6話 王に呪われた印があれば、魔王とルームシェアできるかね?
「あたくしは死ぬ予定です」
ジャンヌは玉座に座ったまま、淡々と言った。
ジャンヌの隣にはティナが立っている。
「……それってどういう意味なの?」
テーブルの駒を動かしながら、ルミアが言った。
ジャンヌに頼まれて、英雄の包囲網を突破する方法を探っていたのだが、見つかっていない。
最善策は、ジャンヌが直接英雄たちを殺して回ること。
だけれど、ジャンヌは帝城を出ようとしない。
「そのままです。そのままの意味なのです、ルミア」
ジャンヌはどこか寂しそうに微笑む。
「冗談じゃないわ。あなた……いえ……」
「いいですよ、もう『あなた』で」ジャンヌが肩を竦めた。「あたくしの我が儘に付き合ってくれてありがとうございます。でも、他の者がいる前では、なるべく姉様と呼んで下さいね」
ジャンヌの声は酷く落ち着いている。
「どうであれ、死なれたらわたしは何のために《月花》を裏切ったのか分からないわ。あなたを守りたいの。死なせたくないのよ、わたしは」
どんなに冷酷なクズでも、たった1人の妹なのだ。
ルミアにとっては、大切な家族なのだ。
「ルミアも理解している通り、この戦争に勝ち目はありません。勝つつもりもないのです」
「でも切り札があるのでしょう? あなたは大聖堂を破壊し、考古遺跡を塵にして、ハルメイ橋を落とし、自由の塔を引き倒すんでしょう? まだ考古遺跡を塵にしただけだわ」
「はい。勝ちはしませんが、滅ぼすことはできます。ただ、そのための切り札は、あたくしの命と引き替えに発動します」
「……なんですって?」
冗談じゃない。まったく笑えない。
最初から死ぬつもりだったなんて、本当に少しも笑えない。
「《魔王》の話が途中でしたね」ジャンヌが言う。「《魔王》復活に必要な手順をまず説明しますね」
「ちょっと待って。《魔王》の復活を人為的に操作できるの?」
ルミアは心底驚いた。
「ある程度、です」ジャンヌは淡々と言う。「《魔王》にはコアというものがあるそうです」
「その言い方だと、聞いた話なのね? 誰に聞いたの?」
「それはあまり、関係ありません。続けます。そのコアは目に見えない物で、人間たちの憎しみや悲しみや絶望なんかを糧に成長します」
「だから戦争を始めたのね?」
負の感情を加速させるために。
「ルミアは察しがいいですね。昔はそうでもなかったと思いますが、この10年で変わったんですね」
「アスラが色々なことを教えてくれたから」
ルミアが小さく肩を竦めた。
「そうですか。とにかく、その人間たちの負の感情が、《魔王》のエネルギー源、即ち魔力となります。魔力が一定のレベルに達すると、コアは復活するための依り代を求めます」
「依り代の差が《魔王》の個体差?」
「はい。話が早くていいですね。魔力は一定です。けれど、個体差があるのは依り代の能力に差があるからです」
「戦闘能力?」
「そうなります」
「過去に、英雄クラスの人間が依り代になったことはあるの?」
ルミアの質問に、ジャンヌは首を横に振った。
だとしたら。
今回生まれる《魔王》は驚異的な戦闘能力を持った、最強の《魔王》となる。
だって、
「あなたが依り代なのね?」
ルミアの質問に、ジャンヌが深く頷く。
「ダメよ。ダメよ絶対! 許さないわ! そんなのダメよ! わたしは! あなたに! 生きて欲しいから一緒にいるのよ!?」
「気持ちは嬉しいですが……」ジャンヌが曖昧に微笑む。「固有属性・王の時限魔法【呪印】」
ジャンヌは立ち上がって、服をゆっくりと脱いだ。
裸になったジャンヌはクルッと背中を向けた。
「……【呪印】……?」
ジャンヌの背には、幾何学的な黒い紋様が浮かんでいた。
「そうです。コアは優先的に【呪印】を持つ者を依り代に選びます。【呪印】が存在しなければ、憎しみの強い者を選ぶらしいです」
「王に呪われた印ですわ」
ずっと黙っていたティナがムスッとした様子で言った。
「時限魔法というのは、人間が知らない性質の1つです」
ジャンヌが振り返って言った。
以前ティナが言っていた通り、ジャンヌの身体には傷一つなかった。
とっても綺麗な身体。
「時限魔法は時が来たら発動する性質ですわ。魔力を貯めて爆発的な威力の破壊を引き起こしたり、【呪印】のように条件が揃ったら発動したりしますの」
「その【呪印】を解除する方法はないの!?」
ルミアは悲鳴みたいに言った。
「ありません」ジャンヌが首を振る。「あったとしても、教えません」
「なんなのよ、それ……」ルミアがレッドカーペットに座り込む。「死ぬことが決まってるなんて……そんなの全然、納得できないわ……」
何のために、ルミアはここにいるのだろう?
