2話 アスラ式、積極的な防衛 それってつまり、攻撃よね?
林道を2台の荷馬車が進んでいる。
荷馬車の周辺を騎馬と歩兵からなる2小隊が護衛している。
木の枝に待機していたイーナが、最初に矢を放った。
イーナの矢は護衛小隊の隊長らしき男の頭をぶち抜いた。
敵兵たちは何が起こったのか分からない、という表情だった。
イーナの矢に合わせて、サンジェスト小隊の面々も矢を射る。
全員が木の上からの攻撃だ。
剣しか持っていない敵部隊に反撃の術はない。
「……テルバエ軍と同じ……」イーナが呟く。「……上から攻撃されるって、概念がない……」
1人、また1人と敵が倒れ、最期に荷馬車の御者が死んだ。
イーナは木から飛び降りて、地面スレスレで【浮船】を使用。ふわっと衝撃を緩和する。
続いて、サンジェスト小隊の連中も木から下りる。
彼らはイーナと違って、そのまま飛び降りたりはしない。枝から枝へと移り、安全な高さで飛び降りた。
イーナもサンジェスト小隊の連中も、迷彩柄のローブを着用している。
風景に溶け込み、敵がこちらを発見する速度を落とすためだ。
「凄いですね」サンジェスト兵が言う。「ほとんどをクーセラ隊長が倒してしまった」
「……そうだっけ?」
イーナが首を傾げた。
「思うに、堂々と名乗りを上げてから戦っても問題ないのでは? それなら、我々もこんな服を着る必要も……」
「……それはダメ」イーナがサンジェスト兵を睨む。「……作戦の成功率が……下がる……。先制攻撃が、大事なの……」
先に敵を発見し、先に攻撃する。
それがどれほど大切か、イーナはよく知っている。
今回の戦闘も先制攻撃だからこそ、こちらの損失がゼロで済んだのだ。
名乗りを上げて正面から戦うなんて、考えただけでゾッとする。
「……とりあえず……荷馬車を確保して……本陣に戻ろう……」
イーナは本陣での戦闘に思いを馳せた。
マルクスは今頃、大変だろうなぁ、とイーナは思った。
◇
「なんとか保ってはいるが……」
マルクスは馬上で呟いた。
すでに何度も防衛ラインを下げている。
ここが最後だ。
ここを抜かれたら、もう町はすぐそこなのだ。
「旅団長代理! 第七大隊が押し込まれています!」
伝令兵が言った。
「くっ……第六大隊を救援に向かわせろ」
それが最善なのかどうか、マルクスには分からない。
旅団を率いた経験なんてない。
精々、騎士時代に小隊長を務めた程度。
それに。
正攻法しか使えないのが一番痛い。
アスラ曰く、
「大軍に私らのやり方は無理だよマルクス。訓練していないことはできない。精々、私らのやり方ができるのは小隊までさ。分かるだろう? やったことない作戦行動をある日、突然、見知らぬ隊長に命令されて、できるわけがない。もちろん、それができる奴もいるだろう。でも、人数が増えれば増えるほど、対応できない奴が増えて混乱する。だが安心しろ。しばらく守ればいい。ただ守るだけさ。君ならできるだろう? なぁに、騎士時代を少しばかり思い出してくれればいい。できるね?」
奇策は使うな、ということ。
《月花》では普通のことでも、軍隊では違う。
ユルキとイーナが羨ましい、とマルクスは思った。
2人が率いているのは小隊なので、きちんと説明さえしてやれば、それなりに《月花》風の戦闘が可能だ。
もちろん、あくまで即席の《月花》風であって、《月花》の劣化でしかないが。
「ただ守るだけと、団長は簡単に言うが……」
厳しい。正直、もう厳しい。
今日が限界。これ以上援軍が遅れれば、戦線は崩壊する。
だけれど。
こんなところで、
こんな役立たずのクソみたいな兵たちとともに、
