35 迷惑をかけたくないのなら
「…………あったかい」
ぼんやりとした意識の中で、自身を包む温もりを感じながらリヴェルは重い瞼を開いた。
どうやら自分はベッドの上で、ふかふかの布団にくるまっている。
一瞬、病室にいるのかと錯覚しそうになるが、目に見える室内の景色に見覚えが無い。
王宮の自室とも病院の部屋とも違う。
「えっと……馬車、のってたはず……」
起き上がって現状を確認しなければと思いつつも、睡魔とふかふかの布団の心地よさが思考の邪魔をする。
抵抗空しく、開いていた瞼が再度閉じそうになった時、内側から声がした。
『おい、寝るな。いい加減起きろよ』
しびれを切らしたその声は、ここ暫く問いかけても返事の無かったもう一人の自分。
「サーリー!?」
唐突に聞こえた声に驚いて、意識が急速に引き戻される。
もしかして消えてしまったのではないかと思うほど、魔力暴走を起こしてしまった事件以来サーリーは姿を現していなかった。
『おはよう、寝坊助。とりあえず横見ろ』
言われるがままに体を起こして横を向くと、視界に飛び込んできたのは大きなテディベア。
「くまさんっ」
一人掛けのソファーに座りこちらを見つめている大きなテディベアは、持ち上げたらリヴェルと同じくらいの大きさになるのではないかと思うほど大きい。
愛らしい姿にリヴェルが目を奪われていると、サーリーから「腹のとこ」と言われ、視線を下げる。
そこには白いカードが置かれていた。
「目が覚めたらベルを鳴らしてね。 グレース」
カードに綴られた一文とグレースの名前に、リヴェルははっとする。
「ここ、もしかして」
『そーだよ。グレースちゃんの家。お前が熱出して寝てる間に着いたの』
「熱?」
熱を出した覚えはないが、どことなく体がだるい。
馬車で王都を出立したのは覚えているが、道中の記憶がおぼろげだ。
(僕、また……)
リヴェルは軟弱な自身の体に小さく溜息をついた。
『溜息ついてないで、早くベル鳴らせ。折角あそこから出れたのに、お前に付き合ってベッドの上に居るのもいい加減飽きた』
「うん……」
サーリーに急かされるままに、リヴェルはベッド横のサイドテーブルに置かれたベルを手に取る。
病院でも使っていたこれは人を呼ぶための魔道具で、込められた魔力によって普通のベルより広範囲に音が響くように作られている。
音を響かせる範囲によってベルの大きさや込められている魔力量が違うのだが、手元にあるベルは病院で使っていたものより少し小さめだ。
(なんか、ちょっとドキドキする……おねえさんが来るよね?)
息を呑んでベルを左右に揺らすと、チリンチリンっと軽やかな音が部屋中に響く。
見知らぬ家で人を呼ぶ行為に緊張していると、数分と経たない内に部屋のドアが開いた。
「リヴェル君!」
「おねえさん」
勢いよく開かれた扉から現れたのはやはりグレースで、駆け寄ってくる姿にリヴェルはほっと胸を撫で下ろした。
息が乱れているのを見るに、急いで駆けてきてくれたのだろう。リヴェルを一目見て安心した表情を浮かべたかと思うと、すぐにはっとして口元に手を添えた。
「あ、ごめんねっ……! 私ったらノックもせずに」
「ううん、大丈夫。僕こそ、また熱が出てたって……迷惑かけてごめんなさい」
項垂れるリヴェルの肩にそっと手を置いて、グレースは首を横に降った。
「迷惑だなんて思ってないわ。ここまでだいぶ遠かったし、疲れが出るのも当然だもの。大丈夫よ」
長時間の移動の経験がないリヴェルが体調を崩すかもしれないとブラムから言われていた事もあり、予め心構えと準備はできていた。
リヴェルが気にする可能性を考慮してあえて口には出さないが、リヴェルの表情は暗いままだ。
「僕、ずっと迷惑かけてばかりだ」
項垂れたままのリヴェルがぽつりっと呟く。
「リヴェル君……」
(気にすることはないって、言うのは逆効果よね……)
伝えたとしても、きっとリヴェルには届かないだろう。
リヴェルは幼いながらも、その幼さを感じさせない賢い子供だ。
魔力暴走を起こした後も、アーヴェントやブラムを傷つけてしまった事を深く反省し、今も自分の体調の悪さよりも迷惑をかけてしまった事を悔いている。
(他人を慮れる優しい子。でも、だからこそ、自分を責めてしまうのかしら)
落ち込むリヴェルになんと声をかけるべきか、グレースが悩んでいると背後から声が聞こえてきた。
「それなら、強くなればいいじゃない」
振り向いた先、グレースが開け放したままの入口に佇んでいたのはライラとアーティだった。
「扉くらい閉めなさいな。話が外まで聞こえてるわよ」
室内に入って扉を閉めると、ライラとアーティはこちらへ近付いてくる。
「お母様、いつからそこに? アーティまで」
「私はさっき駆けつけたのよ。アーティは部屋に入って良いか悩んで立ち聞きしていたけれど」
「いや、立ち聞きしていたわけでは……。急に部屋に入ったら怖がられるかと思って」
現にアーティを一目みて、リヴェルはグレースの後ろに少しだけ隠れるように体をずらしていた。
普段、あまり表情が変わらないアーティが多少困ったようにこめかみを搔く。
体格の良さや木訥とした雰囲気が子供に怖がられるのを気にしているようで、アーティはリヴェルが来ることが決まった時、どう接すればいいかと悩んでいたようだった。
「リヴェル君、紹介するね。母のライラと、弟のアーティ。お父様は今出てるから、帰ってきたら紹介するね」
