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前世の私は幸せでした  作者: 米粉
1章
31/68

30 黒猫の貸しひとつ

 



 ブラムと二人で話がしたいと理由を付けて視察団の面々から離れ、アーヴェントはブラムと共に理事長室を訪れていた。

 理事長室にはリヴェルと少年姿のフィグ。そして、サイラスの姿があった。

 本来ならサイラスは城で留守を守っている筈だったのだが、ブラムは視察団に同行、フィグも院内の警備に参加する事になり、リヴェルを一人にしない為にサイラスが呼ばれたのだった。


「で? 結局グレースと一言も喋ってないのか?」

「まったく、何の為に視察に同行したんですか」

「兄様、おねえさんに会えなかったの?」

「会えなかったというか……同じ空間には居たんですがねぇ」


 フィグ、サイラス、リヴェル、ブラムの言葉が次々にアーヴェントに突き刺さる。


「仕方ないだろ。タイミングが合わなかったんだよ」


 アーヴェントは四人の視線から逃げるように顔を背けた。


「当初の予定では、特例患者のオルストン嬢に王太子が話を聞く時間を設ける予定だったんです。ですが、それを伝える前に今朝、急きょオルストン嬢に見舞いの予定が入りまして」

「見舞い? 今朝グレースに会ったけどそんな事言ってなかったぞ?」


 聞き覚えの無い話題にフィグは首を傾げる。


「オルストン嬢のお母様です。なんでも所用で此方に出向いたらしく、内緒で会って驚かせたいと」

「あー、そういうことか。でも、グレースに話せば、見舞いの時間を早めに切り上げてくれたんじゃないか?」

「馬鹿言え。家族より俺を優先する必要なんて無い。ブラムには言わなくて良いって言ったんだ」


 グレースが長く入院生活を続けている事は、アーヴェントも知っていた。

 こちらの都合で折角の家族との時間を減らしてくれだなどと、口が裂けても言えるわけがない。


「それでも、食堂や中庭で少しでも話す機会があればと思ったんですが、人目も多い上に、オルストン嬢はアーヴェントに見向きもせずに立ち去ってしまいまして」

「あー、確かに他の患者達と違って王太子殿下に興味薄そうだったもんな」


 アーヴェントの代わりに説明するブラムに、フィグが相槌を打つ。

 その相槌が更にアーヴェントの心に刺さったのは言うまでもない。

 流石に少しばかり不憫に感じ、サイラスは話題を変えるべく話を振った。


「あの、殿下。視察の方はいかがでしたか?」

「視察は……あぁ、そうだ。ブラム、あとで警備に必要な予算案出してくれ。患者の安全の為になるなら高くついても構わない」

「お言葉は嬉しいですが、大丈夫ですか? 他の方々に反対されるのが目に見えるんですが」

「良い。現場を見てない奴らの反対を聞く気はないし、それを通すのが俺の仕事だ。何より、今回の事件を考えれば今後の対策として必要だろ。あと、ここの肉屋。ホーウェンさんに紹介しといてくれ」


 机に置いてあったメモ用紙に、アーヴェントは筆を走らせて、ブラムに渡す。

 そこには「チャールズの肉屋」の文字と住所が書かれていた。


「さっき厨房で話を聞いた時に、今まで使ってた肉の仕入れ先が店を閉める事になって困ってるって言ってたからな。そこの肉屋も、最近でかい取引先が潰れちまって大変だって話だから、多分喜んで引き受けてくれる」

「その情報は一体どこから?」

「その肉屋の息子のボイドから。ボイドに、ヴェントからの紹介だって言えば親父さんが値段の交渉含め、ちゃんと話を聞いてくれる筈だ」


 聞き慣れぬ名前に、二人の会話に割って入るようにサイラスが「あの」と声を上げた。


「殿下、つかぬ事をお伺いしますが、そのボイドさんとはどういったご関係で?」

()()()()()飲み友達」

「……あなたって人は。本当、ほどほどにしてくださいよ」

「俺は飲んでないから安心しろ」

「そういう事じゃないです」


 ボイドという名の人物は、身分を隠し、ヴェントとして街にくり出した時のアーヴェントの知人なのだろう。

 しれっと答えるアーヴェントに溜息をついて、サイラスは頭を抱えた。

 いつもなら諭すところだが、ブラムと病院の役に立つ情報ならば強くは言えない。


「サイラス君には申し訳ないですが、この情報は助かりました。ホーウェンさんに伝えておきますね」

「あぁ、頼んだ」

「それで? グレースの方はどうするんだ?」


 逸らした話題を悪気ない一言で元に戻したフィグに、サイラスは視線で訴えるが、確かに避けては通れない話題だ。今回の機会を逃せば、アーヴェントがいつ病院に来れるか分からない。


「い、今から、おねえさんのところに行けば…!」

「部屋にいきなり王太子が来たらグレース困惑するだろうな。それに、まだ視察残ってるだろ」

「う……」


 言葉に詰まるアーヴェントの力になれればと、意を決して発言した言葉に返ってきたフィグの正論に、リヴェルは肩を落とす。


「大丈夫だ、リヴェル。今回はタイミングが悪かっただけだし、無理矢理にでもまた会いに来るさ」


 アーヴェントは笑って、リヴェルの頭を撫でる。

 しかし、今回は公務という名目があったからこそ人目を気にせず城を出られたが、アーヴェントへの執事長の監視の目は暫くゆるまないだろうことをサイラスは知っていた。


(オルストン様の退院も近いようだし、それまでに来れるかどうか……)


