47 前世の恋(2)
一本の立木に、白い花が咲いている。
小さな花をいくつも咲かせ、白く彩られた立木は美しい。
胸に沸き上がる郷愁に、自分はこの光景を知っているのだと確信する。
しかし、いくら記憶を巡らせても知っている筈の名前が思い出せない。
花の名前も、木の傍らに立つ彼女の名前も。
「――さん」
思い出せない名前を、自身の口が紡ぐ。
自分は今なんと言ったのか。彼女には確かに聞こえたようで、こちらを振り向いた。
振り向いた彼女の顔は見えず、呼び返された名前は音が消えたように聞こえない。
「今年も綺麗に咲きましたね」
隣に並ぶと彼女は見えない顔で笑顔を見せた。
「約束覚えてますか?」
問うと、彼女は少しだけ笑顔を曇らせて、静かに頷く。
その曇りを少しでも晴らせたらと、彼女の手を取り再び約束を交わした。
「たとえ――も、絶対貴女の―――」
大切な約束だった筈だ。
「だから、またこの――を一緒に見せてください」
約束を交えたのは自分の筈なのに、何故思い出せないのか。
途端、視界から彼女と花が消える。
気付けば血と泥にまみれ、剣を手に戦場に立っていた。
風に吹かれ砂埃が舞い、あちらこちらに敵が倒れ伏し、身体は鉛のように重い。
耐えきれず剣を支えに膝を付き、肩で息を繰り返した。
朦朧とする意識の中、血で濡れていく地面を見つめながら死を覚悟する。
今生に悔いはない。残して逝く家族もいない。
けれど、今際の際に思い浮かぶ、白い花の前で笑う彼女。
――何よりも覚えていなければいけなかった。
中途半端な記憶だけ与えて、何故俺を生まれ変わらせた。
砂利と血が交ざる唾を吐き出し、天を仰ぐ。
――あぁ、神よ。
このまま俺を見捨て、来世を与えないのなら
もし、また記憶を奪うなら
「俺は、お前を一生恨んでやる」
***
「………………久しぶりに見たな」
いつの間に寝てしまったのか。
会議の後、執務室に籠って過去の誕生祭について調べながら政務を片付けていたのだが、途中で意識を手放していたらしい。時計を見ると、数分程度しか経っていないようだ。
アーヴェントは手から転がり落ちていたペンを拾い上げ、椅子の背凭れに身を預けて息を吐く。
暫く見ていなかった前世の夢。
原因はサイラスと話した内容の所為だろう。
「神に唾吐いて死んだってのに、なんで王太子に生まれ変わらせたんだろうな」
前世のアーヴェントは、戦場で死を迎えた。
若い頃から老騎士と呼ばれるまで国に仕え、戦場を駆け、最後は戦い抜いて死んだ。
人生を賭け、国を護り続けて迎えた死に悔いはない。
(生き様も死に様も別に悔いはないが、彼女への申し訳なさはずっと残ってるんだよな)
前世のアーヴェントも、この国に生まれた転移症者だった。
覚えていたのは、夢で見た彼女との断片的な日常と大切な約束をしたこと。そして、その約束を守れなかったこと。
覚えていたのはたったそれだけで、自身の名前も死因もまったく覚えていなかった。
――約束を守れなかったどころか、大事な約束の内容を思い出すことすら出来ない。こんな記憶をなぜ神は与えたのか。
前世のアーヴェントは、ずっとその事を嘆いていた。
(前世の俺は、今の俺よりずっと彼女の事が好きで、悔いてたんだよなぁ。だから、生涯一人で居続けた)
それは、約束を守れなかった彼女への償いのつもりだった。
「けど、今の俺は一人で居ちゃ駄目なんだよ」
王太子としての務めを放棄する事は出来ない。
誰かを選び、共に生き、王族の血を繋いでいかなければいけないのだ。
前世で護り、尽くしたこの国の為に。
アーヴェントの脳裏に、グレースの姿が浮かぶ。
きっと前世の記憶など無ければ、彼女を婚約者候補にと名前を上げていただろう。勿論、グレースの気持ちが伴っていることが前提の話だが。
けれど、別の女性への想いと罪悪感を背負ったまま、グレースに好意を伝えることはアーヴェントには出来なかった。
(貴方のことが好きだけど、他に忘れられない女性が居ます。なんて、そんなんどっちにも失礼だろ)
