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前世の私は幸せでした  作者: 米粉
1章
10/68

10 閉じられた窓の外

 


 少し開いたカーテンの隙間から差し込む日差し。

 閉め切った部屋の中で過ごし続けている目には、その日差しは眩し過ぎて、カーテンを閉めようと窓際に向かった。

 普段は気にしない窓の外、中庭に見えた人影に目が止まる。


 車椅子に座る女性と、膝をつく男性が二人。


 少し異質なその光景が気にかかり、此処に来てから自らの手では一度も開けた事のない窓の取手に手を掛けた。

 恐る恐る開いた窓から、吹き込んでくる風に目を細める。

 何を話しているのかと耳を澄ますも、上階にあるこの部屋からでは姿は視認できても、声までは聞き取れない。

 やはり無理かと息をついて、諦めて窓を閉めようとすると、人影がひとつ、三人に近づいていく。


 次の瞬間、黒い衣装に身を包んだその女性は、傘を放り投げ、車椅子の女性に抱きついた。


 いきなりの出来事に目を奪われ、暫し呆然とその光景を眺めていた。

 会話は分からない。でも、きっと仲が良いのだろう。

 抱きしめあうその姿に、心臓がぎゅうっと締め付けられる。


 ――うらやましい


 一歩、二歩、シャツの胸の辺りを握りしめながら後ずさり、踵を返してベッドの中に潜り込んだ。


 伸ばした手を払われ、抱き締めて貰えなかった記憶が涙と共に溢れ出す。


 さみしい、うらやましい、かなしい、どうして、どうして、どうして……!!


「おかあさま――……」


 渦巻く感情と抑え切れずにこぼれる嗚咽を、小さな体を丸めて力の限り抱き締めた。




 ***




「いい天気ねぇ」

「ぶあぁあ」


 穏やかな午後の陽気に包まれ、グレースがぼんやり呟くと膝の上のフィグが鳴いた。いつも以上に間延びした声は、きっと同意を示しているのだろう。


 中庭のベンチに一人と一匹。

 出入り自由な中庭は、入院患者やその家族、病院の関係者など、それぞれの憩いの場になっている。

 ライラ達が見舞いに訪れた日に利用してから、グレースは度々中庭に足を運ぶようになっていた。気を抜いたらひと眠りしてしまいそうな心地の良さが、まるで前世の自宅の縁側のようで気に入っている。


「午後は何をしようか。読みかけの本もあるけど、編み物も進めたいし」

「ぶ」

「ああ、でも、散歩もいいかも。リハビリがてら」

「……んぶ」

「ふふっ、散歩は嫌そうね」


 本日分のリハビリと昼食を終え、空いている午後の予定をどう埋めようか思考を巡らせる。


 目覚めてから約一ヶ月。

 以前のグレースであれば、入院から一週間で暇を持て余し、ベッドの上で退屈を嘆きながら転げまわっていただろう。どちらかと言えば、室内で静かに過ごすより、外で動き回る方がグレースの性に合っている。

 それは前世の人格である善子もそうだったのだが、歳をとるにつれて落ち着き、身体的にも段々と無理が効かなくなっていった。

 しかし、仕事の定年を迎えた後に待っていたのは、退屈を嘆き続けるには余りにも長すぎる、余生という名の時間。

 善子は、否が応でもその時間に適応しなければならなかった。


(おかげで暇潰しも随分上手くなったわ。ここでの過ごし方に飽きずに居られるのも、そのおかげね)


 フィグの頭をゆっくりと撫でながら、そろそろ病室に戻ろうかと考えていると見慣れた人影がこちらに近付いてきた。


「こんにちは、グーちゃん」


 声をかけてきたのは、腰の曲がった小柄な老婆だった。


「ウーちゃん!今日のご飯も、とても美味しかったわ」

「あら、嬉しい。グーちゃんはいつも残さず食べてくれるからねぇ。作りがいがあるよ」

「それは、ウーちゃんの腕が良いからよ!」


 シルバーグレイの髪をきっちりとお団子に結い上げて、柔和な笑みを浮かべている彼女は、この病院の食事を任されている料理長、ウェスタ・ホーウェンだ。


「今日の仕事はもう終わり?」

「腰が痛くてねぇ。今日は早く上がらせて貰ったの。やっぱり歳には勝てないわ」

「分かるわ、ウーちゃん……。腰痛は辛いわよね。あ、お隣どうぞ!それとも、立っていた方が腰が楽かしら?」

「気を使わせて悪いねぇ。ちょっと座らせて貰うよ」


 身体を少し横にずらして、グレースはウェスタが座れるように隣を空けた。

 よいしょっとベンチに座り、ウェスタは、ふうっと一息つく。


 端から見れば、祖母と孫に間違えられても可笑しくないほど年齢差のある二人だが、グレースの内には九十八歳の善子が居る。初対面で意気投合し、顔を合わせれば話に花を咲かせ、気付けばお互いを「グーちゃん」「ウーちゃん」と呼び合うくらいには仲を深めていた。


