19 突然の訪問者
リヴェルと食事の約束をした翌日。
ブラムからの呼び出しを受け、渋々ながら病室を出ていったフィグと入れ違いに、グレースの元に一通の手紙が届いた。
それは弟のアーティからで、心配と見舞いに行けない事への謝罪が綴られていた。
ここ数日、両親は仕事で家を空けており、アーティが留守を任されている為に直ぐに病院へ来ることが出来ないらしい。
「アーティに余計な心配をかけちゃったわね」
留守を任されているタイミングで、姉が誘拐に巻き込まれたと聞かされたアーティの心労を考えれば、謝らなければいけないのは寧ろ此方の方だ。
(アーティなら誘拐の件、お父様が取り乱さないように上手く伝えてくれるだろうけど、心配しないでって手紙を書いておかなくちゃ。今度皆が来る頃には、首の傷も消えてるだろうし)
心配性なバートの事だ。
誘拐されかけたなどと聞いたら、グレースが目覚めた時以上に取り乱し、今度こそ単騎で病院へ乗り込んで来かねない。
その上、ダイナーにナイフでつけられた首の傷まで見られたら、号泣どころの騒ぎじゃすまないだろう。
リハビリの為にかけられている守護魔法のおかげで、グレースの身体は治癒能力が多少上がっているらしく、傷の治りが速い。次に見舞いが来るまでには、巻かれている首の包帯も取れている筈だ。
心配をひとつ減らせる事に安堵し、首に巻かれた包帯を擦りながらグレースは手紙を読み進める。
そこには、謝罪の他に、家庭教師から今後について確認してほしいと頼まれた旨が綴られていた。
記憶転移症を発症する人間は、老若男女と様々だ。
グレースのように若くして発症した場合、将来、前世の記憶を活かせる職を選ぶ事が多いという。
『一から何かを学ぶより、慣れしたしんだ道を行く方が手っ取り早く、楽に稼げる』
という声もあるが、前世での技術を役立てる事で出る国からの補償、福利厚生が手厚いといった点も理由のひとつだ。
その中には、働くための知識と技術があれば、これ以上学校へ通う必要はないと考える者も居て、学校を中退したり、家庭教師に教わるのを辞めるケースもある。
グレースの家庭教師が言う「今後」とは、それらの事をさしているのだろう。
家庭教師を雇っているのは両親だが、グレースがこれ以上いらないと言ってしまえば、それまでだ。
(確かに知識と技術があれば仕事はできる。でも、それで勉強が要らないっていうのは、違う気がするのよね……。昔みたいに、いずれ家庭に入る女に学なんていらないって言われるような世界じゃないわけだし)
勉強よりも、家事を覚えるのが女の役目と思われていた時代を知っている善子にとっては、誰でも勉強ができる、この世界の自由さは素晴らしいものだ。
転移症になる前までは当たり前だった勉強を教えて貰う事も、今のグレースにとっては有難いものなのだと分かる。
教師との契約は十八歳まで。
残り一年も無いが、転移症を発症してからの数ヶ月分の遅れを考えれば、期間を伸ばして貰うことは可能な筈だ。
「先生には継続して頂くとしても、今後……将来、か」
そもそも、いきなり独り立ちできるほどの「何かしらの技術」をグレースは持っていない。
(もし記憶を役立てるとしたら、スーパーでのお惣菜づくりのパートを食堂とかで活かせるかしら。自分のお店を持つ程の技量はないけど、雇っていただく事は出来るだろうし……というか、貴族として、それはありなのかしら)
グレースの前世である善子には、手に職や技術があるわけではなかった。
独り立ちした後は、自身が暮らせる分の稼ぎがあればそれで良かったのだ。
自身が出来る事を、出来る範囲で頑張って生きてきた。
春と桜に借りて読んだ漫画の主人公のような、特別な力なんてものは生憎持ち合わせていない。
(特例って言われても、人より多く記憶を思い出した程度。前世の私って、ちょっと長生きしただけの、どこにでもいるおばあちゃんなのよね)
