36 普通と貴族とオルストン家
「うわ、めずらしっ。お前が中に来るの久しぶりじゃん」
白い空間で、白い箱に座る男はこちらに気付いて驚いた表情を向けた。
褐色の肌に艶のある黒髪は、一面真っ白な空間でひと際異彩を放っている。
久方ぶりの訪問に驚き、見開かれた瞳は今のリヴェルと同じ金色だ。
「サーリー」
名を呼ぶと、男は口角を上げた。
「変装生活には慣れたかい? リヴェル、いや、リィル坊ちゃん」
「変装は慣れたけど……サーリーは? 最近、出てこないけど」
「からかう医者も猫も居ないし、出たところでなぁ。俺は貴族の生活なんか興味ないでーす」
サーリーは、からかうような楽し気な視線から一転、酷くつまらなそうな視線をリヴェルに向ける。
最近は入れ替わることもなく、サーリーが声をかけてくる事も減っていた。
気がかりで自身の心の内へと潜ったが、サーリーはいつも通りの通常運転だ。
「確かに貴族だけど……」
「その先、当ててやろうか? 貴族にしては庶民臭いって言いたいんだろ。やだねぇ、これだから贅に塗れた王族様は。匿って貰っといて文句言いやがる」
「そ、そんなこと言ってない!! ただ、一緒にいて色々と不思議に思っただけで……!」
先に続く言葉を悪意たっぷりのものに変えられ、リヴェルは慌てて声を上げる。
「王族のお前がずれてんじゃないのー。実はこれが世間一般のお貴族様の生活なのかもよ?」
「それは違うと思う……。お姉さんも他の人達もなんでも自分でやっちゃうし、貴族っぽくないなって」
オルストン家の人々は身の回りの世話も必要としなければ、出来る事は全て一人でやってしまう。
リヴェルが知っていた「貴族とはこうあるべき」という常識からは随分とかけ離れていた。
「俺からすればそれが普通だ、アホめ。これだから金持ちは。つーか、グレースちゃんの中身は平民のばあちゃんだって聞いてたろ。自分の事が出来るのは普通なの」
「普通……」
「そー、そー。つーか、それでなんか都合が悪いわけ?」
「……悪くない」
貴族と平民の違いに戸惑うリヴェルに呆れた表情を向けながら、サーリーは溜息をつく。
「じゃあ、さっさと寝ろ。明日も無意味な筋トレに励むんだろ」
「む、無意味じゃないもん……! もういい、おやすみっ」
「おやすー」
憤慨するリヴェルにひらひらと手を振ると、リヴェルは頬を膨らませながら身を翻し、白い空間に呑まれるように消えていった。
リヴェルの意識が消えた事を確認してサーリーは再度息を吐く。
「お前が魔法解かねぇ限り無意味だよ。マザコンリヴェル。しかしまぁ、自分で言っててなんだけど普通、普通ねぇ」
生活が貴族らしくない事などどうでもいい。
例えば、グレースの母親と弟を殺そうとしたら相当手こずるだろう。父親もああ見えて隙が無い。
グレースだけが、至って普通なのだ。
我が強い人間に囲まれて、どうしてあそこまで普通になれるのか。
それこそが異常だ。
「いや、まぁ、俺の殺気に気付いてる時点で素養はあるけど。でも魔法も使えないし、今んとこそれだけなんだよなー」
自身の異常さに気付いていないのか、気づいていて隠しているのか。
そもそも、こんなに簡単に訳ありの人間を匿ってしまうのも、人が良いと言えばそれまでだが、冷静に考えてありえないだろう。
普通に見えて、普通じゃないのだ。グレース・リー・オルストンという令嬢は。
割れたガラスの破片を握り、ダイナーを殺すのを止めたグレースを思い出し、サーリーは「はっ!」と笑った。
「あんな女、貴族にも庶民にも居やしねーよ」
***
リヴェルがオルストン邸に来てから一ヶ月。
「でん……、リィル。今日はもう終わりにしよう」
