表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世の私は幸せでした  作者: 米粉
1章
12/68

12 お腹が空いては

 


「お待たせして、ごめんなさいね。どうぞ召し上がれ。グーちゃんはお茶でも飲むかい?」

「お気遣いなく。有難う、ウーちゃん」

「……有難うございます」

「いいえ、ごゆっくり」


 料理が乗ったトレーを男性の前に置くと、ウェスタはにこやかに笑って、厨房に戻っていった。

 向かい合うように座ったグレースと、男性の間に置かれた一人分の料理は、グレースが昼食に食べたものと同じものだ。


「私の事は気にせずに、どうぞ召し上がってください」

「あぁ、頂く。頂くけど、その前にだな。なんで俺をここに連れて来たんだ?」

「おなか空いてるか聞いたら、空いてるって言ったじゃないですか」

「言ったけど……。なんであの話の流れで、見ず知らずの男を食事に連れて来たのかが分からないんだよ」


 あの後、詰め寄るグレースに空腹を問われ、どちらかといえば空いてる腹具合を答えた男性は、半ば強引に院内にある食堂に連れてこられていた。

 患者の食事は基本、病室に配膳されるのだが、この食堂は、朝と昼の決められた時間のみ解放され、医師は勿論、患者と見舞いに来た家族が一緒に食事をとれるようになっている。昼のピークを過ぎた現在の食堂は人もまばらで、厨房からは後片付けをする音が聞こえてきていた。


「だって、おなか空いてるって」

「いや、だから」

「おなかが空いたまま、考え事するのは良くないです」


 遮るようにグレースは言葉を続けた。


「二時間とは言わなくても、一時間以上はあそこに居たんですよね?さっき手を取った時、すっかり冷えきっていました」


 強い風が吹くなかで、ジャケットも放り出して一時間以上もあの場に居たのなら、身体が冷えきって当然だ。


「冷えた体で空腹も気にならないくらい、弟さんの事、一人で考えてたんでしょう? でもそれ、駄目ですよ。考えがどんどん暗い方にいっちゃうわ」


 グレースの脳裏に過ったのは、自身の前世である善子の戦時中の体験。

 少ない食べ物を幼い姉弟達に分け、常に空腹を抱えて過ごす日々。幸い家族は全員無事だったが、ただ一人、二度と会えなくなった想い人の事を考えると、思考はまとまらず、心の中は後悔と無念、やりきれない悲しみでいっぱいだった。

 そんな日々をそれでもどうにか生き抜いて、空腹を心配する事の無くなった頃には、身体の健康が心に繋がるし、逆もまた然りだと善子は学んだ。


(あの時代、行かないで欲しいなんて言えやしなかった。悔やんでも仕方ない事なのに、それでもずっと後悔してたっけ……)


