45 向き合う覚悟
「リヴェルの事、よろしく頼む」
昨夜、そう言い残して転移魔法を使いアーヴェントが部屋から去った後、グレースはリヴェルが寝付くのを待って自身のベッドへ入った。
「ふぁー……と。いけない、いけない」
おかげで少しばかり寝不足気味だ。
欠伸を噛み殺し、グレースは両の手で自身の頬を挟む。
昨夜の事は三人だけの秘密だ。家族に不審がられる素振りは見せてはいけない。
むにむにっと顔を揉み解すように手を動かすと、グレースは気合を入れるように軽く頬を叩いた。
「よしっ」
「何がよしっ、なのかしら?」
「うわぁ!?」
急な掛け声に虚をつかれ、声がした方を見ると、いつの間にか隣にライラが立っていた。
「お、お母様っ」
「そんなに驚かなくても。おはよう、グレース」
「おはようございます。まさか、隣に居ると思わなくて……。お父様はご一緒じゃないんですか?」
「あぁ、今日は先に部屋を出たのよ。さ、こんな所で佇んでないで、朝ご飯にしましょ」
ライラが扉を開くと、いつも通りマウロとメイリーが朝食の準備を進めていた。
手際よく食卓に食器類を並べる手を止めて、二人はこちらに視線を向ける。
「おはようございます! 奥様、グレースお嬢様」
「おはようございます」
「おはよう。きょうも元気ね、メイリー」
「おはよう、二人とも」
メイリーとマウロに挨拶を返して、ライラは先に来ていたバートの隣に、グレースはその向かい側へと各々席に着く。
「お父様、おはようございます」
「お、おはよう。グレース」
「?」
テーブルに着き、朝刊に目を通していたバートに挨拶をすると返ってきたのはぎこちない笑顔だった。
「アーティとリィルはまだなのね」
「さっき部屋を覗いたらアーティがリィル君の着替えを手伝っていたので、そろそろ来ると思います」
最初の頃はメイリーがリヴェルについていたのだが、いつの頃からか「お姉さんたちみたいに、自分のことは自分でやります」と、リヴェル自ら言い出したのだ。しかし、朝に弱く、なかなか起きれないリヴェルに誰かしらが手を貸しているのが最近よく見る朝の光景だ。
「そう。本当、すっかり仲良くなって。兄弟みたい。ねぇ?」
「そ、そそ、そうだねっ……」
ライラの同意を求める声に、バートは動揺を隠せていない同意を返す。
そんなバートを気にも止めず、ライラはメイリーにお茶を頼んでいた。
(お父様、何かやらかしてお母様に怒られたのかしら)
明らかに様子がおかしいバートに、グレースは首を傾げる。
ライラに頭が上がらないバートの姿はオルストン邸では珍しくない、よくある光景だ。
きっと惚れた弱みと言うやつなのだろうと、グレースは常々思っていた。
メイリーが用意したお茶を飲みながら、ライラは「そういえば」と視線をグレースに向けた。
「昨夜はよく眠れた? 少し肌寒かったけれど」
「えぇ。本を読むのに夢中で少し寝るのが遅くなりましたが、雨の音が良い子守歌替わりになりました」
怪しまれないように予め用意していた答えをグレースは返す。
決して嘘は言っていない。
「そう……残念ね」
「残念?」
グレースの分もお茶を用意してくれたメイリーに礼を言って、グレースはライラの返事を疑問に思いながらカップに口を付ける。
「折角の王子様との逢瀬だったのに、胸が高鳴って眠れないとか無かったの?」
そして、盛大にお茶を吹き出した。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「ぐっ、ゴホ……っ、な、なんで……!?」
「ライラさん!? 逢瀬じゃない、逢瀬じゃないよアレは!!」
「あら、夜に人目を忍んで男が会いに来るのを逢瀬と言わずしてなんというの? 夜這い?」
「よっ…………!?!?!?!?」
グレースよりも動揺し、勢いよく席を立ったバートが絶句する。
なんとも言えない表情で狼狽し、ふらつくバートを後ろから支えたのはマウロだった。
「奥様、今日一日使い物にならなくなるので、それくらいでご容赦ください。仕事も溜まってますので」
バートの手から落ちた朝刊を拾い上げ、ライラは紙面に目を通しながら「まったくもう」と息をついた。
「この程度で狼狽えてたら、グレースの花嫁姿なんていつまでたっても見れないわよ」
「は、はははな、はなよめっ……!?」
止めを刺されたかのように、一瞬にして青ざめたバートにライラは呆れ顔だ。
