪いわけじゃない。仕方のない事だから、大人達も申し訳なさそうに俺に伝えてきてな。だから、今のグレースの答えで、なんとなくな」
体調の悪いリヴェルに無理をさせるわけにはいかない。
それを理由に我慢を強いられることは、よくある事だった。
そのことを申し訳なさそうに伝えてくる侍女たちの優しさは有難くもあり、逆に気遣わせてしまう事への罪悪感もあり「大丈夫」と、笑って返すのがいつしかアーヴェントにとって当たり前となっていた。
「ごめんなさい……。お医者さまには、一日しっかり休めば良くなると診断頂いたんです。楽しいお祭りの場で、心配をかけてしまうのもどうかと思っていたら言い出すタイミングを逃してしまって」
「もしかして、誕生祭にむけて気合入れすぎて、寝るのも惜しんで勉強してたとか、そういう感じか?」
「……当たりです」
「やっぱりか。あいつ、根が真面目だからなぁ。今度、息抜きの仕方を教えないと駄目だな」
立ち止まるグレースに合わせて、アーヴェントも歩みを止める。
アーヴェントは気にしていないようだが、リヴェルの不調に気付けなかったのは事実だ。
「本当にごめんなさい。預かっている身でありながら、体調が悪いのに気付いてあげられなくて――」
「待った」
再度頭を下げようとするグレースの前に、アーヴェントの掌がかざされる。
「謝る必要なんて無い。オルストン邸の人達には、本当に感謝してるんだ。申し訳ないと思うなら、祭りの土産話をリィルに聞かせてやってくれ。その方が、俺もリィルも嬉しい」
そう言って向けられたアーヴェントの笑みに、グレースは謝りたい気持ちを呑みこみ、頷いた。
「よし。じゃあ、行くか――……っと!」
「おっと、あぶねぇっ!」
一歩踏み出しかけた所で、前方から子供に手を引かれ、小走りでやってきた男性とアーヴェントはぶつかりそうになった。寸でのところで避けたため、男性は止まらずそのまま通り過ぎていく。
「父ちゃん、早く!」
「わりぃな、兄ちゃん! おいこら、引っ張るなって!」
「あぁ、いやっ。お気を付けて!」
バタバタと駆けていく親子を見送って、アーヴェントは周囲を見回した。
昼時という事もあり、食べ物の屋台の周りには人が集まり始めている。
「グレース」
「はい」
「嫌じゃなければ、手、貸してくれないか」
そう言って差し出された、左の掌。
「人も増えて来たし、はぐれると大変だからな」
はぐれないように。
それはつまり、手を繋いで行こうという誘いだ。
(手……? ヴェントさんと…………手を!?)
一拍置いて、グレースは言葉の意味を理解する。
きっとそれ以上の他意は無いと思いつつも、手を繋ぐという行為にグレースの心臓が大きく跳ねた。
(変装しているとはいえ相手は王太子殿下、気軽に手を繋ぐなんて言語道断では……!? いや、でも、善意で申し出てくれているわけだし)
「あ、嫌だったら、服の端を掴むとかでもいいんだが……」
「嫌じゃないです!」
返事を返しあぐねているグレースに、嫌がられていると思ったのか、手を引っ込めようとするアーヴェント。それを止めようと、グレースは思わず声を上げていた。
驚いた様に瞬きを数度繰り返すと、アーヴェントは笑いながら再び手を差し出した。
「じゃあ、はい」
「し、失礼します」
恐る恐る差し出された手を取ると、優しく握り返される。
「じゃ、行こう。見たい屋台があったら遠慮なく言ってくれていいからな」
「はい、有難うございます」
自分よりも大きな手の温もりに、心地よさと緊張による居た堪れなさを感じ、グレースは心の中で「平常心、平常心……」と呟きながら、表情を引き締めた。
少しでも気を紛らわそうと、グレースは改めて周囲を見渡す。
所狭しと並ぶ屋台と、楽しそうな人々。
入院中はいつものように足を運んでいた中庭がまるで別世界のようだ。