前世と今の自分の気持ちに折り合いをつけることも、愛の無い政略結婚を手段として選ぶ事もできない。
「あー……くそっ」
悶々とした感情に苛立ちを募らせて、アーヴェントは右手で乱雑に頭を掻き乱した。
すると、ノックの音に次いで扉が開き、サイラスが大量の本と共に顔を出した。
「失礼します、殿下。頼まれてた資料……て、うわー!! 髪! ぐちゃぐちゃ!! 何してんですか!!」
「ちょっとむしゃくしゃした」
「しないでください!!」
「えぇ……」
サイラスは資料を置くと、手早くアーヴェントの後ろに回り込み、懐からコームを取り出したかと思うとすぐさま髪を整え始めた。
「お前、本当俺の外見好きな」
「当たり前でしょう。好きじゃなきゃ側付きしてませんよ」
「そこまで言うか」
はっきりと断言するサイラスに、呆れた様に笑いながらなすがままにされていると、再度扉をノックする音に次いで咳払いが響く。
視線を向けると、開いたままの扉の隣に先程のサイラス同様、数冊の本を抱えたジルが佇んでいた。その姿を目にし、サイラスが「あ」と声を上げる。
「失礼、殿下。先刻から声をかける隙を見計らっていたのですが、入室しても宜しいでしょうか?」
「あぁ、すまない。入ってくれ。その本は……」
「殿下に所用があり、こちらに向かっていたところ大量の本を運ぶサイラスと遭遇しまして。少々手を貸した次第です」
つまり、サイラスが部屋に入ってきた時から、ジルは扉の外に居たらしかった。
サイラスを見ると、共に部屋に来たのをすっかり忘れていたらしく「やってしまった」と笑顔の裏に書いてある。
扉を閉め、歩を進めるジルにサイラスは直ぐさま駆け寄り、持っていた本を受け取った。
「すみません、つい我を忘れてしまい……。手を貸して頂き助かりました。有難うございます」
「構いませんよ。周囲が見えなくなるのは感心しませんが、主人の身だしなみを気にかけるのも大切な仕事ですから」
ジルの小言を笑顔で受けるサイラス。
放っておけば、ここぞとばかりにジルからどんどん小言が出てくるだろう。それを受け続けるサイラスを見てみたい気もするが、ジルを廊下で待たせ続ける原因を作ってしまった非もある。
「ジル、俺に用事って?」
矛先を変えるべく、アーヴェントはジルに話しかけた。
「そうでした。これを」
「これは?」
手渡されたのは、宛名も何も書かれていない白い封筒。
「グラバー領の領主、オルストン伯爵から殿下宛の手紙です」
「「!?」」
思いがけない人物の名前に、アーヴェントとサイラスは目を見張る。
「封蝋も名前もありませんが……」
「どこに誰の目があるか分からない。用心の為です。兎に角、中をご確認くだされば分かるかと」
訝しげなサイラスに言葉を返し、ジルはアーヴェントに手紙を読むよう促した。
促されるままに、アーヴェントは手紙を読み始める。
「内容は、誕生祭に向けてリヴェル殿下の教育を任せて欲しいという旨。それに伴う必要な情報提供の要求。あとは、次回の訪問は明るい時間帯に是非との事でした」
淡々と告げるジルにサイラスは驚きの表情を返す。
リヴェルがオルストン邸に居ることは、ジルには教えていない。
神妙な面持ちで手紙を読みながら、アーヴェントは口を開いた。
「ジル、この手紙いつ届いたんだ?」
「つい先程、直接持っていらっしゃいました」
「直接って、オルストン伯爵がか?」
「えぇ。でなければ、宛名も差出人も書かれていないものを殿下に渡しはしません」
側付きを辞めてから、バートが王宮に顔を出した事は過去に一度もない。
事実、前王妃の葬儀にもバートは来ず、彼の心情を考えれば、それは仕方がない事なのだろうとサイラスは思っていた。
「公にではなく秘密裏にではありますが、実に何十年ぶりです。彼の顔を見たのは」
ジルは、どこか懐かしむような笑みを一瞬だけ浮かべたかと思うとすぐに表情を戻し、アーヴェントを見る。
「それで、如何いたしますか? サイラスから聞いているかと思いますが、オルストン伯爵はヴェンダー陛下の元側付きとして、とても優秀な人間でした。殿下の教育を任せられるだけの知識はしっかりと持っています。彼に任せるつもりでしたら誕生祭に必要な資料等々、こちらで選別し渡しておきますが」