バートの反応とライラの口振りから察するに、昨夜アーヴェントが訪ねてきた事を二人は知っているのだろう。
背中を擦るメイリーを「大丈夫」と手で制して、グレースは呼吸を整えた。
「殿下がいらしていたの、気付いてたんですね」
「この邸にも結界は張ってあるもの。殿下が敷地を跨いだ瞬間から気付いてたわ。マウロが」
呆然自失のバートを椅子に座らせたマウロは、ライラの言葉を受け「僭越ながら」と、口を開いた。
「敷地内に侵入者を感知し、すぐに駆けつけましたが敵意は感じなかったので様子を見ていたんです。そしたらお嬢が現れて何やら知り合いのご様子。屋敷に入るのを見て、お二人に報告させて頂きました」
「そうだったの……」
朝刊から視線を外し、ライラはグレースを見る。
「マウロの報告を受けて、最初は本当にグレースに逢引き相手が出来たのかと思ったわ。けど、話を聞いていたら全然そうじゃなさそうだし、まさか殿下だったなんて」
「待ってください。話を聞いていたって、一体どこで――」
「俺の部屋」
声のした方を振り向くと、支度を終えたアーティとリヴェルが居た。目を擦るリヴェルは、まだ少し眠たげだ。
「おはよう。アーティ、リィル」
「おはよ、ございまふ……」
「おはようございます、母様。父様……は、大丈夫ですか?」
眠そうなリヴェルの手を引いて椅子に座らせながら、弱り切ったバートに心配そうな眼差しを向けるアーティ。
「大丈夫よ。いつもの親馬鹿を拗らせてるだけだから、直に元に戻るわ」
読み終えた朝刊をマウロに手渡すと、バートを横目にライラは涼やかに微笑んだ。
「アーティの部屋でってことは、貴方も気付いてたのね」
「転移魔法で部屋に来た母様と父様とマウロとメイリーに起こされたから」
「もれなく私とリィル君以外の全員じゃない」
グレースが隣に座るアーティを恨めしげに見ると、アーティは困ったように頭を掻いた。
気付かれないようにと気を張った、昨夜の努力は何だったのか。グレースは小さく溜息をつく。
「もう……。でも、それなら声をかけてくださっても良かったじゃないですか」
「大人数でいきなり現れたら殿下を驚かせちゃうでしょ。それに急いでいたみたいだし、折角の兄弟の時間を邪魔するのは野暮だもの」
「それは、確かに……」
ライラの言うことも一理ある。
一人二人ならまだしも、あの場に全員集合してしまったらきっと話がスムーズには進んでいなかっただろう。まして、今のバートの様子を見るに、娘可愛さに殿下に何を話し出すか分かったものではない。
「むしろ感謝して欲しいわ。部屋に乗り込もうとするバートを止めていたんだから」
「雇い主を羽交い締めにするなど、あとにも先にも無いであろう経験をさせて頂きました」
「私も旦那様に猿轡噛ませるなんて、初めてでした!」
朝食を準備する手は止めず、表情には出さないがどこか嬉々としているマウロと、溌剌とした笑顔を浮かべるメイリー。
(お父様……)
昨夜のアーヴェントとリヴェルのやり取りの最中、隣はそんな事になっていたのかと、グレースは同情の視線をバートに送った。
まるで魂が抜けたかのように天を仰いでいたバートはようやっと我に返ったようで、弱弱しくも居住まいを但し、ゴホンッと咳払いをした。
「と、兎に角……! グレース。今後は例え殿下であっても、夜中に男性と二人っきりにはなってはいけないよ。すぐに誰か呼ぶ事! いいね?」
「分かりました、お父様。心配かけてごめんなさい」
「うん。分かってくれたなら良いんだ。メイリー、リィルを起こしてやってくれ」
「あららっ、寝不足ここに極まれりですね。ぼっちゃーん! 起きてくださーい!」
アーティの隣に座っているリヴェルを見ると、いつの間にか瞼が完全に閉じてしまっている。
昨夜、アーヴェントが帰った後、興奮してすぐには寝付けなかったのだから無理もないだろう。
目覚めたリヴェルに、昨夜の事は皆知っていたのだと説明すると、リヴェルの眠気はどこかへ飛んでしまったようで、大きな目を見開いて次いで一気に顔を赤らめた。
「リィル君?」
「……泣いちゃったの、恥ずかしい」
両手で顔を隠そうとするリヴェルは可愛らしいが、その気持ちはよく分かる。
フォローをしようとグレースが声を掛ける前に「そんなことはないです!」と力強く唱えたのはメイリーだった。