結局、救えない。
「でもちょっと待って」ルミアがハッとしたように言う。「ティナは固有属性・雷で、ジャンヌ姉様は固有属性・宵でしょう? だったら、王って誰なの?」
微かな望み。
【呪印】を施した者ならあるいは、と考えたのだ。
「知らない方がいいでしょう」ジャンヌが脱いだ服を拾う。「関わって欲しくありません」
「それに、時限魔法は基本的に解除できませんわ」
小さな希望も絶えた。
魔法は万能じゃない。
弱点だらけで、本当に腹立たしい。
「ねぇ、もしかして、無理やり【呪印】を施されたの?」
そうであって欲しい、という願いか。
そんなはずないと、分かっているけれど。
聞くまでもないことなのに、口から出てしまった。
「いえ。違います。あたくしの意思です。よって、自ら施したと言えます」
「ぼくは反対しましたわ」
ティナが少し悲しそうに言った。
「ごめんなさいティナ」ジャンヌはティナの頭を撫でた。「あたくしは、それでも世界を壊したかったのです」
命と引き替えにしてでも。
それはとても、とても強い感情。
「それに、ティナのことも守りたかったのです」
「分かってますわ! でも!」ティナが涙目で言う。「ぼくと2人で、静かに暮らすという選択肢だってありましたのよ!」
ああ、ティナも本当は嫌なのだ。
ルミアと同じように、ジャンヌを失いたくないと思っているのだ。
そして。
ティナを守るという言葉から、ルミアは推測する。
ああ、こんなに悲しいのに、それでもわたしは分析してしまうのね。
「英雄たちを皆殺しにする気なのね?」ルミアが言う。「最強の《魔王》になることで、確実に英雄たちを滅ぼすつもりなのね。英雄たちはティナの存在を許さない。いえ、英雄だけじゃなく、人間たちもそう。受け入れない者の方がきっと多いわ。認めたくないけど、案としては悪くない。でも疑問が残るわ。あなたが《魔王》になって、わたしやティナを殺さない保証は?」
ジャンヌは強い。
けれど。
以前思考した通り、生身のままで英雄たちを皆殺しにするのは難しい。
「依り代となった者の意識は、しばらく残るらしいです」ジャンヌが言う。「ですから、2人を攻撃することはありません。意識のあるうちに、遠く離れます。そして、英雄を含む人間の多くを殺すでしょう」
「それがあなたの、本当の目的ね? 全てはティナのため。ティナを守るため。だとしたらあなたの神性の強さは何なの? ティナを救うという決意で、それほどの神性を得られるものなの?」
神性を持つ者は救世主となる。
ジャンヌは人類以外の種にとっての救いだとルミアは考えていた。
でもそれは覆った。
「付与魔法【神性】は、想いの強さに比例します」ジャンヌが言う。「救うモノの大小は関係ありません。この神性は、あたくしの想いの強さです」
「……付与?」ルミアは数秒、固まった。「……わたしも以前、神性を持っていたわ……それって……」
「与えられたものです」
ジャンヌは曖昧に笑った。
「誰なの? ねぇ誰なの? わたしたちに【神性】を与えたのは誰なの? 目的は? なぜわたしだったの? なぜあなたなの?」
「純血の……」
「ティナ」
ジャンヌが少し低い声で言って、ティナがビクッと身を竦めた。
「ルミアは関わらなくていい。そう言ったはずです。今日は2人ともお仕置きしましょう。さぁどちらからですか?」
ジャンヌが玉座に座って、自分の膝をポンポンと叩いた。
「ずいぶんと強引に話を変えるのね……」
ルミアは苦笑いした。
「たぶん」ジャンヌが言う。「これで最期になると思いますので、許してください。あたくしは2人のお尻が本当に大好きなのです。ご飯を食べなくてもお腹が一杯になるぐらいです」
◇
アスラたちは少し前にバテた馬を逃がし、街道を歩いてリヨルールの帝都の前までやってきた。
帝都は城塞都市なので、中に入るには憲兵の審査を受けなくてはいけない。
とはいえ、まだ300メートル近く歩かなければ、城門に到着しないけれど。
「入れてくれるんっすかねー、オレらのこと」
ユルキが言った。
すでに日は沈んでいるのだが、帝都に続く街道には松明が等間隔で置かれている。
