3話 いきなりで悪いが、建国を宣言する 傭兵国家《月花》の誕生さ
サンジェスト王国。
王城のバルコニーで、アスラはしこたま吐いた。
今夜は戦勝祝賀パーティで、調子に乗って飲み過ぎてしまったのだ。
「アスラ殿、大丈夫ですか?」
「王子……いや、もう王か」
アスラは少しフラフラしながら、バルコニーの手すりにもたれた。
夜風が気持ちいい。
サンジェスト王となった王子が、アスラの隣にもたれる。
「いいのかい? 各国の偉いさんや、英雄たちの相手をしなくて」
「僕……いえ、余はパーティが苦手である」
「無理するな」アスラが笑う。「普通に喋ればいい。虚像はいつか崩れ落ちる。君は君のまま、君らしい統治をしたまえ」
「そう言ってもらえると……ありがたいです」
「昆虫の研究も、趣味で続ければいい」
「その、つもりです……」
サンジェスト王が小さく息を吐いた。
「今夜は誘ってくれてありがとう、新たな王」アスラが言う。「うちの子らも楽しんでいるようだ」
バルコニーからパーティ会場となった広間に視線をやる。
レコとイーナは我先にと美味しそうな食べ物を皿に取っていた。
まだ食うのか、あいつらは、とアスラは思った。
「主役ですから」サンジェスト王が言う。「もし……よければ、ずっとサンジェストに居てもらえませんか? 軍事顧問……いえ、正式な将軍の席を用意できます」
「そいつは素晴らしい提案だね」
言いながら、アスラは室内を見ていた。
アイリスがミルカと踊っている。
アイリスはやや緊張した様子だった。
たぶん、ミルカがしつこく誘ったのだろう、とアスラは思った。
「受けて頂けますか!?」
「いや」アスラは視線をサンジェスト王に向ける。「止めておけ。私は戦争が好きなんだよ新たな王。私はどうしようもないほど、戦争が好きなのさ。殺し合いに恋い焦がれている。戦闘の中でしか生きられない」
アスラは薄く笑っていた。
その表情に、サンジェスト王が息を呑んだ。
「私が将軍になったら、盗れそうな国は盗りに征く。この国は永遠に戦争を続けるだろうね。私がくたばるまで。それは君も君の民も望まないだろう?」
「……ええ、そうですね……」
「それにね、私は傭兵稼業の方が好きなんだよ。火種を作るよりも、火の中に飛び込む派、とでも言おうか。向き不向きの問題もあるしね」
「アスラ殿は」サンジェスト王が言う。「何でもできるような、そんな風に見えます」
「そりゃ錯覚さ」アスラが笑う。「まぁ、やりたいこともあるしね」
「やりたいこと、ですか?」
「そう。私は《月花》を歴史に残るレベルの傭兵団にしたい。具体的には、小さな傭兵国家を運営したいと考えている。ちょうど、城も手に入ったしね」
「国家……ですか?」
「その通り」アスラが極悪な笑みを浮かべる。「私の団員で構成された傭兵国家だ。不純物の混じらない、正真正銘の傭兵団」
「……それは……恐ろしいですね……」
サンジェスト王の額に冷や汗が浮かぶ。
アスラの目指す傭兵国家が、敵国に雇われた場合を考えたのだ。
「中央フルセンの国境線が書き換わっている最中だと思うが、私の古城の半径1キロ程度を私の領土として主張する。反対意見は出ないだろう? 私のおかげで君ら中央の人間は生きているんだから」
「……大丈夫だと思いますが……もし、反対する国があったら?」
「うちの領土が増える」
「……攻め込む、ということですか?」
「冗談だよ」アスラが笑う。「でも領土を主張するのは本気だよ。傭兵国家《月花》の建国を宣言する。このあと、正式にね」
それが、このパーティに参加した本当の理由。
各国の重鎮や英雄たちに《月花》を売り込むとはつまり、そういうこと。
ジャンヌを倒した実績を以て、建国。
《魔王》軍を打ち倒した事実を以て、金さえ払えばその戦力を使えるという宣伝。
「サンジェストと、同盟を結ぶことは……可能ですか?」
「私は誰とも同盟しない。雇われて、戦うだけさ。敵に雇われる前に、先に雇えばいい。相応の金を用意して、ね」
「分かりました……。有事になりそうな場合、即座に手紙を書きます」
「そうしてくれ。今のうちの戦力だと、同時にいくつも仕事をこなすのは難しい。まぁ仕事内容にもよるがね」
今後は戦力増強に力を入れる予定だ。
有能な人材を積極的に雇用するし、団員募集の張り紙も用意する。
「ああ、そうだ」アスラが言う。「一緒に戦った感じ、サンジェスト兵は弱くない。助言としては、汚れ仕事ができるようになればいいかな。名誉より国防を重視する教育を行えばいい。あと、全体的なことだけど、ゾーヤ信仰はほどほどにね。全部カルトに見える。利益より害の方が多い」
