EX10 誰にだって平和で幸福だった時期はある そしてその逆も
「アスラはわたしの想定を超える速度で成長したわ」ルミアが笑顔で言う。「わたしは全てを教えたの。剣術、闘気、魔法、用兵、常識、何もかもよ」
「嬉しそうですわね、ルミア」
ベッドの上にぺったんこ座りしたティナが言った。
ルミアはティナと向かい合う形で、同じくベッドに座っている。
ここは中央フルセンの古城、ルミアの部屋。
「嬉しかったわ。アスラは本当にすぐに何でも吸収して、信じられないぐらい強くなったの。英雄並み、と言えば伝わるでしょう?」
ルミアが言って、ティナがコクンと頷いた。
「でも少し不思議なのは、最初から知っていたように振る舞うことがあったのよね。知らないことを知っていることもあったし、本人は前世の記憶なんて言ってるけど、種明かしはしてくれなかったわ」
「ルミアは、本当にアスラのことを愛していますのね」
「ええ。そうね。この10年、アスラだけがわたしの家族だったわ。だから愛してるわ」ルミアが曖昧に微笑む。「ただ、アスラは悪逆非道なの。わたしはアスラにもう少しでいいから、優しい子に育って欲しかったわ。極悪なことを、あまりして欲しくなかったの。だから、わたしはアスラの副長をやっていた」
「と、言いますと?」とティナが小首を傾げた。
「アスラの残虐行為を止めるためよ。わたし決めてたのよ。育ての親として、アスラがただの殺人鬼に落ちぶれるなら、自分の手で殺そうって。殺人鬼って、ただのクズでしょ?」
でも、ルミアはアスラの元を去った。
もう誰もアスラを止められない。
「それなのに、ルミアはぼくたちと来ましたわ」
「あの子……ジャンヌも大切なのよ、わたしにとっては」ルミアが肩を竦めた。「救えなかったという罪悪感もあったし、死なせたくなかったの」
「ぼくは、それが嬉しいですわ。ルミアには……悪いと思っていますのよ? でも……」
「叩かれなくなったから、嬉しいのね? いいのよ。わたしは平気だもの。それより、あの子とティナがどんな生活をしていたのか聞かせて」
「はいですわ。一番幸せだった頃の話をしますわね」
ティナが笑顔で言った。
◇
4年前。
ジャンヌとティナは人里を離れて、中央の各地を放浪していた。
その途中で、多くの犯罪組織を手中に収めた。
ジャンヌには、すでに考えていることがあったのだ。そのために、金が必要だった。
時々、アサシン同盟がジャンヌを殺しに来たが、全て返り討ちにした。
「この古城いいですね。しばらくここを根城にしましょうティナ」
「はいですわ」
現在のアジトを発見し、2人は一生懸命に掃除した。
「あわわっ、ティナ、蛇です! 蛇が住んでいます!」
「えいっ!」
「一撃!? さすがティナですね!」
ジャンヌは、当時まだ13歳のティナに抱き付いていた。
◇
「そういえば、あの子って爬虫類が苦手だったわね」
「姉様は苦手なモノが多すぎますわ」ティナがやれやれと首を振った。「本当は人間も苦手ですわ。だから、組織の運営はだいたいぼくがやってましたの」
「昔は違ったわ。人懐っこい子だったの。あんな風に壊れるなんて、10年前に何があったの?」
だいたい想像はできている。
だから、これは確認。
「拷問ですわ」
「やっぱりそうよね……」
あの日、地下牢でノエミが言っていた。
心が壊れるほど過酷な拷問を用意している、と。
ルミアは言う通りにしたのに、妹を助けるという約束は果たされなかった。
ノエミか、第一王子のどちらか、あるいは両方が裏切った。
「姉様の身体はボロボロでしたわ。でも、ぼくが全部、舐めて治しましたのよ?」
「……え?」
「どうしましたの?」
「舐めて治したの?」
「はいですわ。ぼくの唾液には治癒効果がありますの。だから、今の姉様の身体には傷1つありませんわ」
「なるほど。種族固有のスキルというやつね」
魔物の中には、特別な能力を持った者がいる。
大森林で出会ったアルラウネもそうだった。
「あ、でもでも、姉様が壊れたのは2年前で、10年前じゃありませんわ。不安定ではありましたが、今みたいに叩くようになったのは2年前ですわ」
「2年前?」
また分析をやり直す必要がある。
「その話は、姉様がしないなら、ぼくはできませんわ」
「そう。いいわ。楽しかった頃の話をしてくれるかしら?」
10年前の拷問で不安定になり、徐々にソシオパスになった可能性が高い。
だが当時は性的サディストではなかった。
尻フェチはもっとずっと昔からのこと。
そして2年前を境に性的サディストになった。
2年前に何があったのかしら?
