9話 君は多くを見なかった だから負ける
「ルミアの敗因は3つある」
アスラが言った。
謁見の間では、イーナとアイリスが連携してルミアと斬り合っている。
「1つは、イーナとアイリスの成長を見なかったこと」
ルミアは2人を相手に互角以上の戦いを見せている。
ルミアが強引に2人を弾き飛ばして、【神罰】を使った。
イーナがアイリスの脚に【加速】を乗せて、アイリスが闘気を使用。
天使の降臨と同時に、アイリスが天使を両断。
天使が霧散した。
アイリスが闘気を仕舞う。
闘気の限定使用。
それでもMPの消費は激しいので、【神罰】潰しの場合のみ、使用を許可している。
今のアイリスでは、闘気を使わなければ【神罰】を封じられないからだ。
「あの天使、斬れるんだ?」
アスラの隣に立っているレコが言った。
「元はMPだけど、強固に物質化しているから、普通に破壊できる。というか、天使の方がそもそも人間を斬れるんだから、人間も天使を斬れないとおかしいだろう?」
「確かに」
サルメが寄って来て言った。
「まぁ、あの天使を斬り殺すにはかなりの実力が必要だがね。でも完全に発動する前なら、割と簡単だよ」
「魔法の弱点だね」とレコ。
「タイムラグですね」サルメが言う。「魔法は使おうと思ってから、多くの工程が必要になります。MPを認識し、取り出し、属性を変化させ、性質を変化させる。ルミアさんの【神罰】は強力な反面、少し遅い。遅れて使ったイーナさんの【加速】の方が、発動が早かったです」
その上、天使が顕現してから攻撃に移るまでに、ほんの少しの空白がある。
そこを狙えば、破壊はさほど難しくない。
ジャンヌの【神滅の舞い】にも同じ弱点がある。
ただ、天使にせよ堕天使にせよ、この世に降臨したら目を奪われてしまう。
だからわずかな空白に誰も気付かない。
「そのタイムラグを埋めるために、私は指を鳴らして相手の気を引く」
「そしてイーナは魔法の名前を言って、気を引いてるんだね?」
「そうだよレコ。声や音を出すとそっちに意識が行くからね。君らもどうするか考えておきたまえ」
「分かりました」とサルメ。
「魔法は本当に弱点だらけさ。流行しないのも頷ける」アスラが肩を竦める。「でも、それでも、使い方次第で強力な武器になる。完全に丸腰の状態でも、魔法なら使えるしね」
◇
やはり【神罰】は通用しないか、とルミアは思った。
分かっていたことだけれど、実際に防がれると少し悲しい。
「……むぅ……10秒無理……」
イーナがぼやいた。
イーナとアイリスは上手に連携しながらルミアを攻撃している。
ルミアは2人の攻撃をラグナロクで弾いたり、躱したりして隙を窺う。
「10秒で何をするつもりだったのかしら?」
アイリスの斬撃をラグナロクで受け止める。
その瞬間に、アイリスの片刃の剣が折れた。
「やばっ……」
アイリスは即座に後退。
剣を捨てて短剣を握る。
アイリスは魔法兵志望なので、短剣を一本だけ携行している。
「ああ、バカ……、あたしが死ぬ……」
アイリスが離れたおかげで、ルミアはイーナに攻撃できるようになった。
「殺したくはないけど、死んだらごめんなさいね」
ルミアがラグナロクを横に振るための予備動作に入る。
イーナは【加速】を使用。
ルミアは激しい違和感に襲われる。
イーナの【加速】はルミアの脚を狙っていた。
このままラグナロクを振り抜いていいものか、一瞬迷う。
ルミアは横に飛んで、イーナの【加速】を躱した。
「【風刃】!」
イーナと距離を取ったルミアに向けて、突風が吹く。
ルミアの身体に細かい切り傷ができる。
でも、それだけだ。
イーナの攻撃魔法である【風刃】は、人間を殺せない。
ただ広範囲を攻撃するので、微細な切り傷がルミアの全身に広がっている。
「目くらましね」
ルミアはラグナロクを背中に持っていく。
アイリスの突きが、ラグナロクの刀身に弾かれた。
ルミアは反転し、アイリスを斜めに斬ろうとした。
その瞬間に魔法の発動を察知する。
アイリスの左手。
「嘘でしょ!?」
なぜアイリスが魔法を使えるのか。
アイリスに何があったのか?
