25 破片と殺意とその理由
「これでよしっと」
ヴェントは、倒れているダイナーの両手を後ろで縛り上げ、ふうっと息を吐いた。
何者かによって操られていた可能性があるとブラムが言っていたが、目覚めた時、ダイナーがどういう行動に出るか分からない。フィグとブラムに知らせる前に、念のため拘束しておこうという話になったのだ。
「あの、ヴェントさん。肩は大丈夫ですか?」
見た目にはなんともないが、肩を庇いながら動き続けているヴェントに、グレースは心配そうに声をかける。ダイナーを拘束する時も、なるべく痛めた左側は動かさず、時には口を使いながら器用に拘束していたが痛みがないわけではないだろう。
そう思い、手伝いを申し出たが「グレースはそのままで」と断られ、隣で見守っていることしかできなかった。
「多少痛む程度だから平気だ。グレースも重くないか?」
「私は全然」
かぶりを振るグレースの膝の上には、腰元に抱きついたままで寝息をたてるリヴェルがいた。
魔力暴走で体力を奪われた上に、泣き疲れてしまったのだろう。背中を擦り、落ち着かせている間に泣き声が寝息へと変わっていた。
リヴェルの安らかな寝顔をみて安堵する反面、グレースへの申し訳なさもあってか、ヴェントは困ったように笑う。
「悪いな。それじゃ、ブラムとフィグに声かけてくる」
「はい。お願いします」
部屋を後にするヴェントを見送り、隣にうつ伏せで横たわるダイナーに視線を移した。
ヴェントが戻るまでの少しの間、監視役を申し出たものの、ダイナーが起きそうな気配はない。
ブラムの言う通り、本当に誰かに操られていたとしたらダイナーも被害者だ。正直、縛られ横たえられている今の姿には同情を禁じ得ない。
(一体、彼を操っていた人は何がしたいのかしら……)
グレースは、荒れ果てた部屋の中を改めて見回した。
壊れた家具に、ボロボロの壁紙やカーテン。何があったか知らない人間が見れば、台風でも通ったのかと思うくらい酷い荒れようだ。
「今までもこんなに大変な事になってたのかしら……」
初めてサーリーと対峙した時、サーリーはフィグに「癇癪を起こして暴れた」と言っていた。それはつまり、今日だけじゃなく、今までも暴走を引き起こしていたのだろう。
こんなに派手に暴れていれば、グレースや他の階の患者達も気付きそうなものだが、今まで生活してきた中で一切そんな気配はなかった。
元から部屋に張られていた結界は、暴走の被害を広げない為と、周囲に気付かれないようにする為のものでもあったのかもしれない。
グレースはリヴェルに視線を落とし、鉛色の髪をそっと撫でた。
(こうして見れば、普通の子供と変わりないのに)
リヴェルの目尻にうっすらと浮かんだ涙を優しく拭う。すると、リヴェルの目蓋がパチリっと開かれた。
「!」
起こしてしまっただろうかと焦るグレースを余所に、リヴェルはグレースから離れて立ち上がり「んー!」と、大きく伸びをした。
「やっと出れた」
脱力してそう呟くと、リヴェルは何かを探すように部屋の中を徘徊し始める。
「リ、リヴェル君?」
「残念、サーリー君だよ。これで良いか」
視線は寄越さず、ひらひらと手を振って答えたサーリーは、ダイナーを縛る際に使用したカーテンの余りを手に巻いて、割れた窓ガラスの破片を拾い上げた。
その姿に胸騒ぎを感じ、グレースは立ち上がってサーリーに問いかける。
「何を、してるの?」
答えはない。
ゆらりっとサーリーの身体が揺れたかと思うと、軽やかな足取りでダイナーに駆け寄り、破片を握りしめた手を振り上げた。
「ダメっ――!!!」
反射的に、グレースはダイナーに覆いかぶさる。
しかし、痛みも衝撃も無く、グレースが恐る恐る顔を上げると、心底つまらなそうな表情を浮かべるサーリーと目があった。
「危ないなぁ。うっかり刺すとこだったじゃん。退いてよ、グレースちゃん」
「何をする気なの……?」
「何って、息の根止めようと思って。これで首あたりをぐさーっと」
「なっ……どうしてそんなこと……!」
「そいつが先に仕掛けてきたんだから当然じゃん。だから退いて」
軽く言い放つサーリーにたじろぎそうになりながらも、グレースは動かない。
「……この人を傷つけないと約束してくれるなら」
「分かんないなー。 どうしてそいつを庇うのさ。二回目だよ? そいつがリヴェルに手を出すの」
理解できないと言いたげに、サーリーは頭を掻く。
「この人は、誰かに操られていただけかもしれないのよ?」
「だから?」
サーリーはダイナーを傷つける事に一切の躊躇がない。何故邪魔をするのか?と、グレースの行動に本気で首を傾げていた。
