7話 才能だけは世界最高レベル 主人公をアイリスに奪われそうで困るね
「昨夜の事件は聞いてる?」
ルミアはジャンヌに話しかけた。
リヨルール帝国、帝城。謁見の間。
ジャンヌは王冠を頭に載せて、玉座に座っている。
隣にはティナが立っている。いつもの光景。
「……寝てるの?」
ジャンヌは頬杖を突いたまま、目を瞑っていた。
そして。
口元に涎が垂れていた。
「姉様は朝が弱いですわ」
ティナが淡々と言った。
「……知ってるわ……」ルミアが溜息を吐いた。「結局、《月花》対策は何もしなかったわね……」
「昨夜の事件は《月花》の仕業だと言いますの?」
「そうよ」
昨夜、城門を守っていた憲兵が殺され、賊が帝都に侵入する事件が起きた。
憲兵が対応しているが、まず間違いなく犯人は見つからない、とルミアは思った。
「だとしたら、来るのが早すぎますわ」
「急いで来たんでしょ」
「その割に、あたくしはまだ生きていますが?」ジャンヌが顔を上げる。「あたくしは彼らに殺されるのでしょう? ルミアの主張では」
「ここに来るのはお昼頃でしょうね」
ルミアが小さく肩を竦めた。
「……急いでいるのか、のんびりしているのか、分かりませんわね」
ティナが苦笑いした。
「急いで来て、休んでコンディションを整えて、それから襲撃するのよ」ルミアが言う。「そうねぇ……」
ルミアは中央の地図に乗っている駒を全部退ける。
それから、帝都の地図を中央の地図の上に重ねて置く。
「この辺りで休んでいるわね、きっと」
ルミアは駒を一個手に取って、地図の上に置いた。
ティナがトテトテと近寄って、地図と駒を確認した。
「……帝城の真ん前の地域……ですわよ?」
「そういう大胆不敵なことをするの、アスラって」
「宿にいるなら、憲兵が見つけているのでは?」とジャンヌ。
「……宿に泊まっているわけないでしょうに……」
「なぜです? あたくしなら宿に泊まります」
ルミアはジャンヌの危機管理能力の低さに溜息を吐いた。
推測だが、ジャンヌはここ数年、危機に陥ったことがないのだ。
ジャンヌもティナも恐ろしく強いので、向かうところ敵無し状態だったに違いない。
「アスラはそんなバカなことはしないわ。さっきジャンヌ姉様が言った通り、宿に泊まったら憲兵に見つかるでしょ? わたしたちと戦う前に体力を消耗するような真似はしないわ」
「ティナ、聞きましたか? ルミアがあたくしをバカって言いました」
「聞きましたわ。ルミアは割と上から目線な時ありますわよね。あ、姉様は涎を拭いてくださいませ」
ティナに言われて初めて、ジャンヌは自分が涎を垂らしたまま話していたことに気付く。
そして慌ててゴシゴシと口元を拭った。
「他の人には見せられない姿ね」とルミアが苦笑い。
「家族なら問題ありません」ジャンヌが言う。「それで? 宿でないならどこにいるのです?」
「民家に押し入って、住人を拘束、今は朝食も終わって、のんびり雑談でもしているでしょうね」
「その緊張感の無さは何ですの?」
ティナが苦笑いしたけれど、
あなたたちも似たようなものだわ、とルミアは思った。
「とにかく、もうあまり時間がないということですね?」ジャンヌが立ち上がる。「残念なことに、まだ《魔王》復活には魔力が足りません。面倒ですが、負の感情を拾ってきます」
ジャンヌは王冠を外し、ティナの頭に載せた。
ティナは少し嬉しそうに王冠に触れ、それからジャンヌと入れ替わりで玉座に座った。
「……虐殺してくる、って聞こえたわよ?」
「はい。《月花》は正面ですね? ならば、あたくしは裏から出て、街の反対側で暴れます」
「ねぇ、止めても無駄よね?」とルミア。
「あたくしの気持ちは理解できるかと」とジャンヌ。
「……そうね。たぶん、いえ、きっと、アスラと出会っていなければ、わたしがあなただったわ」
「知っています。あたくしは所詮、ルミアの代替品です」
「代替品の方が、本物より強くなってしまったわね」
「元からです。ルミアはプライドが高かったので、隠していました」
「そう……。そうだったのね……。傲慢な当時のジャンヌ・オータン・ララは、妹の本当の実力にさえ、気付けなかったのね」
「ごめんなさい。傷付けようと思って言ったわけではありません」
「いえ、いいの、言ってくれてありがとう。わたしは、きっと、小さな世界の小さな王様を気取っていたのよ。《宣誓の旅団》という小さな小さな世界」
自分が世界で一番強いと思っていた時期もあった。
何でもできると妄信していた時期もあった。
若気の至りで済ませるには、あまりにも多くの血が流れすぎた。
敵も味方も、自分自身も。
「あたくしも同じです。ではまた」
ジャンヌがゆっくりとした足取りで歩き始める。
その後ろ姿を見ながら、ルミアは思う。
当時のわたしに、他人を見抜く力があれば、
何も失わずに済んだかもしれないのに、と。
ルミアはユアレン王国の女王になり、ジャンヌは英雄になって、一緒に世界と祖国を守っていたかもしれないのに。
