46 前世の恋(1)
「……やられた」
「やられましたねぇ」
机上に広げられた皺だらけの朝刊。
その前で項垂れるアーヴェントに同情の視線を向けながら、サイラスは言葉を返す。
アーヴェントの手によって感情のままに握りしめられ、皺だらけになったそれを、サイラスは皺を伸ばすように撫でながら記事をなぞった。
「王妃様主催の舞踏会。目的は殿下の婚約者探しだと、皆気付くでしょうね」
「俺の許可も無く勝手に決めて、朝刊に載せるとか……」
「そうじゃなきゃ逃げますからね。殿下は。逃げ道を塞いで、それだけ本気なんでしょう。さっきも仰ってる事が正しいだけに反論できませんでしたし」
リヴェルの誕生祭の記事を確認しようと、朝刊を眺めていたアーヴェントとサイラスの目に飛び込んできたのは、舞踏会開催のお知らせ。
二ヶ月後に王宮で舞踏会を開催するなど寝耳に水だ。
自分にもサイラスにも知らされていないと知った所で王妃リディアの企みだと気付き、アーヴェントは朝刊を握りしめリディアの元へと向かった。
「どういうことですか、母上。舞踏会の話など一言も聞いておりません。リヴェルの誕生祭の準備でこれから忙しくなるという時に――」
「だからこそです。準備で本格的に忙しくなる前に婚約者を決め、リヴェルの披露目と同時に世に発表します」
「……当人である俺に許可も取らずにですか?」
「聞けば首を縦に振りましたか?」
「…………」
「失礼ながら、リディア王妃。殿下に婚約者をというお気持ちは理解致します。しかし、いくらなんでも性急ではありませんか? 先ずは殿下と話し合いの場を設けてからでも……」
「性急? 二十にもなる王位継承者が婚約者も決めずにいる現状が特異な事くらい、分からない頭ではないでしょう、サイラス。アーリベル様も亡くなり、陛下のご意思も確認する事ができない今、決定権は私にあります。王族としての役目から逃げ続けるのを、これ以上許す事はできません」
ピシャリっと言い切られた言葉はその通りで、返す言葉もない。
反論がないのを確認し「舞踏会の準備は私がします。貴方は参加するだけでいいわ」と言い残し、王妃はその場から立ち去って行った。
それから二人は部屋へと戻ってきたのだが、アーヴェントはずっと朝刊を睨みつけたり、項垂れたりを繰り返している。
「フィグを身代わりにするか、当日体調不良で逃げるか……」
「それ、むしろ王妃様に好都合では? 殿下が居ないのを良いことに、王妃様が好きに選んだ相手を拒否権無く宛がわれかねませんよ」
「…………やりかねん」
盛大に溜息を吐くアーヴェント。
王妃の言う事がもっともなだけに、サイラスは同情する事しかできない。
そもそも、アーヴェントの実母で前王妃であるアーリベルが異例だったのだ。
「アーヴェントの婚約者は、アーヴェントに決めさせるわ。だから、くだらない縁談は持って来ないでね」
当時、屈託ない笑顔でそう言ったアーリベルの事は今でも忘れられないと、執事長であるジルが言っていた。周囲の人間は慌てふためいてアーリベルに婚約者の重要性を説いたが、陛下までもが「アーリベルがそう言うなら」と聞く耳を持たなかったらしい。
「この子はちゃんと出会うから、大丈夫よ。視えるもの」
先視の王妃がそう言うならと、その後は周囲も騒ぎ立てる事はなくなったのだが、待てど暮らせどアーヴェントに相手が現れる気配がないままに王妃は亡くなり、陛下は倒れ、第一王位継承権を巡って王宮内は不穏な空気が漂っている。
(そりゃあ、王妃様もこんな手段にでるか)
「決めるなら早い方が良い。殿下のお心は二の次に、婚約者候補を宛がわれる前に」
そう言っていたジルの言葉を噛みしめながら、サイラスは項垂れるアーヴェントの前に立つ。
アーヴェントとて、王太子として婚約者の存在の重要性くらい分かっている。それでも婚約者探しというものに見向きもしない理由がある事を、サイラスは知っていた。
「殿下。もしかして、まだ諦めてないんですか?」
サイラスの言葉に、アーヴェントの肩が少しだけ揺れる。
「前世の婚約者……正確には、前世の、前世でしたか」
アーヴェントは、グレースと同じく特例の記憶転移症者だ。
世間には、彼の前世は勇敢な騎士であったと公表されているが、詳しい記憶と特例であることは発表されていない。
前世の彼もまたこの国に生まれた転移症者で、アーヴェントには前世の記憶が二つある。それは、過去に例を見ない存在であるために、特例扱いになったのだ。