「食べ物が無い時は仕方ないけど、この国はどこかと戦争してるわけでもないし、食も豊かだもの。ちゃんと食べなくちゃ」

「たかが昼一食抜く程度で大袈裟な……」

「そういうこと言う人は、忙しさを理由に二食三食平気で抜くもんです」

「うっ」


 はっきりと言い放つグレースに、男性は図星をつかれたような表情を浮かべた。

 そんな男性に、グレースはにっこりと笑顔を返す。


「たかが昼食、されど昼食ですよ。さ、温かい内にどうぞ!」

「……いただきます」


 グレースの笑顔に多少気圧されながら、男性はトレーに置かれたスプーンを手に取った。

 澄んだ金色のスープを一匙、掬い上げて口へと運ぶ。


「……!」


 一呼吸置いて一口、そこから二口、三口と、次々とテンポよく男性の口に料理が運ばれていく。

 止まる事無く料理に伸ばされる手に、美味しいかどうか聞くのは野暮だろう。グレースは、気持ちのいい食べっぷりに「よく噛んでくださいね」とだけ微笑んだ。




 ***




「ご馳走様でした」


 あっという間に食べ終わり、綺麗に平らげられた皿を見て、グレースは感嘆の息をついた。


「見事な食べっぷり。やっぱり若い人の食欲は、見てて気持ちが良いわ」

「若い人って、あんたもそんなに変わらないだろ」

「うふふっ、外見だけじゃ分からないものですよ」

「?」

「あらあら、綺麗に食べてくれたのねぇ」


 疑問の眼差しを向ける男性に、グレースが笑顔で返していると、食べ終わったのを見計らって、ウェスタが厨房からやってきた。


「とても美味しかったです。ご馳走さまでした」

「いいえ、こちらこそ全部食べてくれて嬉しいわ。有難う」


 年上のウェスタ相手に礼儀正しく接する男性を見て、グレースの前世を知ったらどういう反応をするのだろうかと思いつつ、グレースは二人のやり取りを見守っていた。


「さっき、グーちゃんに聞いたんだけど、弟さんが入院してらっしゃるのよね?ひとつ、お聞きしても良いかしら?」

「なんでしょう」

「弟さんの好物とか苦手なものとか、食事の好みを教えて頂きたいの」

「食事の好み、ですか」

「ええ。ここを利用する患者さんとか、ご家族さんにたまに聞いてるの。患者さんには、出来るなら好きなものを食べて欲しいし、毎日の献立を考える参考にもしたくてねぇ」


 食堂に来た際、グレースはウェスタに男性の弟が病院に入院している事を伝えていた。そして、多分それが特別室の患者ではないかという事も。

 中庭のベンチに座りながら、男性が見上げていた部屋は、グレースが気にかけている特別室だった。


 少し考え込むような素振りを見せながら、男性はふっと思いついたような表情を浮かべる。


「……りんごのタルト」


 ぽつりっと呟かれた言葉をウェスタとグレースは聞き逃さなかった。


「あら、いいわねぇ。デザートにピッタリ」

「ウーちゃんの作るタルト、きっと美味しいわ」

「あ、いや……!あいつが本当に好きかどうか、確証はないですよ!」


 エプロンのポケットからメモを取り出して書き残すウェスタと、味を想像して目を輝かせるグレースに、申し訳なさそうに男性は言う。


「あいつ、体が弱くて部屋に籠りきりだったんです。だから、一緒に食事する事も少なくて。たまに一緒に食べても殆ど残すんですけど、でも、ある日デザートに出されたりんごのタルトだけは残さず食べてた」

「余程おいしかったのねぇ」

「普通のタルトだったと思うんですけど……。俺は、あいつが嬉しそうに全部食べてるのが印象に残ってて、その時のタルトの味なんか覚えてないんです」

「弟さんの事、良く見てたのねぇ。良いお兄さんが居て、弟さんが羨ましいわ」


 ウェスタの「良いお兄さん」という言葉に、少しだけ驚いた顔を見せた男性は、直ぐに困ったように笑って、身体ごとウェスタに向き直った。


「……いいえ。あの、貴方に言うのもおかしいかもしれないけど、弟の事、宜しくお願いします」

「ふふっ、とびきり美味しいりんごタルトを作りましょ。お話し聞かせてくれて有難う。今度の献立の参考にさせて貰いますね」


 膝に両手をつき、深々と頭を下げる男性に、ウェスタは目尻の皺をいっそう深くして微笑むと、男性の食べ終えた食器を手に厨房へと戻っていった。


「ウーちゃんの料理は本当にどれも美味しいの。きっと、弟さんも喜ぶわ」

「……なぁ」

「はい?」

「あんた、名前は?」


 男性は頭を下げ続けた姿勢のまま、グレースに問い掛ける。


「グレースです。グレース・リー・オルストン。貴方は?」

「……ヴェント」


 名前を告げると、ヴェントは勢いよく頭を上げて、グレースに向き直る。


「ありがとな、グレース。俺をここに連れてきてくれて」

「お礼はウーちゃんに。私はただ友達の美味しい料理を食べて貰いたかっただけなので。今度来た時は、弟さんと一緒に食事できるといいですね」


 長い前髪の隙間から見える、隠れた丸眼鏡の奥。深い紫と橙が入り混じる、薄明のような瞳と初めて目が合った。


「あぁ、そうだな」


 そう言って細められた美しい瞳からは、ベンチに座って俯いていた時のような、もの悲しさは感じられなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