3話 そこに女性がいれば、口説くのが礼儀 「私を口説くのはよせ、男に興味ない」
アイリスは泥に足を取られ、顔から地面に突っ込んだ。
日が傾き、沈む寸前の時間帯。
すでに昼間の戦闘は終了した。
「……アイリス、そんなに疲れてるなら、もう休んで……」
アイリスの隣に立ったイーナが呆れ顔で言った。
2人は訓練用の木人を相手に、連携を深める訓練をしていた。
最近はずっと2人でその訓練をやっている。
ちなみにここは、サンジェスト陣の最後方。
「ごめん……」
アイリスが仰向けに転がる。
片刃の剣を手放して、アイリスは顔の泥を袖で拭う。
「……初めての戦争だし……長期だし……仕方ない」
「イーナは元気そうね」
「……あたしは、だって、補給路見張ってるだけだし……」イーナが短剣を仕舞う。「まぁ……おかげで、魔法の……練習できたけど……」
アイリスに与えられた任務より、イーナの任務の方が楽ではある。
補給部隊が通らなければ、やることがないのだから。
けれど、優先度はかなり高い。
敵の補給を断つのは基本中の基本。
絶対に信頼できる人物でないとアスラも任せられない。
「お前らも元気だよな」
ユルキが呟いた。
ユルキはサルメとレコの攻撃を捌いている。
サルメとレコは木製の短剣を両手に持って、順番にユルキを斬り付けていた。
「それオレの取り柄!」
「私は伝令しかやってないので!」
2人とも本当に元気だった。
「ま、お前らかなり強くなったよな」ユルキが笑顔を浮かべる。「もう近接戦闘術と短剣術は合格レベルじゃねーか? 成長早すぎだろ」
と言いつつ、ユルキはレコの手首を捻って地面に転がす。
続いて、サルメにカウンターの一撃をお見舞い。
サルメが腹部を押さえて座り込む。
「皮肉に聞こえた」とレコ。
「はい。私もです」とサルメ。
「いやいや、マジだって」ユルキが言う。「なぁイーナ、アイリス、そう思うだろ?」
「……うん」イーナが頷く。「2人とも……そこらの一般人には……負けない。弓も……下手だけど使えるように……なったし」
「確かに、成長早いわね。サルメは投げ短剣も合格レベルなんじゃないの? レコは下手だけど」
アイリスがその場にぺったんこ座りする。
ユルキとの模擬戦では、サルメもレコも短剣を投げていないし、弓も使っていない。
けれど、基本的な技術なので、レコもサルメも投げ短剣と弓の訓練はコツコツとやっていた。
「合格レベルかどうかは団長が決める。2人の成長が早いのは環境がいいからだろう。うちの団長は訓練大好きで、訓練と結婚したのかと疑ってしまうレベルだ」
胡座で地面に座り、イメージトレーニングをしていたマルクスが言った。
「普段から訓練してねーと、いざという時に動けない、ってのが団長の持論だな。まぁ、《月花》は強くなるには最高の環境だ。余所じゃこんなに急成長はできねー。ところでマルクス、イメトレは勝てたか?」
「負けた」マルクスが小さく肩を竦める。「やはりルミアは強い。自分だけでは勝てんな。もっとも、自分がルミアと戦うかどうかは不明だが」
役割を振るのはアスラの仕事。
適材適所をアスラが見つけてくれる。
「明日はジャンヌのところに行くんですよね?」
サルメが少しだけ不安そうに言った。
「ああ」マルクスが言う。「団長は今、その件を王子やミルカと話し合っている。しかしミルカが来るとはな……」
「そいや、マルクスは蒼空騎士だったよね」レコが楽しそうに言う。「ミルカってどんな人? 見た目はすごいカッコイイと思ったよ」
「……それ思った……」
「私も思いました」
「俺とどっちが?」
ユルキが言うと、女性陣が二秒ほどユルキを見詰めた。
そして何事もなかったかのように目を逸らす。
「わぁお。俺、軽くショックだぜ今の反応」
ユルキが肩を竦めた。
「……ユルキ兄もイケメン……だよ」
「そうですね。ユルキさんもカッコイイです」
「性格はユルキの勝ちよ、ミルカさんってすっごい軽薄だもん」
「ユルキも軽薄」とレコが笑った。
「レベルが違う」マルクスが言った。「ミルカの軽薄さは神の領域だ」
「それってすごいね。想像できないや」
