11話 そんなことする? 「私はするよ?」
アイリスは木剣で戦場を駆けていた。
片刃の剣ですらない、訓練用の木剣だったが、今のアイリスにはそれで十分だった。
アイリスは魔力を木剣にまとわせ、敵兵を打ち据える。【殺意】は使わない。そこまでする必要がないからだ。
ただ魔力を乗せただけの木剣でも、敵の鎧を砕き、骨を砕き、一撃で戦闘不能にする。
ギリギリ命だけは助けてやる、というレベルの攻撃。戦闘不能になった敵が誰かに踏まれて死ぬのは、「あたしには関係ない」とアイリスは割り切っていた。
ちなみに、アイリスは《月花》の仲間としてではなく、自分の領地から派遣された兵士として参戦している。
「アスラ……」
空を覆うスカーレットの魔天使と、それを打ち砕くアスラの魔法を見て、呟いた。
アイリスはアスラに近い場所で戦っている。
アイリスは立ち止まって、アスラとスカーレットの応酬を見ていた。
時々、呆けたアイリスを敵兵が攻撃するけれど、アイリスはその攻撃はアッサリと躱して木剣を一振り。それで敵は戦闘不能に陥る。
そうしていると、アイリスの周囲には半死半生で呻く敵兵が折り重なった。
「こんなに強くなったのに……あたしは……」
あの中に割って入れない。
あの2人の間に入れない。
アイリスの入る余地は少しもない。
アスラにも、スカーレットにも、アイリスの剣は届かない。
どちらにも勝てる気がしないし、そんな風に思う自分が死ぬほど悔しかった。
アイリスは泣きそうになった。
いつも遠い。アスラの背中はいつも遠いのだ。
「ちくしょう!!」
まるで獣が吠えるように、アイリスは叫んだ。
だけどそれは、戦場の喧噪の1つとして消えていく。
「大丈夫?」
アイリスの隣に立ったエルナが言った。
エルナもこの戦争に参加している。東フルセンを、自分の故郷を守るために。
「エルナ様……あたしは悔しい」
「何がそんなに悔しいの?」
エルナは弓で敵兵を撃ち抜きながら聞いた。
「あたしはアスラに、特別な感情を持ってるみたい」
アスラがスカーレットと踊っている場面を見た時、ハッキリと認識した。
「だから、嫉妬してると言ってもいい」アイリスが言う。「あたしは、スカーレットの代わりにあそこに立ちたい……」
「それって本当に自分の気持ちなのぉ?」とエルナ。
「そう思います」
「アスラ・リョナに操られてるんじゃなくて?」
アスラは人の心を操る。
それは分かっているし、アイリスの方向性もきっと、アスラにある程度は操作されている。もしかしたらこの気持ちも?
ああ、でも、だから何だと言うのか。
「そうだったとしても、同じことですよ」アイリスは困ったように笑った。「今、この瞬間の悔しさは本物だし、アスラがいつか誰かに殺されるなら、その相手はあたしがいい。別のあたしなんかじゃなくて、このあたしが」
視線の先では、アスラとスカーレットが剣で斬り合っている。
◇
「楽しいねスカーレット!」
アスラの斬撃を、スカーレットがガードする。
「ええ! クソみたいな真実だけど、あたしを受け止められるのは! 世界にあんただけよ!」
スカーレットの斬撃を、アスラが受け流す。
2人だけの世界、2人だけの戦争、2人だけの愛情表現。
「スカーレット! そろそろ変身したらどうだい!?」
「変身ですって!?」
スカーレットは少し驚いて、アスラから距離を取った。
「ほら! 君自身が魔天使みたいになるやつ!」
「ああ、あれね。変身って……」
スカーレットは苦笑いしつつも、アスラの希望を叶えようと思った。
「【天罰の代行】」
その瞬間、スカーレットを中心に小さな衝撃波が起こった。
衝撃波が走り去ったあとには、翼の生えたスカーレットが立っていた。右が黒で左が白の翼。
スカーレットの顔には幾何学的な模様が浮かんでいて、アスラはそれを美しいと思った。
元々、スカーレットの顔は美しいのだから、模様を描いたって美しいに決まっている。
「その状態で半分なんだろう?」とアスラ。
「そうね。半分ね。当然、受け止めてくれるでしょ!」
タンッ、とスカーレットが踊るように間合いを詰めた。
速いっ、けど!