(あれは飴細工かしら、こっちからは魚の串焼きの良い匂い……。あ、雑貨屋さんも出店してるのね。やっぱり日本のお祭りとは出てる物が違うわ)
お祭りについて考えた時、グレースの中に浮かぶイメージは前世の日本の記憶が強い。
たこ焼き、わたあめ、りんご飴、射的、くじ引き、金魚すくい。
毎年、隣の家の子供達とともに近所の神社で催される祭りに行き、端から端まで順繰りに廻ったものだった。
(グラバー領でも収穫祭はあるけど、皆で収穫した作物を料理して食べるぐらいだし、こういう風に屋台が沢山並ぶお祭りは無いのよね。今度お父様にやれないか相談してみましょう。大人も子供もきっと楽しめるし、アーティとリヴェル君にもこの雰囲気を感じて貰いたいしね)
「……ふっ」
思案するグレースの耳に聞こえてきたのは、息が漏れるような笑い声。
出所を見上げると、笑いを耐えるように口元を抑えこちらを見つめているアーヴェントと目が合った。
「ははっ、悪い。あっちこっち見てるなと思ったら、急に真顔で何か考え始めたもんだから。忙しいな?」
まさか見られていたとは思わず、笑顔で覗き込んでくるアーヴェントにグレースの顔が一気に赤くなる。
「そ、その、あまりこちらのお祭りに馴染が無くて、ちょっと物珍しかっただけで……!」
「そうなのか? じゃあ、尚更楽しんでって貰わないと。あ、何か食べるか?」
「いえ、お腹も空いてませんし、先ずは先生の所に行きませんと!」
グレースは首を大きく横に振る。
この状況では、何を食べてもまともに味わえないだろう。
火照る顔の熱を悟られまいと、グレースは話題を変えた。
「そういえば、サイラスさんはご一緒じゃないんですか?」
「あいつは留守番。この格好で街に来るときは基本一人なんだ」
「それは、大丈夫なんですか……?」
「自衛の手段やら魔法やらは嫌ってほど学んでるし、護衛なんてついてたら逆に悪目立ちするからな。俺の爺さんと母さんも基本は一人で出かけてたし、護衛がついてきても撒いてたって聞いたな」
「撒いてた……」
エトラディオ王国の中でも、首都だけあってサントルムは治安が良い。とはいえ、事件や事故に巻き込まれる可能性がないわけではない。
ましてや王太子の身に何かあったらと考えると、独り歩きなど到底許可できない筈だが、どうやら前例が二人もいるようだ。それが前国王と前王妃ともなれば、周囲も強く止める事は出来ないだろう。
「それに知ってたか? グレース。俺、意外と魔力強いんだ」
王太子であるアーヴェントの魔力が人並み外れて強い事など、国民には周知の事実だ。
真剣な面持ちに一瞬気を取られたが、わざとらしいアーヴェントの言い方に冗談だと気付くと、グレースはあえて驚いたような表情を作って見せた。
「まぁ、それは知りませんでしたわ」
見つめあうこと数秒、二人は同時に吹き出し、笑いあった。
それから、邸でのリヴェルの様子や他愛ない話に花を咲かせていると、徐々に人混みが減り、屋台の端が見えてきた。
そこは他の屋台とは違い、テントが張っているだけのスペースのようで、子供達が一つ所に集まり、何かを食い入るように見つめている。
その輪の中に、白衣を着た青年姿のフィグを発見し、アーヴェントは声を掛けた。
「フィグ!」
「ん? お、グレース!」
こちらに気付いたフィグはその場を離れ、意気揚々と駆けてくる。
「久しぶり、フィグ。遅くなってごめんなさいね」
「理由はブラムから聞いた。こんな日に熱出すなんざ、タイミングの悪い奴だよな。美味いもん沢山売ってるのに」
グレースとライラが訪問するにあたり、リヴェルが熱を出した事をバートは予めブラムに魔法で伝えていた。
立ち並ぶ屋台に視線を向けながら、フィグはここに居ないリヴェルに気の毒と言わんばかりの表情を浮かべる。