「はい。どんな領域か興味あります」
レコとサルメはミルカに興味津々だった。
「あいつはまず、女にモテるために蒼空騎士になった」マルクスが苦笑いしながら言う。「訓練学校時代には、同期の女だけでなく、教官さえも口説いたという話だ。自分はミルカより下の世代だが、ミルカの噂や謎の武勇伝は語り継がれていたな」
マルクスは25歳で、ミルカは30歳。
「それで女にモテるために英雄になったんでしょ?」アイリスが言う。「あたしも会う度に口説かれるから、面倒なのよね」
「……は? モテ自慢?」
「モテ自慢うざいです」
「ち、違うわよ! 本当に迷惑してんのよ!」
アイリスが慌てて両手を振る。
「話を続けるか?」
マルクスが言うと、みんな黙って頷いた。
「蒼空の団長は代々、英雄が受け継ぐ決まりになっている。だから、先代が引退してミルカが団長になった。しかし、だ」マルクスが真剣に言う。「あいつはすぐに団長を辞めたくなったらしい」
「なんでだ?」ユルキが言う。「地位も名誉も有り余ってるだろ、蒼空の団長なら。何が不満だったんだ? 女だって困らねーべ?」
「口説いた女たちとゆっくり過ごす時間がなかったからだ」マルクスは相変わらず真剣だった。「そこで、ミルカはそれなりに強かった自分に目を付け、自分は団長候補として育てられた。おかげで英雄候補レベルにはなったな」
「そんな理由で団長辞めるつもりだったなんて、とんでもない人ですね」
サルメの表情は少し引きつっていた。
「そ。ミルカさんって本当、とんでもない人なの」アイリスが言う。「でも、実力だけは確かよ。大英雄を除けば、東で一番強い。ま、だから今の大英雄候補なんだけどね」
「大英雄にはきっと、なりたくねーんだろうな」とユルキが笑った。
「更に忙しくなるもんね」とレコも笑う。
「……団長、口説かれてるかも……。団長って、見た目だけは可愛いから」
「その時はオレがミルカ闇討ちして亡き者にするよ」
◇
「オレはあまり活躍したくない。大英雄候補から外れたいんだ。だから君の提案は歓迎だよアスラちゃん。何も問題ない。だから今夜はオレと一緒に寝ないか?」
「それって命を懸けるほどかね?」
アスラは手の中で短剣をクルクルと回してミルカに見せた。
「正直、命の方が大事。オレの優先順位は、オレの命、女の子、その他」
「健全でいいね」アスラが短剣を仕舞う。「自分の命はとっても大切さ。私だって私の命は大事にする」
《月花》の団員たちが聞いていたら、「いや、あんたは命を危険に晒して喜んでるじゃん!」と盛大な突っ込みが入りそうだが、アスラは普通に言った。
「アスラ殿、ミルカ様、話を続けてもらえたらと思います……」
サンジェストの王子が申し訳なさそうに言った。
ここはサンジェスト軍のテントの1つ。
つり下げられたランプの下に、背の高いテーブルが置いてあった。
テーブルの上には周辺の詳細地図と、中央フルセンの地図。それから飲みかけのコップが3つ。
地図の上にはいくつかの駒が置いてある。
アスラたちは立ったまま話をしている。
「ミルカ様なんて止めてくれ」ミルカが苦笑いする。「そんな立派な人間じゃないし、オレ。趣味はナンパ。特技もナンパ。ぶっちゃけ、英雄やってるのも蒼空騎士やってるのも、女受けがいいからだ」
「……チャランポランな奴だね」くくっ、とアスラが笑う。「だから君がここに来たのか」
「と、いうと?」と王子が首を傾げた。
「いや、他の英雄なら、私の案に賛成しない可能性がある。大英雄のエルナやアクセルの命令でも、私に主導権を握られるのを嫌がるだろう? 話がスムーズに進まず、揉めるかもしれない」
「オレはむしろアスラちゃんに握ってもらいたいなぁ」
ミルカがニヤニヤと笑う。
「その握って欲しい部分を蹴り潰すよ?」
アスラがミルカを睨むと、ミルカは嬉しそうに笑った。
アスラは溜息を吐いた。
「それでアスラ殿……、本当に大丈夫なのでしょうか……?」
「大丈夫さ。君が不安に思う気持ちも分かるよ。超優秀な私たちの代わりが、そこのチャランポランに務まるのか、ってね」アスラが肩を竦めた。「でも安心したまえ。蒼空騎士ってのは雑魚ではないし、ミルカも一応、英雄だからね。数日この国を守るぐらいのことはできるさ」