おかげで、夜でも道を外れて迷ったりしない。
毎日、この松明に火を灯す仕事があるんだなぁ、とアスラは思った。
「……入れるわけない……」イーナが言う。「……戦時下だし……」
「手早く始末したまえ」
アスラは淡々と言った。
「それからどうするのよ?」アイリスが言う。「帝城に行ってジャンヌに夜襲を仕掛けるの?」
「いや。民家を借りて休む。移動中にそう言わなかったかね? 強行軍だったし、みんな疲れているだろう?」
「そうですね。戦う前に休みたいというのが本心です」とマルクス。
「オレは平気」
「お前は若いからな」とユルキが笑う。
「ねぇ、民家なんか貸してくれるわけないでしょ?」
アイリスが疑問を口にする。
「……バカ……」
「借りるというのは、きっと相手が嫌でも借りるという意味です」
「サルメ正解だよ」アスラが言う。「押し入る。なるべく静かにね」
「んで、ぐっすり眠って、朝飯食って、昼までのんびりしてからお仕事の時間っすね」
「そうだよユルキ。休息は大切だ。今のコンディションで挑めば、勝率が下がる。ぶっちゃけ、私も疲れてるしね」
「……殺すの?」アイリスが苦い表情で言う。「その、一般の人も……」
「いや、殺さない。理由は三つ。第一に、私は平和に暮らしている人間を積極的に殺したいとは思わない。第二に、私は別に悪党じゃない」
「「え?」」
アスラ以外の全員が耳を疑った。
「私は悪いことなんてしてない。今のところね」
「その冗談マジで笑えるっす」
ユルキが笑った。
「民家に押し入ろうって提案する人は悪党だと思うけど……」
アイリスが苦笑いしながら言った。
「いや、悪党の定義の問題だよ」アスラが真面目に言う。「押し入ったあと、無駄に殺して盗みでも働けば、まぁ悪党と言ってもいい。だけれど、私らは家を借りるだけさ。ルームシェアって言って、前世でも流行ってた」
ミドルイーストの半分崩れた家では、死体とルームシェアしたこともある。
入り口に仕掛けたクレイモア地雷を踏んだアホが、アスラの目覚ましの代わりになった。
「耳が痛いっすわー」とユルキ。
「……ユルキ兄が団長になってからは、無駄な殺しは……してないよ?」
盗賊団の時の話。
「朝食も借りるだけですか?」とマルクス。
「そこはほら、金を置いて帰れば解決さ」
「お金払うんなら、普通に宿に泊まればいいじゃないのよ」
「……本当バカ……」
「イーナさっきから、ちょいちょいあたしのことバカにしてる!」
「……事実だし……」
「あのですね、アイリスさん」サルメが説明する。「私たちはこれから、憲兵を殺して中に入るわけです。当然、手配されますよね? 宿なんかに泊まったら、すぐに囲まれますよ?」
「オレ、前から思ってたんだけどさ」レコがニコニコと言う。「団長の次に賢いのって、オレだよね」
「いや、自分もそれなりに賢いと思うが?」
「私だって負けてません」
「……あたし、その対決はパス……」
「俺もパス。俺ら学校すら出てねーし」
「学校出てても、アイリスみたいなのもいるよ?」
「どういう意味よレコ!?」
「大丈夫だよアイリス。胸は自慢していいよ」レコが楽しそうに言う。「きっと脳に行くはずの栄養が全部胸に行ったんだね。着やせしてるけど、そこそこあるもんね。柔らかいし、いい感触だよ?」
「生々しいこと言うのやめてよ!! あんた何回も揉んでるから本当生々しい!!」
アイリスが怒鳴っている傍らで、サルメが自分の胸に手を当てていた。
「君は栄養状態が悪かったから発育が遅れているだけだよ」
アスラが真面目にフォローした。
「そうそう、サルメは大丈夫だよ。団長は絶望的だけど」
「うるさい殺すよ? 私の胸には希望しか詰まってないんだ」
「団長に殺されるなら本望。ズタズタにして欲しい!」
「……レコが言うと冗談に聞こえないから私も少し怖いよ」
アスラは溜息を吐きながら小さく首を振った。
「……ところで、第三の理由は……?」
「考えてない」アスラが言う。「どうせ君らが第二の理由に反応して、話が逸れるだろうからね。イーナが話を戻したのは想定外だね」