アスラが教えたのか?
だとしても、覚えるのが早すぎる。
どんな魔法が飛び出すか分からないので、ルミアは攻撃を中断して防御態勢に。
「【閃光弾】!」
アイリスの左手から目映い光が溢れる。
ルミアは咄嗟にラグナロクで顔を隠し、目を瞑った。
けれど、少しだけ目をやられた。
まさかルミアと同じ魔法を使うとは思っていなかったので、少し反応が遅れた。
けれど、ルミアは気配を察してある程度動ける。
ルミアは反転してクレイモアを振って、イーナの【加速】矢を叩き落とした。
「【外套纏】」
ルミアは支援魔法を使って全身をガード。
アイリスのミドルキックがルミアの脇腹に命中するが、【外套纏】のおかげで深刻なダメージは受けない。
アイリスが蹴り?
魔法を使い、体術を使い、短剣まで装備している。
そんなの、答えは一つしかない。
どう考えたって、それしか有り得ない。
「魔法兵になる気なのね……」
ルミアは小さく呟いた。
アスラが何を考えているのか、手に取るように分かる。
最強の少女を育て上げて、いつか自分が戦うのだ。
今のルミアのように。
ああ、でも、アスラは相手をしてくれなかったわね、とルミアは思った。
それでも。
アスラがアイリスとイーナを選んだのだ。
伊達や酔狂で選んだわけではない。
勝算があって選んでいる。
あるいは、対ルミアを想定した場合、最も有効的なカードだと思っているのだ。
ならば、2人を打ち倒せばアスラに勝ったようなものだ。
「ねぇ、ルミア強くない? 前より強くなってない?」
アイリスが困惑したように言った。
「……元々強い……。でも、勝てる……はず」
◇
「ルミアの敗因その2」アスラが言う。「アイリスがすでに生成魔法を使えることを知らなかった」
「でも【閃光弾】あんまり効いてないよ?」
「だけど、これからは常に警戒しなきゃいけない」アスラが笑う。「気配を読みながら動けるけど、視界を奪われるのはやっぱり痛い」
「そうですね」サルメが言う。「ただ、みんなで倒した方が早かったのでは? イーナさんのMP消費、けっこう激しいように見えますし」
「うん。実は私の想定よりルミアが強いんだよね。戦士の本能が完全に目覚めちゃった感じかな。ははっ」
「団長、実はちょっと焦ってる?」
「いやいや。焦ってはいないよレコ。勝つのはアイリスとイーナの方だよ。ただ、私の想定より大幅に時間と体力、それからMPを削られるというだけのこと。ジャンヌがいなくて良かった。ジャンヌも同時に相手にしていたら、ちょっとしんどいね」
ティナに参戦の意思がないのが救い。
「ここからどう攻めるんです?」サルメがアスラを見る。「ルミアさんって、単独でほぼ完璧な気がします。もちろん、連携した方が強いでしょうけど、1人でも相当完成されてるように見えます」
「イーナ次第だよ。一度すでに決着を付けようとして失敗してる」
「え? どの攻防?」とレコ。
「すぐに分かるよ。それしか勝ち目がないんだから。逆に言うと、それだけで勝てる」
◇
イーナとアイリスは攻め手に欠けている。
ルミアが【外套纏】を使ってから、2人は適度な距離を保ったまま動かない。
ルミアも動かない。視界の回復を待っているのだ。
【外套纏】の効果が切れたら、来るわね、とルミアは思った。
イーナはルミアの正面。アイリスは背面。2人でルミアを挟んでいる形。
イーナは左手で弓を持っている。右手は矢筒の矢に触れている。
イーナの弓の腕は、《月花》では一番だ。普通の射撃ならアスラよりも上手い。
アイリスは片刃の剣を失ったので、戦力は大きく下がっているはず。
けれど、近接戦闘術と魔法が使える。
【閃光弾】以外の魔法も修得しているなら厄介だ。
【外套纏】が切れる度に再使用して、常に防御力を上げた状態でいるのが望ましい。
ただ、そうなると早期決着でなければMPが保たない。
アイリスの短期間での成長は完全に予想外。
正確には、魔法兵になっている、あるいは魔法兵になりかけていることが想定外。
ルミアも攻め手を見つけられないでいた。
◇
ああ! あたしの虎の子の【閃光弾】がぁ!
