16 白い瞳の青年
(なんだ、なんなんだ、こいつ!? どこからわいて出やがった……!)
鷲鼻の男、ダイナーは理解できずにいた。
物音に振り向いた瞬間、後ろに居たディックとの間に人影が現れ、手にしている何かでディックを突き飛ばしたのだ。
ついさっきまで、そこに居たディックはベンチで白目を剥き、女の隣には見知らぬ男が佇んでいる。
急に現れた、不可思議な格好をした黒髪の男。
女を背に立ち、手にしている黒い棒状のものを此方に向けて構えた。
「うちの患者に手ぇだして、タダですむと思うなよ」
睨みつけてくる瞳は白色、神子の印だ。
神子を相手に暴力を振るうのは、神への背徳行為として罰せられる可能性がある。
――逃げなければ。
本能が訴える。
だがしかし、ダイナーの頭の中でいくつもの声が囁いた。
駄目だ。こいつを連れていかなければ。
神子を相手に暴れるのはまずい。
折角、魔道具まで貰ったのに。
捕まったら全て終わりだ。
ここまでするつもりじゃなかった。
それなら、何の為に此処に来たんだ。
何の為…………?
「…………金だ」
少年を力任せに引き寄せ、手にしていたナイフを突きつける。
(まだだ、まだ間に合う。こいつを引き換えに金を要求すれば……!!)
「ガキを助けたかったら、今すぐ金を持って来い!! こいつは金と引き換え……」
言い終わる前に、眼前から男が消えた。
それと同時に、手にしていたナイフが弾き落とされる。
「なっ……!?」
「遅い」
さっきまで眼前にいた男が、自身の懐に入り込んでいる事に気付いた瞬間、考える間も無く、衝撃と共にダイナーの身体と意識は、勢いよく吹き飛ばされた。
***
「オルストン嬢、少しお時間よろしいですか?」
誘拐騒ぎから二日後の午前中。
あの夜の事を改めて教えて欲しい。そう言って病室を訪れたブラムに連れられ、グレースは、あの日一緒に逃げた少年、リヴェルの病室に来ていた。
初めて入る特別個室は、ベッドの他にソファーやテーブル、ある程度の家具が揃えられており、上質な部屋だと分かる。そこまでの広さや煌びやかさはないものの、置いてある家具や調度品はシンプルながらに高価なものばかりだ。
ソファーには、グレースを助けた青年と、リヴェルが既に腰かけている。着流しではなく青年の白衣姿に、お医者さんだったのかとグレースは驚いた。
「どうぞ、座ってください」
勧められるがままにリヴェルの隣に座り「こんにちは、リヴェル君」と声をかけると、照れたような、か細い声で「……こんにちは」と返ってきた。
青年にも挨拶をと思い正面を見ると、青年は眉根を寄せてリヴェルに厳しい視線を送っていた。その視線に怯え、リヴェルがグレースに擦り寄ってくる。
「それでは、改めて聞かせて頂けますか?」
「あ、はいっ」
青年のリヴェルに対する態度も気になるが、先ずはしっかりと説明しなければ。
グレースは誘拐騒ぎのあった夜の事を話し始めた。
(先生、眠ってないんだろうな……)
話しながらブラムの様子を伺うと、目元にうっすらと隈が浮かんでいる。
あの夜、青年が男達を一蹴した後、中庭はちょっとしたパニック状態になった。
駆け付けた看護師とブラムだけでなく、騒ぎによって目覚めた患者達が中庭に現れたのだ。
看護師達は患者達の対応、ブラムはグレースとリヴェルのケア。
夜も深い時刻だった為、事情をしっかりと説明する前に、グレースとリヴェルは病室へと戻されたが、院長であるブラムは夜を徹し、それから数日かけて対応に追われていた事だろう。
ただでさえ忙しい身の上に負担を掛けまいと、入院してからグレースは、懸命にリハビリに取り組んでいた。
しかし、今回の騒動でこのうえない迷惑を掛けてしまった事を、グレースはひしひしと痛感する。
考え無しに飛び出していかなければ、リヴェルに怖い思いをさせず、もっと穏便に済ませられたのではないか。
部屋に戻ってからもずっと反省しきりで、気づけば朝を迎えていた。
「以上です。軽率な判断でリヴェル君を危険に晒して、皆さんにもご迷惑をお掛けしました。……本当に、ごめんなさい」
事件の成り行きを説明し終え、頭を下げたグレースを見て皆が驚く中で、「ちがう!」と叫んだのはリヴェルだった。
「おねえさんは悪くない! おねえさんはずっと手を繋いでてくれた、守ってくれたんだ……! 僕が、あの人についていかなければ」
「リヴェル君……」
ブラムに向かって叫ぶリヴェルは、今にも泣き出しそうだ。そんなリヴェルに、ブラムは「落ち着いて」と優しく声を掛ける。
「謝るのは私の方です。今まで患者の誘拐事件など起こった事が無かったとはいえ、部外者が侵入できる環境であったのは事実です。二人を危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるブラムに、グレースとリヴェルは目を見張った。
怒られはしても、頭を下げられるなどグレースは思ってもいなかったのだ。
「そんな、怒られる事はあっても、先生が謝る必要なんて……」
「怒る? どうしてです? オルストン嬢が気付いていなければ、彼はそのまま連れ去られていたかもしれない。むしろ感謝しなければ」
