EX20 君は地獄の入り口に立った ずっとそこに立っていろ、光と闇の狭間に
サルメは何度か小さくジャンプした。
それから、ギュッと拳を握って頷く。
「怖くないです」
サルメはこれから戦うスキンヘッドを見ながら言った。
「あ?」とスキンヘッド。
「あなたは私よりずっと大きいし、きっと私より強いです」サルメは落ち着いている。「でも、少しも怖くない」
「あんま、舐めてくれるなよ、嬢ちゃん。うっかり殺しちまうぞ?」
スキンヘッドは怒りを表現するため、わざと低い声を出した。
「私、世界で一番怖かった人に、昨日、裏拳を入れました。大好きで、そして大嫌いで、暴力の象徴なような人で、優しいところもあって、抱っこしてもらったことも、よく覚えています」
「何の話だ?」とスキンヘッド。
周囲の犯罪ファミリーの人間たちも首を傾げた。
「私はあの人に、何もできないと思っていました。嫌いだけど好きで、怖くて、ただ避け続けるだけだと、そう思っていたんです。でも――」
サルメが笑う。
醜悪に笑う。
スキンヘッドがギョッとする。
周囲の人間たちもギョッとする。
《月花》のメンバーは平静だった。
知っているからだ。
サルメのことを、よく知っているから。
「――なぁぁぁぁぁんにも! 感じませんでした! あのまま殺せましたよ私! 実の父親を、私はぶち殺せます! だから、もう私に怖いモノはありません!」
「私は?」とアスラ。
「ごめんなさい怖いです」
サルメが小さくなって言った。
そのギャップに、周囲の人間たちが戸惑う。
ユルキとイーナが小さく噴き出した。
「サルメ、途中までカッコよかったのに」とレコ。
小さな沈黙。
「ええっと、始めていい?」アイリスが申し訳なさそうに言った。「いいわよね? はい、じゃあ始め!」
合図と同時に、スキンヘッドが右ジャブ。
それがサルメの顔面に当たる。
スキンヘッドの左ストレート。
サルメが吹っ飛んだ。
見物している者たちが、サルメを受け止める。
「おい嬢ちゃん、さっきの威勢はどうしたよ!」
ファミリーの人間がサルメの背中を押す。
押されたサルメは再びスキンヘッドの前へ。
◇
「おいおい団長さんよぉ」ボスが言う。「こりゃ一方的だわ。降参した方がいいんじゃねーのか?」
「一方的?」とアスラ。
スキンヘッドの上段蹴りで、またサルメが吹っ飛んだ。
サルメはさっきから、何度も何度も殴られ、蹴られ、飛ばされていた。
「マジで止めてくれるんだろうな? うっかり殺しちまって、あんたらと戦争なんてゴメンだぞ?」
ボスは決闘の立会人をやっているアイリスに向けて言った。
「え? 死にそうなら止めるわよ?」
よく分からない、という感じでアイリスが首を傾げた。
サルメが立ち上がって構える。
「まぁ、根性だけは大したもんだな」ボスが笑う。「あんだけボコられて、立つんだからな」
「サルメに根性なんてないよ」アスラも笑った。「あの子はね、虐待されて育ったんだよ。それから、とある商人に暴行を受けて、本当、可哀想なぐらい痛みに塗れた人生だった」
「よくある話じゃねーか」
ハハッ、とボスが声を上げて笑った。
「そう。よくある話さ。まぁ、そんなわけで、サルメは痛いのが大嫌いなんだよ。もう苦手も苦手。ビンタしただけで泣いちゃうもんだから、私もビックリだよ」
また、サルメが吹っ飛んで、床に落ちた。
スキンヘッドの実力は高い。しっかり体術を学んでいる。
そこらのチンピラなら、もうサルメの方が強い。
でもこのスキンヘッドは、サルメには少し荷が重い。
「その上、サルメは何をやらせても平凡でね。特に優れた能力があるわけでもない。近接戦闘術はそこそこだし、短剣もそこそこ、弓もそこそこ、魔法はまぁ、早い方かな。でも、全体的に凡庸だよ」
サルメは立ち上がって構える。
今までと同じように、サルメはすぐに立った。
その様子に、周囲が少しざわつく。
「普通、あいつにあんだけ攻撃されたら、死んでねーか?」
「不死身か、あのガキ」