「グーちゃんはフィグと日向ぼっこ?」


 膝の上でうとうとしているフィグを、ウェスタは微笑ましそうに覗き込む。


「ええ。車椅子から杖になったし、リハビリがてら病室の周りを散歩しようかと思ってたところなの」

「リハビリ、順調そうで良かったわ。グーちゃん、頑張ってるものね」

「回復が早いのは、ブラム先生の守護のおかげよ。院長としてのお仕事もある筈なのに、いつも気に掛けてくださって」


 ブラムがこの病院の院長だという事をウェスタから聞いて知ったのは、目覚めて半月経った頃だった。

 知るタイミングが無かったとはいえ、院内で一番偉く、忙しいであろう人が定期的に自分を訪ね、直々に診察し、尚且つ談笑相手にまでなってくれる。

 特例だからという理由でブラムが直々に担当してくれているのだが、足がうまく動かせない以外は、グレースの心も身体も至って健康だ。

 他の医者に任せても良いだろうに、何だか申し訳なさを感じてブラムに謝罪すると、きょとんっとした顔を浮かべた後に「医者が患者さんを診るのは当然の事ですよ」と笑って返された。


(神様、仏様、神子様……。時々、あまりの神々しさに思わず手を合わせたくなるのよね)


「忙しい先生の時間を私の為に使わせるのは申し訳ないから、早く良くなる為に頑張らないと!」


 ブラムの笑顔を思い浮かべ、グレースは決意を込めて体の前で小さく両拳を握り締めた。


「ブラム先生は本当に良くできた人だから、気にしてないと思うけどねぇ。リハビリ、あんまり頑張り過ぎるとかえって良くないんじゃないかい?」

「大丈夫!とりあえず今日は、無理のない程度に廊下を歩こうと思って。昨日、お隣のご令嬢も退院して、気遣う必要もなくなったし」


 グレースの病室は、個室のみで構成された三階の一室。

 重症者や希望する人間に個室を宛がうらしいのだが、希望者のほとんどが貴族らしく「気難しい人もいるから気を付けた方が良い」とウェスタに助言を受けていた。

 かく言うグレースも貴族の括りに入るのだが、庶民の出であるライラから「貴族だからといって、威張らない。見下さない。無駄遣いしない」と幼い頃から言い聞かせられ、貴族らしい豪華な生活は送ってこなかった。更に、そこに加わった日本人である善子の記憶は、庶民そのもの。

 昨日まで隣の病室に入院していた貴族の令嬢とはどうにも話が合わず、なるべく顔を合わせないように過ごしていたのだった。


「…………」

「ウーちゃん?どうかした?」


 少し考え込むような表情を浮かべるウェスタに気づき、グレースは声をかけた。


「あぁ、ごめんね。ねぇ、グーちゃん。同じ階に特別個室があるでしょう?その部屋の患者さんとお話した事あるかしら?」

「あの部屋、患者さんがいるの!?」

「居るのよ。やっぱり話した事ないわよねぇ」


 特別個室とは通常の個室よりも更にワンランク上の個室だ。

 入った事は無いが扉の造りや装飾からして、きっと位の高い貴族が使うのだろうと、グレースは通りすがりに眺めていた。


「その患者さんがどうかしたの?」

「毎日、食事に全然手がついてなくてね。特に今日は、一口も食べてないみたいだったの」

「あんなに美味しいウーちゃんのご飯を!?」


 にわかには信じられず、グレースは目を見開いた。

 ウェスタにはプロのシェフとしての前世があり、その記憶をいかして、病院に来る前はレストランの厨房で働いていた経歴を持っている。

 そんなウェスタの作る食事は院内での評判も高く、グレースにとっても入院中の楽しみのひとつだ。


「ふふっ、ありがとねぇ。なんでも転移症が原因で気落ちしてるらしくて、食事が喉を通らないみたいなの。食べなきゃ身体に悪いし、せめて好物でも分かればと思って先生に聞いてみたんだけど、分からないって言われちゃってね」

「分からないって、患者さんに聞けば良いじゃない」

「聞いても答えてくれないそうなの。患者さんの身体も心配だし、院内の食事を預かる身としては、放ってはおけなくてね。何か少しでも情報があれば良いんだけど」

「……ごめんね、役に立てなくて」

「あらあらっ、そんな、謝らないで。そもそも部屋に籠っちゃってて先生しか会えないし、同じ階のグーちゃんならもしかしてって思っただけなのよ」


 肩を落とすグレースに「だから気にしないで」とウェスタは微笑んだ。


「と、そろそろ行かなくちゃ。話相手になってくれてありがとう。またね、グーちゃん」

「ううん、こちらこそ。腰、お大事にね」


 手を振り去っていくウェスタを見送って、グレースは特別個室の辺りに視線を移した。


 他の個室のカーテンが開いている中、その部屋だけは窓もカーテンもしっかりと閉め切られている。

 使われていない部屋でも、風を通す為に窓を開けているのを何度か目にした事があったが、思えばあの部屋の窓が開いているのを、この中庭を利用するようになってから見た事がない。


「いいお天気なのに」


 閉じ籠ってしまうほど気落ちする理由は分からないが、転移症が原因という事は、何か思い出したくない記憶だったのだろうか。

 そもそもここは、転移症の特別病院だ。患者の全てが様々な前世の記憶を有しているが、その記憶が必ずしも恵まれたものだとは限らない。


「私は、前世も今も恵まれてるわ……」


 いつの間にか眠りに落ちているフィグの背を撫でながら、グレースは呟いた。


 前世である善子の人生の中にも、辛い事は確かにあった。だが、幸せな人生だったとグレースは思う。

 そして、比べるまでもなく今のグレースとしての人生も、周囲の人間と環境に恵まれた、かくも有難い人生だ。


(どんな人かも分からないけど、閉められた窓とカーテンの中で、一体何を想って過ごすのかしら)


「ウーちゃんのご飯を、美味しいって沢山食べれるようになりますように……」


 あの部屋の患者について、グレースは何も知らない。

 だが、閉じられた窓をみて、そう思わずにはいられなかった。




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