「でも、」
「あーっ!やめだ!やめ!」
続くグレースの言葉は、ずっと不機嫌そうな顔をしていた青年に遮られた。
「謝り合うな、辛気臭い! ここに居る全員、誰も悪くない。 悪いのは、人攫いなんてしようとしたあいつらだろ。 以上! 終わり! 次!」
寄りかかっていたソファーの背凭れから身を乗り出して言い切ると、青年はグレースとリヴェルを見た。
視線を向けられたリヴェルが、またグレースにしがみ付くと、青年は眉根を寄せて口を開きかけたが、ぐっと言葉を飲み込んで、代わりに小さく息を吐いた。
「あいつら……犯人の名前はトーウェン兄弟。仕事が上手くいかず、金が必要だったんだと。貴族なら誰でも良かったらしいが、あの二人と面識は?」
リヴェルを見ると、ふるふるっと首を横に振っている。グレースにとっても初めて聞く名前だった。
「ありません。もう、あの人達の身元が分かったんですか?」
「彼らは大工で、守衛の一人が彼らの工房を利用した事があったらしく、顔を覚えていたんです」
青年に変わって、ブラムが口を開く。
「守衛の二人もあなた方に謝りたいと言っていました。仕事を全うできず、二人を危険な目に遭わせた事、申し訳なかったと」
昨夜、姿が見えなかった守衛達は犯人によって眠らされ、守衛室の中で縛られていたと、ブラムが教えてくれた。幸い怪我は無かったと聞き、グレースは、ほっと胸を撫でおろした。
「そういえば、犯人の二人はあれからどうなったんですか?」
青年に吹き飛ばされ、二人とも白目を剥いて倒れていたところまでしかグレースは知らない。
「えっと、彼らは……」
「?」
何故か言いよどむブラムに、グレースが首を傾げていると、見かねた青年がフンっと鼻を鳴らした。
「この階の個室にいるぞ」
「「!?」」
ここ数日、病室から出ていなかった為に気付けなかったが、近くに犯人達が居たことにグレースは絶句する。
不安げな表情を浮かべるグレースとリヴェルに「安心しろよ」と青年は付け加えた。
「常に守衛が見張ってるし、部屋から出れないように結界も張ってある」
「怪我をさせてしまった手前、まずは治療を優先する事になったんですが、丁度良く空いている部屋がこの階しかなく……。心配かとは思いますが、今度こそ危険が及ばないよう警備体制は万全にしてあります。だから、少しの間だけご協力頂けますか?」
「そういう事なら……。ただ、あの人達は結界を張ったこの部屋から、リヴェル君を連れ出したんですよね? もしかして、結界を通る魔法が使えるんじゃ……」
兄の方は魔法が使えないと言っていたが、弟が使えたら? 結界に関する魔法は高度なものが殆どだが、可能性はゼロではない。
だが、そんなグレースの不安は、青年によって一蹴される。
「それはない。兄弟そろって魔法が使えないからな。この部屋に侵入できたのは魔道具のおかげで、それも回収済みだ。なんなら、手足も拘束してるから、部屋の中ですら自由には動けない」
そう言い切ると、青年はずずいっと身を乗り出して、グレースの瞳をじっと見つめる。
「まだ、不安か?」
青年の圧に少したじろいでしまうが、その声音からは、確かにグレースを心配している様子が伝わってくる。
「えっと、大丈夫です」
「ん、なら良い」
グレースの答えを聞くと、満足したように目を細めて、青年はソファーの背凭れに身を預けた。
(なんだろう、何か……。この感じ、どこかで……)
あの夜、青年はグレースの事を知っている口振りだったが、グレースに面識はない。青年と再会し、その白衣姿から、医者ならば患者であるグレースの事を知っていてもおかしくはないだろうと思っていた。
だが、青年を見ていると、どうにも既視感を覚えてしまう。
「あの、気を悪くしたらごめんなさい。私、貴方と会った事ありますか?」
青年は白い眼を見開いて、数度瞬きを繰り返した。
グレースの問いと、青年のその表情に、隣にいたブラムは半ば呆れたように青年に声をかける。
「まだ言ってなかったんですか?」
「あー、忘れてたな。そういや」
苦笑を浮かべながら頭を掻く青年に、ブラムは溜息をつき、グレースに視線を移す。
「オルストン嬢、彼の正体ですが、驚かないで聞いて下さいね」
「?」
(驚くような正体? もしかして、若く見えるけど、病院でとても偉い人とか? いや、でも、そこまで驚くような事でもないし……)
ブラムの前置きに首を傾げていると、思ってもいない答えが返ってきた。
「彼は、フィグです」
「……へ?」
「フィグなんです。黒猫の」
「…………フィグ???」
「フィグです」
グレースの疑問文に、繰り返し答えを返すブラム。その言葉が信じられず、目を白黒させてグレースが青年を見ると、青年は深い溜息を吐いて立ち上がった。
「良く見とけよ」
立ち上がり、そう言って一歩、グレースに近づいたかと思うと、すでに青年の姿は無かった。
変わりにそこに居たのは、いつも身近にいる、二本の尻尾のふくよかな黒猫。
「ぶあっ」
一声鳴いて、グレースを見上げる白い双眸。
青年に感じた既視感の正体を、グレースは一瞬で理解した。