思い出した記憶を活用できそうにないのは勿体ないが、無いものを欲しがってもどうしようもない。
今後の事に多少頭を悩ませながら、グレースは手紙を丁寧にしまう。
小さく息を吐いたその時、コンコンっと扉をノックする音がした。
「はいっ」
突然のノックの音に、居住まいを正しながら答えると、静かに扉が開かれる。
隙間から顔を出したのは、深い紺色の髪と丸眼鏡。記憶に新しいその姿に、グレースは「あっ」と声を漏らした。
「ヴェントさん!?」
「よっ。邪魔してもいいか?」
「ど、どうぞ、 大したお構いもできませんけど」
「入院してる奴に気遣わせるつもりはないから、楽にしてくれよ。用がすんだらすぐ帰るから」
思いがけない来訪者に驚きながら、グレースが椅子を勧めると、ヴェントは笑いながら椅子に腰かけた。
「今日はリヴェル君のお見舞いですか?」
「ああ。誘拐の件で連絡受けて来たんだ。さっき病室に顔出したけど、熱があるみたいで長居はできなかった」
「え、熱!?」
「ほら、前回会えなかったろ? 誘拐騒ぎの事もあって、今回は面会の許可が降りたんだ。それで、今日は俺に会えるってはしゃいだらしくてな。一気に熱が上がったらしい」
「はしゃいで熱が……本当に繊細なんですね、リヴェル君」
「溜まってた疲れも出たみたいだけどな」
身体が弱いとは聞いていたが、まさかその程度で熱が出るとは思ってもいなかった。
心配そうなグレースに気付き「微熱程度だから、ちゃんと休めば大丈夫だとよ」と、ヴェントの言葉が付け加えられる。
「大丈夫なら良いんですけど……」
「ありがとな、心配してくれて。それと、誘拐騒ぎの事、さっき詳しく聞いた。リヴェルを助けようとしてくれたって」
ヴェントは座ったばかりの椅子から立ち上がると、グレースに向かって片膝をついた。
「!?」
突然の出来事に驚くグレースに向けて、ヴェントは恭しく頭を下げる。
「グレース・リー・オルストン嬢。貴女に、心からの感謝と謝罪を」
まるで物語の騎士のようなヴェントの姿と、いきなりの謝意。
グレースは驚きで一瞬言葉を失いつつも、急いでヴェントに近付き、座り込んだ。
「あ、頭をあげてください! 助けたのは別の人で、私は何も……」
「それだけじゃない。サーリーの事も聞いてるんだろ? あいつがした事も全部聞いた」
「それは、ブラム先生とフィグが間に入ってくれましたし」
「でも、助けがなければどうなってたか……悪かった。膝ついて謝るくらいじゃ足りないよな」
「た、足りてます……!もう充分ですから、頭をあげてください!」
ヴェントは少しだけ顔を上げたが、グレースの方を見ようとしない。
「……本当は、家を挙げて感謝と謝罪をするべきなんだが、色々と事情があってな。サーリーの事もあって、家の人間ですらリヴェルを遠ざけてる」
そう言うと、ヴェントはグレースの手を取って、ゆっくりと立ち上がらせる。
「だから、尚更感謝してるんだ。怖い思いをした筈なのに、それでもリヴェルの手を取って助けようとしてくれたこと」
両手で握られたグレースの右手に、ヴェントの長い前髪が掛かる。
自身の額が着きそうな程深く、ヴェントは再び頭を下げた。
「――ありがとう」
ヴェントとリヴェルとは出会って間もないし、家の事情もグレースには分からない。
だが、一人で病室に籠るリヴェルの気持ちや、リヴェルを想うヴェントのことを、彼らの家族は考えた事があるのだろうか。
俯いた姿から表情は伺えないが、少しだけ震えた声と強く握られた手にグレースは手を伸ばした。
「頭をあげてください。ヴェントさん」
ヴェントの手を、そっと包み込むように両手で握り返すと、ようやっとヴェントが頭を上げた。
「私にできる事なんて微々たるものです。でも、困っているなら助けたいと思ってしまう。だから、何か出来る事があればいつでも頼ってください。私は、二人の味方ですから」
長い前髪で隠れた瞳は見えずとも、確かに視線が交わったヴェントにグレースは微笑んだ。