 どうしたものかとサイラスが考え込んでいると、フンッとフィグがつまらなそうに鼻を鳴らした。


「ま、興味が無いのは()()()殿()()()ってだけで、グレースはずっとお前を待ってるけどな」


 ソファーから立ち上がり、フィグはアーヴェントの前に立つ。


「おい、馬鹿王子。グレースのためだ。ひとつ貸しな」




 ***




 院内の賑やかな空気から逃げるように、グレースは部屋へと戻ってきていた。

 視察団の来訪に立ち会える事など滅多にないし、グレースとて、賑やかな雰囲気が苦手なわけではない。

 ただ今は、リヴェルとヴェントの事や、ライラにどう話をすべきか、それらで頭がいっぱいだった。


 ベッドに腰かけて一息つくと、花瓶の赤い花が目についた。


(少し見えただけだけど、白い礼服に深い赤色の髪が映えて素敵な殿方だったわねぇ)


 食堂で見た王太子は、いつか新聞で見た絵姿の通りに深い赤色の髪を持った青年だった。

 遠目に一目見えただけだが、立ち居振る舞いの美しさ、纏う雰囲気、そのすべてに気品が感じられた。


(お母様も人を惹き付ける魅力があるけれど、王太子殿下も高貴な魅力というか、カリスマ性というのかしら。不思議な空気をお持ちよね。少しだけど目の保養だったわ)


 貴重な経験を思い返していると、室内に響くノックの音。


「グレース、居るか?」

「フィグ? えぇ、どうぞ」


 次いで聞こえてきた声に答えると、開いた扉から少年姿のフィグが顔を出した。


「悪い、グレース。ちょっと付き合ってくれ」


 ちょいちょいっと手招きをするも部屋に入る事はせず、フィグは顔を引っ込めてしまう。

 慌てて杖を手にし、扉を開けて廊下に出ると、黒猫に戻ったフィグが尻尾を振りながらこちらを見ていた。


「ぶあっ」

「ま、待って」


 グレースの姿を確認するやいなや、先へと進んでいくフィグをグレースは慌てて追いかけた。


(どうして、元の姿に戻ったのかしら?)


 一定の距離を保ちながら歩を進めるフィグに疑問を抱きながら後をついていくと、見覚えのある扉の前でフィグは立ち止まった。


「ここは、リヴェル君の――」


 そこは、リヴェルが居た特別個室。リヴェルが部屋を移った後は、誰も使っていない筈だ。

 ここに一体何の用なのか。そう問う前に、フィグはドアノブに尻尾をかけて扉を開いた。


「ぶあーあ」


 部屋に入っていくフィグの後をついていくと、クローゼットの前に一人の人影があった。

 後ろで結われた長い髪が、窓からの陽光で鮮やかな赤色に輝く。

 赤髪と、さっき遠目に見えた白い礼服にグレースは息を呑んだ。

 振り返った男性の胸元に刺繍された紋章は、この国に住む人間なら知らない者はいない王家の紋章。


(お、王太子殿下!? どうして!?)


 混乱しながらも、先ずは挨拶をと、グレースは礼の姿勢に入ろうとした。


「ぶっあ!!」


 しかし次の瞬間、手にしていた杖が手元から消えた。


「え!?」


 足元を見れば、フィグの尻尾に杖が絡めとられている。

 フィグに奪われたのだと理解した瞬間、取り返す間もなくフィグは走り出していた。

 それはもう一直線に。猪突猛進と言わんばかりの勢いで走り出し、飛んだのだ。



 王太子の顔面目掛けて。



「フィッ……!!!」



 グレースの全身から一気に血の気が引く。

 普通の猫よりは少し、いや、だいぶ大きめなフィグがあの勢いで頭めがけて飛び掛かったら、確実に首を痛めてしまう。

 いくらフィグが神子であっても相手は王族、王太子だ。

 怪我をさせるなど以ての外、そんな事になればフィグの身もただではすまない。


「駄目っ!! フィグ!!!」


 思わず手を伸ばし、走り出そうと一歩踏み出していた。

 しかし、片足が地面に着く前にグレースは大きく体勢を崩してしまう。


(あっ、しまった)


 視界に入った空飛ぶフィグと愛用の杖。

 勢いのまま飛び出したが、グレースの脚はまだ走るまでには完治していない。


(一体何度転べば……兎に角、殿下に怪我がありませんよう、にっ!?)


 前のめりに倒れる身体が、誰かの腕に抱き留められる。

 一瞬、フィグが助けてくれたのかと思ったが、視界の端に黒猫のままのフィグが見えた。

 では、自分を支えてくれているこの白い服、この腕は誰なのか?

 現状一人しか思い浮かばない可能性に、恐れ多くて隣を見る事が出来ない。


(ど、どどどうしよう、これ絶対王太子殿――)


「あっぶねぇ……。本当、よく転ぶな」


 隣から聞こえてきた、聞き覚えのある声。


「……へ?」


 今ここに居るはずのない人物が頭をよぎり、グレースは思わず隣を見上げた。

 丸眼鏡でも紺色の髪でもない。視界に見える赤い髪のその人物は、間違いなく王太子殿下だ。


(でも、この声に、瞳は間違いなく……)


「ヴェント、さん?」


 分けられた前髪のおかげで、よく見える薄明の瞳が驚いたように見開かれた。かと思うと、視線を逸らし、グレースをゆっくりと起き上がらせる。


「あー……、えっと」


 杖がないグレースの片手を握りながら、空いた片手で軽く頭を掻き、困った様な、申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 少し近い距離で見上げる形になるグレースと再度視線が交わると、優しくその瞳を細め、アーヴェント、もといヴェントが口を開いた。


「遅くなってごめん。グレース」




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