そんな声が聞こえた。
「だけれど、そんなサルメにも1つだけ、たった1つだけ秀でた部分があった」アスラが言う。「痛みが怖いから、痛いのが嫌だから、彼女はいつも逃げる」
「あ? 逃げれてねーだろ?」ボスが言う。「全部クリーンヒットだろうが。クソ派手にぶっ飛ばされてんじゃねぇか。まぁ、体重の差が大きいし、当然だろうが」
「君は一方的だと言ったけど、確かに素人にはそう見えるね」
「あ? 意味が理解できねぇ」
「あのハゲは気付いてる。だから、打ち込むのを止めて、様子を見ている」
事実、スキンヘッドはコンパクトに構えたまま、サルメをジッと見ていた。
「お前は」マルクスが話に入ってくる。「大英雄の攻撃を受けて立てるか? 何気ない、軽い攻撃だったとして」
「は? 立てるわけねぇだろうが。アイリスの攻撃ですら、無理だろうぜ。英雄とは人種が違う。ありゃ全部化け物さ。だから、あんたらと戦争したくねぇって言ってんだ」
「サルメは立ったよ」アスラが言う。「サルメはね、超人的なまでに受け身が上手い」
「はぁ?」とボス。
「正直、私も驚いたんだよ?」アスラが言う。「でも嬉しかったなぁ、あの時。サルメがノエミ・クラピソンの攻撃を上手に受けた時」
「ガチの大英雄じゃねぇか……。そうか、あんたらが殺したって話だったか」
「殺したのはサルメだよ」
アスラの発言に周囲の人間が目を丸くして、視線をアスラに集中させた。
嘘は言ってない、とアスラは思った。
ノエミの息の根を止めたのは、サルメだ。
四肢をもぎ取って、放っておいても死ぬ状態だっただけ。
◇
「どうしたんです? もう攻撃しないんですか?」
サルメが微笑みを浮かべた。
「その『受け』は、素人のもんじゃねぇ」スキンヘッドが言う。「ほとんどダメージが入ってない。クソがっ、てめぇ、主力だな? 傭兵団の主力だなてめぇ」
「違います。見習いです」サルメが言う。「私レベルでは、《月花》の主力なんて無理です」
「嘘吐いてんじゃねぇ!」
スキンヘッドが右のフック。だが少し速度が遅い。
サルメは躱した。
躱せる攻撃なら、躱した方がいいと判断したから。
しかし。
「捕まえたぜ?」
スキンヘッドはフックの途中でサルメの髪の毛を掴んだ。
最初からそうするつもりだったのだ。
速度が遅かったのはそのため。
「こうなったら、受けもクソもねぇ! 舐めやがって! ボロクソにしてや……ぐぎゃぁ!」
スキンヘッドはせっかく掴んだサルメの髪を離し、股間を押さえてうずくまった。
「気を抜きましたね?」サルメがニヤッと笑う。「今、勝ったと思って気を抜きましたね?」
ずっと待っていたのだ。スキンヘッドの集中が解ける瞬間を。
まともに戦ったら、サルメは勝てない。受けが上手いといっても、完全にノーダメージというわけではない。
いつかはダメージが蓄積して立てなくなる。
「てめぇ……そりゃ反則だろうがよぉ!」
スキンヘッドは這いつくばったまま、苦悶の表情でサルメを見上げた。
「弱点ぶら下げてる方が悪いんです!」
サルメはスキンヘッドの頭を掴んで、顔面に膝蹴りを入れた。
女子供でも、膝は凶器になり得る。特に鍛えていなくても、だ。
スキンヘッドが床を転がって、仰向けになった。
サルメは容赦なく、スキンヘッドの顔面を踵で踏み抜いた。
足の裏全体ではなく、踵だけに全体重を乗せた。
酷く気色の悪い音がして、スキンヘッドが断末魔のように叫んだ。
踵もまた、鍛えていない人間でも凶器となる部分。
「顎の骨、砕けちゃいましたか? 謝りませんよ? 近接戦闘術は相手を壊すためにあるので」
スキンヘッドがのたうち回る。
サルメはブーツの先でスキンヘッドの腹部を何度か蹴った。
「ちょ、ちょっと待ちなさいサルメ!」アイリスが止めに入る。「殺す気!? もう勝負は付いたでしょ!?」
「いえ、私を舐めていたようなので、思い知らせてやろうかと」
「な、なんてこと言うのよ!? あたし、サルメはいい子だと思ってたのに! 今の蹴りは酷い! 相手もう抵抗する力なかったでしょ!?」
