9話 人類は魔物に支配されている! だから? 別にいいだろう?
「アスラが壊したのは、後に『神滅10年戦争』と呼ばれるはずだった戦争」ナナリアが言う。「フルセンマーク史に多大な影響を与える、歴史の転換期とも呼べる戦争を、あなたが終わらせてしまった」
「ジャンヌの戦争?」
アスラが推測して言った。
「そう。神様はその10年で滅びた、と言われるほどの大きな戦争になるはずだった」
「私は良いことをしたのかな? それとも悪いこと?」
「さぁ」ナナリアが肩を竦めた。「ただ、おかげでこれ以降の預言も全て無意味になった。だから、私たちにとっては悪いこと」
「私たち? 君は組織か? それとも国?」
「ナナリアの本名は」ティナが言う。「ナナリア・ファリアス・ロロですわ」
「貴族王か……」とユルキ。
「かつてルミアにララ号を与えた者」とマルクス。
「それはお兄様」ナナリアが言う。「戦争を起こす者の名はジャンヌ・オータン・ララ。預言書にはそう書かれていたから、お兄様はララ号を与えた。けれど、本物のジャンヌは姿を消してしまった」
ナナリアがアスラをジッと見詰める。
「私と一緒にいたからね、彼女は」
「仕方なく、私は妹の方に力を与えて、預言を成就させようとしたのだけど、それもアスラが壊してしまった。最初から最後まで、アスラが台無しにした」
「それで? 君たちは何か失ったのかね?」
「私たちファリアス家と、9大貴族はずっと預言を元に行動してきたの。今回だって、戦争に備えて中央の3大貴族は避難していた」
大貴族の数は9家。常に9家だ。
それぞれの地方に3家ずつ存在している。
「準備をしていたのよ? 人類に恩を売る準備や、装備を売る準備や、色々なことを。全部無意味になっちゃったじゃない」
「貴族の頂点に立つ貴族王家。ファリアス家」アスラが言う。「まさか最上位の魔物とはね。くくっ、人類は長いこと、魔物に支配されていたわけか」
ナナリアが驚いたように目を丸くした。
「意外とバカなのかな?」アスラが言う。「ティナの親戚か何かだろう? 会話で分かったよ。君は自分を純血と言って、ダブルのティナを下に見ていた。元々は同じ血脈だから。9大貴族も魔物かね?」
「違う」ナナリアが言う。「神の血脈はファリアスだけ。他の貴族は人間よ」
ナナリアは酷くイライラしている様子だった。
アスラがバカと言ったのと、あっさり魔物だと見抜かれたから。
「そうかい。まぁ、魔物だったとしても、私には関係ないがね。ところで、預言とやらではどういう結末だったんだい? ジャンヌの戦争は」
「10年後に、大英雄アイリス・クレイヴン・ルルがジャンヌを殺して終わる。今はまだリリだけど、アイリスが殺す」
「はっ! アイリスがジャンヌを殺すのに10年!? それは遅すぎる! 私らの弟子になってないアイリスだね!」
「その後、アイリスは長らく空白だった『天聖』を名乗る」
「天聖アイリス! カッコイイね! ところで天聖って?」
アスラはその称号を知らない。フルセンマーク史を隅々まで暗記しているわけではない。
「イライラするわね」ナナリアが表情を歪める。「ファリアスを前にして、さっきからニヤニヤ、ニヤニヤと……」
「おっと、それは悪かった」アスラが言う。「ちょっとテンションが上がってしまった。跪きましょうか? お嬢様。もうだいたいのことは理解した。帰っていいよ?」
「だから!」
ナナリアがアスラの腹部に拳を打ち込んだ。
あまりの速度に、アスラは躱すことも防御することできず、まともに当たった。
アスラは後方に飛ばされ、壁に叩き付けられて甲板に倒れた。
追撃しようとしたナナリアの腕を、ティナが掴む。
急制動がかかったナナリアが、バランスを崩す。
「このっ!」
ナナリアがティナの手を振り払う。
そのまま2人は殴り合いの戦闘へと突入。
「僕には何がなんだか……」とラウノ。
「安心しろ、団長が何か用意してる」
「自分たちはそれに合わせて」マルクスが言う。「ゴジラッシュに飛び乗って逃げる」
マルクスがアスラに目をやると、アスラは倒れたままだったが、ナナリアとティナの殴り合いを見ていた。
