6話 私も新兵の頃はトリガーハッピーになったものさ 4歳だったしね
アスラとイルメリは地下牢で一晩過ごした。
朝になって修道女が2人の朝食を運んできた。
拘束されていないイルメリがそれを受け取った。
イルメリは白いワンピースに着替えている。アスラも同じ服だ。
昨日、修道女たちが2人の身体を綺麗に洗ったあと、白いワンピースを着せた。
その間、アスラだけは拘束されていた。そして牢に入ってからも。
「食べさせておくれ」
アスラが自分の両手を持ち上げる。
アスラの両手首には木製の枷。両足首にも同じ枷。更に足枷の方は鎖で地下牢の床と繋がっている。
「うん。あーんして」
イルメリがパンを千切る。
アスラが口を開けると、イルメリが千切ったパンをアスラの口に放り込む。
「イルメリは優しいね。あとで魔法を見せてあげるよ」
アスラは上機嫌で言った。
何気に、イルメリのことが気に入っているのだ。
血生臭い世界とは無縁の、無垢な少女。住む世界が違いすぎて、拉致でもされなければ出会わないような相手。
「魔法!? 見たい見たい!」
イルメリが無邪気にはしゃぐ。
これから自分がどんな目に遭うのか、イルメリはきっと想像していない。
だが、それでいいとアスラは思う。
イルメリに手を出させるつもりはない。平和な場所で穏やかに暮らしていたイルメリを、クソみたいな世界に引きずり込んだ連中はみんな始末する。
かつて、穏やかに暮らしていたアスラを呼び覚ました連中のように。
なるほど、とアスラは思う。
自分を重ねているのか。
それはこっちの世界に生まれた、サイコヤローじゃないアスラの感情。
前世と違って、今のアスラはキッカケがあれば感情が動くこともある。とはいえ、回数は多くない。3歳までの自分に関連する場合だけ。
食事が終わると、アスラは生成魔法【乱舞】で数多の花びらを舞わせた。
イルメリが喜んで花びらを追いかける。
愛され、平和に生きてきたというのがそれだけでも分かる。
戦いとは完全に無縁。
自らの意思で戦いに身を投じたアイリスとはまた違っている。
英雄を続けるなら、アイリスのお花畑はある程度修正しなくてはいけない。
だが、イルメリの方はずっとお花畑でも問題ない。
「私は実は新しい魔法の性質を研究していてね」アスラが気分良く言う。「もうほとんど完成してるんだけど、発表のタイミングを見計らっているんだよね」
荷馬車の中でも、アスラは花びらを一枚だけ生成し、コッソリ練習していた。
そしてそれは実を結んだ。
完璧ではないが、形にはなった。
「……イル、よく分かんない」
イルメリが首を傾げた。
「いいんだよ。単純に新しい魔法を思い付いたってこと。思い付いて練習して、実際にできるようになった。魔法の可能性を開拓するのは本当に楽しくてね」
ロマンだ。
アスラは魔法にロマンを感じている。前世の世界には存在しなかった、新しい可能性。
実に面白い。
「イルも魔法使える?」
「もちろんだとも。誰でも練習すれば使えるよ。まぁ、師匠は必要だね。お父さんに魔法使いを探してもらうといい」
イルメリの父は商人で、色々な物を扱っている。その仕入れやら何やらで、留守にしていることも多いと、イルメリが話してくれた。
お互いのことも、割と話した。
イルメリがどこまで理解したかは不明だが、アスラは自分が魔法兵だということも話した。
「帰ったら頼んでみるね」
イルメリが微笑んだ。
でも、そのあとすぐに浮かない表情に。
「……心配してるかな……お父さんも、お母さんも……ぐすっ」
「大丈夫。必ず帰れる。私が約束する。絶対だよ。私は約束を守るタイプなんだよ。そうだろう? イーナ」