「あのさ、俺だって得にならない殺しはしない主義だよ。そいつを操ってた奴は俺らの事を色々知ってるみたいだったし、厄介そうだった。そいつがまた操られでもして、今度はこれ以上に被害がでたら? リヴェルの巻き添えで死ぬのは御免だし、害になり得る人間は潰しといた方が良いでしょ」
「だからって、殺すのは違うわ」
サーリーは、心底不思議そうな視線をグレースに向ける。
「違う? 何で?」
(……あぁ、本当に分からないのね)
サーリーは生きるために、人の命を奪ってきたと言った。
彼の生きていた世界ではそれが当たり前で、今グレースがこうして止めている事も、本当に理解できていないのだろう。
「サーリー君」
「!」
「この世界は貴方の生きた世界とは違う。生きるために誰かを殺す必要なんてない。この世界でまで、貴方がこれを握る必要はないのよ」
(戦争もない。飢えもない。命を奪わなきゃ生きられない世界じゃないのに、なんで)
グレースはサーリーが握るガラスに手をかけた。フィグの結界のおかげで、血が流れることも痛みを感じる事もないが、その鋭利さと冷たさは触れて分かる。
「私は、貴方とリヴェル君を、この世界で人殺しにはしたくない」
グレースは、真っ直ぐにサーリーを見つめる。
少しだけ目を見開いたサーリーが、次いで顔をしかめたかと思うと、ふいっと視線を逸らされた。
「……じゃあ、こいつがまた操られて今度はリヴェルの命を狙ったら? どうせ、先生達はこいつを拘束するだけで罰を与える気なんてないだろ」
「それはない」
投げ掛けられた声にサーリーが振り返る。そこにはフィグに支えられながら立つブラムと、ヴェントの姿があった。
「その男については、俺が預かる。今後、絶対に手を出させない」
「……はっ。どうだか!」
ヴェントの言葉を鼻で笑って、サーリーは手にしていたガラスを手放した。
「今回はグレースちゃんに免じて見逃すけど、あの時殺しとけば良かったなんて思っても知らないからね」
「そんな事、思わないわ」
「……あっそ」
サーリーは投げやりに呟くと、意識を失ったようにグレースの方に倒れ込んだ。
慌てて抱き止めると、どうやらリヴェルと入れ替わったようで、小さく寝息が聞こえてくる。
「グレース! 悪い、大丈夫だったか?」
「えぇ。少し、話をしていただけなので」
グレースは手に残ったガラスを後ろに隠し、駆け寄ってきたヴェントに笑顔で答えた。
「さて、これは骨が折れますね……」
「もう折れてんじゃん」
「確かに折れてますが、そういう事じゃないんですよ……。オルストン嬢」
フィグの軽口に溜息で返して、ブラムはグレースを呼ぶ。
「はい」
「すみません。この場を片付けるまで、リヴェルを見ていて貰えますか?」
「勿論です。それ以外でも私に出来ることなら、いくらでも言ってください」
「有難うございます。それではフィグ、先ずはダイナーの部屋に行って、ディックの安否確認を。多分、あの部屋も結界が破られてます」
「……分かった。けど、お前はどうすんだ?」
「私はダイナーの処置と、この部屋の修復を――」
「馬鹿野郎! そう言うと思ったわ!! お前はその腕処置して絶対安静!!」
「ですが、この部屋も早めに戻さなければいけませんし」
フィグが、カッと牙を剥いて怒るものの、ブラムはどこ吹く風だ。そんな二人のやり取りに、「それなら」とグレースは提案する。
「看護師さん達に手伝いを頼んだ方がいいんじゃないでしょうか?」
「それは無理」
しかし、グレースの提案にフィグは首を振る。
「看護師達には、リヴェルの事を詳しく伝えてないんだよ。めんどうな貴族の患者だから、近付かないようにって言ってあるだけだ」
「でも、ブラム先生は重傷で、ヴェントさんも肩を痛めてる。二人の処置だけでも看護師さん達に頼めば……」
「それも無理なんです。すみません、折角気遣ってくれているのに」
「いえ……。あの、でも、どうして無理なんですか?」
今度はブラムにやんわりと断られて、頑なに看護師達を呼ぼうとしない二人にグレースは疑問を抱く。
リヴェルの事で何か事情があるのだろうとは思うが、現状を考えれば、人手があった方が良いのは確かだ。
「それは……」
「良い、ブラム」
言い淀むブラムに、声をかけたのはヴェントだった。
「流石に、ここまで巻き込んで何も話さないわけにはいかないからな。グレース」
「は、はいっ」
「一先ず、ここの修復は家の人間にさせるし、フィグとブラムのサポートは俺がする。それで、一段落ついたらグレースの疑問にちゃんと答えるし、聞いて欲しいんだ」
ガシガシッと頭をかいて、ヴェントは長い前髪を掻き上げる。
「リヴェルと、俺について」
前髪の隙間からじゃなく、正面から見えた薄明のような瞳。その瞳は、しっかりとグレースを見つめていた。