「うちは元々、教会の力が弱いです……。父王が奮闘した結果です」サンジェスト王が言う。「体罰が当たり前のこの中央で、僕は一度も叩かれたことがない。父も母も、過剰なゾーヤ信仰に否定的でした。ゾーヤ信仰そのものではなく、過剰な、ですが」
「それでも勇気のある両親だと思うよ」アスラは感心した。「サンジェストが居心地のいい理由が分かったよ。虐待まがいの体罰を見かけないからだね。他の中央の国なら、通りで鞭打たれてる子がいたりする」
そして誰も気にしない。
当たり前の光景だからだ。
「『そこで、ゾーヤは鞭を用いて罪人たちの罪を清めた』」とサンジェスト王。
「『それから、清らかになった人々と始まりの国イーティスを建国。そして、輝かしい銀神歴が始まったのだ』」とアスラが続けた。
「アスラ殿も、『神典』を?」
「暗記している」アスラが言う。「君が言ったフレーズが、体罰の元だね」
「そうです……。『神典』を否定するつもりはありません……。でも、過剰な信仰は僕も反対です……」
「それでいい」
だけれど、とアスラは思う。
『神典』が事実を元にしているのなら。
このフルセンマークという地方は――。
「そろそろ、中に戻りましょう」とサンジェスト王。
「そうだね」
アスラは思考を中断した。
◇
「これが、動物虐待で注意を受けた者たちのリストです。言われた通り、過去5年分です」
アーニア王国、憲兵団本部の一室。
シルシィがリストを大きなテーブルの上に置いた。
サルメがそのリストの枚数を数える。
ちょうど60枚。サルメは20枚ずつ、自分とマルクスとユルキに配った。
「その中に《一輪刺し》が?」
言いながら、シルシィが椅子に座る。
「だと思うぜ」とユルキ。
「動物で練習してから人間に移行したはず」とマルクス。
「そして、当時はまだ素人同然なので、捕まって注意を受けたはずです」とサルメ。
アーニア王国では、動物虐待は微罪だ。
憲兵団の屯所で絞られるだけ。
しかし、記録は残る。
「あなたたちの、そのアスラ式プロファイリングというのは、要するにただの推測ですか?」
シルシィには、事件をどのように捜査するか説明してある。
動物虐待者のリストを頼んだ時に一緒に教えたのだ。
「極めて正確な推測」
言いながら、マルクスがリストに目を通す。
「憲兵が総力を挙げても、容疑者を絞れませんでした」サルメが言う。「でも、私たちはもう60人に絞った」
「その中に《一輪刺し》がいれば、その通りでしょう」
シルシィが肩を竦めた。
「こいつは除外だな」
ユルキがリストを一枚、テーブルに置いた。
シルシィがそれに手を伸ばして確認する。
「なぜですか?」
「簡単なことさ。定職に就いてねー。酒飲みのロクデナシ。酔った勢いで犬を蹴っただけだ。この犯人はそういうタイプじゃねー」
「ですね。定職に就いていて、比較的、成功している部類かと思われます」サルメが淡々と言う。「頭がいいので」
「犯行の推定時刻は日が落ちてから夜まで」マルクスが言う。「仕事を終えてから殺しを楽しんでいるのだろう」
それから、3人は黙々とリストを分け続けた。
明らかにプロファイルに合わない人物を除外しているのだ。
ティナが退屈そうに欠伸をした。
窓から差し込む光が消え、夜が訪れた頃、リストの精査が終わった。
「7人残りました」サルメが言う。「若い人が多いですね。菓子職人、花屋、雑貨商人、軍人が2人、配達機関員、大工。菓子職人と大工と花屋が女性です」
「こっちは10人だぜ」ユルキが言う。「靴職人、香水職人が女。武器屋に甲冑屋、雑貨商人、ワイン商、なんでも修理工、松明点火員、パン屋の店員とパン職人」
「自分は6人」マルクスが言う。「墓守、火消し、花の栽培員、ミルク加工員が女。代筆屋、配達機関員」
「ということは、23人まで絞り込めた、ということですね」シルシィが言う。「次はどうします?」
「年齢で分類するか、職業で分類するか、性別で分類するか……」サルメが苦笑い。「どうしましょう……」
「さっきも言ったが、犯行時刻は日が沈む頃から夜にかけてだ」マルクスは大きく息を吐く。「勤務時間で分類するのがいいだろう」
「だな。その時間に犯行が不可能な奴の除外」ユルキは首のストレッチを始めた。「つーわけでシルシィ、それぞれの職場環境の資料を用意してくれ」
