40 再会(1)
回診を終え、院長室へ戻ってきたブラムはソファーへと視線を向ける。
そこには前脚と後脚を放り出し、うつ伏せに伸びているフィグがいた。
「いつまでそうしているつもりですか?」
ブラムが部屋を出る前から位置も姿勢も変わっていない。
テーブルの上には、昼に食べた弁当の空き箱が置かれたままだ。
声を掛けても返ってこない返事に、ブラムは「仕方ない」と息を吐き、手にしていた白い正方形の箱に目を向けた。
「折角の頂きものですが私一人じゃ食べきれませんし、看護師の方々に差し上げてきましょうかね。クラベルのミートパイ」
「食う!!!」
声と同時にソファーから勢いよく顔を起こし、あまつさえ変化まで完了している。
黒で揃えたワイシャツと半ズボン姿の少年フィグはソファーから身を乗り出して、ブラムの持つ箱に熱視線を送っていた。
「元気が出たのは良い事ですが、もうちょっと食欲に抗う素振りくらい見せません?」
「腹減ってんだから仕方ないだろ。あんな小さい弁当じゃ足らねえし、何よりクラベルのミートパイは美味いからな」
クラベルとは王都で人気のパイの専門店だ。
ブラム自身は行ったことはないが手土産やお礼で貰う事がある為、何度か食べたことがある。
「その箱の大きさ、丸くてでかいやつだな。なぁ、お前の分ちゃんと切り分けるから残り半分切らずに丸ごとかじりついていいか?」
「構いませんと言いたいところですが、お店でカットして貰ったと言ってたので切らずに丸かじりは無理ですよ」
「あー、そっか。いつか、やってみたいんだよな。切らずに丸ごと――」
途端、フィグは言葉を止めて、素早く首を横に向けた。
視線の先にあるのは隣の部屋、ブラムとフィグの生活スペースへと続く扉だった。
目を見開いて扉を凝視したかと思うと、今度はブラムに視線を向ける。
「おい、ブラム。この気配って……!」
「アーヴェントの手紙が届いたみたいですね」
ブラムはテーブルにパイが入った箱を置き、隣室へと繋がる扉の前に立つ。
扉をノックしようと右手を構えた所で、中から短い悲鳴と何かが崩れるような音が聞こえてきた。
「!!」
急いで扉を開けると、廊下に繋がる扉の前に座り込むグレースと、心配そうに隣に立つ金髪の少年がいた。その周りには、いくつもの本が散乱している。
「いててっ……」
「だ、大丈夫? おねえさん」
「大丈夫、ちょっと躓いただけだから」
ブラムの背後からひょっこりと顔を出して、フィグは室内を覗き込む。
「あーあ、ブラムがあんなとこに本なんか積んどくから」
「フィグ! ブラム先生!」
「よっ。久しぶり、グレース。と、そっちは……リヴェルか」
スンスンっと鼻を鳴らして、フィグは匂いを確認する。
変装したままのリヴェルを見るのはフィグもブラムも初めてだ。
ブラムは二人に近づき、座り込んだままのグレースに手を差し伸べた。
「立てますか?」
「すみません、有難うございます」
グレースが差し出された手を取り立ち上がると、ブラムは申し訳なさそうに頭を下げた。
「フィグの言う通り、置き場が無いからと本を床に積んでおくべきではありませんでした。すみません」
「いえいえっ……! ここは先生のお部屋ですし、私の不注意なので謝らないでください。 むしろ、ごめんなさい。大切な本を――」
はっと気付いて、グレースは再びその場にしゃがみこみ、崩れた本を直し始める。
「ああっ、放っておいて大丈夫ですよ! 後で片付けるので」
「いえいえ、そういうわけには……!」
崩れた本を直す二人に「何やってんだか」と苦笑し、フィグはリヴェルに近付いた。
「それ、どんくらい続けてんだ?」
「それ?」
「変装。魔法だろ、それ」
フィグは人差し指で自身の頭を指し示す。
「えっと、おねえさんの所に行ってからずっと、かな」
「マジか。相変わらず尋常じゃない魔力量してるな。サーリーの奴は?」
「ずっと出てきてない。からかう相手がいないから、興味ないって」
「……あの野郎。ま、グレースのとこで迷惑かけてないなら良いけどよ」
からかう相手とは自分の事を言われているのだと、察したフィグの眉間に皺が寄る。
「あの、僕とおねえさんがここに居たの驚かないの?」