ただ死にたくはない。
それに。
《月花》は依頼達成率100%なのだ。
その軌跡に泥を塗りたくない。
「団長、普通の軍隊を指揮して理解しました。自分は心底、《月花》が好きです」
◇
腕が重い。
アイリスはまるで夢の中で泳いでいるような気分だった。
自分の周囲で、敵も味方も死んで逝く。
むせ返るような血の臭いすら、もう麻痺して何も感じない。
向かって来る敵兵を1人、峰打ちする。
あ、この人、昨日も打った、とアイリスはぼんやりと思考した。
10日も続く戦争で、アイリスは誰も殺していない。
全て峰打ち。
だけれど。
アイリスに打たれた者たちはみな、翌日には再び武器を携えて向かって来る。
叩いても叩いても「リヨルール万歳!」「ジャンヌ様万歳!」と高らかに叫びながら突撃して来た。
朝から晩まで戦い続け、更に夜から朝日が昇るまで夜襲の応酬。
体力は限界に近いけれど、精神はとっくに限界を超えている。
「手首を返せば……刃を返せば……」
無意識にそう呟いていた。
悲鳴も怒声もいつしかアイリスには届かなくなっている。
「……命を奪えば、もう向かってこない……殺せばもう叩かなくていい……。殺せば……殺せば……」
アイリスは理解していた。
もし、アイリスが峰打ちではなく、全てキチンと斬り殺していたならば、
この戦争はもう終わっている。
アイリスは10日間で500に近い敵を叩き伏せた。
毎日50人斬りをしているような感覚。
英雄であるアイリスだからこそできる芸当。
「……あたしじゃなければ……もう……終わってるのに……」
でも、
それでも、
「あたしは……あたしは……」
鎧ごと敵兵を横に薙ぐ。
もちろん峰打ち。
「人を殺すために英雄になったんじゃない!!」
その意思を貫く。
例えばそれが、世界を滅ぼす最悪の選択だとしても。
人間を殺さない。
それがアイリスの矜持。
そして。
気付けばアイリスは一人ぼっちだった。
正確には、敵の中に1人だった。
味方がみんな死んでしまった。
アイリスはサンジェスト王国軍の第三大隊と行動していたのだが、彼らが全滅してしまったのだ。
「……ぼんやりしすぎでしょ、あたし……」
アイリスは片刃の剣を構え直す。
敵に囲まれている。
本来なら、普通の戦争なら、英雄であるアイリスは殺されない。
でも、ジャンヌの軍は違う。
そんなルールに縛られていない。
「あたしは大英雄になるんだからっ! こんなところで! 死ねるか!」
アイリスが自ら動こうとしたその時、
敵兵の頭が順番に爆発した。
「よく頑張ったねアイリス。あとで頭を撫でてあげるから、今はこの馬で下がれ」
アスラが馬から飛び降りて背中のクレイモアを抜いた。
「アスラ……」
呟いた瞬間、アイリスは脚の力が抜けてその場にへたり込んだ。
「おいおい、それは困るよアイリス……」
言いながら、アスラはクレイモアで敵兵を両断する。
同時に、アイリスの周囲に【地雷】を蒔く。
アイリスは片刃の剣を杖の代わりにしてヨロヨロと立ち上がる。
しかし。
アスラの乗って来た馬が槍で突かれて息絶えた。
「ふん。死にたくなきゃもう一度構えろアイリス。やれるだろう英雄?」
「バカにしないでよ、やれるわよ……」
敵兵が数人、アイリスに近付こうとして【地雷】を踏んだ。
アスラがアイリスに近付き、
アイリスはアスラに背中を預けた。
「頼りない背中だね。いつか、安心できるといいんだけどね」
アスラが少し笑った。
その直後。
「突撃!!」
よく通る男の声が聞こえた。
そして、
アイリスは見た。
敵軍を斬り裂く青い波を。