「はい。アーティ兄様」
額の汗を拭う金髪の少年にアーティはタオルを差し出した。
共に運動していた筈なのに、少年と違ってアーティの表情は変わらず涼しげだ。
「お疲れ様。大丈夫? リィル君」
「ちょっと疲れたけど、大丈夫。僕も早くアーティ兄様みたいになりたいから」
にへらっと笑う少年の表情は晴れやかだ。
無理をしてるなら止めなければと思っていたが、言葉に嘘は無さそうだとグレースは心配の言葉を飲み込んだ。
代わりに、隣で優しい視線を少年に送るアーティに少しだけ意地の悪い笑みを向ける。
「アーティ、さっきまた殿下って言いかけたでしょう?」
「それは、つい……」
「この姿の時に王太子扱いは厳禁。家族として接する事って決めて一ヶ月、そろそろ慣れなくちゃ」
「ん。気を付ける」
言い訳をせずに認めるところは、実にアーティらしい。
真面目な顔で「殿下ではなくリィル、リィル、リィル……」と、小声で半数するアーティにグレースと少年は顔を見合わせて笑いあった。
金髪の少年リィル。彼はリヴェルの変装した姿だ。
編めるほど長かった髪は肩口にまで切り揃え、ライラのプラチナブロンドの髪に寄せた金色に変装魔法を施した。
名をリヴェルではなく、リィルとし、わけあって親戚の子供を預かっているというのが表向きの設定だ。
邸に籠って生活すれば、変装する必要も無いかもしれないが、それでは病院にいた時となんら変わらない。
できる限り普通の生活をさせてあげたいと、グレースが願ったのだ。
しかし、リヴェルを狙う人物に顔と名前も知られてしまっている。そこで、ブラムとアーヴェントの許可も得て、仮の姿での生活を送ることになったのだ。
(今のところ、変装したままでもリヴェル君に不便はなさそうね)
当初、リヴェルは変装魔法を使った事が無く、修得に時間がかかるかもしれないと予め色々な変装道具を用意していた。
だが、アーヴェントからコツを教えて貰っただけでリヴェルは直ぐに魔法を習得し、それを解かずに持続し続けている。持続し続けるリヴェルの魔力量もさることながら、簡単に魔法を習得してしまうのは才能としか言いようがない。
一見して魔法とは気付かないリヴェルの髪色を改めて眺めていると、扉のノックの音が響き、一拍置いて低い男性の声が聞こえてきた。
「失礼します」
換気のために扉を開けたままの入口に立っていたのは、紫がかったグレーの髪を後ろにしっかりと撫でつけ、執事服に身を包んだ壮年の男性。
オルストン家に仕える執事のマウロだった。
「昼食が出来たので呼びに来たのですが、先に汗をお流しになりますか? 坊っちゃん方」
「いや、俺は良い。有難う、マウロ」
「ぼ、ぼくも、大丈夫ですっ」
「承知しました。天気も良いので、お庭で召し上がることも出来ますが、いかがいたしますか?」
「じゃあ、お昼は庭で食べましょうか。準備をお願い」
「承知しました」
一礼して立ち去るマウロを、アーティの背後に隠れて伺うリヴェル。
その姿に気付き、グレースはリヴェルの隣にしゃがみこんだ。
「マウロが怖い?」
「!……あの、えっと…………ごめんなさい」
グレースの問いに最初は目を泳がせていたが、やはり図星だったようでリヴェルは肩を落として項垂れた。
「あ、別に怒ってるわけじゃなくてね……! ただ、マウロもアーティと同じで誤解されやすいから」
執事のマウロはグレースが生まれる前から邸で働いてくれている、とても優秀な執事だ。
持って生まれた眼光の鋭さとマウロの纏う雰囲気の堅さから、どうにもリヴェルは近付きがたいようだった。
(アーティも最初はリヴェル君に怖がられてたけど、話したら直ぐに打ち解けたし……。やっぱり歳の離れた大人相手だとそうもいかないか)