「涙は正当な反応です。嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、誕生祭に出たいと言う気持ちも! 何も恥じることなどないのです! このメイリー、坊ちゃんが誕生式典を無事に完遂できるよう、旦那様、奥様、兄さんと共にサポートに尽力させて頂きますからね!」
両の手で拳を作り、力強く断言するメイリーに圧され、リィルは少しだけたじろいだ。
「え、えっと、サポート……?」
「リィル。その事なんだが、話を聞いてくれるかな」
困惑するリィルに、声をかけたのはバートだった。
「誕生式典に出るのならば、今のままではいけない」
その言葉にリィルは身を固くする。
この見た目ではいけないということだろうかと、視線を落とすリヴェルの心を察したのか、バートは即座に否定した。
「あぁ、誤解しないでくれ。外見の話ではないよ。私が言っているのは中身の方だ」
「中身、ですか?」
「本来ならば、君は王宮で王族として様々な事を学ぶ立場だ。勉学は勿論、伝統、礼節、王族としての立ち居振る舞い。多くの知識と技術を身に着けなくてはいけない。この家に来て、年相応の勉強ができるように家庭教師はつけているが、今の君には、本来学ぶべき王族としての勉強が不足している。はっきり言えば、王族として認められる部分は魔力だけだ」
「お父様、少し言い過ぎでは――」
「グレース」
思わず口を出したグレースを、ライラが静かに止めた。
バートの言う通り、本来ならばリヴェルは王宮でありとあらゆる教育を受ける立場だ。
国と民を守り導く王族として、無能な者であってはならない。
王宮に居た頃は、ベッドの上でも可能な限りの教育は受けて来た。けれど、転移症を発症し入院してからは、心身ともにそれどころではなかったのだ。
『自分のせいじゃない。とは、言えないなぁ』
リヴェルの内側で、サーリーが呟く。
表には出てこないが、こういう時ばかり口を出す。しかし、その言葉にリヴェルは反論出来なかった。
(サーリーの言う通りだ……)
確かに、元居た環境とは変わってしまった。
だが、病院でブラムは勉学に触れる機会を失わせまいと、こちらを気にかけてくれていた。
「教師をつけるのは難しくとも、部屋に本を置くくらいはできます。 退屈しのぎにもなりますしね。私が出来る範囲で勉強を教えても良いですし、どうしますか?」
入院したばかりの頃、そう言ってくれたブラムの言葉を、リィルはベッドに潜って聞かないふりをした。寂しくて悲しくて、そんなものどころではないと拒絶したのだ。
(後からだって、言えばきっと先生は準備してくれた。見ないふりしたのは僕だ)
「式典には国内外から多くの賓客が招かれる。否が応でも、君はこの国の王族として彼らに見定められるんだ。もしこのまま式典に出れば、彼らにどういう目で見られるか。理解できるね?」
バートの言うように、無知を晒せばどうなるか。それは、想像に容易い。
落胆、侮蔑、嘲り。
向けられる冷ややかな視線は自分だけならばまだしも、きっと両親やアーヴェントにも向けられる。
国に、アルバディオンの名に、泥を塗ることになるのだ。
「っ……」
途端、リヴェルの身に立場と責任がのし掛かる。
今まで近くにありながらも、理解せずにいたそれらに息をのみ、リヴェルは弱々しくも口を開いた。
「…………僕は、どうすればいいでしょうか?」
「急ぎ王宮に戻って学ぶべきだ」
「!」
「と、本当なら言うべきなんだろうが、命の危険に晒すのは以ての外だからね。私が教えよう」
「バートさんが……?」
思いがけない答えに、身構えたリヴェルの肩から力が抜ける。
「勉学については今まで通り学んで貰うとして、ようは式典さえ乗り越えられればいいからね。その為の知識とマナーをリィルには身に着けて貰う。あと、招待国の情報と賓客の顔と名前は暗記必須。功績や趣味も交流の場では会話に役立つから覚えておいた方が良い。式典での挨拶や動きを覚えるのは最終段階だとしても、通年通りなら夜に舞踏会が開かれるだろうし、踊りも覚えなければ。それと、各国に出す招待状も例に倣うならリィルが直筆でしたためなければいけないが、状況が状況だからなぁ。やはり、殿下に相談する時間を――」
「あなた」
「ん? 何だい、ライラさん」
「熱心なのは良いけれど、リィルが困ってるわ」
