8話 所詮は私の下位互換 取るに足らない存在だね
「我が王、その子は誰です?」
クレータは微笑みを浮かべたまま言った。
その微笑みを見て、アーニア王は酷く恐ろしいと感じた。
クレータには罪悪感がない。
罪のない市民を殺したことも、周囲を騙していたことにも、きっと何も感じていない。
「私らは結婚するんだよ」アスラが楽しそうに言う。「実はずっと付き合っていたんだ。若き王がお見合いの相手と進展しなかったのも、私がいるからさ」
アスラの言葉で、クレータの顔から表情が消える。
「アーニア王はロリコン野郎だったのさ!!」
アスラは大きな声で、弾んだ声で言った。
その発言に、アーニア王は「え?」と目を丸くした。
「我が王への侮辱は許されない」
クレータがギュッとナイフを握り直した。
クレータはまだ歩いている。自然に歩いている。
アスラもゆっくり歩き、クレータに近寄る。
「ちっ、思ったより冷静だね」アスラが言う。「怒りの感情もないのかい? あるいは、怒った振りもしないのかい?」
「あなたに用はない」とクレータ。
「私は用がある。君を捕まえる。憲兵の依頼でね」
アスラが言うと、クレータは「ああ」と頷いた。
「あなたが私の同類ですか?」
「同類じゃなくて上位互換」
アスラは淡々と訂正した。
「私より優れている、と?」
「まぁね」アスラが肩を竦める。「まず第一に、私なら捕まらない。第二に、私は戦闘能力も高い。第三に、私の方が美人だ」
「その年齢で傭兵なら、確かに強いのでしょう」クレータが言う。「でも、私の方が美人です」
「第四に、君1人でどうするつもりだい? ノコノコと現れやがって。バカめ。罠だと気付いただろうに」
「もちろん。王城の衛兵たちがいませんでした。王城には詳しいので、別に衛兵なんて気にもならない。そもそも、我が王が寝室で休んでいるところを狙う予定でした」
「その方がいいだろうね。なぜ作戦を変更した?」
「挑発されていると感じたので」クレータが立ち止まる。「憲兵ではない。憲兵はこんな危ない橋は渡りません。では誰なのか。気になるでしょう?」
「そこが甘い」アスラが言う。「そこが下位互換。私なら、予定通り寝込みを襲う。その方が完璧だから。挑発した相手はあとで調べて、あとで殺す」
アスラが左半身で構える。
「あなたも一緒に殺せば、問題ない」
クレータが動く。
右手のナイフでアスラの胸を突こうとした。
中段の突き。
アスラは入り身と同時に左手でクレータの右手の甲に触れる。
アスラが突っ込んできたので、クレータが一瞬、戸惑う。
アスラはその場で転換し、身体の向きを180度変える。
同時に、クレータの右手の甲に触れていた左手で、クレータの右手の甲を掴んで身体操作。
クレータは自分の突進力もあって、アスラの前に出るのだが、その時にアスラが身体操作を行ったので、クレータはアスラの正面で向き合うような形になった。
円を描くようにクレータが動いたのだ。
正確には、アスラがそう動くように操作した。
クレータには意味が分からなかった。
アスラとクレータの今の位置が、最初の立ち位置と真逆になったのだ。
アスラはまだクレータの手の甲を掴んでいる。
そして。
アスラは一歩前に出ながらクレータの手首が身体の外側に向くよう捻り込む。同時に右手も添えて、押し込みながら転換。
クレータはグルンと空中を舞って、床に叩き付けられた。
小手返し、という技。
正確には、突きの小手返し。
アスラはそのままクレータの右手を完全に極める。
グッと力を入れて極めると、クレータの掌が開き、ナイフが落ちる。
落下するナイフを、アスラが右手で抓む。自分の手を切らないように。
「……なんだ今の美しい技は……」
アーニア王が驚愕に満ちた表情で言った。
「制圧用の近接戦闘術。でも確か、元々は母の祖国の合気道って武道の技だね」
「母の祖国とは、前世の?」
「そうだよ。この世界には近接戦闘術も合気道もない。体術はあるけどね」
大英雄アクセル・エーンルートが体術の使い手だ。
もっとも、アクセルは打撃型なので、細かい身体操作を必要とする技は使えない。
「《一輪刺し》、君の敗因は過信だよ」アスラが言う。「罠の中に飛び込んでも、自分なら大丈夫という過信。大した戦闘能力もないのに、4人殺しただけで誰より強いと錯覚したこと。何でもできるという幻想に溺れたこと。私は少なく見積もっても1000人以上は殺している。おっと、今世ではもっと少ないか」
「うちの本部から逃げられたのも、うちのバカが発情したからです。確かに、うちの憲兵はレベルが低いです」
柱の陰から出てきたシルシィが言った。
「今の技教えて!!」
アイリスがアスラに駆け寄った。
団員たちも次々に柱の陰から出てくる。
レコだけが玉座の後ろから出てきた。
「クソ、クソ、クソ、アーニア王のクソ、団長とイチャイチャしちゃってさ!」
そしてアーニア王に文句を言った。
「さっきの技、ユルキさんがたまに使いますね。模擬戦で」
サルメが言った。
レコ、サルメ、アイリスにはまだ制圧術は教えていない。