「……簡単に言ってくれますね」シルシィが言う。「詳細が労働監督機関にあればいいですが……」
「なければ憲兵を使って調べてください。今からです」サルメが言う。「明日の朝一で私たちが作業できるようにお願いします。現状だと、ここで行き詰まりです」
「頼むぞシルシィ、俺のケツの穴の運命がかかってんだ」
「は?」とシルシィ。
「とにかく頼む」とマルクス。
「分かりました」
シルシィが短く息を吐いてから立ち上がる。
「ちょっと臭いので、換気しますわね。もう帰るなら、別にいいですけれど」
言いながら、ティナが立ち上がる。
「換気してください」サルメが言う。「新鮮な空気が欲しいです」
ティナは窓に近付き、サッと窓を開けた。
外から涼しい風が入り込んで、テーブルの上の資料がヒラヒラと揺れた。
すでに日が落ちている。
「長いこと、部屋に籠もっていたからな」
マルクスが短く息を吐いた。
サルメが深呼吸して、新鮮な空気を胸一杯に吸い込む。
そして、小さく震えた。
「特定しなくちゃ……」サルメがブツブツと言う。「特定しゃなくちゃ……特定……」
「落ち着けサルメ。新鮮な空気を吸ってパニックを起こす奴を初めて見たぞ?」マルクスが言う。「進展している。次の情報を待っているだけで、進んでいる」
「シルシィ、俺らの様子窺ってねーで、早く行ってくれ。もうちょい話したら俺らは勝手に宿に戻る」
ユルキが両手を広げながら言った。
と、誰かが廊下を走ってくる気配を室内の全員が感じた。
みんなが視線をドアに向ける。
ドアが開き、憲兵が1人入ってくる。
憲兵の表情は酷く苦しそうに見えた。
走って来たから、というわけではない。
「大変ですシルシィ団長! また奴です! 《一輪刺し》のクソヤロウが、また罪もない国民を殺しました!」
「バカな……」シルシィは愕然とした表情で立ち上がる。「巡回を倍にしたはずですよ!?」
「倍にしたところで、隅々まで見張ることはできない。よくやった《一輪刺し》」とマルクス。
「普通の犯罪者なら、わざわざ巡回が増えている時期に罪なんて犯しません! よくやったってどういう意味ですか!?」
シルシィは悲鳴みたいに言った。
「自信があったんだろうぜ」ユルキが笑う。「憲兵より、自分の方が上だっていう自信がな。速攻で動いてくれて助かったぜ」
「わたくしたちは、現状でも国民から無能扱いされています」シルシィが悔しそうに拳を握った。「何の手がかりもなく、巡回を増やしても関係なく、どうしたらいいんですか……」
「確かに無能ですわね」ティナが淡々と言った。「ぼくの姉様なら、疑わしきは皆殺しの精神で解決しますわ」
「ティナの姉様は頭がアレなので、参考にしない方がいいです」
サルメが苦笑いしながら言った。
「殺した奴の中にいなかったらどーすんだよ」
ユルキが肩を竦める。
「でも」
サルメが嬉しそうに笑う。
その表情を見て、シルシィがギョッとする。
サルメの笑顔が少し、アスラに似ていたからだ。
「これで更に進展します。正直、直接現場を見られるのはありがたいです」
「だな。4人目の被害者か。どんどん殺してくれりゃ、相手も人間だし、いつかどっかでミスする可能性あるしな。いくらなんでも、敵が団長並ってことはねぇだろ」
「なんてこと言うんですか!?」シルシィが怒鳴る。「国民の命を何だと思ってるんです!? 早期逮捕して、次の殺しを未然に防がなければ意味がないんです!」
「自分たちには関係ないな」マルクスが冷静に言う。「請け負ったのは犯人の特定であって、殺人の抑止ではない」
「だったら早く特定してください! 5人目の被害者が出る前に! ご自慢のアスラ式プロファイリングとやらで!」
「そんなに怒ると喉が渇きますわよ?」
ティナが小さく首を傾げた。
「それより、現場に案内してください」
サルメが立ち上がって、憲兵に言った。
サルメに合わせてみんな立ち上がる。
「シルシィさん、怒っても何も解決しません」サルメが言う。「それに、私たちも別に手を抜いてるわけではないです」
「おう。相手はサイコパスだぜ? 基本的に知能が高いんだよ。その証拠に、《一輪刺し》は物的証拠を一切残してねぇ。一輪の花以外、な」
「正直、団長を相手にしているようなものだ。簡単ではない。もちろん、《一輪刺し》は団長ほど賢くはないだろうが。どちらにしても、自分たちは解決しなければならない。だいたいサルメのせいだが」
マルクスがサルメを睨む。
「うっ……」サルメの表情が引きつる。「こ、こんな厄介な事件だとは……」