◇
ティナとジャンヌは古城で平和な生活を送っていた。
「姉様、朝ですわよ」
ティナがジャンヌの頬をペロペロと舐めた。
「うー、あと少しだけ……」
ジャンヌがベッドで寝返りを打つ。
ちなみに、2人はいつも一緒に寝ていた。
「ダメですわ。姉様そう言って昼まで起きませんもの」
「……お尻触ってもいいなら、起きます」
「いいですわよ」
ティナが笑うと、ジャンヌはガバッと起き上がってティナに抱き付き、尻を撫で回した。
「はい、じゃあ姉様、顔洗いに行きますわよ」
ティナがジャンヌをお姫様抱っこして洗面所まで運ぶ。
そこで揃って顔を洗って歯を磨いた。
「今日は、組織の麻薬畑を視察に行きますわ。あと、東側にも組織が根付き始めましたので、そろそろ東を統括する人材が欲しいですわね」
「……ティナ真面目ですね……」
ジャンヌが面倒臭そうに言った。
「資金が必要だと姉様が言うから……」ティナがムスッとして言う。「しかも組織を大きくするだけ大きくして、自分では全然管理してくれませんわ」
「怒らないでくださいティナ、愛してますよ」
ジャンヌはティナの額にチュッと唇を当てた。
「いつもそう言ってごまかしますわ」ティナは少し照れながら言う。「でも、今日は一緒に視察に来てくださいませ。新たな管理人を採用したとノエミが言ってましたの。見に行きますわ」
「えー?」
「心底から嫌そうな顔しないでくださいませ。姉様は組織のボスですわよ? たまには顔を見せておかないと」
「仕方ないですね。お尻ペチペチさせてくれるなら、行きます」
「分かりましたわ。でも痛くしないでくださいませ」
◇
「なんてだらしない子……」ルミアが呆れ顔で言った。「……いえ、昔から多少、そういうとこあったけれど……」
「あの頃は本当に幸せでしたわ」
ティナが昔を懐かしむように、遠い目で言った。
「まぁ、確かに尻フェチと可愛い女の子がイチャイチャ生活しているだけに聞こえるものね」
話を聞く限り、あまりソシオパスっぽくはない。
「続けますわよ?」
「待って。あの子が人を殺すところ、教えてくれない?」
絶対にジャンヌはソシオパスだと思ったのだ。
いや、少なくとも今はソシオパスに見える。
アスラがいれば、もっとキチンと分析できるのに、とルミアは思った。
「いいですわよ。ちょうど、視察先で管理人を殺しましたので、そこを話しますわね」
◇
管理人は太った男で、元々は小さな犯罪ファミリーのボスだった。
「ジャンヌ様、どうか踏みつけてください」
男はいやらしい笑みを浮かべてから、その場に土下座した。
ここは麻薬畑の管理小屋。
「ノエミはあとでキツクお仕置きですね」
「はいですわ。気持ち悪いですわ、この人」
この管理人を選んだのはノエミだ。
「とはいえ、あたくしの神性の前ではみんなこんな感じですが。アサシン連中ですら、こうなる人がいますからね」
言いながら、ジャンヌは管理人の頭を踏みつけた。
「ああ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
罪悪感が消えてスッキリした男が、額を床に擦りつけた。
「一度スッキリしたら、神性の効力は薄まるので、まともに話ができるでしょう。立ってください」
ジャンヌが言うと、男が立ち上がる。
男はやはり、いやらしい笑みを浮かべていた。
「視線が気持ち悪いですわ」とティナ。
「ああん? おいチビ、言葉に気を付けろや? 俺だって腕は立つんだ。まぁ、ジャンヌ様ほどじゃないだろうが」
「あなたが言葉に気を付けてください。あの世で」
ジャンヌはクレイモアを一閃、男の首を刎ねた。
男の身体が倒れ、首が床を転がった。
「姉様!?」
ティナは驚いて大きな声を出した。
「今のを避けられないような雑魚が、何を根拠に腕が立つなんて言ったのでしょう」
ジャンヌはクレイモアを振って、血を払う。
「な、何も殺さなくても……」
「いいえ。ティナに無礼な態度を取る者は許しません。殺します。徹底的に殺します。ティナを軽く扱う者はみんな死なせます。ティナを狙う者も絶滅させます。あたくしの家族はティナだけです。あたくしが愛しているのはティナだけです。他は全部死んでもいい」
ジャンヌは真面目に言った。
◇
「人間が苦手と言うよりは、やっぱり人間を憎んでいるわね。そして、愛する者とそうでない者との扱いの落差が激しいわ」
やはりジャンヌは不安定だ。
「はいですわ。姉様はぼくとぼく以外で態度が豹変しますわ。最近ですと、よく分からない理由で怒ることもありますわね。ぼくに対しても、最近は多かったですけども……」
「わたしなんて『あなた』って言っただけで叩かれたわ……」
正直、理由は何でもいいのだろう、とルミアは思った。
ただ尻を叩きたいだけだ。
お尻ってそんなにいいものかしら?
と、コンコンとドアがノックされた。
ルミアが返事をする前に、ドアが開いてジャンヌが入ってきた。
「2人は最近、仲良しですね」ジャンヌがムスッとして言う。「あたくしは除け者ですか?」
「そんなことありませんわ!」
ティナが立ち上がり、走ってジャンヌに抱き付いた。
ジャンヌはティナの頭を撫でる。
「配下たちと傭兵団《焔》の大半が到着したので、一度演説をします。ルミアもゴッドハンドなので、あたくしの近くにいてください」
「傭兵団《焔》も、ジャンヌ姉様の手下なの?」
フルセンマーク大地最大の傭兵団だ。
「いいえ。《焔》の団長はあたくしの神性に膝を折りましたが、傭兵としてのプライドが高く、手下にはなりませんでした」ジャンヌが肩を竦める。「ですので、普通にお金で雇いました。そのための資金集めです」
「……もしかして、《焔》を全員雇ったのかしら?」
莫大な資金が必要だ。《焔》は《月花》のような弱小傭兵団ではない。フルセンマーク全体で数えたら3000人規模の超大型傭兵団なのだ。
これは小国の最大兵力に匹敵する。
師団か、あるいは兵団を名乗れる戦力。かつてルミアが率いた旅団より遥かに規模が大きい。
普通に戦争ができるだけの戦力なのだ。
それに加えて、犯罪組織フルマフィ、アサシン同盟がジャンヌの手下。
「もちろんですルミア」ジャンヌが薄く笑う。「半端に済ませる気はありません。演説が終わったら、全員で神聖リヨルール帝国に向かいます。道中、別の国を通りますが、ついでに滅ぼして行きましょう」