第十六話:スラムの住人は礼儀正しい方でした
マーチ伯爵領にやってきてから五日が過ぎたが
かなりの歓迎を受けた。食事も学院の夕食以上の物が毎日だ。
「ヨハン、領内はどんなかんじだった?」
「はっきり言って酷いの一言ですね。このままいけば獣人は二年後には全滅
するか他の領地へ逃げるしかありませんね」
「そんなに酷いのか?」
「逆に獣人に対して徹底的に弾圧するお陰でイース教徒の反応が良く
領地経営が上手く行ってるとも言えます。この領地だけでも獣人は軽く
五万人はいますね。それも立ち退き命令があった状態でです」
「わたしは新領土を転移で見てきたけど、マーチ伯爵家以外に新領土へ視察
に来た貴族は全部半月と持たずに帰国、今は代官が取り締まってるけど
役人不足に衛兵不足でまともに機能してないです。あと噂だけど
山にかなりの銀山があるんだって、だけど地盤が悪くて掘れないみたい」
「獣人を受け入れてくれそうか?」
「はっきり言ってそんな余裕がない感じです。ヒンメル領の海岸線まで見て
きたけど獣人が六割以上を占めてましたね」
「国境線を差別している獣人で固めて、最悪は見捨てても未練がないと
いった感じでしょう。国としては獣人より鉱山資源の方が大事なのでは?」
「土地の状態はかなりいいんだよな。ちゃんとした領主が時間をかければ
オーブ家、いやイシュタル家並みになる潜在力はあるんだよな」
「そうですね、マーチ伯爵家以外はほとんどイース教徒もいませんし
何故、領地替えを申し出ないんでしょう?」
「まずは敵国と領地を接している事、そして海は敵国でイシュタル家からも
ドナルド家からも援軍が到着するのに五日はかかるという三点でしょうか」
「僕はマーチ伯爵家の街を見て回りましたが、物資はありますが
流通している量がかなり限られていますね。備蓄用の小麦だけでも一年以上
持つと思われます。そしてシャルは獣人排斥運動にはあまり関わって
いないとの噂です」
広くて良質の土壌、鉱物資源、海がないけど安価な労働力と
良い条件だが問題点は軍事敵脅威と海がないそれに、それだけか。
「ヨハン、クレア領の金山の埋蔵量は枯渇してきたと言ってたな」
「はい、持ってあと八ヶ月くらいでしょうか。思ったより少なかったです
もっと大規模の鉱山だったらアイストン子爵がとっくに見つけていたでしょう」
「リリーナの母さんは妊娠してるんだよな」
「うん、来月生まれるって」
「リリーナ、ちょっと自分の部屋へ戻っててくれ」
「わたしだけ抜きで内緒話なの?」
「これから言う事はアクセルさんにも内緒に出来るか?」
「約束します」
自分の意見より、部下の意見で俺の運命を占ってみるか。
「ヨハン、ニコラウス、コンラート、安定した生活と大きくなるチャンスが
合ったらどっちを狙う」
「愉快な質問ですね。もちろんでっかい領地で大金を動かしたいですね」
「僕には愚問ですよ、こじんまり生きても意味ないじゃないですか」
「僕も本音は将来は貴族の末席に加わりたいと思っていますよ」
「ヒンメル神聖国の一部では戻ってきた捕虜を使って再度南下して
再侵攻を計画している勢力がいるらしい」
「捕虜はイシュタル領については詳しいでしょうからね」
「そこにつけ込む隙があるな」
「なんで戦争の話をしてるんですか。任せておけばいいじゃないですか」
「リリーナ、アクセル叔父さんに男の子が生まれたら養子の件は無しにして
欲しいと言われた。言いたい事はわかったか?」
「婚約者じゃなくなっちゃうの?」
「そういう事だ」
「やだよ」
「お前の父さん、そしてオーブ家の決定だ」
「現在、クレア領は安定していますが食料は輸出出来るレベルじゃないですし
港も既に限界です。真珠の養殖も失敗のようです」
「治水工事だけはしっかりしましたから湖や川の氾濫は大丈夫でしょう」
「そういえば、ここから東に馬車で五日程度の場所に大きな湖がありましたね」
「そうだな、汽水湖で川は南東に向かって流れていますね
優秀な魔法師が五十人もいればイシュタル領まで伸ばすのも三ヶ月程度でしょう」
「クレア領の人間はノア様に恩義のある人間だけでも一万はいるのでは」
みんな俺と同意見のようだな、折角転生したんだ太く生きないとな。
「ヨハンとニコラウスはクレア領の財産をまとめて、住民の意見に探りを
入れてみてくれ」
「僕とコンラートはヒンメル神聖国を揺さぶってみる」
「失敗したらどうするの?」
「リリーナ、その時はおとなしくクレア領で暮らす
だけだよ。しゃべったらムチ打ちの刑だからね」
「は、はい、わかりましたにゃ」
「それじゃシャルに挨拶したら、リリーナに送ってもらってくれ
リリーナはそうだな、学院に戻って魔法の訓練でもしていてくれ」
「わたしも……お手伝いします」
「下手したら勘当されるぞ」
「大丈夫です」
「ヨハンの指示にしたがってくれ、次は新学期に学院で会おう」
忙しくなるぞ、お家乗っ取りとかの反逆行為じゃないからな
失敗したらそこまでだったという事だ。
「シャル、父君は?」
「街で会議だって」
「僕達は急用でクレア領に戻るからお別れの挨拶に来た」
「え、仕事なの?」
「そうだ。緊急のやつだ。世話になったな、よろしく言っておいてくれ」
◇
