11話 神々は黄昏れて 聖戦の始まりを予感した
「あたくしはこの世界が大嫌いです」
ジャンヌはムスッとした表情で言った。
ここはジャンヌたちが根城にしている中央フルセンの古城。かつて謁見の間であった場所。
玉座はすでに朽ち、ジャンヌは背もたれも肘置きもない簡素な椅子に座っていた。
ルミアはその安っぽい椅子に見覚えがあった。
「だから、滅ぼします。中央の人間はみんな殺します。西の人間もみんな殺します。東の人間も同じです。大聖堂を破壊し、考古遺跡を塵にして、ハルメイ橋を落とし、自由の塔を引き倒し、女は犯します、男も犯します、子供も老人も犯して、残虐に、なるべく残虐に絶滅させます。人間という種族をこの世界から消し去って、そこに新しい楽園を築きます。救済です。これが救済。人類以外の種のための救済」
ジャンヌの前に立っているルミアは、息を呑んだ。
凄まじいまでの憎悪。人間に対する憎悪。
神性を持つ者は必ず何かを救う。ジャンヌの場合、人間以外の種族。
ちなみに、ジャンヌの隣にはティナが立っている。
ジャンヌはルミアに自分の計画を話してくれた。
全てではなく、前半だけだが。
「もちろん、建前は違います。あたくしは人類の救済を謳っています。ふふっ、用が済めば自分たちも始末されると、あたくしの部下たちは知りません」
壊れた笑顔。ジャンヌの笑顔は毀れている。
「さてルミア。ノエミも死んだという話ですし、計画の実行を早めようと考えています」
ノエミが死んだのは昨日。
「だから、言ったでしょ?」ルミアが言う。「アスラは、傭兵団《月花》は危険だって」
「ルミアはそう言いますけれど」ティナが口を挟む。「普通に考えて、ノエミに勝てる人間が姉様以外にいるというのが有り得ませんわ。大英雄ですのよ?」
腐っても、ノエミ・クラピソンは大英雄。
けれど。
「立場なんて関係ないわよ。アスラに殺せない人間なんていないの。たぶんノエミは戦うことすら、できなかった」ルミアが肩を竦めた。「唯一、アスラに対抗できるのは、アスラと同じことができるわたしだけ」
人間に限れば、という話。
ティナならば、アスラの戦術を戦闘能力だけで跳ね返せる可能性がある。
「ふむ。どうであれ、ノエミが死んだのは嬉しいですね」ジャンヌが少し笑う。「清々しました。あたくし、何気にノエミ嫌いでしたので」
「はいですわ。実はぼくも嫌いでしたの」
「わたしだって嫌いよ」
それでも、ジャンヌはノエミが有能だから使っていたのだ。
愛も情も何もない。ジャンヌはノエミをただの下僕として扱っていた。
「というわけで、今日からルミアが中央のゴッドハンドです」
「え?」
ジャンヌがあまりにもサラリと言ったので、ルミアは目を丸くした。
「頑張ってください。地方単位の長がいないと不便ですので」ジャンヌが言う。「東はミリアム、西はニコラなので、ルミアならすぐ打ち解けるでしょう」
「ニコラって、ニコラ・カナール?」
「はい」とジャンヌが頷く。
かつて、ルミアが最後まで信頼していた男。初陣から終戦まで、ニコラとはずっと同じ釜の飯を食った。
「そう。彼も生きていたのね……」
ルミアはホッと息を吐いた。
《宣誓の旅団》は解体され、その多くが戦争犯罪で逮捕された。処刑された者もきっといるはず。
「ティナ。アレを持って来てください」
「はいですわ」
ティナがトテトテと走って、謁見の間の奥の部屋へと移動。
「アレって何かしら?」
「お楽しみです」
ジャンヌが子供みたいに笑った。
ジャンヌは安定している時と不安定な時の落差が激しい。今は安定している。こういう時は何を言っても叩かれない。
とはいえ、不安定な日の方が多いので、ルミアの尻は酷いことになっているが。
今もズキズキと痛む。回復魔法の禁止がやはりキツイ。
でも、良かったこともある。ルミアが叩かれるようになってから、ティナが叩かれなくなった。
「そう、じゃあ楽しみにしておくわ」ルミアが肩を竦めた。「それより、話を戻すけれど、本当にそんな方法で世界を滅ぼせると思っているの?」
ジャンヌの計画はあまりにも粗すぎる。
それに、仮に上手くいっても膨大な時間が必要だ。
「あたくしが始める戦争のことを言っているなら、それは序曲に過ぎません」
「やっぱり、まだ何かあるのね?」
戦争で世界を滅ぼすなんて、夢物語に近い。
不可能だとは言わないが、限りなく不可能に近いのだ。
たとえ、どれほど世界が憎くても。
それに、とルミアは思う。
戦争なんか始めたら、嬉々として《月花》が、アスラが出てくるに決まっている。
「ルミアなら、どうします? 世界を壊したいと心から願ったなら、そしてそれを実行するとしたら」
「そうねぇ……」
ルミアは思考する。
アスラの元で培った知識、戦術、戦略、それらを余すことなく鍋に突っ込み、グルグルとかき回すような感じで。
そしてある閃きを得る。
わたしがどうするか、ではなく。アスラなら? アスラ・リョナならどうするか?