「つか、ゴジラッシュ、ビビッてるよな?」
ユルキがゴジラッシュに降りて来いと合図するが、ゴジラッシュはかなりゆっくりとしか下降しない。
そして、ティナとナナリアの殴り合いはかなり一方的になってきた。
ナナリアの方が強い。
アスラはまだ見ている。
ナナリアの蹴りがティナに命中し、ティナが甲板に叩き付けられる。
ティナはもう立てない。
アスラはまだ見ている。
「汚らわしいダブルめ。私に勝てないと理解できた?」
ナナリアは勝ち誇ったように言った。
「できませんわ……」
「そう。じゃあ死んで」ナナリアが凄まじい殺気を放った。「あの世でジャンヌによろしく」
ナナリアの殺気に、ラウノが腰を抜かしてしまう。
ユルキとマルクスも硬直し、動けない。
アスラはチャンスだと思った。
仕掛けを使う、そう思ったのだけど、使う寸前で止めた。
突如現れた堕天使がナナリアの右腕を斬り落としたからだ。
「ティナに殺意を向けましたね?」
漆黒のクレイモアを携え、漆黒の翼を翻し、彼女はそこに立っていた。
禍々しいのか神々しいのか分からない、不思議な雰囲気で立っていた。
「姉様……?」
ティナが酷く驚いたように言った。
「は? は?」
ナナリアは斬り落とされた腕を見ていた。
完全に意識の外側からの攻撃。
躱せる者などいない。
「固有属性・宵の付与魔法【守護者】」ジャンヌと同じ姿をした堕天使が言う。「あたくしの【神滅の舞い】と同じです。自分の性格と姿にするのに大変苦労しました」
ティナは察した。
アスラも察した。
ジャンヌがティナに使った魔法だと。
あの日、何も発動しなかった魔法。
ジャンヌはただ、「お守りです」とだけ言った。
「世界がまだ残っていて、アスラもいる。ということは、あたくしは失敗したのですね」
ジャンヌは微笑んでいた。
失敗したことを悔いている様子はない。
アスラが立ち上がる。
「私の腕……私の腕……」ナナリアは狼狽して言った。「なんで……。私は純血なのに……」
「気に病むことはない」アスラが言う。「誰も躱せないよ。魔法の発動を察知した時には、すでに君の腕は落ちていた」
アスラが指を鳴らすと、ナナリアの右脚が吹っ飛んだ。
ジャンヌがティナを抱えて空に移動。ティナが返り血を浴びないようにしたのだ。
ナナリアが悲鳴を上げながら甲板をのたうち回った。
「それと、君は油断しすぎなんだよ」アスラがニヤニヤと言う。「私の仕掛けに気付かなかっただろう? まだ完璧じゃないけど、花びら1枚だけなら、察知されないように作れる。遮蔽魔法――ステルスマジックと名付けて研究中さ」
そこからの変化。それは相手を殺すという一点においては、かなり有効。
知っていても躱せない。知っていても気付かない。突然爆発して、突然死ぬ。
「団長がまた恐ろしい魔法を作ったぞー」とユルキ。
「トドメを刺した方がいいのでは?」とマルクス。
「許さない、許さない、許さない! 死ね! 死んでしまえ!」
ナナリアが叫ぶと同時に、無数の剣が周囲に出現。
本当に数え切れないほどの数で、それらが一斉にアスラたちに襲いかかった。
全ての剣が、達人の太刀筋で襲ってくる。
悪夢のような魔法。
だが攻撃は剣1本につき一度だけ。
躱せば消える。
しかし数が多い。
全ての攻撃が終わった頃には、アスラもマルクスもユルキもラウノも、甲板に伏せていた。
全員、即死は避けたが、ダメージが大きい。
もう一度同じ魔法を使われたら死ぬ。
そう思ったのだけれど、ナナリアはすでにそこにいなかった。
「消えた……? いや、見えないだけか……」
血を流しながらアスラが立ち上がる。
そして【花麻酔】を使って出血を止める。
「大丈夫、いませんわ」
ティナを抱えたまま、ジャンヌが甲板に降りる。
「ナナリアの固有スキルは空を飛ぶことですわ。姿を消して逃げたと思いますわ。あのケガなら、回復に50日ぐらいかかりますので、しばらく安全ですわ」
「そうか……。50日で手足が生えてくるのか……」
アスラは再び倒れ込んだ。
ナナリアがいないと分かって、気が抜けた。
しばらく立てそうにない。