アスラはスカーレットの斬撃をあえて躱した。
躱せることを見せるために。君の半分の力に、対応できることを示すために。
とはいえ、ギリギリの回避になってしまい、またしても逃げ遅れた髪の毛が少し斬られてハラハラと舞った。
「ははっ、君と戦ってたら髪がなくなりそうだよ」
「ショートカットも似合うんじゃない?」
笑いながら、スカーレットが横薙ぎ。
今度は小太刀でガードし、受け止める。アスラは小太刀に魔力を流しているので、今の小太刀の頑丈さは伝説級の装備よりも上だ。
そこからまた、2人は斬り合いを楽しんだ。
速度は互角だが、威力はスカーレットが上。技術的にはややアスラが上か。
「あんたって本当に人間?」とスカーレット。
「そうだよ。斬られたら死んじゃう、そんな脆弱な人間だよ」
「その割りには、強すぎるわ」
「それを君が言うのかい?」
アスラはおかしくて噴き出したけれど、スカーレットの攻撃には対処している。
と、スカーレットがアスラから距離を取る。
ああ、ついに本気でやるんだね?
そう思って、アスラはスカーレットを追わなかった。
「ねぇアスラ、全てをやり尽くした一夜は、怠惰に生きる人生より価値があると思わない?」
「さぁね。でも君の言う一夜が私と寝た夜のことなら、きっとそうだろう」
アスラの答えを聞いて、スカーレットは満足そうに微笑んだ。
「神域属性・天魔」穏やかな声でスカーレットが言う。「神世に踏み込み、全てを尽くして、あんたのための時限魔法【六天世界】」
黒い魔力のカーテンが引かれ、アスラとスカーレットを世界から隔絶した。
「これは……?」
「あたしの世界、あたしの領域、単純に、あたしが強化される。ちなみにあたしが魔法を解くか、魔力が尽きるまで外には出られないわよ」
「なるほど、単純なだけに強力な魔法だね」
「練習やお試し以外で、この魔法を使ったのはあんたが初めてよ」
「それは嬉しいな、君の初めてを貰えるなんて」
「喜んで貰えてあたしも嬉しい。さぁ、この状態があたしの本気よ。あたしもこれ以上はない。次はあんたの全てを見せて」
「私も変身できたら良かったんだけどね!」
アスラは短剣を2本投げた。
スカーレットは魔王剣でそれを弾いた。
その時にはもう、アスラはスカーレットの目の前にいて。
そして神速の抜刀。
これしかない。ああ、魔法を除けば、私にはこれしかないんだよスカーレット!
瞬く間。
魔力を乗せた小太刀の刃が煌めき。
しかし、スカーレットはそれをガードした。
「それは前に見たわ!」
「なんだよもう……」アスラは少し悔しいと思った。「簡単に止めてくれるなよ……。今のは全力だったし、私史上、最も速い抜刀だったんだよ? 型だって綺麗で……」
スカーレットが後方に下がる。
「愚痴ってないで次を見せて。何もないなら、少し残念だわ」
スカーレットは本当に残念そうな表情をした。
「ないとは言ってないだろう?」やれやれ、とアスラ。「物理では君に勝てそうにない。よって、私は魔法を使う」
「楽しませてね?」
「もちろん。私も時限魔法。一回使ったら、またしばらくMPを溜めなきゃ」
アスラが小太刀を天に向けると、空に巨大な魔法陣が浮かぶ。
「【月の欠片】を振らせたことはあるけど、月を落としたことって、まだないよね?」
「ないわね」
「じゃあ、堪能して。【残月天来】!」
魔法陣から月が生まれ、ゆっくりと落下を始める。
「ちょ……ちょっとぉ!?」さすがのスカーレットもビックリして言う。「あんた、皆殺しにする気!?」
月と言っても、本物に比べたらかなり小さい。
それでも、落ちたら衝撃波でこの戦場を消し飛ばせる。
「この黒いカーテンがあれば大丈夫なんじゃないのかい?」とアスラ。
「そんなの分からないわよ!」
「あは、じゃあ君が壊すしかないね。私が死んでもちゃんと月は落ちるから、助かりたければ壊すしかない。ははっ! やっとラスボスらしいことできたよ!」
よく考えたら、スカーレットが壊してくれなきゃ私も巻き込まれて死ぬな、とアスラは思った。
本来、この魔法はもっと遠い場所に落とすか、アスラが逃げられる時に使うものだ。
だけどアスラはとりあえず、余裕の表情でスカーレットを見ていた。死んだら死んだで、別にいい。
スカーレットと相打ちなら、悪くない。ただちょっと、自分の魔法で死ぬのはかっこ悪いかも、とは思うけれど。
それでも気分は高揚していた。
◇
アスラ・リョナは加減を知らない。
正気の沙汰じゃない。
もしかして本当はバカなんじゃないか、とスカーレットは思った。
そんな魔法、できてもやらないでしょ、普通。
月が、空から、落ちて来ている。
バカみたいだけど、現実だ。
なんなのこの大量破壊魔法。いつ使うつもりで作ったの? あ、今、使ってるわね、とスカーレットは思った。
こんなの、敵も味方もまとめて粉みじんだ。本気でみんな死んでもいいと思ってないと使えない魔法。
頭おかしいんじゃない? 本当、頭おかしいんじゃない?