「ふん。やっと来たか」アスラが言う。「しかし、まさか連中が来るとはね。てっきりエルナかアクセルだと思ってたんだがね」
蒼空の鎧に身を包んだ200人ほどの騎馬連隊。
その先頭には、アイリスも知っている男がいた。
蒼空騎士団団長にして、東の新たな大英雄候補。
透き通るような美しい金髪の男、ミルカ・ラムステッド。
「蒼空騎士団見参!!」ミルカが叫ぶ。「ジャンヌとその軍は《魔王》に相当する脅威と認定された!! よって!! 全ての英雄がジャンヌ軍の侵攻を阻む!! サンジェストの兵士たちよ!! 英雄と蒼空騎士が君たちの味方だ!! もはや恐れることはない!! 立ち上がり声を上げろ!!」
蒼空の連隊は真横から敵軍を斬り裂いて進んでいく。
その力強い青い波を見て、
ミルカの声を聞いて、
サンジェスト軍が息を吹き返した。
「すごい……」
アイリスは見惚れた。
これが、大英雄候補。
これが戦闘中のミルカ・ラムステッド。
アイリスの知っている普段のミルカと違い、凄まじい安心感と信頼感がある。
「予定より少し遅れたが、まぁ概ね私の描いた絵の通りだ」アスラが言う。「下がるよアイリス。私らは明日から反撃に移る。ジャンヌを殺しに征くよ」
◇
「英雄たちの動きがあまりにも早すぎます」
報告に来たミリアムが焦った様子で言った。
ジャンヌは玉座で頬杖を突いている。
玉座は謁見の間にあるのだが、その周囲に段差があって、レッドカーペットの敷かれた床より少し高い。
レッドカーペットの上にはテーブルがあって、中央フルセンの地図が広げられている。
「円で囲まれたわね」
ルミアが駒を動かしながら言った。
ジャンヌ軍と各国の軍、そして英雄の駒と《月花》の駒。
英雄の駒は、リヨルールを中心に円周上に配置されている。
「ぼくたちを封じ込める形ですわね?」
ティナが地図を見ながら言った。
「英雄が動くことは想定していました」ジャンヌは気怠そうに言った。「ただ、ミリアムの言う通り、行動が早すぎますね」
「その上、《魔王》認定ですって?」ルミアが苦々しい表情で言う。「アスラの入れ知恵よ、これ。絶対にそう。こっちを滅ぼすつもりよ、アスラは」
「そうだとして、次の動きは? 英雄たちは徐々に包囲網を縮めてきますか?」
ジャンヌは特に焦った様子もなく言った。
「違うわね。アスラは美味しいところを持って行くタイプよ。英雄にジャンヌ討伐を譲ったりしない。英雄の配置はあくまで、こちらの動きを制限しただけ」
「しかしルミア」ミリアムが言う。「《月花》はサンジェストにいます。情報では、サンジェストと契約したようですし、離れるとは思えません」
「離れるわ。絶対よ」ルミアが《月花》の駒を掴む。「防衛の依頼を請けていようが、アスラは積極的な防衛を行う。分かるかしら?」
「ただ守るのではなく」ジャンヌは相変わらず、頬杖を突いたまま。「攻めている相手を滅ぼすことで防衛する、という意味ですか?」
「その通り。すぐにサンジェストにも英雄が配置されるわ。そしたら、アスラは攻めに転じる。あの子は、信じられないほど好戦的なの。間違いなく来るわ」
ルミアは手の中で《月花》の駒を弄ぶ。
「ふむ」ジャンヌが頬杖を崩す。「あたくしを殺したいなら、英雄みんなで来た方がいいようにも思いますが、その辺りはどうなのです?」
「それでもアスラが来るわ。だってジャンヌ姉様が、それを望んだでしょう? アスラはそういうの、ちゃんと分かってるわ」
ルミアが言うと、ジャンヌは少し驚いたように目を丸くした。
「なぜ、あたくしが望むのです?」
