第三十三話:学院も卒業
さて、困った。
季節は五月、新規開発した稲作も順調に進み小麦の収穫を待っていたら
領都エクレールが完成。想像以上の規模で浮かれていたのもつかの間の出来事
猟師と漁師と農奴の一部が開放しないで欲しいと願い出てきた。
「猟師は元々、奴隷ではないので無視します。漁師は奴隷がいいなら
そのままでも問題ありませんが、問題は……農奴です」
「ヨハン、そもそも何で奴隷から解放されるのを拒むんだ?」
「生まれてから奴隷として生きてきた者には金の価値すら
理解出来ないのでしょう。そして急激に理解させるのは危険です」
専制政治で肉体労働者に学問をさせないというのと
同じ理論なんだろう。しかし普通は食事の要求をするのでは?
「食事についての不満は?」
「エクレールで出される食事に関してはみな満足だと言っております」
施しすぎたか?
「ヒルダ、財務担当としての意見を言ってみて下さい?」
「はい、奴隷解放を拒む者に強制するような人的余裕はありません
好んで奴隷に甘んじる人間には労働を課して対価に安い金銭を支給して
そうですね、……農業従事者で月に食事に加えて小金貨三枚から始めましょう」
星金貨六万枚か年間で七十二万枚ならいいか。それと食費か。
「お待ちください。それでは貧富の差が決定的になってしまいます
一斉に奴隷を解放するチャンスは一度だけです。理想ですが
富の再分配に近い政策を行うべきかと」
富の再分配か、確かに理想だしチャンスは少ない
そう限りなく少ないけど、いきなり裕福になったら多分働かないよな。
「ヨハン、君が光金貨十枚をもらったら真面目に働くかい?」
「働きますよ」
貴族を幼い頃から見てきた人間ではわからないか。
「それなら中間を取って一週間は無償で食料を支給
それ以降は週休で小金貨二枚を支給しよう」
「それでしたら……いいです」
「若君、正当な賃金を要求してきた者に対しては?」
「そうだね。理解の早い者は一日限定で商売のこつを教えよう」
「それだけですか?」
「金を借りたいなら、金貨三枚までなら貸し出そう」
「返さなかったら?」
「善意の貸し付け、それも無金利の公的貸し付けを踏み倒すようなら
正式にアルタイルの借金奴隷だ」
「兄貴、簡単にできる商売なんて思いつきませんよ」
「そうだな、デニスは二千万人に毎週小金貨を渡せと言ったら
何を要求する?」
「そうですね……事前に預かれるならそれを元手に商売を始めます
それか給料を渡す行為に給料を要求しますね」
「そうだね、一日に渡せる人数が千人として二万人必要だ
二万人に一人小金貨一枚を報酬で渡して月に星金貨八十枚だ
その程度なら許容出来る金額だし最初の金儲けにはもってこいだろう」
「でも小金貨一枚じゃ」
「事前に準備と練習をしておけば二名分働けると思うぞ
給料を支払うのは日曜日だから休みが無くなるけどね」
「それで稼いだ金で商売を始めるんですね」
「そうだね、元手とやる気さえあればここなら簡単に暮らしが改善する」
「それでは今の方針で告知して二週間後まで食料を支給
その後は週休、小金貨二枚と言う事に致します」
「そうだね、この領地は広いから告知だけで十日はかかりそうだ」
「若様、子供はどうします?」
「まずは羊飼いなどの仕事を子供に任せて給料を払おう。それ以外は
文字も読めない子供には三つに絞った職種の中から選んで貰おう」
絶対読めないよな、読めたら多分脱走を試みるだろうな。
「重要な案件が終わったようなので、予測の案件を提案します
東の山で銀山を発見致しました。採掘の許可を頂きたいのですが?」
「労働意欲のある者なら年齢を問わず連れて行っていいぞ」
「ノア様、ノア様の考案された新領民証を五種類用意出来ました」
「早速、配ってくれるか?」
新領民証か、身分差別を受けた事のない人間には無意味な物だけど。