「では、あたくしも消えますね」
ジャンヌがティナを降ろす。
「姉様……また会えますの?」
「もちろんです。付与魔法って、だいたいは永続なのです」ジャンヌが笑顔で言う。「ティナに殺意を向ける者がいると、発動します。でも殺意が消えると、あたくしも消えます。全自動でティナを守るためのあたくしです」
言いながら、ジャンヌはティナを抱き締め、そしてティナの尻を揉んでいた。
ティナも負けずとジャンヌの尻を揉み返していた。
「相変わらずいいお尻ですね。ではまた」
「姉様もいいですわ。今度ぼくにも叩かせてくださいませ」
微笑みを交わし、ジャンヌがスッと消えた。
◇
ナナリアは自分の屋敷まで飛んで、支援魔法【消失】を解除した。
バランスの悪い片腕片足で、ピョンピョンと跳ぶように屋敷の中に入る。
すでに出血は止まっている。
ナナリアは広間を目指した。この時間なら、いつも彼はそこにいる。
広間に入った瞬間に、彼の姿が目に入る。
銀髪の青年。女性と見間違うような美しい顔立ち。
「おや? ナナリア、どうしたんだい? 転んだのかな?」
ナナリアの兄、ナシオ・ファリアス・ロロ。
穏やかで、優しい声。
その声を聞いて、ナナリアは泣き出した。
「お兄様! お兄様!」
ナナリアはピョンピョンとナシオに近寄る。
ナシオはソファに座ったままで、ナナリアを見ていた。
ナナリアがナシオの胸に飛び込む。
「ナナリアは弱いのだから、あまり無理してはいけないよ?」
ナシオがナナリアの頭を撫でる。
「だって、だって、アスラに会ってみたかったの」
「会うだけなら、普通は手足を奪われたりしないよ?」ナシオはニコニコと言った。「どうせナナリアが攻撃しちゃったんだろう? ナナリアは弱いから、すぐ攻撃するってお兄ちゃん知ってるよ?」
「だって、だって……」
シクシクとナナリアが泣く。
ナシオはただ頭を撫でた。
「それで? アスラ・リョナはどうだった? 特別な存在だった?」
ナシオの問いに、ナナリアは首を横に振った。
「頭のネジが緩んでる以外は、普通の人間……」
「そうか。銀髪だし、もしかしたら血縁なのかも、とか思ったけど、違うんだね」
「ファリアスを抜けたのは、あの女だけ」とナナリア。
それはティナの母のことだ。
「そこはほら、外でコッソリ作っちゃったとか、あるだろう?」
ナシオは笑顔を絶やさない。
ナナリアは泣いている。
しばらく、ナシオはナナリアの頭を撫で続けた。
「ぐす……ケガが治ったら、アスラもその仲間も殺す……」
「普通の人間なら、もう放置でいいよ」ナシオが言った。「ティナも別に放置でいい。ティナってちょっと可愛いしね。敵対する組織を作らない限り、好きにさせてあげて」
「そんな! 私をこんな目に遭わせたのに!」
「いやいや」ナシオが言う。「それはナナリアが弱いからだよ? 僕だったら、傷の1つも負わなかったよ」
それは事実だ。
ナナリアは何も言えなくなってしまう。
「ナナリアはまだ神域属性すら得られていないだろう? 鍛錬をサボるからだよ?」
「だって……」
「はいはい。言い訳はダメ。ケガが治ったら、一緒に鍛錬しようか」
ああ、きっとこの人は、とナナリアは思う。
私が死んでも、
ナナリアが弱いからだよ、で済ませるのだろうな。
それは酷く悲しくて、寂しい。
ナシオはナナリアのような喜怒哀楽が欠落している。
「あ、そうだナナリア。東の大貴族、ノロネン家が僕に反旗を翻すそうだよ」
「え?」
「預言が外れたから、というわけじゃなくて、前から僕たちのことが気に入らなかったみたいだね。預言で私利私欲を満たしている、って」
「どういうこと?」とナナリアが首を傾げる。
「んー、預言を、人々のために使うべきだーって。前からそれっぽいこと言ってたよね。ノロネンの当主は」
「どうするの?」
「レレ号を剥奪して、大貴族から追い出す。で、一族皆殺しかな」
「妥当だと思う」
「うん。すでに中貴族家の一つに打診しているよ。新しい大貴族にしてあげるから、ノロネンを滅ぼすようにって」ナシオが言う。「正しくは試験かな。僕の駒として、ちゃんと動けるかっていうね」