「顔も名前も覚えていないのでしょう? それでは探しようがありませんし、いくらアーリベル様が会えると言っていたとしても、その方とは限りません。第一、その方がこの世に居るかどうか――」
「分かってる」
アーヴェントはゆっくりと頭を上げてサイラスを見ると、一拍置いて盛大に溜息をついた。
「なっ……! 人の顔見て溜息つかないで下さい!」
「だって、お前が的外れな事言うから。あのな、いくら忘れられない記憶とは言っても、探し出して結婚しようだなんて思ってない。お前の言う通り、顔も名前も覚えてないんだ。そもそも探しようがないつーの」
「じゃあ、なんで婚約者探しから逃げるんですか?」
「一人が楽だって前世の経験で知ってる。面倒くさい。だるい。どいつもこいつも、見てるのは国と王太子って肩書きを持ってる俺で、そんな俺を使って益を得たいだけだろ」
頬杖をつき、わざとらしく舌を出すアーヴェント。
まるで子供が駄々を捏ねるような、心底嫌そうな態度にサイラスは「まったくこの主は……」と溜息をつく。
「なら、オルストン嬢はどうです?」
「……どうって何だ、どうって」
「婚約者候補としてです。あの方は殿下の仰るような、益を得たい女性ではないでしょう。家柄も申し分ありませんし、何より殿下、オルストン嬢のこと好きでしょう?」
アーヴェントの動きが一瞬止まる。
目を見開いてサイラスを見たかと思うと、眉間に皺を寄せ、徐々に表情を雲らせてゆく。
「どういう顔ですか、それ」
「お前が俺を分かりすぎてて嫌だの顔……」
「嫌だってなんですか、嫌だって。こちとら何年側付きやってると思ってんです」
今度はサイラスの方が眉間に皺を寄せ、怒りを含んだ笑顔をアーヴェントに向けた。
「オルストン嬢の元にも招待状は届く筈ですが、いらっしゃるかは分かりませんし、いっそ殿下の名義で招待状をお送りするという手も……」
「止めろ、止めろ。それで来なかったら振られたも同然だろ。それに、グレースの事は確かに好ましいが……」
アーヴェントの脳裏に、過去の記憶が浮かぶ。
名前も顔も思い出せない彼女と過ごした前世のそのまた前世。覚えている記憶は断片的だが、いつも微笑んでいた彼女を大切に想っていた事だけは確かに覚えている。
「と、 財務大臣との予算会議の時間だ」
「誕生祭の件ですよね? 時間まで、まだ少しあったと思いますが」
「昨日のスコーンの礼をしに、厨房に顔出してから会議に行く」
「そうですか。行ってらっしゃいませ」
足早に部屋を出ていくアーヴェントを見送って、サイラスは「……逃げられた」と、呟いた。
(オルストン嬢に少なからずとも好意があるのは確か……けど、前世の婚約者が忘れられないって感じかな)
サイラスは、先程言いよどんだアーヴェントの心情を察しながら、机上に広げられたままの朝刊を丁寧に折りたたむ。
転移症者ではないサイラスには、過去の記憶を持つアーヴェントの気持ちは分からない。
側付きとして生きると決めた日から、自身の色恋ですら人生における優先順位の下位に位置している。
「確かテラーズにも載ってたな。前世の恋人を探すために旅に出た男の話」
様々な記憶転移症者を取り上げ、紹介する書物、テラーズ。前世を絡めた小説などの創作物は多々あれど、テラーズに書かれているのは全てが実話だ。
サイラスが読んだのは、前世の恋人が忘れられず「もしかしたら、この世界のどこかにいるかもしれない」と、世界中を渡り歩く男性の話だ。
居るかどうかも分からない人間を探し歩く事にも驚いたが、それ以上に驚いたのは、男性がその為に妻と別れている事だった。
当時結婚して家庭があったにも関わらず、男性が追いかけたのは前世の恋人。
サイラスには到底理解できなかったが、転移症者の中には「気持ちは分かる」という者も居た。
(殿下は、昔から王太子である自身の立場を理解して、色んな事を我慢して呑みこんでる。けど、婚約者に関する事だけは全力で避け続けてるんだよな)
幼い頃から王宮に仕え、側付きになった今では、アーヴェントの考える事は手に取るように分かる。
けれど、自身の前世を知らないサイラスには、アーヴェントの前世に対する想いも、過去の恋人を求めて旅をする男の話も理解は出来ない。
「……現在よりも大事な前世って、なんなんだろ」
漠然とした疑問を呑み込んで、サイラスは午後の業務へと向かった。
打ってる内にどんどん長くなってしまい、そのうえ11月も終わってしまうので区切りのいいところで一旦上げます