スラスラっと流れるように話し続けるバートに圧倒され、リヴェルは開いた口が塞がらなくなっていた。
ぽかんっとした表情を浮かべるリヴェルに「おっと、すまない」と、バートは謝罪する。
「けれど、今言ったのはほんの一部だよ。厳しいことを言うようだが、それすらも出来ないと感じるなら式典に出るのは――」
「や、やります!!」
続く言葉を遮るように、リィルは声を上げた。
『いいのか? 出来なかったら恥かく上に、ボロクソ言われるどころじゃ済まないかもよ?』
(……そうかもしれないけど、ここで逃げたら、きっとダメだから。それに)
「自分で出るって決めたから、ちゃんとやりたい」
サーリーの声とバートに向けて、リヴェルははっきりと答えた。
その答えにバートは頷き、笑みを浮かべる。
「うん。その覚悟があるなら大丈夫かな。というわけだから、グレースにアーティも。協力してくれるね」
「勿論です」
「俺に出来ることなら喜んで」
二人は頷いて交互に返事を返す。
アーティがリヴェルの頭を撫でると、真剣だった表情が弛み、リヴェルはいつもの子供らしいはにかんだ笑みを浮かべた。
「詳しいことは後にするとして、お腹が空いただろう。さ、朝食にしよう」
「あ、ごめんなさい。あと一つだけ良いかしら」
ライラは話を引き継ぐと「グレース」と名を呼び、視線を向けた。
「はい」
「王宮主催の舞踏会、出る?」
それはグレースにとって、予想外の言葉だった。
「誕生式典のお知らせと一緒に朝刊に載っていたわ。王妃様の名義でね。開催は二ヶ月後に王宮で、参加条件は十五歳以上の国内の貴族令嬢と令息だから、アーティも参加できるわね」
「俺は姉さんが行くなら」
「そう言うと思った。後日招待状が送られてくるそうだけど、出るなら早めに準備しないとね。なんせ、今まで断り続けて来たから」
転移症を発症する以前のグレースは、他人との関わりに消極的だった。
伯爵令嬢、令息という立場は、年頃になれば大なり小なり社交の場へと誘われる事が多く、グレースとアーティも例外ではない。
しかも、元側仕えで現伯爵の父と元人気女優の母を持つ姉弟に、下心や好奇心を持って近付いてくる人間も多い。
最初こそ、家の助けになればと誘われたものには参加していたが、心ない言葉や態度を向けられることも多く、幼心に必要以上の関わりを持つ必要はないと、いつの頃からか社交の場に出るのを止めた。
ライラとバートも、グレースとアーティの立場と心情を理解してくれているために、無理強いすることもなく、こちらに判断を任せてくれている。
(王宮なんて行ったらそれこそ注目の的だし、いつもなら断るところだけど……)
グレースは、リヴェルに視線を移す。
(王妃様名義の舞踏会なら、ご本人も居るわよね)
グレースが知っているのは、国民の前で王妃として振る舞う姿だけだ。
リヴェルが魘されながら名を呼ぶ母としての彼女を、サーリーに悪し様に言われ疑いの目を向けられる彼女を、グレースは知らない。
「?」
視線を受けて、首を傾げるリヴェルにグレースはにっこりと笑顔を向ける。
そして、視線をライラに戻し、グレースは口を開いた。
「参加します」
好機の視線も心無い言葉も、今ならば怖くはない。
「もう子供では無いので」
真っ直ぐに向けられた視線に、ライラはどこか嬉しそうに「そう」と、微笑んだ。
「じゃあ、参加の方向で準備しましょう。ドレスにダンスの練習に大忙しだわ」
「ま、まってライラさん、この舞踏会って殿下の――」
「さぁ、今度こそ朝ご飯にしましょう。朝食を運んで来て頂戴。マウロ、メイリー」
バートの言葉を手を叩く音で遮って、ライラは二人に用意を促す。
子供達の意識がこちらから逸れたところで、ライラはバートに小声で囁いた。
「もう、やっぱり行かないって言われたらどうするの? 貴方だって娘のドレス姿見たいでしょ」
「それは見たいけど、いやでも……」
葛藤の表情を浮かべるバートの背を、グレース達には見えないようライラは軽く叩く。
「グレースがやる気を出してるんだもの。この舞踏会が、アーヴェント殿下の婚約者探しの場だとしても、私達は笑顔で送り出すのよ」
婚約者という言葉にますます渋い顔をするバートに気付かないふりをして「グレースの花嫁姿が見られる日はいつかしら」と思いを馳せながら、ライラは運ばれてきた朝食に手を伸ばした。