「自覚していないのね」ルミアが肩を竦めた。「アスラと縁を作ったじゃないの。背中を斬ることで。アスラに興味があったでしょう?」
ジャンヌはしばらく沈黙していたが、
やがて小さく息を吐いた。
「そうかもしれません。神性をものともしない彼女に、少し惹かれました」
「サイコパスは魅力的に見えるのよ。基本的にね」
「さいこぱす?」と首を傾げたのはミリアム。
「いえ、ごめんなさい。忘れてくれていいわ」ルミアが肩を竦める。「とにかく、アスラはここに来る」
ルミアは《月花》の駒をリヨルール帝国の帝都に置いた。
「来たところで、姉様に勝てるとは思えませんわ」
ティナが淡々と言った。
「そうね。アスラの正当な実力は、わたしとそう変わらないわ。ジャンヌ姉様の方が強い。それは間違いない。でも」
ルミアはジャンヌを見詰める。
「死ぬのは姉様の方。アスラは英雄たちよりずっと厄介よ。だってアスラって、姉様よりも誰よりも、真性の悪党だもの」
悪は強い。何でもできるから。
何の制限もなく、どんな卑劣な手でも使えるから。
「なるほど」ジャンヌが少し笑った。「では、あたくしも悪に徹しましょう。それに、切り札はあります」
「【神滅の舞い】のことを言っているなら……」
「違います。まだ見せていませんよ。正確には、まだ発動できないので」
「発動できない? 何の話なの?」
ルミアが目を細めた。
「魔法の性質は4つではありません」
「……なんですって?」
ルミアは驚いたが、大きな驚きではなかった。
アスラがすでに、魔法の性質を増やす研究をしていたから。
「知ってるだけで6個ありますわよ」とティナ。
「6個? 嘘でしょ?」ルミアが言う。「なぜ4つしか表に出て……」
そこまで言って、ルミアは理解した。
「……誰も知らなければ、それは強力な武器になるわね……」
誰が性質を増やしたのかは知らない。
だがそれを発表しなかった場合、地位と名声を得られない代わりに、切り札を得る。
「と、いいますか」ティナが普通に言う。「ぼくは人間たちが4つしか知らないってことを姉様に聞くまで知りませんでしたの。ぼくは普通に6個教わりましたので」
「人間たち?」と呟いたのはミリアム。
「言葉のアヤですミリアム」ジャンヌが言う。「忘れなさい」
「勝ち目が出てきたわね」ルミアが言う。「どんな魔法か教えてくれるかしら? 上手く使えば、アスラたちを倒せるかも」
ティナはジャンヌの方を見た。
ジャンヌは首を横に振った。
「近く、教えますが、今日ではないです」ジャンヌが言う。「ですが安心してください。発動さえすれば、アスラたちどころか、英雄も世界も呑み込むでしょう」
「……魔法の話よね?」
ルミアにはそんな規模の魔法はすんなり信じられない。
「そうです」ジャンヌが視線をミリアムに移す。「ミリアム。部下を選りすぐってサンジェストに向かってください」
「待って姉様」ルミアが言う。「《月花》と戦うなら、わたしも行くわ。ミリアムは確かに強くなってるけど、それでもアスラ一人に勝てないわ」
「いいえ。ルミアは側にいてください。そうでないと困ってしまいます」ジャンヌが微笑む。「いいですねミリアム?」
「分かりました。《月花》を倒し、サンジェストを落とせばいいんですね?」
「はい。今すぐです」
「了解です」
ミリアムが踵を返し、謁見の間を出た。
それを確認したのち、ジャンヌが言う。
「あたくしが死んだら、ティナのことをお願いしますルミア」
「何を言っているの? 死なせたりしないわ」
ルミアは強い口調で言ったのだが、
ジャンヌはただ笑った。
困ったような、寂しいような、
そんな曖昧な笑顔だった。