「魔王剣、あたしの魔力をあげるから、最大の一撃を放って!」
スカーレットが言うと、魔王剣はスカーレットの魔力をゴッソリと抜いた。
そのせいで黒いカーテンが消えて、【天罰の代行】も終わる。余裕がない。魔王剣とスカーレットの全力を合わせないとこの月は壊せない。
壊せたとしても、欠片が散らばって酷い被害が出る。が、そっちはもう諦めた。
スカーレットは色々な魔法が使えるけれど、それらは対人や対軍用で、対月用の魔法なんて一個もない。
そもそも、誰が月を壊すことを想定して魔法を作るのか。
持ってて良かった魔王剣、とスカーレットは心からそう思った。
◇
「団長が! オレたちもまとめて殺そうとしてる!」
黒いカーテンが消えて、落下する月を見たレコが叫んだ。
「ああ……団長だろうな、こんなことするのは」
マルクスはポカンとした表情で、落下する月を眺めた。
戦闘は止まっていて、敵も味方もみんなが落ちる月を見ていた。
「……いくら美しい団長様でも、それはないでしょう……」グレーテルが半笑いで言った。「これは美しいスカーレットを応援するしか……」
◇
「魔王かな? あ、アスラはみんなのラスボスだったかな」とラウノ。
「いやぁ、これは死ぬでござるなぁ」とチェリー。
「……スカーレット頑張れ! 頼む!」とシモン。
◇
「……笑えないけど、なんか団長って感じ……」とイーナ。
「あの人やっぱイカレてるよなぁ?」とロイク。
「まさか私がスカーレットを応援する日がくるとは」とサルメ。
◇
「スカーレットのためにそこまでするの?」
アイリスは複雑な心境で呟いた。
「きっと巻き添えのことなんて、何も考えてないんでしょうね」
2人だけの世界で戦っているに違いない、とアイリスは思った。
スカーレットはどうか分からないけれど、少なくともアスラはスカーレットしか見ていないはずだ。
とはいえここは戦場。誰かの巻き添えも、死ぬのもよくあること。そもそも、死にたくないなら戦場に出てはいけない。
落下する月を見て、敵も味方も一瞬だけ呆けたが、すぐに逃げようと走り出した。
もっとも、今から逃げても間に合うとは思えないけれど。
「十六夜」
アイリスが呼ぶと、空間を引き裂いて十六夜が現れた。
「あらら? これはお母様ですね?」と月を見た十六夜。
「他にいないでしょ、こんなアホなことする奴。てか剣になって。スカーレットがアレを壊したとしても、欠片が散るでしょ? それを払うから」
◇
黒いカーテンが消えても、アスラはその場を動かなかった。
スカーレットが月を壊すか、一緒に死ぬかだ。
スカーレットは魔王剣に魔力を集めて、そして空へと一閃。
魔王剣から魔力の衝撃波が飛ぶ。
それは大帝キリルが使っていた【紅の破壊】より高威力の魔力の斬撃。
その斬撃は月を打ち砕いた。
「ああ……素晴らしい!」
身震いした。
私の月を、私の最強の魔法を、砕いてしまった!
破滅的な威力の魔法を、スカーレットは打ち砕いたのだ!
魔王剣の力を使ったとはいえ、たった1人で小さな月を破壊してしまった!
アスラにこれ以上はない。これが本当に最大にして最強の攻撃。
砕けた月の欠片が散らばって降り注ぐ。
その欠片の一部を、別の魔力の斬撃が消滅させる。
「十六夜とアイリスか」
ついでに、アスラの仲間たちも月の欠片に対応してた。
誰かを守っているわけではなく、自分たちがダメージを負わないように。
ナシオとゾーヤも何気に対応している。こちらは自軍の兵士を守るためだ。
他にも、この戦争に参加している、かつて英雄と呼ばれた者たちも月の欠片を破壊して被害を抑えた。
それでも周囲は穴だらけで、まともに戦争なんてできる状態じゃない。
アスラは小太刀を鞘に収めてから、みんなに拍手を贈った。特にスカーレットに。
スカーレットは「ふぅ……」と息を吐いたと同時に踏み込み、アスラ目がけて魔王剣を振り下ろす。
アスラは小太刀を抜いて受け流し、反撃。
スカーレットがガード。
「楽しめたかい?」
「ええ。人生で一番、死ぬかと思ったわ」
「君の一番になれて嬉しいよ」
スカーレットが笑って、アスラも笑った。