「初めまして、リヴェル殿下」
「初めまして」
ライラとアーティが頭を下げるのをみて、リヴェルも「は、はじめましてっ」と背筋を伸ばす。
「やっとお顔を見れたわ。顔色もだいぶ良くなったみたいだけれど、ちょっと失礼しますね」
「!」
ライラは熱を計るように、リヴェルの額に手を当てた。
リヴェルは驚き、少し頬を赤らめながらも、動かずにライラが額に当てた手に視線を向けている。
「うん。熱は下がったようね。それで、殿下は人に迷惑をかけるのが嫌なのかしら」
ライラの言葉にリヴェルは頷く。
「そう。じゃあ、アーティと一緒に体を鍛えましょうか」
「えっ」
「ちょ、お母様、リヴェル君は――」
「体が弱いからと引きこもってばかりじゃ、かえって体に毒よ。魔力に体がついてこないなら、強い肉体を育てればいいじゃない」
「一理ありますが、極論では……」
「あら、アーティ。貴方だって、鍛え始めてから滅多に風邪もひかなくなったじゃない。身をもって証明しているのに極論だなんて言うの?」
「それは、確かに」
急な提案に面食らっていたアーティだったが、ライラの言葉にふむっと頷く。
「アーティ、納得しないで。元から丈夫な貴方とリヴェル君とじゃ基礎が違うわ」
「だから基礎をつけましょうという話よ。大人しく過ごしていたって虚弱なまま。鍛えて体力がつけば、熱が出る頻度も減るかもしれないでしょう?」
「確かにそうかもしれませんが……」
ライラの言う事も確かに一理ある。
しかし、リヴェルは魔法で自分自身の体の成長を止めているのだ。その状態で鍛えたところで、果たして肉体に影響は出るのだろうか。
悩むグレースの肩に、アーティがそっと手を置く。
「姉さん、一番大事なのは本人の意志じゃないか?」
そう言うとアーティはリヴェルに一歩近づき、視線を合わせるように片膝をついた。
「殿下にその気があるなら俺も手伝います。殿下はどうしたいですか?」
「……お兄さんは風邪ひかないの? 熱が出たりとかしない?」
「久しく体調を崩した事は無いですね。覚えている限りでは、最後に熱を出したのは幼少の頃だったかと」
「体をきたえたら、僕も熱出なくなる?」
「可能性はあると思います」
「じゃあ、やる。やりたい、です」
覚悟を決めたように、リヴェルは体の前で両手を握る。
「でも、何からすればいいの?」
「そうですね。先ずは、どのくらい体力があるかを調べて、そこから何が出来るかを――」
(これはもう止められないわね)
早速やる気満々なリヴェルに、真面目に答えるアーティ。
その様子にグレースが頭を抱えているとライラに肩を叩かれた。
「お茶にしましょう。運ぶの手伝ってちょうだい」
二人から離れ、ライラとグレースは部屋を出て厨房へと向かう。
「一先ず、元気そうで良かったわ。殿下にはお茶じゃなくてスープの方がいいかしら。何かお腹に入れて頂かないと」
「……あの、お母様。リヴェル君の体は」
「鍛えても意味がないかもしれない。でしょ」
グレースが続けようとした言葉をライラは言い当てる。
「先生から聞いてるわ。無意識下の魔法による成長の停止。確かに、鍛えたところで無駄かもしれないわね」
「知っていて、どうしてあんな提案を?」
「殿下は自ら鍛える事を決めたわ。 鍛えるのに魔法は邪魔になると、本能で理解したらどうなるかしら」
ライラの言葉に、グレースははっとする。
「無意識に、魔法を解くかもしれない」
正解の意を込めた笑顔を浮かべて、ライラは続ける。
「そもそも、何故そんな魔法をかけ続けているのか分からないから確証はないけれど。鍛えるには努力が必要よ。体の弱い殿下の場合は特にね。でも、その努力が魔法に邪魔されているとなったら、殿下の本能は魔法と努力、どちらを選ぶんでしょうね」
「でも、もしも解けなかったら……」
「グレース」
「!」
ライラは人差し指をグレースの唇の前に立てて、その続きを遮った。
「その時はその時よ。今すべきなのは始める前から心配するのではなく、やる気になってる殿下を応援すること。折角病院から出たんだもの、やりたい事をさせてあげましょう」
「っ! ……そうですよね。私ったら心配ばかり」
ライラの言葉で自分がいかにリヴェルの心配ばかりをしていたのか、グレースは気付かされた。
思えば目覚めるまでの間も、倒れたリヴェルを心配する言葉ばかりを口にしていた気がする。
「ふふっ、何事も行き過ぎると相手の重荷になる。それが分かれば大丈夫よ。さて、殿下も目覚めた事だし、今後の生活についてお話しないとね」
「はい。あ、マウロ達との顔合わせはいつにしますか? あと、家の中の案内とリヴェル君の調子が良い時に領地の案内もした方がいいんじゃないかと思うのですけど。あと、預かっている間のリヴェル君の勉強についても伝えないと」
「……準備はしていたけれど、いざとなると思いの外やることが沢山あるわね」
本来なら到着した日に済ませるはずだった事もいくつかあるが、熱が冷めたばかりのリヴェルに無理をさせるわけにはいかない。
「とりあえずバートが帰ってきてから考えるとして、先ずはお茶にしましょ」
ライラは悩むような素振りを見せていたが、どうやら考えることを放棄したらしい。
その後、帰宅したバートに「皆でお茶して、ずるい……」と羨望の眼差しを向けられて話しどころではなくなるのだが、そんな事を知る由もないグレースは「そうですね」とライラの諦めに笑顔で付き合う事にした。