「なんですか、このペンダントは?」
「みんなが持っているのは初号機、一般職員とクレア領から着いてきてくれた
人間には二号機、旧アレス領から着いてきてくれ人間には三号機
ここで誠意を示してくれた人間に四号機、滞在者に五号機を渡す」
「何かの差があるんですか?」
「勿論、まず税金の一部を還付金として翌年の七月に渡す
そして三号機以上はアレス銀行に現金を預金出来る」
「銀行というのは?」
「お金を預かって代わりにアレス通貨を渡す。そしてアレス通貨で買い物を
してもらうと提携店で割引きが受けられる」
「すいません、アレス通貨とは?」
「ヒルダ?」
「それは考案者の私から説明します。アレス通貨とは銀貨と同等の価値のある
通貨で、製造コストも安いですが食べ物と同じで使用期限に制限があります
使用期限の切れたアレス通貨は新設した両替所で定期的に取り替えて頂きます
その際に勿論手数料がかかります」
「つまりアレス領内でしか通用しない期限付きの新通貨を鋳造するという事?」
「そうです。最近、偽の金貨が多数見つかっておりますので
その対策と領内での金銭を強制的に流通させる手段になります」
「よくわかりませんが、この領民証の階級は変更する事が可能でしょうか?」
「内政官二名以上の推薦で可能としますが、初号機は僕の認可制にします」
あまり突っ込まれても困るし、ここまででいいよね。
ちなみに一号機の機は飛行機の機からつけた語呂合わせだ。
「他にはないようですね。では解散。学生諸君は学校に行きましょう」
「あれ、俺の単位って……」
「受かっている事を祈るよ。僕は卒業式だから」
「嫌だ――――――」
学院も久しぶりだ、結局真面目に出た授業は数える程だったな
修学旅行も一回だけ、夏休みも一回だけだっけか。
「こんな所にいた」
「リリーナ、もう用事は済んだの?」
「うん、女子寮のみんなに挨拶してきただけだから」
「ここにいたのね?」
「だって、寮とこの第五キッチン以外に行くところがないしね」
「そうだよな、寮にいったら荷物が整理されてたよ」
「元々、アイテムポーチに入ってるからほとんど私物はありませんが」
「良かったじゃん、変な趣味の私物が見つかったら大変だったよね」
「そうですね。ノア様、ちょっとしゃべり方が違いますね」
「今は学生だからね」
「うぁ、領主も大変だね」
「それよりミーアは来て大丈夫なの?」
「感だけど生まれるのは卒業式の後だと思うの」
「ミーアもそろそろお母さんなんだな」
「じじくさいぞ、デニス叔父さん」
「十二才で叔父さんか」
「兄貴、ここを使えなくなると王都の屋敷はどうします?」
「屋敷という程の物を構えるつもりはないけど、家は用意してあるよ」
「家ですか?」
「部屋数十二部屋の二階建ての家だね。王都屋敷の家令はシャリーさんと
ユリアさんだけ」
「お母様が」
「ユリアが王都に」
「シャルとリリーナの大事な人だし、二人とも貴族の付き合いを理解してるし
適材適所かな」
うーん、そこは十二部屋もあるなら屋敷ですと突っ込んで欲しかったな。
「それじゃ、家に行ってみたい」
「構わないよ」
自分の家は直接部屋に入れるから便利だよな
最近は空の上に転移するのにも慣れてきたけど。
「確かに男爵の屋敷と言われても信じるレベルの家ね」
「貴族街じゃないんですね」
「どうせ重要な人物は馬車で来るからね」
「どちらさまですか?」
「お母様」
「あら、シャルじゃないの、ゆっくりしていってね」
「本当に自分の家みたいね」
「それじゃ僕は一度、イシュタル家に用があるから、また後でね」
爺ちゃん以外に呼び出されてここへ来るとはね
アレクの件があるから来るのを控えていたからな。
「ノア兄さん、お久しぶりです」
「アデルも元気そうだね。それで用事というのは?」