「だから何です?」サルメが言う。「この人は降参とは言ってませんし」
「顎砕かれたら言えないでしょ!?」
「それに、殺さなければ何をしてもいいというルールだったはずです」
「違う! それは違う! あたし、そんな野蛮なルール提示してない!」
「じゃあ」サルメがアイリスの顔を覗き込む。「ちゃんと説明しないと。私の解釈でも間違いじゃないですよ?」
サルメが、あまりにも小馬鹿にしたような口調で言うものだから、
犯罪ファミリーの人間たちが殺気立った。
「……あーあ」イーナが言う。「……サルメ、サディストに、なっちゃったね……」
「プチイーナだな」ユルキが笑う。「そのうち、人間みんな死ねばいいのに、とか言い出すぜ?」
「虐げられ続けた反動が、思ったより大きいな」マルクスが言う。「団長、制御した方がいいのでは?」
「特に問題ないよ、今のところは」アスラが肩を竦めた。「イーナよりマシだし、ルールも守ってる」
「殺さない、武器を使わない?」とレコ。
「そうだよ。ルールはその2つだけだった。サルメは守った。勝手な行動はしていない。君もルールを守って楽しく遊ぶんだよ?」
アスラが上機嫌で言った。
「はぁい」とレコ。
「それとサルメ、よくやった」アスラが笑顔を向ける。「君は自分の実力をキチンと把握しているし、勝つために耐えることもできた。近接戦闘術の真髄をよく理解しているようだし、君の成長を誇りに思うよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
サルメは酷く照れたように頬を染めてモジモジと俯いた。
「あんたらにとって」ボスがキレ気味で言う。「この決闘は遊びか? 団員の成長の場か?」
「そうだよ」アスラが楽しそうに言う。「どう見ても遊びじゃないか。私らが本気なら、清掃が大変だよ? 天井まで真っ赤に染まる」
「ボス! やっちまいましょう!」
「ボス! こいつら、舐めすぎっすよ!」
「ボス!」
ファミリーの人間たちが喚き散らす。
「いいね」アスラがニタァッと笑った。「そっちにやる気があるなら、もちろん、私は相手をする。私らは相手をしてあげるよ。戦争が好きだよ。殺し合いが好きだよ。私にとって、私らにとって、それは甘美な時間さ。血の海を泳ぐように、死体の山を登るように、死んだり死なされたりしよう! 楽しいよ! やろう! ぜひやろう! 最後の一人が息絶えるまで! ああ、ゾクゾクする! 楽しもう! 一緒に楽しもう!」
「しかし相手にならないでしょう?」マルクスが言う。「ハンデとして、こちらは武器と魔法の使用を禁止にしてみては? その方が楽しめるかと」
「煽ってんじゃねぇぇぇ!」ユルキが盛大に突っ込む。「お前副長だろ? 止めろよ? 団長止めろよ? マジでサルメの制御とかどうでもいいから、団長制御しろって! 行く先々で死体の山作るつもりかよ!?」
「引っ込みつかねぇぞ、クソッ」ボスが言う。「おいてめぇら! 戦そ……」
「ダメェェェェェェ!!」
アイリスが凄まじい声量で言った。
ほとんど絶叫だった。
「アスラ、本当にやりすぎだから、最近」アイリスがラグナロクを抜いた。「ここで、あたしの仲裁無視するなら、全員あたしの敵だから! 全員英雄の敵だから! 仮にあたしを殺して生き残っても! 今後二度と安息とかないから!! それと、最初に動いた奴は絶対斬るから! 絶対に斬る! あたしは、英雄として間を取り持った! それを反故にされて、英雄を甘く見られて、黙ってるほど優しくないから!!」
アイリスの表情は怒りに染まっていた。
「ほう。じゃあ君と殺し合いかね?」
アスラがニヤニヤと言った。
「そうなるわね。本意じゃないけど、それでも!」
アイリスが構える。
東の剣術ではなく、中央の構え。
クレイモアを扱う構え。
ほう、とアスラは思った。
非常に綺麗な構えだった。