切り口の変更。
ルミアは10年もアスラと一緒に過ごした。それでも理解できない部分は多々あるが、世界中の誰よりもアスラを知っているという自負がある。
「……《魔王》を使う……かしらね?」
単独で世界を滅ぼせるような武器や魔法は存在していない。
であるならば、超自然災害の活用が最善か。
「いいですね。どう使います?」
「……英雄の皆殺し」ルミアが言う。「わたしたちが殺すのは英雄だけで十分。そうすれば、放っておいても《魔王》が世界を滅ぼしてくれるわ……たぶんね」
《魔王》に関しては分かっていないことが多すぎる。
たとえば、どの程度活動できるのか、とか。
もし英雄たちが倒さないなら、《魔王》は世界を破滅させるまで動き続けるのか?
「……ルミア」ジャンヌが少し驚いたように言う。「あなたは少し、壊れていますね」
「壊れている? わたしが?」
ジャンヌにだけは言われたくない、とルミアは思った。
「自分の発言の恐ろしさを理解していますか? そして、それは確かに可能かもしれないのです。理解していますか? 今、ルミアは何の躊躇もなくこの世界を滅ぼす案を出したんですよ?」
「仮定の話よ。それに、英雄を皆殺しにできるのなんて、アスラかジャンヌ姉様ぐらいでしょ?」
それでも膨大な時間が必要だし、最悪は途中で英雄たちに囲まれる。
アスラにせよジャンヌにせよ、5人以上の英雄に囲まれたらさすがにキツイ。
「だとしても、です。それより、《魔王》を使うというのはあたくしも考えました。《魔王》になぜ個体差があるか、ルミアは知っていますか?」
「いえ、知らないわ」
《魔王》はあくまで人間側がそう認定するだけで、同じ《魔王》が何度も出現しているわけじゃない。
姿形から大きさ、その戦闘能力まで、割と幅がある。
「なぜかと言うと……」
「姉様、持って来ましたわ」
ティナが両手で何かを抱えて小走りで寄って来た。
その何かは小綺麗な布でクルクル巻かれている。
大きさ的には大剣ぐらいかしら、とルミアは思った。
「《魔王》の話は今度にしましょう」
ジャンヌが立ち上がる。
ティナが布で巻かれた荷物をジャンヌに渡す。
ジャンヌがサッと布を外した。
そして。
布の中から出てきたそれは。
ジャンヌの右手に握られているそれは。
「わたしの……剣?」
かつて、ユアレン王国最高の鍛冶師がジャンヌ・オータン・ララのためだけに打ったクレイモア。
数多の金と膨大な時間を使って製作した、技術の結晶。
伝説に残っているような規格外の武器を除き、史上最高の剣と名高いそれは、
神々の黄昏――ラグナロクと命名された。
終末の日、という意味が含まれているのだが、それはユアレン王国に敵対する国の終末、という意味だった。
軽く、扱いやすく、最高の切れ味と耐久力を備えた剣。
100年もすれば『伝説の武器』に名を連ねるだろうと言われたほどの傑作。
「プレゼントです。懐かしいでしょう?」
「ええ……。あの頃を思い出して感傷的になる程度には、懐かしいわ」
「あたくしも何度か使いましたが、こればっかりはルミアの方が似合うと思います」
ジャンヌがスッとラグナロクを差し出す。
ルミアがそれを受け取る。
あの頃と変わらない、目映い刀身に息を呑んだ。
「ですが、今はあたくしがジャンヌです。それは妹へのプレゼントです」
「ええ。ええ、ありがとう姉様……素直に嬉しいわ」
もう二度と、ラグナロクを手にすることはないと思っていた。
「鎧も一応、回収しているのですが、きっとサイズが合いませんね。ルミアは昔より太……いえ、肉感的になっていますので」
今わたし、デブになったって言われたの!?
10代の頃のルミアは、確かに今より細かった。というか、引き締まりすぎていた。体脂肪も低かったので、胸のサイズも今より小さかった。
「そういう姉様も、昔よりやや丸くなってるわよ?」
ルミアが言うと、少し気まずい沈黙が訪れた。
ルミアは28歳で、ジャンヌは26歳。10代の頃と違うのは当たり前のこと。
特に、ずっと最前線で重たい鎧を装備して、大剣を振っていた頃と比べたら筋肉量は落ちて当然。
それでも、ルミアにせよジャンヌにせよ、そこらの一般的な女性に比べると、引き締まっている。
「ふ、2人ともメスとして魅力的ですわ」ティナが慌てて言う。「ぼくなんて、こぢんまりしてて、17歳なのにもっと年下に見られますのよ?」
「……まぁ、いいでしょう」ジャンヌが息を吐く。「それよりティナ。招集をかけてください。集まり次第、フェイズ1を開始します」
戦争が始まる。
多くの人を巻き込む、復讐のための戦争が。
アスラなら、きっと喜ぶわね、とルミアは思った。
これにて第五部終了になります。次はExtraになります。
連載再開までしばらくお待ちください。