「その点は安心していい」ミルカが真面目に言う。「今も夜襲に備えさせているし、オレたちは実戦経験も豊富だ。英雄である以上、大英雄の決定に従う義務もある。ジャンヌ軍が《魔王》認定されたのだから、オレたちは全力で君らを守る。約束する」
「それはありがたいのですが……そうではなくて……」
王子が苦笑いした。
「何が心配なのかね? ミルカが女性兵士を襲うかもしれない、と心配しているのかね?」
「オレは戦争中でも口説く。そこに女性がいれば口説くのが礼儀だ。止められないぞ。悪いが敵兵も口説くかもしれない」
「口説いて寝返るなら、それはそれでありだがね」
アスラが笑って、ミルカも一緒に笑った。
「あの……僕が心配しているのは、アスラ殿のことなのですが……」
「私? なぜ私を心配する?」
アスラは驚いたように目を丸くした。
「敵の本拠地に、その……少数で攻め入るのでしょう?」
「ああ。ジャンヌを倒さないと戦争が終わらないからね。サンジェストを勝たせると約束しただろう? そのために必要なことさ。数日で終わるよ」
「いえ、だから、その……ジャンヌが《魔王》認定されたなら……英雄が行くべきでは?」
「それね」アスラが溜息を吐く。「そういうことを言い出す英雄がいたら面倒だなぁ、とは思っていた。だってそうだろう? わざわざ殺されに行くようなもんだよ?」
「それはさすがに、聞き捨てならないな」とミルカ。
「死にたいなら止めはしないがね、私らの邪魔になると困る」アスラが言う。「私らはジャンヌなら倒せる。特に問題もない。三柱も問題にはならない。でも、英雄たちはジャンヌを倒すまでに半分近く死ぬだろうね。実際の《魔王》討伐と同じように」
「おいおいアスラちゃん」ミルカが苦笑い。「いくらジャンヌが【神罰】を使うからって、英雄の半分が死ぬってのは言いすぎじゃないか? その口塞ぐよ? オレの唇で」
「【神罰】はジャンヌの切り札ではないよ」アスラが淡々と言う。「もっと別のものだね。切り札ってのは雑に使わない」
ジャンヌは【神罰】改め【神滅の舞い】を普通の武器のように扱っていた。
慣れているから、とかそういう理由ではない。
アスラが見た限り、普通のクレイモア感覚だった。雑に振り回している感じ。
切り札や必殺技は簡単に見せてはいけないし、時が来るまで仕舞っておくものだ。
「……その切り札が何なのか知らないけど」ミルカが言う。「英雄には対応できないと? でも自分たちなら対処可能だと、そう言いたいわけ?」
「私らは君らと違って柔軟だからね。対応できる可能性は高い」
「アスラちゃんが強いのはオレも認める。エルナおねーたまや、アクセルおじさんが認めてるから。だけど、ちょっと英雄をバカにしているのは頂けない。そんなアスラちゃんにはオレの調教が必要だと思うんだ」
「ちょいちょい変態発言を挟むなよ……」アスラが小さく首を振った。「別にバカにはしていない。柔軟性は私らの方が高い。それだけのことだよ。正直、真っ当に戦えば私より君の方が強い。でも、個人の強さと勝利が必ずしも繋がるわけじゃない」
ミルカはしばらくアスラを見詰めていたが、「まぁ、いいか」と息を吐いた。
変にプライドの高い英雄だと、この時点で話がこじれてしまう。
だからこそ、エルナとアクセルはミルカをここに配置したのだろう、とアスラは思った。
「ところで……そろそろ言いたいんですけど……」王子が申し訳なさそうに言う。「僕が心配だと言ったのは、アスラ殿がケガをしたりしないか、《月花》の皆さんから死傷者が出るのでは、という心配でして……」
「十分な報酬を貰っている。気にしなくていい。私らは傭兵だから、全員死ぬ覚悟はできている。以上だ。早朝から出たい。もう休んでも?」
サンジェストはあまり豊かな国ではないので、アスラは金銭以外も要求した。
アーニアの時と同じだ。
つまり、
王子が正式に王となったとき、アスラたちを優遇するということ。
更に言えば、今後、死ぬまでアスラのお願いを聞き続けるということだ。