「……うん。今、連れて帰ろうか……?」
牢の前に、修道服を着たイーナが立っていた。
イーナに気付いたイルメリが、酷く驚いた表情を見せた。
イーナは足音と気配を遮断していたので、一般人のイルメリは接近に気付いていなかったのだ。
「いや、連れて帰るのは明日以降だね」アスラが言う。「明日、教祖様が来るらしいから、それからでいい」
「……そう。じゃあ、鍵も……開けなくていい?」
「ああ。問題ないよ。よくここが分かったね」
「まぁ……依頼主の名前、知ってたから……。アダ・クーラ……。団長もう会った?」
ラスディア王国のカルト教団所属のアダ・クーラ。そこまで分かっていれば、探すのはさほど難しくない。
手段を選ばなければ特に。
「会ったよ。教祖様の右腕的な立ち位置だろう」
「あたしら……どう動こう?」
「それを聞くのかね?」ククッとアスラが笑った。「皆殺しだよイーナ。皆殺し。分かるだろう?」
「あい……。すぐやる?」
「今日中ってとこかな」アスラが笑う。「明日、教祖様が来る時には死体を並べておきたい。どんな顔するか、私はとっても楽しみだよ」
「……えっと、団長は参加しない?」
「マルクス副長のお手並み拝見といこう」アスラが言う。「オーダーは隠密。この国じゃ、よほどのことがないと憲兵は動かない。けれど、念のため周囲に気取られるな。あ、それと、やっぱり3人だけ生かしておこう」
「……誰でもいい?」
イーナがコテンと首を傾げる。
「尋問用に2人と、1人はアダ・クーラ」
「了解……。マルクスに伝える……」
「それと、教祖様はたぶん英雄だね。アイリスか……エルナがいるならエルナに称号剥奪を検討させておくれ。明日、私が殺すから」
「……少女の拉致……と、たぶん殺してるから……問題ないと思う。でも……東の英雄?」
ラスディアは中央フルセンと隣接している。よって、教祖が東の英雄とは限らない。
「さぁね。別に中央の英雄でも、アイリスかエルナが中央の大英雄と話せば問題ないだろう? まぁ、私が殺す方が先になってしまうが、そこはアイリスとエルナに庇ってもらうさ」
「了解……。そっちの件も……伝えとく……」
イーナはスッとその場から消えた。
本当に消えたわけじゃない。気配を殺して移動したのだ。
イーナは元盗賊。潜入はお手の物。
もちろん、アスラが潜入の訓練も施しているが。
「というわけだからイル、明日には帰れるよ」
「……うん」
イルメリはどこか浮かない表情だった。
アスラは不思議そうに「どうしたんだい?」と聞いた。
「……皆殺しって……アスラお姉ちゃん……言ったから……」
「ここの信者どものことだよ。イルは殺さないから大丈夫」
「そうじゃなくて……人、殺しちゃ……ダメだよ?」
イルメリはおっかなびっくり、そう言った。
アスラは息を呑んだ。
「そうか。そうだよね。私とイルは、住む世界が違うんだよね」
なんて当たり前のこと。
「違わないよ?」イルメリが首を傾げた。「同じところに、いるよ?」
「物理的な意味じゃないよ」アスラが小さく息を吐いた。「懐かしい感覚だね、これは。前世の話なんだけどさ、私は生まれも育ちも戦場でね」
「ぜんせ?」
「前の人生、ってことだけど。まぁ理解しなくてもいいよ。私は戦場で産まれた。ネイビーシールズ崩れで傭兵の親父殿と、とある島国の戦場カメラマンの間に生まれたんだよ。そして4歳の時には親父殿に連れられて戦争してた。ははっ、あのバカ親父め、4歳の私にAK担がせやがった。重いって話さ。そこじゃ常に人が死んでいた。私も殺したよ。普通だった。それが私にとっての日常だった。親父殿が私用に特注した迷彩服着て、防弾ジャケット着て、ヘルメットかぶって、ダガー装備して、AK撃ちまくってトリガーハッピーさ。あっと言う間に弾倉空っぽにして、親父殿に『弾はタダじゃねぇぞ』って怒られたっけ」