「ん? あぁ。封筒受け取ったんだろ? 中身の予想は大体ついてたし、多分来るだろうと思ってたからな」
「何かあった時、この部屋に扉を繋げても良いかアーヴェントに確認されてましたからね」
本を元通りに戻し終え、フィグの言葉を補足するようにブラムが答えた。
「来るとしたらオルストン嬢の検診日あたりかと思っていたんですが、一日早かったですね」
「えっと、本当はその予定で先生にも手紙を出していたんですけど……」
「……ごめんなさい。僕が一人で繋げちゃったから」
「「?」」
言いよどむグレースと、それを見て落ち込むリヴェルに、ブラムとフィグは顔を見合わせた。
今日はバートが邸におらず、リヴェルは一人で転移魔法の練習をしていた。
普段の練習はイメージトレーニングのみで、実際に繋げるのは当日になってからとバートと約束していたのだが、好奇心に負け、リヴェルは一人で魔法を発動したのだ。
繋がってもすぐに閉じれば問題は無い。そう思って試した魔法は、指輪のおかげもあってか難なく繋げることができたのだが――
「オルストン嬢に見つかったと」
「で、止めようとしたグレースがつまずいて、勢い余って扉を通って本の山に突っ込んだと」
「はい、その通りです……」
部屋を移動して、院長室のソファーに並んで座るグレースとリヴェル。
二人並んで肩を落とす姿に、向かい側に座ったフィグは「本当、よく転ぶな」と、笑った。
「リヴェル。オルストン邸に扉を繋げられますか?」
「は、はいっ」
「じゃあ、帰りは心配ありませんね。折角ですし、お茶でもいかがですか?」
「でも、お仕事の邪魔じゃありませんか?」
「ちょうど休憩しようと思っていたところなので大丈夫ですよ。お家の方には連絡を飛ばしておきますし、オルストン嬢さえよければですが。お耳に入れておきたい話もありますし」
「話?」
仕事の邪魔になる前に帰らなければと思っていたが、ブラムの言う話の内容も気にかかる。
グレースは悩んだ末、ブラムの誘いを受けることにした。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
「じゃあ、先にお家に知らせを飛ばしてしまいますね」
「すみません、お手間をとらせてしまって」
「誘ったのはこちらですし、お気になさらず。それより怪我が無くて本当に良かった。ですが、リヴェル。約束を破ってしまったこと、バート伯爵にちゃんと謝るんですよ」
「はい、ごめんなさい……」
落ち込む姿は可哀想だが、リヴェルが約束を破ったのは事実だ。
もしも扉がちゃんと繋がっていなかったら、大きな事故になっていた可能性もある。
グレースは何も言わず、優しくリヴェルの背を撫でた。
「さて……」
ブラムは机に向かい、オルストン邸宛に手紙を書き上げると、今度はそれを折り紙のように折り始めた。
慣れた手付きで折りあげられた手紙は鳥の形をしており、ブラムはそれを両の手で挟む。
「オルストン邸へ。急ぎでお願いします」
そう言って開いた手の中にいたのは、手紙では無く、生きた真っ白なツバメ。
ブラムが窓を開けると勢いよく飛び立ち、凄まじい速さで飛び立っていった。
あっという間に見えなくなったツバメを確認し窓を閉じると、ブラムはテーブルの側へと移動する。
「今連絡を飛ばしたので、数十分もすれば着くと思います。そういえば、オルストン嬢。ちゃんとした問診は明日しますが、脚の方は問題ありませんか?」
「えぇ。最近では杖も必要なくなりました。さっき躓いたのは本当に不注意で……お恥ずかしいです」
照れたように少し頬を赤らめるグレースに、ブラムはくすりっと笑う。
「順調に回復しているようで安心しました。今、お茶を淹れてくるんで待っていて下さいね。あぁ、フィグ。テーブルの上、片付けておくように」
「へい、へいっと」
ブラムはそう言って、隣の自室へと消えていった。
「先生のお部屋、初めて入ったけど羨ましいわ」
「えっ、あれがか?」
「だってベッドから手が届く所に本があるし、簡単な炊事なら出来るようになっていたじゃない? 生活における動線が最小限で済むワンルーム、前世の頃から憧れてたの」