グレースとアーティは物心着く前からマウロを知っているため、怖いと思った事は無い。しかし、余所から来たリヴェルは別だろう。
「母様がマウロに舞台で役を与えるなら、マフィアのボス一択だわって言ってたな」
「ま、マフィア……っ」
アーティが悪気無く言った一言に、リヴェルの顔が青ざめる。
確かに似合うが、今はその言葉に賛同している場合ではない。
「えっと、マウロには確かに近づきがたい所があるかも知れないけど、とても優しい人なのよ。今すぐには難しくても、少しずつ慣れてくれると嬉しいな」
グレースの言葉に返事は無いものの、リヴェルはこくりっと頷く。そんなリヴェルの頭を撫でて「さ、お昼を食べに行きましょ」と、庭へと向かった。
***
「リィル坊っちゃん、お腹いっぱいになりましたか?」
昼を済ませ一息ついていると、リヴェルはメイドの女性に声を掛けられた。
「あ……、なったけど、でも少ししか食べれなくて」
「まさかどこか調子が!?」
「ううん……! ただ、あんまり喉を通らなくて」
「あら、じゃあ夕飯はもう少しさっぱり軽めのものを考えておきますね!」
女性はリヴェルに、にかっと満面の笑みを向ける。
ラベンダーのような薄紫色の髪をひとつのお団子にまとめ、メイド服を着こなす彼女はオルストン家に仕える唯一のメイドで、マウロの妹のメイリーだ。
(今日のご飯はメイリーさんが作るのかな)
オルストン邸にはマウロとメイリー以外の使用人はいない。
キッチンを預かるコックも、庭を管理する庭師もおらず、邸の管理、家事、家人のサポート、その全てをマウロとメイリーの二人でこなしているのだ。
二人を紹介された時リヴェルは思わず「二人だけ?」と口にするほど驚いた。
それもそのはず、グレースの父は、ここグラバー領を治める領主バート・リー・オルストン伯爵。
ここは伯爵邸なのだ。
王宮ほどでは無くても、伯爵邸ならもっと使用人が居てもおかしくはない。
見た所、金策に困っている様子もなく、使用人を雇う余裕だってある筈だ。
驚くリヴェルに「皆さん大体の事は自分でやっちゃうので二人だけでも回せるんですよ。確かに他のお屋敷と比べて少ないですけど、人件費も減ってお得なんです!」と眉ひとつ動かさないマウロとは対照的なメイリーの笑顔に、その時は呆気にとられることしかできなかった。
(ここは、他の貴族の家と違うとこがいっぱいだ。お姉さんも家の人達も)
入院する前、王宮では自室に籠っている事の多かったリヴェルは家族と使用人以外の人間と対面する機会はほぼ無かったが、周囲から貴族の常識については教えられていた。
その常識に、オルストン家の人達は囚われていないように思う。
だからといってサーリーの言っていた通り、都合が悪いなんて事は当然ない。
むしろ、身の回りの事を当たり前にこなし、背筋を伸ばして立つその姿に尊敬の念を抱くほどだ。
(マウロさんもメイリーさんも、いつも仕事はやいし、すごいなぁ……)
今も目の前でてきぱきと後片付けをしているメイリーを見ながら、手際の良さに感動していると、いつの間にか姿を消していたマウロが戻ってきた。
「お嬢、馬車の用意ができました。それとこちら、頼まれていたお弁当です」
「ありがとう、マウロ。どうだった? いい感じにできた?」
「言われた通りに出来たかと」
「ふふっ。マウロがそう言うなら完璧ね。それじゃあ二人とも、行きましょうか」
「行くってどこに?」
首を傾げるリヴェルに、グレースは大事そうに包みを受け取って、にっこりと微笑みかけた。
「グラバー領の要に会いに」