「……っ、」
ふいっとヴェントが視線を逸らす。
ヴェントの赤くなった耳には気付かずに、もしや嫌がられたのではないかと、グレースは慌てて訂正した。
「あ、あの、迷惑だったら聞き流して頂いて……」
「ちがっ……! そうじゃない、ただ、」
「ただ?」
「いや、その……リヴェルが喜ぶだろうと思っただけだ」
ヴェント自身も嬉しいと思った気持ちと、赤くなった顔を隠すようにリヴェルの名前を出すと、グレースはほっとしたように「良かった」と安堵した。
その時、病室の扉がガチャリっと開かれる。
「まったく、ブラムのヤロー、大した用じゃないのに呼び出しやがって……て、何してんだお前ら?」
何やら不満を漏らしながら入ってきたのは、少年姿のフィグだった。
いきなりのフィグの登場に、瞬時に言葉が出ない二人を目にして、フィグは不思議そうに首を傾げる。
「なんで握手?」
フィグのその言葉に、未だに手を繋いだままだった事に気付いて、二人は同時に手を放す。
悪い事をしていたわけではないのに、なんだか気恥ずかしい。
フィグに気取られない様に、グレースは笑みを浮かべた。
「リヴェル君のお兄さんが、この間の件でお礼に来てくれてたの」
「あー、成程な。というか、こんなところで油売ってていいのか? アーヴ……!?」
フィグが言い終わる前に、ヴェントは素早くフィグに駆け寄って、フィグの口を掌でふさいだ。
「あにすんあ、てえー!(なにすんだ、テメー!)」
「軽々しく名前呼ぶな、バカネコ……! 身分隠してるって知ってるだろうが」
「ああえうあいへ、ああらしへーよ!(名前ぐらいで分かりゃしねーよ!)」
「念の為だ……!」
グレースに背を向けて、こそこそと会話が交わされている。
見守るべきか声をかけるべきか悩んだ末に、グレースは後者を選択した。
「あの……」
「!」
グレースの呼びかけにヴェントがゆっくりと振り返る。
「フィグとヴェントさん、知り合いだったんですね」
「ああ、いや……」
「こいつも昔ブラムの患者だったからな。付き合いが長いだけだ」
ヴェントの手を無理やりどかして、フィグはグレースに駆け寄ってくる。
「そんな事よりも腹減った。食堂行こうぜ」
時計を見ると、時刻は昼を少し過ぎている。
(先生の患者だったって事は、ヴェントさんも転移症者?)
詳しく聞いてみたいが、上目使いに空腹を訴えてくるフィグを待たせることもできない。
そんな事で片付けられたヴェントは、やれやれと言わんばかりの視線をフィグに向けていた。
「あの、ヴェントさんも良ければ一緒にどうですか?」
「え、いいのか?」
まさか誘われるとは思ってもいなかったのだろう。
驚いた顔のヴェントに、グレースは「もちろん」と笑顔で返した。
「じゃあ、お言葉に甘えて……と言いたいところだが、用事があるんだ。悪い」
「いえいえ、気になさらないでください」
「近い内にまた会いに来る。そん時にでも一緒させてくれ。この前みたいにまた腹空かせてくるからさ」
「ふふっ、楽しみにしてますね」
冗談めかしたように笑いながら「それじゃ」と、部屋を後にしたヴェントを見送ると、隣から「なぁ」と声を掛けられる。隣をみると、ヴェントが出ていった扉から視線を外さないまま、フィグが口を開いた。
「また会いに来るって、リヴェルに? グレースに?」
「それは勿論リヴェル君じゃ……」
「どっちとは言ってなかったぞ」
てっきりリヴェルに会いに来るのだと思っていたが、確かにさっきのヴェントの言い方だと、どちらと明言されていたわけではない。
「それなりに付き合い長いけどよ。女と飯の約束なんてしてんの初めてみたぞ。随分あいつに好かれたな、グレース」
(好かれたって……)
「え……ええ!?」
「とりあえず、早く飯いこーぜ」
自身が軽く放った言葉が、グレースを困惑させているとは露知らず、フィグは既に今日の昼食で頭がいっぱいになっていた。