教えてはいない。どうせすぐに、片刃の剣に戻ると思っていたから。
つまり、この短期間で、独力で中央の剣術を会得したということ。
それも、ほとんど見よう見まねで。
「あんたたちは、英雄敵に回して、生きられるとでも思ってんの?」アイリスはボスに向けて言った「あたしだったから、仲裁してあげたのよ? それを、あんたたちは反故にするって言うの?」
「いや……それは……」
ボスは言葉を濁した。
けれど。
戦う気がないのは明らかだった。
他の者たちも、アイリスの言葉に怯えてしまっている。
「ねぇ、あたしね、英雄なの」アイリスが低い声で言う。「忘れてたでしょ、さっき。あたしが英雄だってことも、あたしが仲裁したことも。舐めないでよね」
アイリスの、英雄の怒りに当てられ、ほとんどの者が戦意を喪失した。
正直、ユルキとイーナも少しビビッていた。
重苦しい沈黙。
アスラが溜息を1つ吐いて、
大きく手を打った。
「よし。この件は終わりにしよう。金はいい。譲歩してあげるよ。私らは英雄の仲裁の下、決闘を行った。私らが勝ったけど、そちらに敬意を払って、支払いはナシにする。どうかな?」
「……文句ねぇよ……」
ボスが言った。
「よし、では終わりだ。禍根は残らなかった」アスラが言う。「悪いけど、先に出ておくれ」
アスラの言葉で、犯罪ファミリーのメンバーたちが酒場から出る。
全員が出たことを確認してから、アスラはアイリスの腕に触れた。
「もう降ろしていいよアイリス」
アスラの言葉で、アイリスがラグナロクを降ろした。
アイリスはほとんど放心状態だった。
アスラがアイリスの背中を軽くポンポンっと叩き、耳打ちする。
「本気だったね。よく頑張った。よく決断した。君は立派な英雄だよ。そして私らの仲間だ。今後も頼むよ」
「え?」とアイリス。
「ようこそ《月花》へ。地獄の入り口だなアイリス」
ユルキがアイリスの頭を軽く叩いた。
「……これからは、仲間だから、ちょっとは……優しくする」イーナもアイリスの頭を叩く。「ようこそ……地獄の入り口へ……」
「ごめんなさいアイリスさん、私、やりすぎでしたね。自分でもまだ、自分の制御が難しくて。できれば入り口で止まってくださいね。ようこそ」
サルメは苦笑いしながら言った。
「ようこそアイリス。正気と狂気の狭間へ」レコが言う。「これからは仲間として、胸触るね」
「ぼくは、よく分かりませんわ。でも、お尻は触りますわね」
ティナはアイリスの尻を叩いた。
「いったぁ!」とアイリスが飛び上がった。
「……いいですわ……この弾力」
ティナが自分の手を見ながら呟いた。
「アイリス」マルクスが言う。「お前は仲間だ。団長がそう言った。今後は、何か困ったことがあれば、我々が助ける。そっちに仲間意識がなくても」
「いたた……何すんのよ……って、え? 何? どういうこと?」
アイリスは尻を撫でながら、キョロキョロと《月花》のメンバーを見回した。
アスラがアイリスの頭を撫でる。
「仲間認定しただけだよ。君は元々ゲストで、さっきまで私らの弟子だったけど、今からは正式に仲間として扱うって意味さ。別に《月花》に入る必要はない。意識の問題だよ」
アイリスはまだ、よく分からないという表情だった。
「細かいことはいい。こっちの問題さ」アスラが肩を竦めた。「よし、みんな宿に戻って、出発の準備をしよう。チームと任務の再確認をしておくか。イーナ」
「アイリスのこと、認めたってことだよ」
レコがアイリスに耳打ちした。
「……あい」イーナが言う。「あたしは……レコ、サルメ、アイリスを連れて……拠点に戻る……。それから……3人のサバイバル訓練の、引率をする……」
「よろしい。マルクス」
「自分はティナを連れて、テルバエ大王国でルミア、またはプンティの情報を探ってきます。その後、団長を追ってヘルハティへ。ティナは拠点に戻します」
「よろしい。ユルキ」
「団長と監獄島に潜入。仲間候補のラウノ・サクサを口説く」
「よし。ではみんな、《月花》を楽しもう」