「で、何でヴェントも一緒に居るんだ?」
「途中で会って、ブラムを探してるって言うから連れて来たんだよ」
「ふーん。いつの間にかめっちゃ仲良しだな」
フィグの視線は、グレースとアーヴェントの繋がれた手に注がれていた。
「こ、これは、その――」
「はぐれないように繋いでただけだっての。悪かったな、グレース。動きづらかったろ」
「あ、いえ、大丈夫です。有難うございました」
アーヴェントがグレースの手を離すと、離された手をグレースはもう片方の手でそっと握りしめる。
(他意はないって分かってたのに、なんだか寂しいだなんて思っては駄目よね……)
名残惜しさを呑みこんで、グレースは本来の目的を果たすべく口を開いた。
「そういえば、ブラム先生はどこかしら? 姿が見えないようだけれど」
「あぁ、さっき薬を取りにきた患者が居てな。今は院内にいるよ。その内戻ってくる」
「じゃあ、少しここで待たせて貰っても良い?」
「おう。ヴェントはどうすんだ? 酒屋と肉屋の倅共と一緒だったろ?」
「あいつら店番に行っちまったからな。俺も暫くここにいる」
「んじゃ、適当に座ってろよ。あそこら辺の椅子、使っていいからさ」
フィグはそう言って、屋台のテント下を指さす。
子供達の集まりに隠れて見えなかったが、奥に椅子が置かれている様だ。
何かを囲うようにして眺めている子供達を見て、グレースはフィグに疑問を投げかけた。
「ねぇ、フィグ。ここは何を売っている屋台なの?」
テントの下には、商品が置かれている訳でも、料理をするための器具が置かれている訳でもない。
屋台と言うには何を売りにしているのか分からない光景に、グレースは首を傾げた。
「何も。ここは店じゃないからな」
「お店じゃない?」
「見れば分かる」
フィグはにっと笑って、グレースの手を引いて子供達に近づいた。
子供達の後ろから、フィグに促されてグレースは中心を覗き込む。
その中心に居たのは頭にタオルを巻いた男性で、傍らに置かれた工具と木製の人形を手に何やら作業をしている様だ。
「よし」
男性は呟くと、人形の背についたネジを回し、台の上に立たせるとそっと手放した。
すると、カタカタと小さな音を立てて、人形は前へゆっくりと進み始める。
その様子を見た子供達から、わっと声が上がった。
「すげー! 直った! さっきまでまったく動かなかったのに!」
「おじちゃん、すげーな!」
「どうやったの?」
「私のクマさん、耳がとれちゃったの。直して、おじさん!」
口々に騒ぎ立てる子供達。
その口ぶりから察するに、男性は子供達の玩具を直してあげているのだろう。
やいのやいのと、賑やかな子供達に男性は堪りかねたように声を上げた。
「だー!! 分かった、分かった! 但し、ぬいぐるみは俺の専門外だ。そっちのデカいおじちゃんに言ってくれ! おーい!」
男性が振り向いた先に居たのは、小さな女の子と綾取りをするスキンヘッドの男性。
呼び声に気付いて男性がこちらを見た途端、大きな声を上げた。
「あっ!!」
声を上げたスキンヘッドの男性の視線は、明らかにグレースへと向けられている。
男性は驚き目を見開いているが、それはグレースも同じだった。
(あの人、あの時の……! じゃあ、もしかしてこっちの人は……)
視線を向けるとタオルを巻いた男性と目が合った。
「あ、アンタ……!」
驚いた顔でグレースを指さす、鷲鼻に無精髭の男性。
初めて見た時にあった目の下の酷い隈は、消えてなくなっている。
「なんでそんな驚いて……あ、そういえば言ってなかったか?」
「お前なぁ……」
驚いた表情を浮かべるグレースとダイナー、ディックの兄弟。
その様子を見て呑気に呟くフィグに、アーヴェントは呆れたように溜息をついた。