その頃のアスラは幸せだった。
満たされていた。
「でも12歳の時、私は親父殿から引き離された。母が私を引き取った。親父殿に捨てられたのかと思ったよ。まぁ実際には違うがね。私は母の祖国の島国で、中学校ってとこに通った。私は知らなかったんだよ、人を殺しちゃいけないって。殴っちゃいけないって。私、当時は金髪だったから、目立ってね。いわゆる不良という連中に絡まれて、ズタズタにしてやったんだ。いやぁ、殴っちゃいけないなら、最初に教えろって話だよね」
そこでの生活はアスラにとっては地獄だった。
銃声が聞こえない。
手榴弾が飛んでこない。
戦車に挽肉にされるバカもいない。
退屈でたまらなかった。
「文字通り、世界が違ってしまった。酷い話さ。私の普通が、そこじゃ通用しない。苦肉の策として、隠れて不良狩りとかやったかな。みんな弱すぎて、あまり楽しくはなかったけど。殺意がないんだよ。本気の殺意がない。『殺す』って脅す奴はいたけど、殺す気ないんだよね。私の世界は暗転した。あの時の感覚を、思い出したよ」
常識や普通が、人によって大きく違うこと。
住む世界によって、全然違ってしまうこと。
善悪もそう。
「まぁ良かったこともあるよ? 私がとんでもなく頭がいいって分かったからね」
たくさんの本を読んだ。たくさんの知識を吸収した。
身体も鍛え続けた。
いつか、戦場に戻る日のために。
「アスラお姉ちゃん、イルよく分かんないけど、アスラお姉ちゃん、酷いとこにいたんだね」
イルメリが、ギュッとアスラを抱き締めた。
「そうなんだよね。本当に退屈で、地獄と呼んで差し障りなかったよ」
アスラが言うと、イルメリが首を振った。
「その前……だよ?」
「その前? その前は普通に楽しい世界だったよ、私にとってはね」ククッとアスラが笑う。「だから、今のこの生活は、本当に楽しいよ。死んで良かったと心から思うね」
◇
ラスディア王国のとある地方都市。
そこの宿屋の一室に、マルクスたちは集合していた。
「アスラちゃん見つかって良かったわねー」
合流したエルナが言った。
「やっぱヒマなんじゃねぇか」ユルキが笑った。「大英雄会議はどうだったんだ?」
「さぁ」エルナが首を傾げた。「まだアクセル戻ってないものー。ま、戻ったら決まった方針を伝書鳩で飛ばすでしょー」
「なるほど」マルクスはいつも通り、壁にもたれている。「とりあえず、教祖が本当に英雄だった場合、称号の剥奪は可能か?」
「少女たちを殺しているか、あるいは殺しを指示していたら、可能ねー」
「拉致だけじゃダメなの?」とレコ。
「拉致してはいけない、というルールはないのよー。そんなの、明記しなくても普通しないものー。それにここってラスディアよ? 国の法律ですら裁けるか微妙だわね」
「そうですよね」サルメが言う。「税金を納めているなら、難しいですね」
「まぁ、定期的に少女たちを補充しているわけだし、ほぼ間違いなく殺してるから、剥奪自体は可能よー。ただ、地方を跨いじゃってると、時間かかるわねー」
「だから団長は、庇えと言っている」マルクスが言う。「どうだ? 庇えるか? 本来、団長は英雄たちと敵対しても気にしないタイプだが、今はジャンヌと揉めている最中だ。面倒を増やしたくないのだろう」
英雄を殺すと、全ての英雄が敵に回る。英雄特権に『英雄を殺してはいけない』と明記されているからだ。
英雄たちは命を懸けて世界を守る。その代わりに、多くの特権がある。そしてその特権を侵害する者を許さない。