グレースの前世、善子の住まいは親から継いだ平屋の一軒家だった。
老人の一人暮らしにはいささか持て余してしまい、アパートでのワンルーム生活に憧れていたのだ。
(贅沢な悩みだったとは思うけど、若い内は良かったのよね。歳をとるにつれ、膝と腰が痛くなってきて掃除も大変で、使ってない部屋の掃除なんてよくさぼってたし)
「普通、広い部屋の方が良いんじゃないのか?」
「広すぎると落ち着かないじゃない」
「あー、それは確かに。けど、あの本の量はなぁ……。リヴェルだってここに居た間、この本どうにかしろー!!て、思ったろ?」
確かに、絵葉書でみた部屋と同じように本棚に本が詰め込まれていたが、棚に入りきらない本があちこちに綺麗に重なっていた。散らばっているのではなく、綺麗に積み重ねられているところが実にブラムらしい。
「でも、むかし兄様と作った秘密基地みたいで、わくわくしたよ」
「秘密基地! 確かに、そう言われるとそうね」
顔を見合わせ笑うグレースとリヴェルに、フィグは「そういうもんか?」と、首を傾げた。
「そういえば、フィグ。今日は食堂のご飯じゃなかったの?」
ふっとグレースの目についたのは、テーブルの上に置かれた空の弁当箱。ブラムとフィグは、いつもは食堂で食事を取っているはずだ。
グレースに疑問を投げかけられて、フィグの表情が途端に暗くなる。
「今、食堂閉まってるんだよ……」
溜息をつきながら立ち上がり、フィグは空の弁当箱をゴミ箱へと片付ける。
「何か、あったの?」
グレースが入院中も、食堂が閉まっている日は滅多になかったはずだ。
フィグの様子に不安を覚え、グレースは恐る恐る尋ねた。
「ウェスタが倒れたんだ」
「ウーちゃんが!?」
思いもよらない情報にグレースは驚きを隠せない。
病院から退院した後も、ウェスタとの交流は続いていた。
最後に手紙を出したのは五日前だ。返事を出す前にウェスタから届いた手紙には、体調の事など一言も書いてはいなかった。
グレースの背中を嫌な汗が伝う。
ウェスタは高齢だ。
まだまだ元気だと思っていても、ある日突然体調が崩れる事もある。
少しの体調の変化が徐々に重く苦しいものになっていく様を、グレースは前世で幾度も見て、そして見送ってきた。
「フィグそれっていつの話? いや、待って、それよりウーちゃんの容体は――」
「ホーウェンさんなら大丈夫ですよ」
気付けば立ち上がっていたグレースに静かに声が掛けられる。
「命に関わるような事ではないので、安心してください」
お茶を手に戻ってきたブラムは微笑んで、グレースの前にティーカップを置いた。
「おねえさん、大丈夫?」
心配そうにこちらを見上げてくるリヴェルにグレースは我に返り、心配をかけまいと笑みを浮かべた。
「うん。ごめんね、ちょっとびっくりしちゃって」
静かに腰をおろし、置かれたお茶を手に取る。
優しい香りが鼻腔をくすぐり、ざわついた心が落ち着きを取り戻していく。
(良かった……)
お茶を配り終え、ブラムはフィグの隣に腰を落ち着ける。
「まったく。オルストン嬢が混乱してるじゃありませんか」
「俺は聞かれたから答えただけだ! けど、ごめん。グレース」
「ううん、良いの。でも、ウーちゃんの容体は――」
大丈夫なのかと、続けようとした言葉を止めて、グレースは隣を見る。
急に感じた体の重み。その正体は、グレースに寄り掛って寝息を立てるリヴェルだった。
「あら、さっきまで元気そうだったのに、疲れが出たのかしら」
「違う、違う。それ、眠らせたのブラムだ」
「え!?」
思わず出た大きめの声に、グレースは慌てて自身の口を塞ぐ。
ブラムを見ると、その表情は苦笑を浮かべていた。
「口にしたら眠るように、お茶に魔法をかけておいたんです。今からする話をリヴェルが聞いたら、きっと気にしてしまうので」
リヴェルを起こさぬよう、声の大きさを落としながらブラムは言う。
先程ブラムが言っていた「耳に入れておきたい話」とは、リヴェルには聞かれたくない話らしい。
どういう事かとグレースが視線を投げかけると、ブラムは口を開いた。
「ホーウェンさんが倒れたのは、黒い鳥に襲われたからなんです」
長くなりそうなので一旦区切ります