せっかく視界奪ったのに! 効果切れちゃう! 効果切れちゃうよぉ!
アイリスは内心、激しく焦っていた。
ルミアってこんなに強いの!?
アイリスの稽古相手をしていた時より数段強い。
アイリスはこれでも英雄なのだ。
ルミアと離れてから、近接戦闘術や魔法を覚えた。更にイーナとの連携も深めた。
それでも、ルミアを倒せない。
マティアスさんより強くない?
それがアイリスの率直な感想。
最悪、大英雄アクセル・エーンルートの全盛期に匹敵する。
まぁ、話に聞いただけで、全盛期のアクセルを直接知らないけれど。
【神罰】を封じ、イーナと連携して、それでもなお、倒し切れない。
これが本気のルミア・カナール。
いや。
かつてのジャンヌ・オータン・ララ。
かつて最強と呼ばれた女。
もう、こうなったら恥も外聞もなく、捨て身で行くしかない。
◇
……団長の、嘘吐き……。
イーナは内心でぼやいた。
アスラは完全にルミアの実力を見誤っていた。
10秒で倒すとか無理。不可能。冗談にもならない。
チラッとアスラを見ると、アスラが「悪い」という風に苦笑いした。
でも助ける気はなさそう。
まだジャンヌとの戦闘が控えているので、アスラは体力を温存したいのだ。
それに、勝てないわけではない。
策はあるのだ。ルミアが引っかかってくれないだけで。
と、ルミアの光が弱くなる。
ルミアは【外套纏】で少し光っていたのだが、そろそろ効果が切れるのだ。
狙うならここしかない。
再度【外套纏】を使う時間は与えない。
イーナは矢をつがえて放つ。
ルミアは左手でその矢を掴んで、へし折る。
同時に回転しながらラグナロクを振る。
「うわぁ!」
アイリスが変な声を出しながらルミアの斬撃を躱す。
イーナが矢を放った時に、アイリスも突っ込んでいたのだ。
ルミアが回転を止め、手首を返して今度は逆方向からラグナロクを薙ぐ。
ルミアはアイリスを先に倒すつもりだ。
「嫌ぁぁぁぁ!」
アイリスは叫びながら短剣でラグナロクを受け止めようとした。
学習能力がないのだろうか、と思いながらイーナは矢を放つ。
ラグナログが短剣に当たり、短剣が砕け散る。
しかし斬撃は躱した。
ただ、これでもう、アイリスには武器がない。
同時に、ルミアが矢を躱すために体勢を崩す。
といっても、ほんの少しだ。極端にバランスを崩すようなルミアじゃない。
アイリスが倒れ込むようにタックルして、ルミアの脚に抱き付く。
が、ルミアはアイリスのタックルでは倒れなかった。
即座にラグナロクの柄頭をアイリスの背中に叩き付ける。
イーナはそれよりほんの少し早く、【加速】を使った。
【加速】はアイリスの腕を狙って、MPを認識し、取り出し、属性変化させた。
ラグナロクの柄頭がアイリスの背を激しく打ち付けた瞬間、
イーナは【加速】の対象をルミアの脚に変更して性質変化。
「ぐぇっ!」
アイリスが苦しそうな声を上げて、ズルッと床に倒れ込んだ。
ルミアが酷く驚いた表情で振り返り、イーナを見た。
「【収束風刃】!!」
「【外套……】」
ルミアは何か不穏な空気を感じたのか、防御態勢に入る。
でも遅い。
◇
「ルミアの敗因その3」アスラが言う。「ちゃんと今回は3まで考えているからね?」
ルミアの右脚がズタズタに引き裂かれるのを見ながら、アスラは少し笑った。
「オレその3が何か分かる」
「私も分かりました」
レコとサルメが言って、ルミアはラグナロクを杖代わりにして倒れ込むのを防いだ。
でも右脚はもう機能しない。