ああ、でも。
英雄はティナと仲良くできない。
討伐対象なのだ、ティナは。
「なんですの? ルミアも王冠載せたいんですの?」
ティナが小さく首を傾げた。
「違うわ」ルミアが首を振る。「ねぇティナ。わたしは、結局あの子に何もしてあげられなかった。あの子の決意は固く、わたしは救えないの。とっても悲しいわ」
「そんなことありませんわよ」
ティナが手招きして、ルミアはティナに近寄った。
「姉様のここを」ティナがルミアの胸に触れた。「救ってくれましたわ」
「……どういう意味?」
「ルミアが来てくれて、姉様はとっても嬉しそうでしたわ。安定した日も多くなりましたし、ぼくは叩かれなくなりましたわ」
「昨日は2人揃って叩かれたわ」
ルミアが両手を広げる。
ティナは微笑んで、ルミアの胸から手を離す。
「でも、痛くありませんでしたわ」
「そうね」
ジャンヌは闘気を使わなかった。
ペチペチと、戯れのように叩いただけ。
「姉様の心が、【呪印】を施す前に近いくらい回復した証拠ですわ。笑顔や冗談も増えて、ぼくは幸せだった頃を思い出せて……」
言葉の途中で、ティナが泣き出した。
「死んで欲しくないのね」
「……当たり前ですわ……」ポロポロと、ティナの瞳から涙が零れる。「……でも【呪印】は解除できませんわ……」
「あの子は本当にバカな子。世界を壊したい、ティナを守りたい。強い強い感情が、最善策を見つけてしまった。《魔王》になれば、両方叶うものね。本当にバカよ。そのために戦争して、虐殺して、どうしてティナと静かに暮らす道を選べなかったの……」
でも。
気持ちが分かってしまう。
痛いぐらい、ジャンヌの気持ちが分かってしまうのだ。
だって。
かつてはルミアも、報復に生きようとしていたから。
闇の中を這いずり回っていたから。
◇
「眠いですねぇ」
ジャンヌは【神滅の舞い】を3体同時に展開して、目に映る全ての生物を殺戮していた。
ジャンヌを見てひれ伏した人々や、たまたま偶然通りかかった野良猫や野良犬も。
「でも、魔法は完成しました」
完全な独り言。
ジャンヌは長い年月をかけて、一つの魔法を練り上げた。
修得して、改良して、更に改良して。
ティナが眠った深夜に、ただ1人、コッソリと静かに練り上げた。
おかげで、朝起きるのが辛くなったけれど。
その魔法は世界を滅ぼすこととは無関係。
殺戮とも無関係。
ただ、保険として創ったもの。
ジャンヌは人々の悲鳴を聞きながら、ぼんやりと呟く。
「あたくしは、人の心を失ってしまったのですね」
凄惨な光景を見ても、心が動かない。
かつての自分からは、想像もできないような心の変化。
何かが欠落してしまった。
だけど、
新たに得たものもあった。
「ティナ……どうか幸福な人生を歩めますように」
ジャンヌは空を仰いだ。
悲しいことに、ジャンヌは気付かなかったのだ。
人類への憎悪が強すぎて、他の道に気付かなかったのだ。
◇
「なーんか、騒がしいっすね」
窓の外を見ていたユルキが言った。
「……帝城の見張りも……いなくなっちゃった……」
同じく外を見ていたイーナが言った。
「それはチャンスだね。少し早いが、もう征くかね?」
アスラはソファに座ってお茶を飲んでいた。
ここは民家の一階。リビングルーム。
住人は拘束して二階に転がしている。
「何が起こっているか分かるかユルキ?」
マルクスがユルキの方に近寄った。
「さぁな。帝都の反対側で何かあったんだろ」
「……帝城の見張り役まで……行っちゃうって……余程のこと……」
「ふむ。団長、もう少し様子を見た方がいいのでは?」
マルクスがアスラを見詰める。
「どうかな? 無傷で帝城に入るチャンスだと思うがね、私は」
アスラはコップをサルメに渡した。
サルメはコップを見て、少し残っていたお茶を飲み干した。
「オレも団長の飲みかけのお茶欲しかった……」
レコは羨ましそうにサルメを見た。
「あんた……本当の変態ね……」
アイリスが溜息を吐く。
「ふふん」
サルメが自慢げに笑い、少し移動。
それからコップをテーブルの上に置いた。
「俺は様子見でも突入でも、どっちでも」ユルキが言う。「コンディションはいいっすよ」
「あたしも……いい感じ」イーナが背伸びする。「今が……その時でも……問題ない」
「自分も調子はいいですよ」マルクスが言う。「ただ、今何が起きているのか把握できていないので、慎重になることを提案したまで。突入命令を出すなら従います」
「あたしは……ちょっと緊張してるわね」アイリスが自分の手を見ながら言う。「正直……ちょっと怖いってのもあるわね」
「ティナに一撃でやられたもんね」とレコ。
「トラウマというやつですね」とサルメ。
「何度も言うが、ティナは仕方ない。最上位の魔物を1人で倒せるわけないだろう?」
「は? ティナの話でしょ?」アイリスが言う。「最上位の魔物関係ないでしょ? ティナがそれぐらい強いって意味なら分かり難いわよ?」
アイリスの発言で、全員が一瞬固まった。
嘘だろ!?