「アレク兄さんなんですが、最近はアリスやセーラに暴力を振るうことが
あるようなんです」
「父さんには言ったのか?」
「勿論ですよ。でもアリス達の顔を見て、『たいしたことはない』の一言で
終わりでした」
「父さんも仕事のしすぎでボケたのかな?」
「半月後にお爺さまが叱ってくれましたが、それからすぐにアリス達に
当たり散らしてましたよ」
「自分の目を疑うような行為に出ても誰も止めないなら、最悪の手段として
ノーラ姉さんかソフィー姉さんに相談するしかないね」
「姉さん達のいう事を聞くでしょうか?」
「問題は姉さん達じゃなくて、その伴侶の方だよ」
「フランツ殿下とマイクさんを通じて侯爵家ですか」
「最終手段だよ。陛下が知ったら廃嫡とか言いかねないからね」
「アレク兄さんが廃嫡になったらノア兄さんが戻ってくるんですか?」
「その時はアデルが継ぐんだよ」
「そうなんですか。アデルはおだてられても調子に乗るなよ
アレク兄さんも取り巻きが悪かったのが大きな原因だろう」
「でも僕は卒業したらノア兄さんが立て直したクレアに行かされそうです」
「その時は結婚を考えるんだな。アデルはハンサムだし好きな相手を選べるぞ」
「やっぱりそうなりますよね」
「男爵を継いでも良いけど、アレク兄さんはまともな領地はくれないだろう」
「やっぱりクレア領なんでしょうか?」
「経営していた僕がいうのも変だけど、あそこに未来はないね
体の良い幽閉に近いぞ」
「結局、結婚して他家に入るのが一番の逃げ道みたいですね」
「僕の所へ来たら、アレク兄さんの怒りは頂点に達するからね」
「ノア兄さんの悪口はイシュタル領内に響き渡ってますよ」
「アレク兄さんの取り巻きは人を蹴落とすのが趣味らしいぞ」
領内の隅々まで広まってるのか、アレク兄さんはもうダメかな?
アデルは優秀そうだけど、友達次第だよな。
「あら、ノアじゃない」
「母さん、お久しぶりです」
「久しぶりね。噂は聞いているわよ」
「またあの取り巻きが流した変な噂でしょう」
「ノアが星金貨一億枚をため込んでいるとか兵を五十万集めて謀反を
計画してるとかね」
「一億枚もあるのはアルタイル広しとはいえ王宮だけですし
うちの兵は二万だけですし、つい最近は傭兵八万を逆に追放したばかりですよ」
「噂って怖いわね。ちょっと信じちゃったわ」
「それが狙いでしょう。イシュタル領の中には信じている
領民も多いようですし」
「息子同士が争う事になるなんて……」
「僕はいいとしてアデルの将来を考えてあげてください」
「最近はルッツが家の事に無関心なのよね」
「アリスがぶたれてもですか?」
「そうなのよ」
父さんもダメなのか、爺ちゃんが死んだら
ある意味イシュタル家って没落するんじゃないか。
「言いたくありませんが、アレク兄さんの取り巻きをなんとかしないと
アクセル叔父さんに近い運命を辿る事になりかねませんよ」
「そんな……」
「イシュタル家の弱体を狙っている貴族の数はかなりの数ですよ」
「そうよね、お父様とノアの活躍は凄い物ね」
「どっちかというと、今は姉さん達でしょう」
「殿下と内務卿の一族ね」
「最悪の場合はアデルを殿下に預けてください」
「アデルを殿下に?」
「クレア領の代官にでもされたら未来はないですよ」
「そうです、アレク兄さんは僕をクレア領に押し込んで子供が出来る迄の
代用品にするつもりなんです」
「アデルもなのね」
アデルもかなり追い込まれてるか、アデルを引き取るとアリスとセーラが
心配なんだよな。
「それじゃ僕はこれで、アデル、無理はするなよ」
それから家に帰ってシャリーさんの手料理を食べて就寝だ
シャリーさんは元伯爵夫人なのに料理が得意だ。
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