「団長ほど綺麗にはできねーけどな」ユルキが笑う。「いやー、芸術だぜあの技のキレは」
「私はテクニックタイプで、君はスピードタイプだからね」アスラが言う。「同じ技でも差が出る。君たちも自分のタイプをそろそろ認識してもいい頃かもね」
レコ、サルメ、アイリスの3人に言ったのだ。
「ちなみに自分はパワータイプだ」とマルクス。
「……あたし、スピード……」とイーナ。
「再び逮捕します。クレータ・カールレラ」シルシィが言う。「今度は絶対に逃がしません。処刑当日まで、地下牢から出ることもないでしょう」
クレータが脱走したのは取調室から。
アスラが極めていた腕を放し、クレータの頭を踏みつける。
念のためだ。意地悪で踏んだわけではない。
グッと体重をかけて、クレータの顔が動かないようにしたのだ。
シルシィがクレータを縛り上げる。
「シルシィよ」アーニア王が言う。「すまなかった。暴言を吐いたことを謝る」
「いえ、わたくしも強く言い返して申し訳ありません。うちの憲兵の質は確かに、まだ低いです。改革を続けたいと思います」
「うむ。頑張ってくれ。憲兵のレベルが上がれば当然、治安が向上する」
アーニア王の言葉に、シルシィが頷く。
アスラがクレータの頭から足を退ける。
シルシィがクレータを立たせて、歩かせた。
「マルクス、イーナ、護衛してやれ」
アスラが言って、マルクスとイーナがシルシィに続く。
「我が王」クレータが言う。「いつの日か、あなたを……」
「黙れ」アーニア王が強い口調で言った。「貴様とは二度と会うことはない。地下牢で短い余生を過ごし、ひっそりと死ね。連れて行ってくれ」
「……ほら、歩け……」
イーナがクレータの尻を蹴っ飛ばした。
「くっ……私は必ず、あなたを手に入れる」
クレータは反省も後悔もしていなかった。
そしてもう何も言わなかった。
シルシィたちがクレータを連れて謁見の間を出るまで、アスラたちは黙って見送った。
「ふぅ……これでやっと、連続殺人事件も解決か……」
アーニア王が長い息を吐いた。
「このあと、王令への釈明が待っているね」
アスラはとっても楽しそうに言った。
「……アスラよ、本当に必要だったのか?」
「私が活躍するために必要だった」
アスラはそう断言した。
「アスラって、美味しいところは絶対自分よね……」とアイリス。
「はい。いつもそうです」とサルメ。
「いいんじゃねーの? うちらの団長だしな」とユルキ。
「アーニア王が病気で苦しんで死にますように」とレコ。
「……レコよ」アーニア王が苦笑い。「お主は元々、アーニアの民であろう?」
「今は違う」レコがアーニア王を真っ直ぐ見た。「オレは傭兵国家《月花》の民だよ」
「ほう。傭兵国家とな?」
「建国したんだよ」
アスラがザッと成り行きを説明した。
「そうか。夢が叶ったか。それで、余は何をすればいい? 武器と食料はすでに送ってあるが……」
「2人で話したい。みんな先に宿に戻っていてくれ」
アスラが言うと、みんな素直に従った。
「若き王」
今度こそ、本当に謁見の間にはアスラとアーニア王の2人だけ。
静寂の中、アスラの声が響く。
「戦争をしろ」
「……では、余の要請に応えてくれると?」
「ああ。今すぐではないがね」アスラがアーニア王に寄っていく。「君はいつから、そんな野心を持っていた?」
アスラが右手でアーニア王の頬に触れる。
「小さい頃から。だが、実現する力はなかった」
「イカレてるよ、君は」
「だから、アスラと出会った。余の剣となれる者と」
「まだ牙は隠しておけ。そして軍を強くしたまえ。その日まで」
「軍の再編を手伝ってはくれんのか?」
「自分のとこの戦力を整えるので精一杯さ」アスラが右手を離す。「でも、助言はしよう。名誉にこだわるな。泥臭い戦いを良しとしろ。以上だ」
「分かった。将軍と相談してみよう」アーニア王が小さく息を吐く。「ところで、アスラ式プロファイリングをうちの憲兵に教えることは可能か? 10万ドーラぐらいなら、予算を確保する自信がある」
「忙しいから、すぐには無理だね」アスラが言う。「それに、10万は安い。憲兵に教えれば、それは広まる。私らの優位性を売るわけだから、100万ドーラ用意したまえ」
「……ずいぶん、吹っかけるな……」
「絶対に広まってしまうからね。だけど、アーニアの憲兵はヘルハティの憲兵を抜いて、東で最高の憲兵になるだろう。アスラ式プロファイリングを採用するなら、それは確約済みだよ」
「……議会を説得できるか際どいな……。まぁ、やってみよう。いつから教えられる?」
「予定が詰まってるんだよ」アスラが苦笑い。「まず監獄島での仲間捜し。まぁ、仲間捜しは常に行うがね。それから魔法書の製作。英雄選抜試験。やることが多い」
「英雄になるのか?」
「そういえば、言ってなかったね。まぁ嫌々さ。成り行きってやつだね。試験のあと、教えよう」
「分かった。次の英雄選抜試験をメドに、予算の確保に動こう」
「よし。私らは数日中にアーニアを出るから、何かあれば手紙で」
アスラは手を振って、謁見の間をあとにした。
これにて第七部終了になります。連載再開までしばらくお待ちください。