アイリス気付いてねーの!?
団員たちは心の中でそう叫んだ。
「え? 何よ? その表情なんなのよ!?」
アイリスがみんなの顔を見回しながら言った。
「……君は思考能力を養う必要があるね」アスラが言う。「魔法よりそっちが先かもしれない。論理的に考えれば分かるはずだけどね。たとえ受け入れがたい真実でも、それしか可能性がないならそれが答えだよ」
アイリスを一撃で粉砕したティナの戦闘能力は、人間の枠を超えている。
ならば、人間ではないのだ。簡単なことだ。
「……よく分かんないけど、生成魔法は使えるようになったわよ?」
「才能だけは《魔王》級」とレコ。
「アイリスさん嫌いです」とサルメ。
2人はまだMPの認識速度を上げている段階。
全性質中、最も簡単な生成魔法を使えるようになるのも、かなり先の話。
「……あたしも、変化使えるようになった……すごい?」
イーナが胸を張って言った。
「ああ。すごいよ。ユルキとマルクスはまだ変化を使いこなせない。というか、意味がなさすぎてモチベが上がらないんだろうね。それでも覚えてもらうがね」
2人の魔法は、生成と攻撃に大きな差がない。
アスラが立ち上がる。
「さて。本題に戻ろう。いい機会だから、突入しよう」
「ジャンヌが帝城にいなければ?」とマルクス。
「探せ。草の根分けてでも見つけて殺したまえ。変更はない。今日、ジャンヌを殺す。たとえ、ジャンヌが実は善人だったとしても殺す。救世主でも殺す。聖母でも殺す。神でも殺す。他に質問は?」
「ルミアさんが敵として出てきた場合はどうします?」とサルメ。
「敵なら排除する。予定通りに排除する。生死は問わない」
「ティナがこっちの予想に反して、戦闘参加したら?」とレコ。
「私が対応する。君らは絶対に手を出すな。連携するつもりが、かえって邪魔になる可能性が高い。アレはぶっちゃけ、君らの手には負えない。戦わないのが最善だよ。ティナを倒したいなら、マルクス、ユルキ、イーナが英雄レベルの戦闘能力を得た上で、私と連携する必要がある。倒せるのは数年先だろうね」
「ルミア、ジャンヌ、ティナを3人同時に相手しなきゃいけなくなったら?」とアイリス。
「役割分担をする。私がティナを抑えるから、イーナとアイリスでルミアを倒せ。一切の容赦をせず、10秒以内に倒せ。でなければ、マルクスとユルキがジャンヌに殺される」
「私とレコは?」
「離れて見学。まぁ、弓矢を使って援護してくれると助かるけど、無理はしなくていい」
「了解です」
「了解。団長がもしも死んじゃったら、オレも死んでいい?」
「君の人生だから、好きにしていい。けれど、私としては、君には生き残って欲しい。そして鍛錬して、いつかまた傭兵団《月花》を立ち上げて欲しい。サルメと一緒にね」
「私たちが《月花》を名乗れば、団長さんたちは永遠に残る」
「オレとサルメが語り継ぐんだね。それもいいかも」
「俺らは死んだあと、どうすんっすか?」
ユルキが笑いながら言った。
「決まってる、転生してまた傭兵さ」
前の人生も傭兵だった。
今回も傭兵団を作った。
来世でも同じ。
アスラは他に生き方を知らないのだから。
「……また団長と一緒?」イーナが言う。「その不幸が……愛しい」
「では諸君、簡単な任務だ。ケガをしないように気を付けて征こうじゃないか」