バラバラにはなっていないが、数多の深い切り傷から、綺麗な赤い血が流れ出ている。
治療しなければ、右脚を失う。そういうレベルの損傷。
「ふふ。ルミアはこの私の偉業を見なかった。知らないんだよルミアは! 私が変化という性質を生み出したことを! そして! イーナが変化を使えることをね!」
生成魔法【加速】を攻撃魔法【風刃】に変化させる。
それによって、広範囲に効果が及ぶ【風刃】を【加速】した部位に集中させることが可能になった。
脚が千切れるほどの威力ではないが、見ての通り、重傷を与える威力はある。
顔や胸を狙えば、相手によっては殺すことも可能。
「……新しい性質ですって?」
ルミアはもう動けない。
片足で戦えるほど、イーナとアイリスは弱くない。
「痛いぃ……」
アイリスが半泣きで起き上がる。
「ナイス……アイリス……」
イーナが拳を握って親指を立てた。
アイリスのタックルは、別にルミアを倒そうとしたわけではない。
アイリスの腕とルミアの脚を絡めたかっただけ。
イーナの【加速】がアイリスの腕を狙っていると見せかけるために。
ルミアが【加速】を躱さないように。
「研究していたのは知っていたけど、完成させたのね……」
ルミアは戦意を喪失したのか、ゆっくりとその場に座り込んだ。
そして自分の回復魔法を右脚に使用。
「とはいえ、魔法が途中で変わるなんて有り得ないでしょう? とんでもない性質だわ。てゆーかマルクス、【絆創膏】くれない?」
ルミアはラグナロクを手放した。
完全に負けを認めたのだ。
「団長。どうしましょう?」とマルクス。
「ルミアに交戦の意思がないなら、使ってやれ」
「ないわ」
ルミアはもう一度ラグナロクを掴み、少し離れたところに投げた。
マルクスがルミアに近寄り、【絆創膏】を何度か使用。
「すごいですわ」ティナがパチパチと拍手した。「これで魔法の性質は7つになりましたわね」
「7つだって?」
アスラがティナに視線を送った。
けれど、次の瞬間アスラは謁見の間の入り口に視線を移して身構えた。
団員たちは全員が即座に戦闘態勢を取った。
異常な圧力。正常ではない何か。おぞましい何かが、そこにいる。
入り口に黒い靄がかかっているように見えた。
その靄の中から、人影が現れる。
「……戻りました」
右手でクレイモアを引きずりながら、ジャンヌが歩いて来た。
クレイモアはすでに赤く染まっている。
「何っすか、あれ……」
ユルキの声が震える。
「ジャンヌの周囲の黒いのは……MP……ですか団長?」
マルクスの全身から汗が噴き出す。
ジャンヌは虚な瞳で、どこを見ているのかよく分からない。
「私は大きなミスを犯したかもしれない。これがMPなら、私らの勝ち目は風前の灯火ってやつだね。永遠に闘気を使えるよ、これ」
無限に思えるような膨大なMPが、ジャンヌから立ち上っている。
視覚化するほどのMPを見たのは、過去に一度だけ。
まるで黒い靄のよう。
もしも絶望が形を持ったなら、
きっとこんな風なのだろう、とアスラは思った。
「ってゆーか、人間じゃないよね、こんなの」
レコがその場に座り込んでしまった。
「反則ですよ……こんなの……こんなのまるで……」
サルメはペタンと座り込んで、そのまま漏らした。
ジャンヌの存在感だけで、サルメの身体は力が入らなくなってしまった。
「ははっ! 実は私も漏らしそうだよ! ちょっと出たかもね! 2年前に遠くからこういうの見たよ! 一時撤退!」