基本的には、という注釈が必要だが。
エルナは場合によっては見逃すタイプだ。
「大丈夫よー。英雄が少女を拉致して、生け贄に捧げていたー、なんて前代未聞だもの。最悪も最悪。汚点なんてレベルじゃないわー。吐き気がするわね。だから、《月花》が称号剥奪前に英雄を殺しても、わたしが守るわねー」
「そうか。これで憂いはないな」マルクスが小さく頷く。「団長のオーダーを確認するぞ?」
「隠密です」とサルメ。
「周囲に気取られないこと。特に憲兵かな」とレコ。
「3人生かす、んで、1人はアダ・クーラ」ユルキが言う。「簡単な任務だな。役割振ってくれマルクス」
「その前に」マルクスは床に座っているアイリスに視線を送る。「どうするアイリス? 作戦に参加するか?」
アイリスは団員ではないので、無理に作戦行動に参加する必要はない。
現在のアイリスの立ち位置は《月花》の生徒、あるいは弟子と言ったところ。アスラの、ではなく《月花》の。
「皆殺しでしょ? あたしにできるわけないし……」
どちらかと言うと、皆殺しは止めて欲しい、という雰囲気のアイリス。
けれど口を噤んでいる。立場を理解しているのだ。アイリスは団員ではないが、ゲストでもない。
「殺さない任務なら、参加するか? ただ、依頼ではないので金は出ないぞ」
「え? ええ、そうね……。あたしも魔法兵目指してるし、殺さなくていいなら、参加したいわね」
アスラも他の団員も、アイリスに全ての技術を教えるつもりだ。
けれど、それを使用するかどうかはアイリスが決めること。
殺す技術を教えるけれど、別に殺さなくてもいい。
「ふむ。エルナはどうする?」
「なんでわたしが参加するのよー? お客さんよー、わたしは」
椅子に座っているエルナが肩を竦めた。
「そうか。ヒマかと思って聞いただけだ。ではアイリスとサルメは誰でもいいから2人を拘束。アダ・クーラは出会った者が拘束」
アダの容姿はすでに知っている。カルト教団の住所を突き止めた時、ついでに調べた。
「自分とユルキは信者の暗殺。声を上げるヒマもないぐらい、迅速に殺す。確か、全部で20人だったか?」
「……うん。でも……あたしが潜入した時は……全員確認できてないかも……? 隠密を、優先したから……」
イーナが小首を傾げながら言った。
「了解。多少の誤差は問題ない。アイリスとサルメも、悲鳴を上げさせないよう努めること」
マルクスの言葉に、アイリスとサルメが頷く。
「イーナとレコは団長と銀髪の少女の救出。途中で信者と出くわしたら、即座に始末」
「……あい」
「はぁい」
「作戦開始は信者たちが寝静まった頃だ。もちろん、見張りなどが起きている可能性もあるが、その場合は弓を用いて手早く始末。エルナ、一緒には来るのか?」
「そうねー。お手並み拝見したいわねー」
エルナはニコニコと言った。
「分かった。だが出入り口にいてくれ。逃げようとする者がいたら、引き留めてもらいたい。殺すのは自分たちがやる」
「ちょっとー、どうしてわたしに役割振るのよー。お客さんだって言ったでしょー?」
「流れでいけるかと思ったが、仕方ない」マルクスが溜息を吐く。「サルメとアイリスは2人を拘束したのち、出入り口を確保。誰も出すな。以上。何か質問は?」
マルクスが全員の顔を見回した。
ユルキは小さく両手を広げた。ない、という意味。
イーナはユルキと同じ動作。
サルメは首を横に振り、レコは「特にない」と言った。
アイリスはやや緊張した面持ちだったが、質問はないようだ。
「では、しばらくゆっくりしろ。日が沈んで3時間後に、準備を整えて宿の前に集合だ」