ふぅ、警備兵はいないか。
「ここはどこですか?」
「アルタイルの一番北東の国境だよ」
「転移魔法は自分の所有する土地にしか飛べないはずですよ」
「抜け道があってな、この前、海の上を転移してる時に気がついたんだけど
海の上でも転移出来るのは学院で習っただろう」
「初歩ですからね」
「それは誰の物でもないから転移が可能なんだよ
そしてこの国境線の上も誰の所有物でもないんだ」
「それがバレたら兵士を国境線まで好き勝手に移動出来るじゃ無いですか」
「そうなるな、あとは気がついてる人間がどの程度いるかだな」
「長距離転移が使える魔法師は一国でも五十名程度ですから
気がつかれないようにしませんと」
魔法師で国の中枢にいる人間は気がついている可能性が大きいけどな
魔力操作のレベルが高くないと場所をイメージしずらいからかなり危険だが。
「坊ちゃん、焼き串一本銅貨八枚でいいぞ」
「それじゃ八本下さい」
「待ってろよ、熱々を食わせてやる」
「そういえば去年、馬鹿なアルタイルと捕虜交換が実現したそうですが
みなさんは王都の家族の元へもどったんですか?」
「内陸にもどったのは二割程度だな、四万程度はまだこの周辺にいるぞ
多額の賠償金に土地まで奪われたからな」
「若様、この焼き串美味しいですよ」
「本当に美味いな」
「これなら午前中で売り切れるんでは?」
「それが、ここだけの話だがヒンメルの中央軍の奴らが好き勝手に暴れ回る
から素材も高騰していてな、屋台を開けるのも中央軍の居ない時だけだ」
「なんで中央軍の方がこんな南の、いってはなんですが辺境に?」
「この南に大きな港があってな、そこにアルタイルの兵が攻め込んでくるって
言う噂があるんだよ」
「それじゃのんびり商売も出来ませんね」
「まったくだよ。この辺は山の自然が豊かだから動物も太っていて
味も抜群だからな。早く安定させてもらいたいよ」
住民は悪い感じはしないな。イース教徒も少ないし
中央軍といえばアルタイルと同様に精鋭部隊だろう
なにやってるんだろうな。
ちょっと貧相な部分と豪華な部分の差が激しいな。
「ここがヒンメル神聖国の王都ですか?」
「意外とコンパクトというか、小さいですね」
「かなり北西に行けば聖都があるらしいぞ。そっちはかなりでかいらしい」
「王都よりでかいって、なんか変な感じですね」
「ここでは王様より大司教様の方が偉いらしいぞ」
「今まで見てきた街と違って獣人は見かけませんね」
「獣人排斥運動の中心地だからな」
「ここからはスラムですよ」
「行ってみないと、情報が集まらん」
「だから、こんなボロいローブを買ったんですか?」
「そうだ。行くぞ剣をいつでも抜けるようにしておけよ」
中へ進むともっと酷い状態かと思ったけど、建物は木造だけど
衛生状態はそんなに悪くないな。しかし店が一軒もないし住民の目つきに
関しては最悪だな。
「貴様ら、何者だ。ここには何のようだ?」
いきなり襲いかかってくるかと思ったがある程度は教育されてるのか。
「この国の人間ではありません。年長の方とお話がしたいと思い
足を運びました」
「こいつらを縛り上げろ」
「待て、面白い。長老のところへ連れて行くぞ」
「しかし、隊長」
「かまわん。着いてこい」
隊長さんは獣人なのか、犬族に似ているな。
「誰だ?」
「こいつらを長老様に会わせたい」
「よし、中へ入れ。武器は預かるぞ」
「若様?」
「預けておけ」
スラムの中だというのに裕福な村長の家といった感じだな。
「失礼します」
「若いの、よく来たな。この界隈を仕切っているジムサだ」
「ジムサ様ですか、わたしはアルタイルの貴族でノア、となりにいるのは
家臣のコンラートと申します」
「だーれ?」
「お、犬耳」
「きゃきゃ、わーん……もっとです……」
「ノア様、子供に何やってるんですか?」
「いや、獣の耳を見ると、どうしてもいじりたくなるんだよ」
「まさか幼い男の子が好みとは知りませんでした」
「まあ気にするな、僕の数少ない趣味だ。折角だし食事を頂こう」
「変態行為を趣味と言い切る所に不安を感じますが……美味しいですね
しかし味が薄いですよ」
「塩味が足りないというか、塩とハーブをもっといれれば
いい味になるでしょう」
「それで、何を聞きたい?」
「この国は懲りずに、二年か三年後にはまたアルタイルに戦争を
仕掛けるでしょう。勿論、これを撃退しますが
その後にイース教徒以外の皆様と良い関係を個人的に結びたいと考えています」
「具体的には?」
「わたしは獣人排斥運動に強く抗議しておりますが、領地は狭く発言力は
低いので、次の戦争の後に王都の南のアルタイルへ編入された領地を手に入れ
大々的に獣人を誘致して領地経営を行いたいと考えています」
「ほう、ヘカテーの申し子殿にそこまで肩入れして頂き
獣人を代表して礼を言わねばならぬかの」
なんでだよ、こっちの事は調査済みなのか。
「今はまだ子供の空想の範囲でございますので」
「わかった、この国も二度の敗戦でイース教の信者は激減しておる
この大陸とは言えんが、儂の力の及ぶ範囲の獣人とその支援者に
声をかけておこう」
「ありがとうございます」
残りの種まきはゆっくり時間をかけてやっていくか。
お読み頂きありがとうございます。