「有難い申し出だし、是非ともお願いしたいところだが母上に知られる訳にはいかない。内緒で動いて貰う事になるが……」
リヴェルの居場所はリディアにも教えていない。
オルストン家との繋がりが、リディアに知られる訳にはいかないのだ。
「ジル、お前はいいのか?」
ジルは、執事長であり王妃リディアの側付きだ。
誕生祭に反対するリディアの目を盗み、アーヴェントに協力する事がどういう事か、ジルに分からない筈はない。
「リディア陛下とリヴェル殿下が距離を置く事は、現状必要な事だと見守ってきました。ですが、誕生祭を行うとなれば話は別です。国の為に、誕生祭はつつがなく執り行なわなければならない。その助力を裏切りと罵られるのならば、私は陛下に苦言を呈しましょう」
ジルの目に一切の迷いはない。
「側付きとは、主人の間違いを肯定する為に隣にいるのではありませんから」
もしも本当にその場面がきたら、ジルは迷いなくリディアに意見を述べるだろう。
その意見の所為で自身が罰せられようとも構わず、揺るがず、主人の為に。
ジルの視線と言葉を、アーヴェントは「分かった」と受け入れた。
「今、伯爵に礼状を書く。それと一緒に、要望されたものを渡してくれ」
アーヴェントは早速、礼状を書くべく机へと向かった。
「でしたら、その間に資料を見繕ってきます。あまりこちらに居続けても怪しまれますので。サイラス、出来上がり次第届けて頂いても宜しいですか?」
「承知しました」
「では、失礼します」
「ジル」
踵を返すジルを、アーヴェントは呼び止めた。
「母上に何か言われたら、迷わず俺の名前を出せ」
その言葉に一礼だけを返して、ジルはその場を立ち去った。
「……殿下、ひとつ聞いても?」
ジルの気配が遠のくのを確認して、サイラスはアーヴェントに声をかける。
「なんだ?」
「執事長は、今は王妃様の側付きです。リヴェル殿下の居場所を話してしまうかも、とは考えなかったんですか?」
提案を受けた時、アーヴェントは迷わずに受け入れ、ジルに仲介を任せた。
リディアの側付きであるジルを、少しくらい疑う素振りを見せてもおかしくはない筈だ。
「ありえない話ではないな。けど、手紙に書いてあったからな」
止めることなく走らせていたペンを置き、アーヴェントはサイラスに手紙を渡すと、再びペンを取る。
「リヴェル殿下の事を誰にも話していないと聞いた。けれど、それでは誕生祭の準備にも支障が出るだろう。ジル・ハイラントは信用に足る人物だ。彼の一番弟子である私が保証する。とさ」
美しい字で書かれた手紙の中には、アーヴェントが言う通りの事が丁寧な言葉で綴られていた。
「あの親父が側付きに選んだ人がここまで言うんだ。ジルも、お前がいる手前、兄弟子からの信頼を裏切れないだろ」
「兄弟子?」
「伯爵もお前も、ジルが側付きの師にあたるんだからそうだろ。状況が違えばジルじゃなく、伯爵に側付きのいろはを教え込まれてた可能性もあった訳だし、本当に不思議な縁だよな。……と、こんなもんか。封筒、封筒っと」
「あ、それなら新しいものを隣の引き出しに用意してあります」
「ん、これか」
机の引き出しから封筒を取り出し、書き上げた手紙を丁寧にしまうと、アーヴェントはそれをサイラスに手渡した。
「では、届けて来ます」
「頼んだ」
サイラスは部屋を出て「……兄弟子」と、呟いた。
(そうか。執事長が教えてた人、他にも居たんだ。兄弟子、兄……どちらかというと親子くらいの年齢差だと思うけど)
サイラスには兄弟も両親も居ない。幼い頃からそうであるために、天涯孤独の身の上をどうと思うこともなかった。
アーヴェントが言った通り、もしバートが王宮を離れず国王の側付きをしていれば、バートに側付きの仕事を学んだだろう。想像し、時折ジルが横から口を出す様が目に浮かび、思わず笑みが浮かぶ。
「ははっ、ちょっと残念かな」
あり得たかもしれない過去への羨望を払うように、サイラスは歩を早めた。




